あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション 丑三つの村 [Blu-ray]
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1983年1月公開の映画『丑三つの村』は1938年に岡山県津山で起きた連続殺人事件、世に言う「津山事件」の映画化だ。
津山事件は日本の犯罪史における単独の犯行で最も多くの犠牲者を出した(死者30人)事件で、2019年の京アニ放火事件が起きるまで最多の犠牲者数だった。その津山事件を有名にしたのはなんといっても同事件をモチーフにして書かれた横溝正史の『八つ墓村』で、横溝の小説と映像化によって事件は後世まで伝えられたといっても過言ではない。
しかし『八つ墓村』はあくまで津山事件をモチーフのひとつとしただけだが、『丑三つの村』は作家、西村望が事件の関係者が生存している時代に取材を試み、固有名詞を変えてはいるが惨劇を余すところなく再現しようとしたノンフィクションというところが見もの。本は81年に発表され話題を呼び、83年に松竹・富士映画配給で公開された。正月に!年末の松竹映画と言えばなんといっても寅さんであり、82年末に30作目の『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』が公開されている。『丑三つの村』は寅さんに気を遣ったせいか、洋画配給部門の松竹富士になっている。
監督は日活ロマンポルノのエースと呼ばれ、東映に招聘された時もギャング映画で暴れていた田中登を起用したので、残酷な惨劇と犯人である犬丸継雄(古尾谷雅人)と村の女たちとの情愛が克明に記される。要するにエロとグロの合体で、ここが『八つ墓村』以上の見どころになってます。
日中戦争の初期1938年。岡山の集落こぐれ村に住む若者、犬丸継雄は出征する村の男(なぜか演じているのがビートきよし)を万歳で見送りし、自分も立派な兵隊として国の役に立つことを願っていた。「おばやん」こと祖母のはん(原泉)と二人暮らし。幼馴染のやすよ(田中美佐子)とは恋仲だが、血縁的には従姉妹ぐらいの関係だ。こぐれ村の住人は村の風習からほとんどの村民が血縁に近い関係である。
村の風習とは何か?夜這いだ。
継雄が夜に寝付けず、集落を散歩した際、夫が出征して一人暮らしのえり子(池波志乃)が独身の勇蔵(夏八木勲)に組し抱かれているのを見てしまう。その後、集落の見回りをしている男たちから、こぐれ村に移り住んできた若衆の史明(浅見小四郎)らが悪さ(夜這い)をせんよう見回りをしており、それは勇蔵の案だと。見回りを理由に人妻の家にしけこんでいるのだから大したもんである。
村の風習の事実を知った継雄はえり子の家に行き、女火照りが収まらないえり子に誘われる。以降、継雄は取り憑かれたように村の女たち、おばやんから借金をしているミオコ(五月みどり)、継雄がせき込んでいる時にてぬぐいを渡した和子(大場久美子)の元を訪れ関係していく。秀才として知られた継雄は女たちにモテモテで誰からも断られないのであった。しかし、そんな扱いが一変する。徴兵検査で肺結核と診断され、兵隊として不適格とされてしまったからだ。
肺病持ちが知れ渡ると継雄は村人たちから爪弾きにあってしまう。夜這いに行っても追い返され、病気を理由に交際を止めるよう親に言われたやすよは無理やり文明(南条竜也、『変身忍者嵐』『鉄人タイガーセブン』の人)と婚姻を結ばせられるが、継雄と付き合っていたことで離縁されてしまう。継雄のことを気にかけてくれるのはおばやんとやすよだけという村八分に近い扱いをされる継雄。
やがて余所者の若衆、史明が勇蔵たちにリンチに遭い自殺を装って首つりにされるのを見た継雄は次は自分だと恐れ猟銃や匕首を入手して武装する。
猟銃を抱えてミオコの家にいった継雄が出稼ぎから帰っていた夫の忠次(石橋蓮司)とつかみ合いになる。夜這いを咎められて「昼にも来とるわ!」と言ったのがきっかけ(笑)。臥せっているおばやんに薬を飲ませようとしてそれが異常なピンク色だったことから毒と勘違いされ大騒ぎ。それらの件が駐在に伝わり、継雄の猟銃や刃物は没収されてしまう。体調を悪くしたおばやんから「生きとる間は、悪させんとってくれ」と弱弱しく頼まれると頷くしかない継雄。
しかし村民たちの風評被害は続く。継雄との関係を疑われた忠次が夜逃げをしたことで「鬼は追いだすしかないんや」と村民の怒りは継雄へ向けられる。「やれるもんならやってみい」と挑発する継雄に「今度みんなで話し合いをするわ」と勇蔵がいったことで「ぐずぐずしてられん」と継雄は犯行を決意する。
別の男と婚姻し、村を出ていたやすよが里帰りしており、風呂場にいた彼女に継雄は縋りつくが咳がひどくなり湯船に吐血してしまう。やすよは継雄を拒否することなく、血にまみれた湯を浴びる。のちに山中で2人は強く結ばれるのであった。
とはいえ決意が揺らがない継雄は10月20日に決行することにし、嫁いでいったやすよに「この日は村に帰ってこないでください。僕は戦争に行きます。これで本当にさよならです」としたためた手紙を送る。小高い山から村を見下ろした継雄は
「皆様方よ、今に見ておれで御座いますよ」とひとりごちる。
「犬丸継雄の戦争」と書き記した地図を用意した継雄。ここから映画の描写は現実の事件さながらの様相を呈していく。送電線を切り村を停電状態に置き、嫁いで村を出ていたはずの和子が里帰りしているのを聞き「今日は大安吉日や!」と喜び、丑三つ時に準備していた猟銃、予備の弾丸、日本刀、匕首らを装備、詰襟の学生服に軍用のゲートル、地下足袋、しめた鉢巻に懐中電灯二本を括り付け、完全装備だ。
「これは・・・鬼やで!」
鬼になった継雄はまず、寝ているおばやんの首を斧で両断。
「おばやん、俺を鬼にしてくれや!」
生きている間が悪させんとってくれや、というから生きてる間は何もせえへんってそういうことじゃないんだよ!
「犬丸継雄くん、バンザーイ!」
と万歳ののち、家を飛び出した継雄は自分を村八分にした村民、病気を理由に袖にした女たちを次々血祭にあげていく。停電した村は真っ暗で襲われた村民は逃げ惑うこともできない。継雄だけは懐中電灯を持っていて照らし放題だから村人たちは犠牲になるしかない。わずか数時間の間に20人以上の人間を始末していく展開はスピーディーかつパワフルで日本映画独特の湿り気もなくてカラっとしている。
肺結核の人間が猟銃に日本刀、予備の弾を担いで村中を走り回って何十人も殺せるの?と思う視聴者もいるだろうけど、実際の犯人は大量殺人を決意した時、腕立て伏せや山中をランニングするなどの筋トレ的な行動をはじめ、ムッキムキになってたそうである。もう病気も治ってたんじゃない?と思えるぐらい。だからこそ短時間で30人も手にかけられたのだろう。
残りは二人。追い出そうとした勇蔵と自分を冷たくあしらったえり子だ。闇の中から突然声をかけられる。振り向くとそこにはやすよがいた。手紙を読んで危険を察して継雄を止めに来たのだが、復讐の鬼と化した継雄は止まらない。
「継やんは・・・鬼や!」
「鬼の何が悪い!!」
「お前が一番許せん!出てこいや!」と勇蔵の家の玄関で呼びかけるが二階に籠って出てこない。ぐずぐずしていると誰かが隣村の駐在所に駆け込むかもしれん。二階の戸板に向けて散弾銃をぶっ放すが勇蔵は畳を何重にもして銃撃を防ぐ。見回りを理由にちゃっかり人妻をチョイカキするぐらいの人間なので、本当に強かである。結局勇蔵を殺すのはあきらめ、最後の標的えり子の家に向かう。
戦地から帰って来た夫(団巌)がかばい立てするので「どいとってくれや!」と頭を吹っ飛ばした後、えり子の胸に銃弾を撃ち込んだあと、「ここが・・・いかんのや!」と股間を撃ち抜くのだった。
すべてを終わらせた継雄はやすよの元に戻り、彼女のお腹をさすり、大事にして欲しいと言い残しその場を去った。
薄野の山中で身の回りのものを丁寧に地面に置いた継雄は猟銃の銃口を咥え足の指で引き金を引いた。
「皆様方よ、さようならで御座いますよ」
クライマックスの大虐殺場面は『八つ墓村』で小川真由美が鬼の形相で洞窟を駆けずり回ったり、山崎努の「祟りじゃーっ!」を凌駕するド直球のスプラッター・ホラーで、あまりに残酷すぎて映倫から「全編が非道で残虐的」と言われてR-18指定にされてしまったぐらい(なんと現在ではR-15指定というんだから現在の基準の方が緩くなったってことかな?)。
後半のホラーに比べ、序盤はエロが目白押し。池波志乃や五月みどりの大胆どころではない脱ぎっぷりには度肝を抜かれる。まだ新人で『ダイアモンドは傷つかない』で主演デビューしたばかりの田中美佐子までもがしっかり脱いでるんだから大したもんです、一方、大場久美子はちょっと胸元見せるだけで、やる気あるんかい!!
田中登監督でもコメットさんを脱がせるのは無理だったのか・・・と思ってたら翌年、ヌード写真集を出していた。なら、『丑三つの村』で脱いでくれたらよかったのに・・・
オカルト方面にいっちゃった『八つ墓村』より断然『丑三つの村』派な僕ですが、唯一アカンのが劇伴で、笹路正徳のヘナチョコなシンセサイザーはダサすぎてまったく画面にあっていません。そこへ行くと『八つ墓村』はさすが芥川也寸志なので重厚感溢れるオーケストラでモノが違ったな。
ちなみに津山出身の有名人というとB’z稲葉にオダギリジョー、大塚芳忠に服部昇大(笑)残酷性のかけらもない人たちが並んでます。
まんがタイムきらら2025年3月号から蚕二号先生の『ウチから何キロメートル?』が連載スタート。しかもセンターカラーだ。
2024年9月号から3回のゲスト掲載を経てこの度連載昇格。前作の『軽い気持ちで悪の華』の時に注目してたので、ついに連載になって嬉しい。
ぐうたらで無職の姉、矢車暦は何一つ身につかず毎日インドアでゲーム三昧のダメ人間。そんな姉を見かねたアウトドア派で行動力大の妹、歩は元来のお節介さを発揮して、姉を外に引っ張り出そうとする。まずは姉が友人からもらったという自転車(歩は「お姉ちゃんに友達なんているわけない。お姉ちゃんにはわたししかいないんだよ?」と姉を信用してない&お節介のレベルを超えている重すぎる情をかけてくるのだった)でポタリングにでかける。サイクリングよりも気軽な自転車での外出のことだ。
このポタリング場面の作画が大変すばらしく、漫画で人が自転車乗ってるところを描くのって結構センスが要求されるんだけど、本作の自転車は細部のパーツまでしっかり描き込まれて見ていて気持ちがイイ。『軽い気持ちで悪の華』の時もメカのデザインがしっかり描き込まれていたので、今回さらに描き込みが細かくなってる。
引きこもり気味の姉を無理やり外に出すため、比較的な簡単なポタリングをさせて、サドルの高さがあってないから漕ぎづらそうにしているのを修正してあげると、姉は上機嫌で「どこまでも行けそう」とちょろすぎるところも最高です。
そして歩は姉の部屋に同居すると宣言し運動・食事・勉強・性根を叩き直すetc.…あらゆる面で姉を「修正」しようと企むのだ!自転車のサドルを修正したように。
重めの愛情を抱いた妹によって姉の日常は修正されてしまうのか?ウチから何キロメートルまで外に出られるのか?こうご期待!!
ラジオの生訪中にかかってきた電話。それは「爆弾を仕掛けた」と言う内容。真に受けないDJが「やりたければやれ」とすげなく扱うと、直後に橋が爆発。それは未曽有の「爆破テロ犯とのライブ中継」の幕開けだった・・・
2013年公開(日本は翌2014年に公開)の韓国映画『テロ、ライブ』は『チェイサー』『哀しき獣』などで知られるスター俳優、ハ・ジョンウ主演のクライムサスペンスで爆破テロ犯との生中継という奇抜な設定とすさまじいスケール感のクライマックスが必見の映画だ。事件の背後にある政府の腐敗を鋭く指摘するあたりも韓国映画らしさが漲っていて一級の映画である。それを日本でリメイクしたものが『ショウタイムセブン』だ。
午後7時のラジオ番組に出演するキャスター、折本(阿部寛)はかつてテレビ局の午後7時生放送ニュース番組『ショウタイムセブン』の人気キャスターだったが、不可解な降板劇を経て今はラジオ番組に左遷されている。『ショウタイムセブン』の今のキャスターは若手アナの安積(竜星涼)が務めている。
そのラジオ番組に視聴者からの電話がかかってくる。世間を騒がせている電力会社と総理大臣の「密接過ぎる関係」を批判する内容で、いたずら電話は止めて欲しいとオフレコで訴えた折本に電話の主は「発電所を爆破する」と宣言。冗談と思った折本は「うすらバカ、やれるものならやってみろ」と挑発。直後、ラジオ局の窓から見える発電所(そんな近くに発電所建てるなよ!)が爆発。
あわてて110番する電話を切り、折本は爆破犯との対話を生中継しようとする。この未曾有のスクープを独占すればまたテレビに返り咲ける・・・!そんな野心を持った折本は上司の東海林(吉田鋼太郎)を説得し、ライブ中継を約束させ『ショウタイムセブン』の中継枠を乗っ取る。
犯人の動機は6年前の発電所で起きた作業員の死亡事件に関する電力会社社長、そして総理大臣の謝罪を生中継しろというもの。「過剰な要求には答えかねる」という折本の態度に不満の犯人はテレビ局に仕掛けた装置を爆発させ、要求に従わなければ折本のイヤホンに仕掛けた爆弾のスイッチを押すと脅す。「なぜ俺を選んだ?」
やがて犯人の口から折本自身にかけられた「ある疑惑」が語られていく。果たして犯人の目的は?
あらすじは『テロ、ライブ』の筋書き通りで、設定などに日本独自の要素を取り込んでいるが、その日本独自の要素はどれもこれも全部不要かつ無駄で、オリジナルの面白さやサスペンス感を薄めている。
日本版はテロ犯役が錦戸亮でこれが「まさかのキャスティング」と言う扱いで伏せられていたのだが、オリジナルでもそこは別に大事な要素でもないんだけど。
犯人の動機、要求は
オリジナル:橋の建設事故で起きた遺族への謝罪
日本版:発電所で起きた事故に関する遺族への謝罪
とほぼ同じで、なぜ人気キャスターを交渉役に選んだのかという部分も「国民的番組に出ていて、世相を鋭く斬る発言で知られる人物なら信用できる」と言う部分も同じ。だがその後の展開は微妙に違う。
実は「正義感溢れる人間と言われながら裏では賄賂を受け取って権力に抱きこまれていた」と言う設定でオリジナルは「正義感ぶったヤツの本性は悪党」ということなのに、日本版ではこの要素が薄められており、阿部寛演じる折本は権力の懐柔に逆らえず、国民的番組のキャスターになる地位と引き換えに権力に尻尾を振ったが、実は証拠となる映像は押さえていて、犯人に政府と折本の不適切な関係を糾弾された時に生放送でスマートフォンに記録していた映像を暴露するのだった!
そんな大事な映像、スマホに入れとくなよ!流出したらどうするんだ?
日本版は阿部寛演じる主役をどうしても悪役にすることが出来ずほんの少しだけ、世相を鋭く斬る正義感溢れるキャスターの部分を残している。これが全く要らないところで、悪なら悪に徹しろと言いたい。
日本独自の要素として、番組内で視聴者に投票を呼び掛ける場面がある。「総理は謝罪するか?しないか?」というもので結果は「しない」が圧倒的に多く、折本は総理にこのイメージを払拭するために謝罪すべきではないかと促す。このシーンで思い出した映画がひとつある。『グッドモーニングショー』だ。
2016年公開の映画『グッドモーニングショー』は『踊る大捜査線』シリーズで知られる君塚良一の監督・脚本作で、被災現場のリポートが炎上騒ぎを起こし番組が打ち切られかかっている人気キャスター、中井貴一がカフェに立てこもった男の事件現場のリポートのため向かう。
犯人は中井を交渉人に指名。犯人はカフェの元店員。店で起きた火災の責任が本当は店長のタバコの不始末にあったのに、末端のバイトである彼に罪を着せられてしまい、汚名を雪ぐために事件を起こし中井を選んだのはテレビでマジメなキャスターとして知られていた人物なら自分の訴えを聞いてくれると思い、本人に直接会って手紙を渡そうとした(そんな無茶な)が、彼を無視して女子アナとタクシーに乗り込んだので恨みに思っていたのだと。
『グッドモーニングショー』は公開時に『テロ、ライブ』の日本版リメイクじゃないのかと言われていて、今回の『ショウタイムセブン』はむしろ『グッドモーニングショー』のリメイクに見える。なにしろ『グッドモーニングショー』のクライマックスは自暴自棄になった犯人が自分なんか死んだほうがいいのだと騒ぎ、それを止めるよう説得するため視聴者投票で「犯人の自殺を思いとどまらせるか?それとも勝手に死んでしまえのどちらか」を選ぶアンケートを取るのだ。
そして結果は・・・圧倒的多数で「犯人は死んでしまえ」に投票されるという残酷な事実!
僕はこの展開が厭味ったらしくて大嫌いで、君塚良一の大衆蔑視感というか、ワイドショーの視聴者なんてこんなもんさという見下しがすごくない?そう思っていても、嘘でも人の死を望む大衆などいない、というオチにしておこうよ!
『ショウタイムセブン』のラストは折本は生きるべきか?死ぬべきか?と選ぶ視聴者投票が行われる。結果は明確には示されない。だが犯人が最後に残した起爆装置のスイッチを折本は自ら押す。
これはオリジナルの犯人が残したビルの爆破装置のスイッチをハ・ジョンウが押す場面と同じようだが、そのイメージはだいぶ違う。ハ・ジョンウは賄賂を受け取り権力に媚びていた姿がテレビで晒され、政府は彼を切り捨て収賄の容疑で逮捕しようとする。逃げられないことを悟ったジョンウが警察を巻き込んで自滅、「逮捕されない世界」へ逃亡した様にも見えるし、最後の最後で犯人に同情し彼の目的を達成しようとしたようにも見える。
スイッチを押す前に折本は「だからテレビは面白い」と前代未聞の生放送をやり遂げたこと、テレビの生中継の面白さを露悪的に誇る。これは『テロ、ライブ』にはない。『グッドモーニングショー』の姿だ。
阿部寛がどうなったか?は語られない。オリジナルのようなオチにはできないから、あえてモヤモヤするような結末にしたのだろう。
彼が生きていようが死んでいようが、どうでもいいのだ。大衆には。
事件が終わった後、テレビではロンドンで起きた爆破テロのニュースが報道され、世間はそのニュース一色になる。終わってしまった事件のことなどどうでもいいのだ。欲しいのは次の話題だから。そんなことよりperfumeの新曲が気になる(エンディングに流れる)。
この大衆蔑視感、『ショウタイムセブン』は間違いなく『グッドモーニングショー』のリメイクだった。
アニメの忘れがたい一話を語る『アニメ・この一話がスゴイ!』第二回目は東映が創映社(今のサンライズ)に委託して作られた「長浜ロマンロボシリーズ」の第一弾『超電磁ロボ コン・バトラーV』の42話「清き瞳の暗殺者」です。
コン・バトラーVはおもちゃが売れたので放送期間が延長され、敵役がガルーダ将軍から女帝ジャネラに変わり、南原コネクションもテコ入れで新キャラが投入。雇われコックの一木一家がレギュラー化するんですが、こいつらがシリアスなシーンに冷や水をぶっかけ続ける存在で、子供が戯れに作ったカエルのロボット、ケロット(存在感でいうとマジンガーZのボスボロット以下)が活躍してコン・バトラーVのピンチを救ったりする回は噴飯もので、こいつらが出てくる『コン・バトラーV』の中盤以降は腹が立つほどつまらないのですが・・・まあそれは置いといて。
この回ではキャンベル星人に捉えられた地球人の奴隷たちが反乱を企て、脱走。しかし所詮は地球人のやることなので1分で捕まります。
ただひとり捕らえられた男が奴隷たちの前で溶岩の海に逆さづりにされて放り込まれそうなるところ、男の娘・ゆきこが「父の代わりにわたしを処刑して」と助命を申し出、総統ワルキメデスが「いい考えがある」と父娘ともども救われるのだった。
ゆきこに下された命令は「葵豹馬を殺せば父は助けてやる」というもので一計を案じられたゆきこは、身投げを装い豹馬に救われる。明日の朝までに豹馬を殺さないといけない!
しかし両親が事故で死んだというデタラメの身の上話を信じた豹馬は「俺が兄弟になってやる。俺も両親が事故で死んでみなしごなのさ!」と彼女のウソの涙を拭いてやるのだ。
その優しさに心打たれたゆきこは豹馬を殺すことができない。信用した彼女に裏切られた豹馬は
「俺は信じたかったんだ!同じ両親を事故で失ったもの同士として・・・!」
とゆきこをめっちゃ糾弾する。追い詰められた彼女は涙ながらに事情を打ち明け、豹馬と共に父親を救う作戦を考える。
竜神岬で父親と合わせる約束をしていたゆきこは豹馬を殺したと見せかけ、岬へ。そこにいたのは口を利けなくされていた父親だった。
ワルキメデスはゆきこが失敗することを見越して第二の作戦を実行していた。父親の身体に時限爆弾を仕込み助けに来た豹馬を爆弾で吹き飛ばすのだ!
これって、人間爆弾やん!
人間爆弾は文字通り人間の身体に埋め込んだ爆弾でそいつもろとも周囲を吹っ飛ばす作戦で、有名かつもっともインパクトが大きいのは『無敵超人ザンボット3』の16話「人間爆弾の恐怖」の回だ。
コン・バトラーVの放送日時は1977年2月12日、ザンボット3の人間爆弾回は1978年1月28日。ザンボットより約1年早い!そしてコン・バトラーVのこの回の演出は斧谷稔。ザンボット3の総監督・富野喜幸(現・富野由悠季)の変名だ。つまり人間爆弾の元ネタ!オマケに脚本はどちらも田口章一!この二人、人間爆弾大好きだな。
ザンボット3の人間爆弾作戦は見事に成功したが、コン・バトラーVの作戦は失敗に終わる。父親は口が利けないが地面に時限爆弾がセットされていることを書き記す。
自分を見捨てていけというつもりで書いたのだが豹馬は基地に連れて行って爆弾を取り出そうとする。ワルキメデスの真意を悟ったゆきこは豹馬と南原コネクションを救うため、豹馬を突き飛ばし「さようなら、お兄さん」と末期の別れを残して父親もろとも海に飛び込む。そのまま大爆発。
哀しみの中、怒りに燃える豹馬によってマグマ獣はやっつけられるのであった。
ワルキメデスの人間爆弾が失敗に終わったのは爆弾を仕込まれた人間が爆弾の存在を知ってたからだよな。余計なことしなきゃうまくいってたのに。この失敗を踏まえたガイゾック(ザンボットの敵)は人間に爆弾のことを知らせないというやり方を考案して成功させていた(後に爆弾の存在を知った地球人がそれを逆に利用する作戦を実行していたから、やっぱり対策を取らせないことが大事なんだ)。失敗から学ぶのって重要なんだなあ。
それにしてもなぜに富野監督は人間爆弾に惹かれていたのか。それを解くカギは監督の父親にあると思う。富野監督の父親は太平洋戦争時に零戦の与圧服を作るスタッフだった。太平洋戦争の人間爆弾といえば特攻兵器・桜花だ。監督が人間爆弾ネタを思いついてたのは、父親の仕事の影響があったというのは穿ちすぎかな?
あなたにとって忘れがたいTVアニメの1エピソードはあるか?最近では「神回」などといって名作回を持ち上げる風潮がありますが、そんな名作回でなくてもいい(名作回でもいいけど)、自分だけが好きな一回でもいい、そんな「忘れがたい1話」を語る「アニメ・この1話がすごい!」です。
第一回は1980年放送の『宇宙戦士バルディオス』から第29話『地球氷河期作戦』だ。
『バルディオス』は近年では「打ち切られたアニメ」としての部分や、全滅エンドに近い最終回のことばかりが語られて、本編を見てもいないヤツがそればかりいうのでウンザリするのですが(スパイダーマッとか言い出すヤツと同じ)、ポストガンダムを目指した作品の中でも引けを取らないストーリー展開、完結できなかったTV版を劇場版で補完するという富野さんがやろうとしたことを先んじていたりと、革新的なアニメだったともいえる。
さて、第29話は本放送の最終回が31話だから、もう終わりが目前のところだ。地球を侵略しようとするS-1星のアルデバロン部隊は木星の惑星ガニメド(ガニメデのこと)を掌握し、移動させて地球に降り注ぐ太陽の光を遮ってしまう。一瞬にして氷河期かと見まがう寒気に晒される地球。
そのころ、地球防衛隊であるブルーフィクサーではスペアパイロットのデビットが着任。彼は主役ロボット・バルディオスを構成するメカのひとつパルサバーンのメインパイロットであるマリン(主人公)が何らかの理由で出動できなくなった時のための代役として育成されたのだが、「俺はスペアで終わる気はないぜ!」と野心満々で他のメンバーの反感を買う。
S-1星軍の地球氷河期作戦が実行される中、ブルーフィクサーの科学者クインシュタイン博士は切り札としてガニメドを破壊するロケット、フィクサー1を考案。無事完成するもなぜか出撃しないため地球連邦は発進を急かせる。
フィクサー1はその作戦上、行った切りで帰ることができない特攻ロケットなのだ。操縦もパルサバーンを操縦するレベルの技術がなければならない。つまりパイロットが居ないのだ。
パルサバーンを操縦できるのはマリンしかおらず、彼が志願するも「誰か忘れちゃいないか?」と姿を見せたのはデビットだ。ガニメドを破壊した後も戦いは続く。バルディオスはその戦いに必要なのだからスペアである自分が逝くべきだと。出撃イコール死という特攻作戦に司令官の月影長官は命令を出すことを渋る。
デビットはマリンに自分の過去を打ち明ける。かつて教育施設で教壇に立っていた若き日のクインシュタインの教え子であり、彼女に憧れて告白するも「あなたの年頃のころにはよくある病気なのよ」となかったことにされてしまう。
恋人ネルドを失い研究の鬼となったクインシュタインを支えるため、デビットはネルド以上の物理学者になろうとする。
「俺は地球のため、S-1星に勝つためには死ねないが、博士のためなら死ねる!」
と岩清水弘のようなことを宣言するデビット。
未だ出撃命令は下されないが
「ぐずぐずしていると犠牲者は増える一方だ」
と言うデビットの言葉の前に長官は翌日朝の特攻出撃を指名する。
風雪が吹きすさぶ基地の外の光景を前にたたずむデビットとクインシュタイン。
「いつでも俺と博士は先生と生徒だ」「俺はあなたのためなら死ねる」と告げるデビット。
「ただ、もう先生と生徒の関係は願い下げだな」「博士、俺の気持ちを知っていてくれましたか」
「・・・何も言わないで、お願い」
「今夜は、あなたと一緒に居たい!」
この告白を前に博士は「午前1時、部屋の鍵は開いています」と告げる。10年前はいなしたけど、今回はデビットの恋心を受け入れてくれたのだ。そして部屋に戻った博士はシャワーも浴びて準備万端だ!
一方、仲間を失うことになる隊員のオリバーや雷太は酒盛りをしていた。
午前1時。部屋の扉を開けるデビットは博士の顔を一目見ただけでさよならを独り言ち、走り去った。クインシュタイン、そしてブルーフィクサー隊員たちの耳にフィクサー1発進のノズル音が響きわたった・・・!
フォローするためにバルディオスは発進。オリバーたちは真っ赤な顔してたはずだけど大丈夫か?
作戦決行は明日だというマリンに「もう思い残すことはない。善は急げっていうだろ?」とほほ笑むデビット。
ガニメド突入を目前にし「そろそろお別れだバルディオスの諸君。危険ですから亜空間までお下がりください!」と最後まで斜に構えたセリフが似合う男である。「女のために死ぬなんてバカだね・・・」という一言もグッとくる。デビットという多大な犠牲を払いアルデバロンの地球氷河期作戦は失敗に終わったのだった。
デビットの声優は井上和彦さんなので、愛のために死ぬ男の役が似合う人だなー。当時愛のために死ぬ男の役が似合う二大声優は井上さんと塩沢兼人(マリン役)さんだね。
バルディオスは葦プロ・国際映画社制作ということで作画のバラツキがキツイアニメなんだけどこの29話は作画レベルが高めでスタッフの気合の入れ込み具合も半端ではなかった。ストーリーもこれから悲劇のクライマックスを一層盛り上げることになるエピソードで、「打ち切りアニメ」だとかしょうもない外野の声に惑わされず全34+劇場版を見てもらいたい。
あとバルディオスといえば挿入歌の「立て!バルディオス」はダイコンフィルムの『愛國戦隊大日本』がパロディにしたことで有名だけど、庵野さん、ガンダムの後はバルディオスのリメイクやってくれないかな?今ならできる!