しばりやトーマスの斜陽産業・続 -13ページ目

AIがどうした!人間の底力を見よ『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』

 シリーズ第8弾にして総決算とされる『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』は前作『デッドレコニング PART ONE』の続編。

 自己進化を続けるAI“エンティティ”によって世界の崩壊が迫る中、IMEエージェントのイーサン・ハント(トム・クルーズ)は“エンティティ”が世界中の核兵器のボタンを支配下に置き、世界を核で汚染させるという最終目的を知る。

 イーサンと彼らのチームは“エンティティ”が崩壊後の世界で生き残るために南アフリカに存在するオフラインのデジタルバンカー「終末の保管庫」に逃げ込むことを悟り、チームメンバーのルーサー(ヴィング・レイムス)が製作したデジタル毒薬「ポイズンピル」を使い“エンティティ”の隔離を目論むが、“エンティティ”を自信のコントロール下に置こうとするガブリエル(イーサイ・モラレス)に察知され、ポイズンピルを奪われた上、ルーサーは時限爆弾の罠を仕掛けられる。イーサンにガブリエルの野望を阻止するように伝え、ルーサーは爆死。またしても仲間を救えなかった後悔に苛まれるイーサンはエリカ・スローン米大統領(アンジェラ・バセット)に頭を下げ、“エンティティ”が世界中の核を手中に収めるまでの数十時間、単独行動を取ることを認可してもらい、同時に空母ジョージ・H・W・ブッシュを貸借。ロシアの海底に沈む潜水艦セヴァストポリを目指すイーサン。そこには“エンティティ”のソースコード「ラビットフッド」があった。

 セヴァストポリの沈没座標を正確に特定するため、チームメンバーのベンジー(サイモン・ペッグ)とグレース(ヘイリー・アトウェル)はソナー基地のあるベーリング海、セント・マシューズ島へ。島の施設には元CIAのウィリアム・ドンロー(ロルフ・サクソン。一作目に出てきたモブ。誰も覚えてないよ!)が居たが、施設はロシアの特殊部隊によって制圧されていた・・・

 

 

 冒頭からラストまで、息つく暇もないアクションのつるべ打ちで、絶体絶命の危機が次から次へと迫る。トム・クルーズの身体を張り過ぎるアクションシーンは過去7作品を軽く凌駕するレベルで文字通りの命がけ。

 昔、ジャッキー・チェンが命がけのアクションスタントを全部自分でやっていて、NGシーンで大けがするところまで見せていて、それでも必ず生還してまた次の映画を撮っていたので「ジャッキーにはクローン人間が3人いる」とよくネタにされていたけど、今回のトム・クルーズを見てたらクローンが4人は居そうな気がする。冬のロシアの海に飛び込むシーンと、潜水艦セヴァストポリから脱出する際、潜水スーツが引っ掛かったため、ナイフで切り裂いてパンイチで深海(しかも氷の張った北の海で)から浮上する場面(セヴァストポリ内のシーンが『2001年宇宙の旅』のパロディになってて笑えちゃう)、最後の複葉機から飛び降りる場面。絶対に3回は死んでると思われる。

 

 なんでそんなアクションをしないといけないのか?『デッドレコニング』『ファイナル・レコニング』のテーマはAIで、今作の冒頭でAI“エンティティ”がフェイク動画によって世界中の人間を惑わせている様子が描かれ、現実の政府への信頼は失われ、扇動された“エンティティ”信者と呼ばれるものたちのデモとテロによって世界は分断されていた。これを空想だと切り捨てることは出来ない。実際の世界で行われていることだから。

 AIによって分断される世界にこそ人間の底力が試されるということをトム・クルーズは自身の肉体を持って示してくれる。還暦になり、顔の皴もかなり年相応になってきたトムが肉体に鞭うって人間の限界に挑む様は感動的だ。

 

 もはやトムの肉体の限界を見るための総決算になっていて、複雑すぎるストーリーを全部登場人物のセリフだけで説明したり(邦画じゃないんだから)、どう考えても辻褄が合わないようなところが出てきたり、「そうはならんやろ?」と言いたくなるツッコミどころが満載なのだが(世界を救うのが「タイミング」にかかってるっての、納得いかないんだが)、そんなことはどうでもいいんだ、「こまけえことはいいんだよ!」の精神である。

 雑な映画だなあ、と思わせないのはトムの肉体とアクションに説得力があるからで、通常の上映で見た僕でも息苦しくなるほどの緊張感をもった見せ場の数々に圧倒された。IMAXとかならギブアップしていたかも。

 

 映画館で見る映画の可能性と魅力を十二分に伝えた紛れもない傑作。これが映画だ!

 

 

 

 

残酷な針の一刺し『ガール・ウィズ・ニードル』

 北欧デンマーク史上最悪の殺人事件を元にした映画!というのでおぞましい猟奇殺人映画を想像していくとちょっと毛色の違う作品だったりする。

 

 舞台は第一次世界大戦末期のデンマーク首都コペンハーゲン。戦争の影響で貧困生活を強いられている女性カロリーネが主人公。風呂もトイレもないアパートに暮らす彼女は洗面台で脇を石鹸で洗っている。ちなみに下水道も完備されてない時代なので桶で排泄する。

 戦争にいったまま帰ってこない夫ピーターは死んでしまったのだろうと遺族年金を受け取ろうにも死亡通知書がないため役所を追い返される。軍服を裁縫する工場で針子の仕事を得ながらも低賃金。工場を出入りする彼女の目には希望の光もない。このシーンはリュミエール兄弟の“世界最初の映画”『工場の出口』のオマージュになっている。『工場の出口』はシネマトグラフと言う新しい世界の扉を開いた。そしてカロリーネの世界の扉も開かれる。

 

 工場長ヨルゲンとカロリーネは男女の関係になり、将来を誓いあう。そんな折、死んだと思っていた夫ピーターが帰国する。ピーターは顔の半分に負った戦傷を覆い隠すための仮面を被り、精神を苛まれていた。すでにヨルゲンの子を宿し新たな人生を歩もうとしているカロリーネはピーターを追い出してしまう。

 

 ところが甘い生活は続かなかった。ヨルゲンの母親は身分違いの結婚を許さず、母親に逆らえない気弱なヨルゲンも「許してくれ」というのみで手切れ金を渡してすべてをなかったことにし、工場の仕事も失ってしまうのだった。

 追い詰められたカロリーネは銭湯で針を下腹に刺して堕胎を試みるが、居合わせた銭湯客の母子ダウマとエレナに止められる。街でキャンディを売る菓子店を営むダウマは「もし赤ちゃんのことで困ることがあったらわたしの店にくるといい」と助言する。ダウマは表向きは菓子店だが、未認可の里親探し業を営んでいた。

 

サーカス団で奇形の団員として見世物になっている夫ピーターと再び暮らすことになるカロリーネは「もう自分は子供をつくれないから」と言うピーターの言葉を聞き、出産を決意し、ダウマにその赤ん坊を預ける。ダウマの店に住み込みで働くようになったカロリーネは時には乳母として、里親が見つかるまで赤ん坊の世話をする。

 預けに来る者らが実にいい加減な理由で売りもののように赤ん坊を置いていくので、イヤな感じがしてくるのだが、ある日カロリーネは里親を見つけたと乳母車に子を乗せていくダウマの後をこっそりつける。

 ダウマは里親なんか見つけてなかった。マンホールの蓋を開け、下水道に赤ん坊を捨てていた!カロリーネに問い詰められたダウマは悪びれることなく預かった赤ん坊は全員殺していたと告白。もちろんカロリーネの生んだ子も。こんな残酷な世界に子供を産むのかとダウマはカロリーネをエーテル漬けにするのだった。

 

 

 心底ぞっとするような話で、全編モノクロの映像はおとぎ話のように思えるが実話がベース。おぞましいほど残酷な物語にモノクロの世界は美しすぎる。

 

 こんな杜撰な手口が長く続くわけもなく、ダウマは逮捕されてしまい裁判に。裁判所には被害者の母親や野次馬が「魔女に極刑を」と罵声を挙げるがカロリーネに対したのと同じように悪びれないダウマは貧困を強いられた者がまともに赤ん坊を育てられるはずがない、わたしがやらなくてもあんたらがやっていた、わたしは代わりにしてやったんだ。むしろ表彰してほしいぐらいだ、と・・・

 

 

あまりにもあんまりな言葉に声を荒げる者も多かったが、絶句して俯くものもいた。ダウマはみんなが言いたくても言えない本音をストレートに突きつけ、赤ん坊を捨てたも同然の母親たちに突き刺さる。針の様に。戦争と貧困が当時の(今もだけど)人間(特に女性)を追い詰めていったのか、想像に難くない。

 

 あまりに残酷すぎる話だが監督はほんの少しの希望を観客とカロリーネに与えてくれる。針も何かを刺して壊すだけのものではなかった。

 

 

北欧の素晴らしい映画たち

 

 

 

 

 

どんなに変装しても小林旭『多羅尾伴内』(1978)

 筆者が子供のころには漫画の中で

「ある時は〇〇、またある時は〇〇・・・しかして、その実体は!?」

 なんてセリフが良く書かれていた。

 それが『多羅尾伴内』の決め台詞だということを知ったのは随分後になってからだった。

 

『多羅尾伴内』は戦前の時代劇スターだった片岡千恵蔵が戦後GHQの時代劇禁止令に伴い、現代劇に活躍の場を移したうちの一本だ。娯楽映画としてヒットしたので後にシリーズ化。私立探偵・多羅尾伴内があらゆる事件現場に偶然居合わせ、得意の七変化で情報をかき集め、クライマックスは決め台詞を宣った後、本来の正体である藤村大造を明かし二丁拳銃で悪漢どもをねじ伏せ、意味不明なポエムを貼り付けてオープンカーで去って行くというのが定番のスタイル。

 

 七変化というが、千恵蔵の顔が独特すぎるのでいくら変装したって観客にはそれが千恵蔵なのはモロバレだし、変装するのが「片目のタクシー運転手」「謎のインド人」「謎の大富豪」「せむし男」「気の狂った元軍人」となんでそんなものに変装しないといけないのかわけがわからない。

 色々とツッコミどころの多い作品なんだけど、強引さと千恵蔵の存在感に圧倒されてしまうシリーズな上に当時の娯楽に飢えていた観客の心をわしづかみにしたことは間違いない。

 

 そして今回取り上げたいのは千恵蔵版ではなく、1978年にリメイクされた小林旭版である。

 78年に原作・小池一夫、作画・石森章太郎で漫画版が復活しておりその関連で実写版の制作にも至ったと思われる。映画にも小池・石森の名前はクレジットされているが内容は漫画版とほぼ無関係。

 大スター・千恵蔵の向こうを張るのは同じく大スターの旭しかいない!というわけで千恵蔵に負けじと外連味のある多羅尾伴内を演じ切っている。

 

 物語はプロ野球ナショナル・リーグのペナント優勝がかかった試合で人気球団のレッズの4番、高塚(司千四郎)が逆転サヨナラ満塁ホームランを打って優勝を決めるも、高塚は一塁ベースの手前で倒れ死んでしまう。この辺のストーリーは千恵蔵版の『隼の魔王』の流れをなぞっている。

 カメラマンが一斉に高塚の遺体に群がる中、偶然球場に居合わせた多羅尾伴内(なんでおるねん!と突っ込むのは野暮)は一人のカメラマン(南利明)を捕まえ、「一塁側のスタンドを撮れ、特ダネを逃す気か」と無理やりいうことを聞かせる。彼が撮ったのは背を向けて球場を去ろうとする新聞社のカメラマンだった・・・

 

 捜査本部に姿を見せた伴内は宇田川警部(財津一郎)に不審がられながらも球場を去ろうとしたカメラマンの話をする。

「みんなが高塚選手に注目している中、写真も撮らずに去るのはおかしくないですかな?」

 警察の捜査で去ったカメラマンはスポーツ新聞社のカメラマン、川瀬(成瀬正)であることが判明。ただちに川瀬のアパートに向かう警察だが、川瀬はすでに亡くなっていた。部屋に残されたカメラは針を撃ち出すように偽装されたものであり、トリカブトの毒を塗った針も見つかり、高塚の死因もトリカブトの毒であった。発射実験に付き合ったのは警察署長の水野晴郎(!)だ。

 

 川瀬は高塚の元親友、チームメイトであったが練習中に高塚にケガをさせられ視力が悪くなったことで引退せざるを得なくなった。その後生活が荒み、過去に恨みを持っての犯行だったがそれを苦にしての自殺だと結論漬けられた。しかし伴内はその結末に納得しなかった。

 伴内は事務所があるビルの同じ階にある探偵・藤村大造の事務所を訪ねてきた信愛医科大学理事長の木俣信之(池部良)から高塚の事件の犯人だとする何者かに10億円をよこせと脅迫されている話を聞き、藤村の代わりに事件の解決を請け負う(もちろん伴内と藤村は同一人物である)。

 木俣は理事長の権限でなんとか10億円を用意し受け渡し先のホテルに運び込む。そこに奇妙な仮面をかぶった「キツネ面の男」が忍び込むのだが木俣の用意した金が偽物であることを知ってか、それをまき散らして去ってしまう。

 そのころ伴内は川瀬の妹、ゆうこ(竹井みどり)から亡くなる直前に兄から近々大金が入るので人生をやり直そうと思う、と言う電話を受けておりそんな兄が自殺するわけがない、殺されたのだと。川瀬は野球賭博でヤクザの大嶋興業から多額を借金をしていたと聞く伴内。大嶋興業の社長、大嶋(成田三樹夫)は木俣の悪友で、二人は戦後の闇市でえげつない商売をしていた関係である。

 木俣の息子、良教(江木俊夫)とアイドル歌手の穂高ルミ(三崎奈美)、そして高塚の3人が北海道に旅行をした際に何かが起きたことを察する伴内は得意の七変化で大嶋興業、木俣良教、穂高ルミの周囲を暗躍する。そして彼がたどり着いた真相とは・・・

 

 

 千恵蔵版のオリジナルは娯楽映画なので話の筋は割と単純明快(そうでないのもあるけど)だが、本作は話の筋が複雑でぼんやり見ているとついていけない。

 良教らは北海道旅行の際にアイヌ人の父子を自動車事故で死なせている。正確にいうと轢いた後で証拠隠滅のためバックして再度轢き殺したのだ。それを父親や大嶋の力でなかったことにしたのだが、母親(夏樹陽子)は3人の顔を覚えており復讐のために木俣の秘書になっていた!

 アイヌが経営する居酒屋の奥でトリカブトの毒をこしている彼女(シュールな光景だ)に復讐の無意味さを告げる伴内。だが復讐の鬼と化した彼女は聞き入れない。

 この復讐劇に池部良演じる木俣が大嶋や邪魔者の病院事務局長(天津敏)との関係を清算しようとしたうえで10億円も着服しようとする陰謀を巡らせていたという二段構えのオチになっているのは凝っている。夏樹陽子もあっさり死んじゃうので全く先が読めない。

 

 そんな複雑な物語の合間に小林旭が全力で挑む七変化が入り込む。さすが旭、千恵蔵版を踏襲してどんなに変装しても旭にしか見えない!

 片目の運転手に変装して良教やルミとの関係を知ると今度は長しのギター弾きに扮して大嶋興業のクラブで「昔の名前で出ています」を熱唱。しかも2コーラスも。それ、変身じゃないでしょ!小林旭本人でしょ!(ちなみにクラブのシーンは八代亜紀も登場です)

 伴内は良教のスポーツカーを白バイ隊員に扮して追跡。バイクに跨ったまま拳銃をぶっ放してクラッシュさせると「地獄の警視庁だ」とかまして良教を軟禁する。

 せむし男にも変身して川瀬ゆうこの危機を救ったりもするのだが、なんでそんな変身をしないといけないのかまったくわけがわからない!

 小林旭じゃなかったら大爆笑になるところですよ。外連味がありながら娯楽活劇として完成しているのは鈴木則文監督の手腕もあると思います。脚本は『仁義なき戦い 完結編』『北陸代理戦争』『極道の妻たち』の高田宏治なので女の描き方も見事でしたね。

 あと悪役がみんないいね。池部良、天津敏、成田三樹夫の悪役面は奮っていて、フォーリーブスの江木俊夫のチンケさも実際そんなことしてそうな感じがして何もかも最高です。

 

 

 

 

 

論破おじさんの家は悪魔よりイヤだ『異端者の家』

 A24の新作ホラー『異端者の家』はスコット・ベックとブライアン・ウッズ、『クワイエット・プレイス』のコンビが製作。目に言える怪物やグロテスク描写よりももっと恐ろしい恐怖を描く。信仰についての恐怖だ。

 

 末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の宣教師である二人の女性が主人公で、シスター・バーンズ(ソフィー・サッチャー)は進歩的な考えを持つ女性で、内気で宗教一筋といった具合のシスター・パクストン(クロエ・イースト)とは対照的だ。

 

 二人は「教会の話を聞きたい」と連絡してきて中年男性リード(ヒュー・グラント)の家を訪れる。ちょうど小雨が降りだしてきたので、リード氏は雨宿りをしていくよう家の中へ案内するが、高潔なモルモン教徒の二人は男性のいる部屋へおいそれと入ったりしない。リード氏は「妻がブルーベリーパイを焼いているから」と言い、それならと二人は邸宅の中へ。

 

 パイの匂いが漂う応接室で二人は末日聖徒イエス・キリスト教会の教えを聞かせるがリード氏は

「創設者のジョセフ・スミスは一夫多妻制を推奨していたよな?」

 と言い始め、その後も不躾な話を続ける。キリスト教がユダヤ教などの「複製」であり、そういったことは世の中に氾濫しているとし、ボードゲーム「モノポリー」はエリザベス・マギーの「地主ゲーム」が元であるとか英バンド、ホリーズの「The Air that I Breathe」はレディオヘッドの「クリープ」の元ネタだぜとか。

 

「すべての宗教は“反復”ってことだ」

 

 リード氏は紳士そうに見えて、嫌味な論破おじさんだった!

 怪物や悪魔、ポルターガイストよりも論破おじさんが怖い!と言う映画なのだ。こりゃあ怖いよ。その辺にいくらでも居そうだし。普段は紳士然として、人の好さそうな(それでいて妖しい感じのする)笑顔を見せるヒュー・グラントが演じていることで嫌味度がアップしてます。

 

 妻が一向に姿を見せないことや、ブルーベリーパイの匂いはテーブルのアロマキャンドルから発せられていることを知ったバーンズは退室しようとするが、外へ出る扉が固く閉じられ、携帯電話も通じない。リード氏は

 

「わたしは唯一の真実の宗教を発見した」と説き、懐疑的な二人に

 

「出ていきたいなら裏口から出ていくしかない。二つの扉どちらかを選んでゆくといい。ひとつは“神を信じる”もうひとつは“神を信じない”だ」

 と指し示す。その扉はどちらも地下に通じる扉だった。二人は地下室で「信仰」について試される。

 

 リード氏はある信念に基づいて「唯一絶対の宗教」を実践しようとしているというのがこの映画の真相なのだが、どう見ても「口の上手い詐欺師」と何も変わらない。彼が二人の宣教師を騙すテクニックは安っぽい手品に過ぎないのだが、信仰に凝り固まっているシスター・パクストンはあっさり引っかかってしまい信仰心を揺らがせる。宣教師でありながら末日聖徒イエス・キリスト教会の教えにこっそり逆らっているシスター・バーンズはリード氏に抵抗を試み、悲惨な目に遇う。

 

 神の奇跡など存在しない、この世に神はいない!リード氏が正しかった!

 

 と言う結論と思いきや、どう見たって奇跡としか思えない事象によってパクストンは救われる。一瞬、僕も神を信じようかと思ったぐらい。この映画自体が口の上手い詐欺師の騙りみたいなものだったんだ。うっかり引っかかるところだった!

 

 

 

 

 

プロフェッショナルは影響しあう『新幹線大爆破』(2025)

 ネットフリックスで配信中の『新幹線大爆破』は1975年に東映が製作、公開した和製パニック映画のリブート企画だ。当時話題にはなりながら興行的な成功に結び付かなかったものの、後のソフト化でカルトな人気を誇り世界各国での公開の結果、『スピード』(1994)のような亜流を生み出した(さらにジャック・ショルダー監督の『ランナウェイ・カー』という亜流の亜流もつくられた)映画だ。

 速度を落とすと起動する爆弾を仕掛けられた新幹線が乗客を乗せたまま走り続ける。国鉄(現在のJR)の指令長がマスコンを握る運転士に乗客と乗務員の命を預け、警察は犯人を追うが失態を重ねる。平行して犯人側のドラマが語られていく3段重ねの物語は上映時間2時間半にも及ぶ膨大さで鑑賞後ぐったりすることこの上ない。

 

 最初、リブートの話を聞いた時、上手く行くのかどうか疑問だった。まず理由のひとつが樋口真嗣監督ってこと。樋口監督は同じく和製パニック映画の『日本沈没』のリブートを2006年に製作したが、あまりに杜撰すぎるラブ・ロマンス描写に閉口し(クライマックスシーンはよくできたいたのだが・・・)期待に膨らんだ風船がしぼんでいくのを感じた。果たして樋口監督で大丈夫なの?

 もうひとつはオリジナルはとにかく長いし疲れるってことだ。東映は犯人側を高度成長期から零れ落ちた敗残者たちとして設定し、犯人側の方に感情移入するようなドラマにしたので、必然的にそれを追う警察は「愚かで無能」なものとして描かれるのでありえない失態とドジを繰り返す。結果2時間半にも及んだ映画のラストは無残な犯人側の死によって解決し、主人公の死で終幕するアメリカンニューシネマ風の物語はハッピーエンドと違って疲労が半端ではない。現代人に2時間半の疲労はキツすぎる。

 

 

 このような理由でリブート版には懐疑的な気持ちで見ていたのだが、序盤でそのような杞憂はふっとんだ。なにしろ展開が矢継ぎ早に展開し、スピーディーで飽きさせないからだ。

 

新青森駅を発車した東京行きはやぶさ60号に時速100㎞を下回ると爆発する爆弾を仕掛けた、解除してほしければ1000億円をよこせと一本の電話が入る。デモンストレーションとして貨物列車を爆発させたことで「悪戯ではない」と判断したJR東日本総括指令長の笠置(斎藤工)は警視庁捜査一課の川越警部補(岩谷健司)らと協力の上、乗客・乗務員の安全と犯人逮捕を目指すが、内閣官房長官の諏訪(坂東彌十郎)は政府の方針として「テロリストの要求には応じない」を伝え、指令所に送り込んだ総理補佐官の佐々木(田村健太郎)は人命を軽視する言動を繰り返し、笠置らJR東日本の人間たちとことごとく対立する。

 

 一方、走り続ける新幹線・はやぶさ60号車内では「政府の方針として」犯人の情報を広く集めようとの意図から車内に爆弾のことが早くも伝えられる。当然のようにパニックに陥る乗客たち。さらに偶然乗り合わせた起業家YouTuberの等々力(要潤)が政府に先んじて1000億をあつめるクラウドファンディングを呼び掛けるわ、事故で犠牲者を出したことで世間から激しいバッシングに遭い逃亡している観光会社の社長、後藤(松尾諭)が発見されるなどし、より混乱を極める車内で、車掌の高市(草彅剛)は後輩の車掌、藤井(細田佳央太)を宥めたり、運転士の松本(のん)を励ましたりと事態の解決に冷静沈着な対応を続けるのだった。

 

 この車掌の存在は1975年版にはない存在で、普通このような事件が起きたら車掌が車内では一番集中砲火を食らうだろう。演じた草彅剛は目立たないが、終始冷静で各トラブルの対応、指令室との情報の伝達に務めプロフェッショナル魂を見せつける。

 草彅の車掌とのんの運転士二人のプロフェッショナルに徹する対応の演技は素晴らしく、この二人なら実際の事件でも対応できそうな気がする。1975年版の運転士は千葉真一で、派手なアクションを封印した代わりに眼力で必要以上にアクションしていたが、リブート版の役者たち(特にJR東日本サイドの人間たち)は抑えに抑えた控え目な演技力で必要以上にドラマを盛り上げることに成功している。

 邦画にありがちな過剰なせりふ回しやリアクションが少ないことで観客はどんどん物語に集中できるようになっている。

 

 そして1975年版にあった犯人側のドラマはかなり削ぎ落されており、その代わりに電車の乗客を救おうとする作戦が次から次へと登場し、これがだめならこのアイデアはどうだといった具合。本作も上映時間は2時間を超えているがこの展開のおかげでスピーディーに感じる。

 削ぎ落したことでクライマックスの意外すぎる犯人像にスポットライトが当てられ、本気で驚いた。実は1975年版の延長線上にあるという物語になっている設定にも唸らされた。

 それでいて、徒労に終わってしまう1975年版のラストを払拭する、希望を持たせるラストシーンになっているのも良い。2020年代にニューシネマ的エンドロールではないだろう。やはりパニック映画のラストはハッピーエンドじゃないとねえ。

 最後に高市が仲間たち職員の元に戻っていくのも最後の最後までプロフェッショナルに徹した人間の姿として素晴らしい。これが邦画だと必ず家族の元に帰ろうとしたり(1975年版でも犯人の高倉健は家族を見て動揺して死に至る)、湿っぽいドラマが必ず挿入されるので観客は冷めてしまうのだが、今回はそういうのが一切なかったのが良い。

 ・・・とはいえ、最初は高市が家族に連絡をしようとする話が想定されていたそうで、JR側から「乗務員は仕事中は家族に連絡できる機材を持たされない」と反対に遭って削除したという。樋口監督、そういうところがダメなんですって!

 

 リブート版『新幹線大爆破』は1975年版からつながる物語として作品の新たな魅力を掘り起こし、新生させた傑作だ。そしてアニメーター仲間の庵野秀明・鶴巻和哉が今、『機動戦士ガンダムジークアクス』で同じようなことをやっているのは偶然とは思えません!プロフェッショナルの仕事は影響しあうのである。

 

 

 あとこのリブート版、プロでない役者の使い方が面白い。救出作戦を展開する新幹線運輸車両部マネージャーを演じるやたら目力の強い人は西野恵未という国立音大卒のキーボーディスト!役者でもなんでもないのにド迫力!

 事件のことを扱うワイドショーに登場しているのは南田裕介。ホリプロのマネージャーで『タモリ倶楽部』の電車回に必ず出てくる電車マニア。電車のプロフェッショナルだから(笑)

 意外過ぎる場面で登場するドキュメンタリー監督の森達也、そして「満を持して」みたいに登場するピエール瀧!思わず笑ってしまった。

さすがに関根勤さんは出てなかったね。残念です(何が)