暴風鋭くなって超展開『KILL 超覚醒』
インドで盗賊のことを「ダコイト」というがその言葉には「義賊」という意味もある。カースト制の根付くインドではカースト上位の人間にカースト下位の者が叛逆するために金品を奪い貧しい者に分け与える「ダコイト」の物語がある。映画にもなった『女盗賊プーラン』は世界に名を轟かせた伝説のダコイトだ。
経済的に発展し先進国の仲間入りを果たした現在のインドでは真の意味でのダコイト的なものはほとんどいなくなり、単に強盗する集団だけが事件を起こしているという。
映画『KILL 超覚醒』はダコイトの流れを組む武装強盗団が寝台特急を襲い、そこに偶然乗りあわせた特殊部隊員の男が互いに復讐の刃をせめぎ合うゴア・バイオレンス。
インド国内の対テロ組織部隊NSGに所属するアムリット(これが映画デビュー作の若手俳優ラクシャ)は恋人のトゥリカ(ターニャ・マニクタラ)が父に決められた婚約者と結び付けられそうになっているというメッセージを受け取り、同じ部隊の相棒、ヴィレシュとともに彼女を迎えにいく。トゥリカの父親はインド運輸省のタクール大臣で、すでに豪華なパーティーも開かれた後で婚約破棄も難しいが、家族が自宅のあるニューデリーに戻ろうとする寝台特急の中でアムリットはトゥリカにプロポーズの指輪を贈るのだった。
その寝台特急にはダコイトの長、悪辣なベニ・ブーシャンが率いる武装強盗団が乗り合わせており乗客の金品は強奪される。車内の携帯を使えなくするための妨害電波発生装置を使用し、数十人の強盗を前になすすべもない乗客だがアムリットとヴィレシュは反撃を試み、強盗団の一人ババンを殺害する。ババンの息子ラヴィとベニの息子で強盗団のリーダー格、ファニ(ラガヴ・ジュヤル)は復讐を誓いヴィレシュを人質に後部列車に立てこもる。
トゥリカと再会したアムリットはタクール大臣からトゥリカの妹、アハナがトイレにいったまま戻ってこないと聞かされる。その頃アハナはファニらが立てこもる後部列車の座席で息をひそめていた。ファニからタクール大臣とその家族が乗りわせていることを知ったベニは大臣を生かしておけば逃げきれない、必ず復讐されると大臣一家の皆殺し、そして「家族」であるババンに手をかけたアムリットの殺害を命じる。
たったひとりで戦いを挑むことになったアムリットはトゥリカを守り、相棒ヴィレシュを救い出して強盗団に打ち勝つことができるのか?
寝台特急を舞台に悪党集団に戦いを挑む一人の男、というとセガールの『暴走特急』(1995)を思い起こさせる。アムリット役のラクシャのキレよりも重さを感じる拳、蹴りの一撃はセガールよりもハードだ。また、セガールのように「無敵のヒーロー」ではないので相手に痛めつけられるし、斬られれば血を流す。流血の量はセガールの100倍!
「ハリウッドリメイク決定」の惹句が踊っているがこのすさまじさをハリウッドで再現するのは難しいのでは?何しろ絶対にハリウッドではありえない展開が待っているから。
アムリットが守ろうとするヒロインのトゥリカは途中でファニの手にかかって死んでしまう!時間的にもまだ中盤のあたりで!ハリウッドならヒロインが助からないなんてありえないだろう。
目の前で恋人の死を見せつけられた主人公アムリットは「超覚醒」する。復讐の鬼と化したアムリットは強盗団の死体を列車に吊り下げてファニを挑発する。正義のヒーローのやることではない!
ダコイトは義賊の血の流れを組む強盗団であると説明したが、数十人の強盗団は家族なので主人公に無残に殺された家族の遺体に縋りついて泣き喚く。
「オヤジが死んじまった!」「なんてむごいことしやがるんだ!」「人のやることじゃねえよ」「野郎、絶対に許さねえ。仇をとってやる!」
正義の側ではない。悪役の強盗団のいうことがこれ!家族はなによりも大事に扱うのに、乗客は容赦なく殴り飛ばして時にはぶっ殺す!
ハリウッドなら単なるザコがやられただけのシーンを情緒たっぷりに描く。これがインド映画だ!
主人公と悪役でこれだから単なる背景でしかない脇役も無茶苦茶で、やたらと強い悪党がでてきてアムリットらを苦しめるのだが、そいつの最期は息子を殺された母親(普通の乗客)に「あんたが息子をひどい目に!許さないよ!」と鉄の棒で頭を何度も叩き割られる!復讐がさらに復讐を呼ぶ因果応報のループ。これがインド映画だ!
主人公が超覚醒の元暴れれば暴れるほど人の死が吹き荒れ、正義の裁きは全く意味をなさない。ヒロインの仇であるファニですら最後には
「お前は軍人(ラクシャー、防衛の意)なんかじゃねえ・・・鬼神(ラクシャーサ)だろ!」
と漏らすぐらいの暴れっぷり、暴走特急。超覚醒ならぬ超展開の連続に息もできない。スピーディーな展開ながらインド映画特有のこってり感で104分というインド映画らしからぬタイトなランニングタイムながら3時間見たぐらいの緊張感がある。
自身もダコイトの被害にあいかけた実話から構想したというニキル・ナゲシュ・バート監督の手腕、お見事。
暴力映画の新時代を見た気分。
生命の光『フランケンシュタイン』(2025)
1857年。北極点を目指すデンマーク海軍の船は暑い氷塊に阻まれて身動きが取れなくなる。脱出作業の最中氷原に火が立ち上がるのを見た乗組員はが駆けつけると重症を負った男がひとり。隊長アンダーソン(演じるはデンマークの名優マッツ・ミケルセンの兄ラース・ミケルセン)の指示で男を船内に運ぼうとすると突如唸り声をあげて長身・巨躯の何者かが襲ってきた。
「その男をオレに渡せ!」
乗組員の銃弾を浴びて氷海に沈んだ何者かだが、傷を負った男は「あいつは生きている。あれぐらいでは死なないんだ」と力なくつぶやく。
「あの怪物をつくったのはわたしなんだ・・・」
男の名はヴィクター・フランケンシュタイン。外科医にして“怪物”の創造主であった。
シェリー夫人のゴシック・ロマンにしてSFでもある『フランケンシュタイン~あるいは現代のプロメテウス』を元にした映像作品は数限りなくある。もっとも有名なのは『フランケンシュタイン対地底怪獣』と『ドラキュラ対フランケンシュタイン』だけど(大嘘)今回の監督はモンスター、怪奇映画大好き野郎のギレルモ・デル・トロだ。信用できるオタク監督ってやつです。ネットフリックスで配信中の『フランケンシュタイン』(2025)はユニヴァーサル・モンスターの伝統をなぞりつつ、許しと償いを求めて足掻く生命の物語。
映画は大きく3つのパートに分かれている。ヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)の幼少時代。高名な外科医である父親に厳格に育てられるが母は病に斃れる。母を救えなかった父と医学に絶望したヴィクターは死体から命を再生する“蘇生”の研究に取りつかれ、研究結果の発表に至る。進歩を貴ぶ若い世代に支持を受けるも保守派が支配する医師会からは異端扱いされ追放処分に。
そんなヴィクターに接触した武器商人ハーランダー(クリフトフ・ヴァルツ)の資金援助を受けてヴィクターは蘇生研究を続ける。さらに弟ウィリアムの協力を得て巨大な実験塔の建設に着手。ハーランダーの姪でありウィリアムの婚約者であるエリザベス(ミア・ゴス)と出会ったヴィクターは彼女の進歩的な考え、優れた知性、昆虫趣味などに惹かれ交際を申し込むも断られてしまう。
クリミア戦争が激しさを増し、無制限に融資すると言っていたハーランダーが援助を渋り「一週間で結果を出せ」と迫られる。追い詰められるヴィクターだがとっさのひらめきで死体から作り上げた肉体を動かすことに成功する。
さらに大量の電気を必要とするために嵐の日に起きる落雷を利用することを思いつく。その頃ハーランダーの肉体は梅毒に冒されており、水銀を治療薬と称して飲み干していた。完成した肉体に自分自身を転移させることを要求するハーランダーに病に侵された臓器は使えないからあきらめろとするヴィクター。もみ合ったあげく彼は落下して死んでしまう。その時落雷が実験体を貫いた・・・
実験は成功するも蘇生体には知能がなかった。父親気取りで言葉を教えようとするも彼が知る父親とは息子を殴ってしつけるような人間なのだから、うまくいくはずがない。「ヴィクター」それだけしか言えず知能のない蘇生体を「怪物」呼ばわりし蔑むヴィクター。実験塔を訪れたウィリアムとエリザベスにハーランダーは怪物が殺したと嘘をつき、実験を放棄しようとするが怪物が「エリザベス」とつぶやくのを耳にし、嫉妬にかられたヴィクターは実験塔を火の海に沈めるのだった。
継ぎ目のある肉体、低い知性という怪物のキャラクターは後世の創作によるものであり、このフランケンシュタインの怪物というキャラクターの造形に影響を及ぼしたのは1931年のユニヴァーサル映画『フランケンシュタインFrankenstein』(ジェイムズ・ホエール監督)だ。ボリス・カーロフが演じ、ジャック・P・ピアースによるメイキャップで生み出された怪物が100年近く更新されずにきたのだ。
デル・トロは原作のキャラクターの配置、役柄を変えつつもアウトラインはホエール版に準じている。他の作品のように。が、ここからがオタク監督デル・トロの本領発揮だ。
怪物の誕生をアンダーソン船長に語り終えた頃、北極海に沈んだ怪物が姿を見せる。やはりこいつは不死の怪物なのだ!死を覚悟したアンダーソンは「お前は彼の言う通り知性のない怪物に過ぎない」と吐き捨てる。
「そいつの独りよがりな話を聞いただけだろ?」
と口を利く怪物。言葉を話せるのだ!
「今度は俺から見た話を聞かせてやろう・・・」
第2章は塔の爆破から生き延びた怪物の視点から見た物語。怪物はさ迷い歩き、やがて農場の小屋で暮らす一家の元にたどり着き、小屋に潜んで暮らすようになる。盲目の老人が孫娘に言葉を教えるのを見て言葉を学び、彼らの生活から知性を学んでいく怪物はこの一家の住人になりたいと願い、夜の間に干し草を用意したり、小屋をつくったりする。それを森の妖精の仕業と思い込む老人。
怪物の行為は「感謝」というもので、知性のない怪物に出来ることではない。
家畜を襲う狼を狩るために家族を町に移し、ハンターらが森に入ると家には頑なに土地を離れようとしない盲目の老人だけが残った。怪物は森の妖精を名乗り姿を見せ(見えないんだけど)、交友を深め読み書きと言葉遣いを学ぶ。
自分が何者かの記憶さえないという怪物にルーツを探れという老人のアドバイスに従い、覚えている言葉でもっとも古い「ヴィクター」と記憶を頼りに怪物はかつての実験塔へ。そこでわずかに残されていた怪物の実験試資料を見つけ、死体から生まれた怪物であること、ヴィクターが自分を生み出しながら身勝手に捨てたこと、住所が書かれた手紙を見つける。
「オレは初めから死んでいた。死ぬこともできない怪物なのだ」
農場に帰った怪物は狼に噛み殺された老人を発見する。運悪く戻ってきたハンターらに老人殺しの疑いをかけられた怪物はハチの巣にされるが死ぬことができない怪物はまた目覚める。
これらのエピソードは1931年版の続編『フランケンシュタインの花嫁』(1935)からの要素できちんと続編の話まで組み合わせているところがさすがオタク監督デル・トロ!
原作の要素である「高い知性をもった怪物」(もう怪物と言えないのでは?)に進化した怪物がヴィクターの元を訪れ「この永遠の孤独に耐えられるよう、連れ合いをつくれ」と迫るが怪物を想像したことを悔いている創造主(ヴィクター)に拒否される。
怪物は不死を解く技術を見つけるまで創造主を追い詰めると誓う。「北極点の果てまでも!」そして本当にヴィクターは怪物を追って犬ぞりで北極までやってくる!(それが冒頭の場面)
2時間30分の大作だがクライマックスの果てしない追いかけっこはあっさり処理されるので本当はこれが30分以上続いてたんじゃない?
第3章。怪物の語りを聞いたヴィクターは怪物に許して欲しいと償う。彼の研究は母を死なせたことを少しも悔いていない父親への復讐から始まった。父から償いの言葉が聞けたのならこんな過ちは侵さなかったのに。
実験塔で怪物の目覚めを見たヴィクターは窓から差す日差しを見せ
「見ろ。これが太陽だ!暖かな光だろう!」
と目を輝かせた。彼が最初に教えたのは陽の光の暖かさだった。
北極点に差す夕日の光に怪物は手を伸ばす。それが創造主が命のほかに与えてくれたものだから。
1931年版
善と悪のフランケンシュタイン
日本人に刻まれたフランケン像といえばこれ
万博は佐賀でやった方がよかった『ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス』
TVアニメのシーズン2『ゾンビランドサガ リベンジ』から4年、ゾンビアイドルのフランシュシュが帰ってきた!『ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス』はTVシリーズの完結編(多分)にして数々の謎がきちんと解き明かされる解答編でもある。
2025年、紆余曲折を経てどん底からの復活を成し遂げたメンバー全員ゾンビのアイドル、フランシュシュは様々なトラブルのため開催地の変更を余儀なくされ、すったもんだの末に佐賀が開催地に決まった佐賀万博のアンバサダーに任命。万博ライブに向け準備が進む中、メンバーのひとり「伝説の山田たえ」が行方不明に。直後、宇宙船が佐賀に飛来し攻撃を開始。万博会場および町中が崩壊する。宇宙人の襲撃は全世界に及び混乱に陥る中、自我を取り戻した山田たえが帰還。たえの正体が佐賀を謎の存在の攻撃に抵抗していたレジスタンスのメンバーであったことが判明。
自我を取り戻した代わりにアイドル時代の記憶を失っていた山田たえだが、宇宙人の侵略から佐賀を守るために佐賀に陣取る宇宙人の母艦の破壊を目指す。フランシュシュのメンバーはたえの力になろうとするが
「たかがアイドルに何ができるっていうんですか!?」
と拒絶、フランシュシュからの脱退を宣言。これが音楽性の違いによる脱退か(違う)。
世界は宇宙人の侵略に対抗するため佐賀への攻撃を決定。営業先の東京から舞い戻ってきたプロデューサー巽幸太郎から「たえを必ず連れて帰れ」と厳命され立ち上がるフランシュシュ。しかし正体がゾンビであることをファンに知られてしまう・・・
死んでしまった人間が蘇り、存在自体が風前の灯であった佐賀を復興させるプロジェクトに挑むという『ゾンビランドサガ』のテーマは復活である。成功しそうになってはしくじり、どん底に落ちてもまた甦り立ち上がる。佐賀の乱の見せしめとして併合され三潴県に陥りながら努力の末、独立を認められるという(そのあたりの話もアニメで描かれる)歴史を持つ佐賀県ならではの企画であり意外とマジメな作品なのだった。
戦いしか知らなかったたえがアイドルとして無限の可能性に気づくという展開は、やたらとアイドルアニメに夢・努力・成功をこれでもかと押し付けられがちな現代においてやや鼻白むが、未宇宙人の侵略への抵抗というSFアクション面が帳消しにしてくれている。何しろ宇宙人と戦うんだもんなあ。そんなの『キラッとプリ☆チャン』ぐらいでしか見たことないよ!
『~リベンジ』の最終回からきちんとつながって、伏線もほぼ回収されていたし最後の万博ライブも感動的で大団円、大号泣ですよ。
こないだ終わった万博もこんなフィナーレだったらよかったのに!
生前のたえちゃんの漫画
映画の曲も入ってます
アニメ・この一話がスゴイ!スプーンおばさん「おばけのしかえし」
10月31日はハロウィンだったわけで・・・
おっさんがガキの頃はハロウィンなんかなかったよなー
日本でハロウィンが定番のお祭りになったのは1990年半ばからというのでその頃もう二十歳すぎてるもんな。僕はハロウィンという言葉を意識したのもバートンとセリックの『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』観てからだし。今は児童向けアニメや日常系漫画でも普通に出てくるけど、ガキの頃見たアニメにはほとんどなかったぜ。
探したところ、1983年放送のアニメ『スプーンおばさん』にハロウィンを扱った回があったわ。第92話「おばけのしかえし」というエピソードだ。
スプーンおばさんは自宅で大量のクッキーを焼いていた。おばさんの仲良しの少女ルウリィ(声・島本須美!)が聞くと今日はお化け祭りの日だからと。近所の子供がお菓子をもらいにやってくるのでそれを焼いているのよと。
ハロウィンという言葉が定着してないのでお化け祭りと言い換えている所に時代を感じますね。
そこにやってきたバケット、リトルボン、キャパの悪戯3人組が鍋や木箱で作ったお化けの仮装をして「お菓子くれ」とやってくる(「くれなきゃ悪戯するぞ!」というやりとりは存在しない)。3人はルウリィの姿を見てそそくさと退散。
「あの子カワイイよな!」「せっかくだからお話したいなあ・・・」「そうだ、もう一回おばさん家に行ってお話しようぜ」
と話しあい。しかし一度お菓子をもらった家に行くのは・・・となるがそこは悪ガキ3人。一旦その場を離れ新しい仮装をしておばさんの家に再来訪。別の子供を装ってやってくるというわけだ。知恵が回るな。
やってきた3人がバケットたちなのにすぐに気づくおばさんは「あんたたちどこの子?名前は?」とわざと問いただす。リトルボンは適当に「アルフ」という偽名を名乗るが後が続かない。結局すぐさま退散。
おばさんは悪ガキがお菓子が欲しくて何度も来るのだと勘違いし、ルウリィと二人で悪ガキ3人にちょっとした悪戯をしようと思いつく(その途中で小さくなってしまう)。
そんなことに気づかず「ルウリィとお話したい!」という一心でまた別の仮装を用意してやってくる悪ガキ3人(少年のリビドーは時にものすごいパワーを生み出すのだ)。ところがおばさんが仕掛けた罠やルウリィがカボチャ頭ジャック・オー・ランタンを被ったお化け仮装に本気でビビッて逃げ出すのだった。
これで味を占めたおばさんとルウリィは他の家でお菓子をもらおうとするも直前でおばさんが元に戻ってしまい「今日は子供の日よ!」と恥をかいちゃうのでした。
これが日本におけるTVアニメではじめてハロウィンというものが紹介された回と思われる(ハロウィンという言葉での説明がないにせよ)。アルフ・プリョイセンの原作本にこのエピソードがあったかどうかは未読なのでわかりません。
少年たちの行動の根っこが「島本須美さんとお話したい!」というものだったのはオッサンになった今こそ響くね。わかるよその気持ち!お菓子なんかどうでもいいよな!
2025年11月予定
11月予定
11月7日(金)
『アイドル十戒リバース其の7』
会場:アワーズルーム
開演:19:30 料金:1500円+1D
出演:竹内義和 しばりやトーマス
サイキックをやってた人と聞いてた人のアイドル談義。
※今月は金曜開催、19時オープン30分スタートです
11月12日(水)
『旧シネマパラダイス』
会場:アワーズルーム
開演:20:00 料金:500円+1D
解説:しばりやトーマス
カルトを研究する若人の会。コンビニバイトの最悪な一日!
11月21日(金)
『キネマサロン肥後橋』
会場:アワーズルーム
開演:19:30
料金:500円+1D
解説:しばりやトーマス
※終了後YouTuber配信アリ
深夜の映画番組みたいな研究会。忍者たちが大激突!
11月26日(水)
『スーパーヒーロートーク』
会場:怪獣シアター
開演:20:00 料金:1500
出演:にしね・ザ・タイガー しばりやトーマス
東映・ニチアサヒーローについて語りすぎるトークライブ。




