1919年(大正8年)に、第一次世界大戦が終結してから、20年足らずで第二次世界大戦が始まった理由は、
世界恐慌による経済のブロック化と、そこから閉め出された植民地を持たざる国による自力救済の手段として戦争をせざるを得なくなったことが理由であることは以前にも述べた通りであります。

ことドイツにとっては、ヴェルサイユ条約によって海外の植民地の全てと自国の領土を割かれたのに加え、
多額の賠償金を課せられて困窮していたところにフランス軍がルール地方の占領を強行するなど、
第一次世界大戦が終わってからも、ドイツ国民が屈辱と塗炭の苦しみを強いられていた背景があります。

また、ヴェルサイユ条約はドイツに対して軍備の制限を課しており、
陸軍兵力は10万人に留められ、海軍も沿岸警備のための最小限度の艦艇しか保有を許されず、空軍が禁止されたほか、戦車や航空母艦などの近代的な兵器を保有することも禁止されていました。

 


条約によって決められている点においては、憲法で戦力不保持を明記している戦後の日本よりも、ある意味、深刻なものでありました。


そのため、賠償金の支払いの滞りを理由としたフランスによる侵略に対してもヴァイマル共和国軍[Reichswehr](※国防軍と訳されることもあるが、国防軍はナチスの[Wehrmacht]の事であり、[Reichswehr]は、直訳すれば『ライヒ(=国家)防衛隊』に近い) はなす術もなく、
それも含めて、ヴァイマル共和政に対するドイツ国民の不信感につながり、ナチスの台頭を許した背景があります。


第二次世界大戦後、連合国によってドイツは解体され、米ソ英仏の4ヵ国によって分断統治された結果、
西ドイツ(※ドイツ連邦共和国)が主権回復した後も、フランスをはじめとする旧敵国の世論から西ドイツに対する再軍備制限が要求されてきましたが、東西冷戦によるソ連の脅威に対応する必要性に迫られるなかで最終的にはドイツの再軍備は承認され、1955年にドイツ連邦軍[Bundeswehr]が創設されたと同時に西ドイツもNATO(※北大西洋条約機構)に加盟しました。

 


英国やフランスでは、東西ドイツの統一を歓迎しない意見が首脳の中から出たことがあったように、ドイツに対して感情的になりがちな所がありますが、
私から言わせれば、イギリスやフランスも過去の歴史で悪いことをしてきたことに変わりはないと思いますし、かのナポレオン・ボナパルトも、ドイツやスペインにとっては侵略者でしかありませんでしたからね。

しかし、第二次世界大戦後のドイツに対して、これ以上の屈辱を与えなくて良かったと思います。



ドイツ人を本気で怒らせたら、恐いですからね……。