しばりやトーマスの斜陽産業・続 -125ページ目

お別れだけど、さよならじゃない『リメンバー・ミー』

※この記事は前ブログの過去記事(2018年04月03日)の再録です


 ピクサーの大ヒット作である。最近のピクサーは『トイ・ストーリー』『モンスターズ・インク』『ファインディング・ニモ』『カーズ』の続編ばかりでネタ切れ感が出ていた。ライバルのディズニー(といってもピクサーはディズニーの子会社だけど)が『アナと雪の女王』『ベイマックス』『ズートピア』とオリジナルのヒット作を立て続けに公開してピクサーを追い抜いて立場が完全に逆転している。ピクサー側にディズニーアニメを上回るオリジナルのヒット作を出さなきゃ、という思いがあったのは間違いない。なにしろこの『リメンバー・ミー』は『アナ雪』や『ズートピア』と同じ流れを持っているから。

 舞台はメキシコ、とあるメキシコ人一家の物語。リヴェラ家は代々靴製造を生業としてきた一族で、かつて一族の長であった男が音楽家になる夢をかなえるために家族を捨てたことから妻のママ・イメルダは音楽を嫌い音楽をすることも聞くことも禁止する掟を家の者に受け継がせた。しかし12歳のひ孫、ミゲルは密に音楽を愛し、手製のギターを弾いて国民的人気歌手のエルネスト・デラクルスを信奉していた。

 年に一度、亡くなった先祖が残された家族に会いにやってくるという「死者の日」が迫る。祭壇に先祖の写真を飾り、墓場から家までの道を花びらで舗装する。日本の盆と同じようなものがメキシコにもある、というのは恥ずかしながらこの映画で初めて知った。

 リヴェラ家も祭壇に先祖の写真を飾っていて、家族を捨てた高祖父の顔の部分だけは切り取られていたが、折りたたまれた写真にはギターが写っていて、それはデラクルスの霊廟に保存されているギターと同じだった!自分の高祖父はデラクルスだと確信したミゲルは死者の日に行われる音楽コンテストに出場しようとするが、ママ・イメルダの娘であり、認知症を患っている曾祖母のママ・ココに代わって一家の長になっている祖母のエレナは「音楽禁止の掟」に従ってミゲルのギターを壊してしまう。夢をあきらめきれないミゲルは「自分はデラクルスのひ孫なんだから」ということで霊廟に忍び込んで祭られているギターを盗み出す。

 するとミゲルは死者の姿が見えるようになり、生きていながら死者の国へ行けるようになる。リヴェラ家の先祖たちと出会ったミゲルはママ・イメルダから「死者の物を盗もうとしたから、死者の国へ送られた。先祖の許しを得られれば生者の国へ戻ることができる」と聞かされるがその許しに「二度と音楽をしない」という条件をつけられたのでデラクルス本人にあって許しをもらおうとその場を飛び出す。ミゲルは生者の世界で家族に会いたいのだが、家族が祭壇に写真を飾っていないからダメだ、という理由で生者の国の入国管理局(風の施設が存在しているのがおかしい)に止められていた死者のヘクターが「自分はデラクルスの知り合いだ」というので、彼と行動を共にしデラクルスから許しを得ようとするのだが…


 死者の国では生者であるミゲルの体はだんだんとドクロ状になっていき、死者の国の夜明けまでに生者の国に戻らないと本当に死んでしまう。デラクルスに会うために死者の国の音楽コンテスト(ここにもあるのかよ)に出なければいけないミゲルはヘクターの知り合いにギターを借りるのだが、その友人は弱っている。「もう、俺を思い出す者は誰もいない」といって消えてしまう。死者の国にいる者は生者の国にいる子孫や知り合いがその人のことを覚えているうちは元気いっぱいだけど、その人のことを覚えている人がいなくなって忘れ去られると二度目の死を迎えてしまう。劇中、画家のフリーダ・カーロやルチャリブレのエル・サントなどが出てくるがこの人たちは生者たちに慕われているのでみんな元気なんだ。「お別れだけど、さよならじゃない」という劇中歌の歌詞はじいんとする。

 墓参りをして先祖を敬うという儀式が伝わっているアジアの人ならこの風習はすんなり理解できるだろう。この映画をきっかけにして風習、文化が異なる国のことを理解できるようになっている。ディズニーアニメ映画は『アナと雪の女王』で性の多様性を謳い上げ、『ズートピア』で種族の多様性をテーマにしていた。ピクサーもこの流れに乗らないと、と思ったのか、その試みは見事に成功している。『リメンバー・ミー』も明らかにこの流れを汲んでいて人種の多様性をテーマにしている。それを説教臭くいうわけでもなく、娯楽作品として完成させているのはただ事ではない。誰も映画見て説教なんてされたくないもんね。

 後半でヘクターやデラクルスの過去が明かされると、そんな内容だと想像もしていない観客は心底驚かされる。強烈などんでん返しがあって、散りばめられた伏線がきちんと回収されていくクライマックスはさすがピクサーだなと思うし、体中の水分を吸い取られること必至。僕も映画が終わったあとはヘクターみたいにガリガリになっていた。

 

 

 

80年代エロサブカル偉人伝『素敵なダイナマイトスキャンダル』

※この記事は前ブログの過去記事(2018年03月27日)の再録です



 70~80年代のエロサブカル界の偉人、末井昭の自伝『素敵なダイナマイトスキャンダル』の映画化。
 小学生の頃、母親が隣の家の少年とダイナマイトで自殺したという壮絶すぎる過去を持つ末井氏はその過去に引きずられるように青年時代を駆け抜ける。アートにかぶれてデザインの道に進むが仕事はキャバレー、ピンクサロンの看板描き。「情念の赴くままに」ドギツイ色彩の看板を描きまくるがキャバレーの店長からは「風俗店の客はお前のいうアートなんか見ていない。そんなこと描いてないで“性の万博・世界の国からこんにちは”とか描いとけ!」とドヤされる。母親のダイナマイト心中を唯一肯定してくれたデザイン会社の先輩、近松さん(峯田和伸)から「末井くん!君はこんなろくでもない会社の連中のいうことなんか気にしないで、君のやりたいことを描けばいいんだよ!」と発破をかけてもらっても(峯田の演技もあって、すごく好きなシーンだ)自分のやりたい表現はこの世界でまったく認めてもらえないのだ…
 末井はやがてデザイン会社の同僚から紹介されたエロ雑誌のアルバイトをきっかけにエロ雑誌の世界に入り込み、『ウイークエンドスーパー』『写真時代』といった伝説のエロ雑誌を創刊、時代の寵児となっていく。そんな末井昭を演じるのは柄本佑。見た目と雰囲気が末井さんにそっくり!


 80年代のエロ雑誌をむさぼり読んでいた僕にとってはこの映画で描かれる中学生男子たちのエロにかける思いは涙なしでは見られない。「エッチなお姉さんが話相手になってあげる」という雑誌の電話番号に鼻血を出す勢いでかけてみれば電話は編集部につながっていてバイトの編集スタッフに末井さんが「適当に相手しろ!」とつなぐ。当然まったくお話できないので知り合いの風俗のお姉さんを臨時バイトに雇って話し方をレクチャー、電話回線は数台に増えてレクチャーを受けた編集スタッフ女性の事務的な喘ぎ声が編集部内に響き渡る。それを「エッチなお姉さん・ひとみ」と信じてタバコ屋の赤電話からかける中学生男子たち。これを「アホや」と切り捨てることはできるだろうか?いやできない!

 最近20代の男子と話してみたところ、当然のように「エロ雑誌はほとんど買ったことがない」「ネットでエロは見ている」という。粒ぞろいの美人モデルがなんでもかんでも見せてくれる時代に生きている彼らには、タバコの煙が立ち込める喫茶店で「真鍋のオッちゃん」なる人物があっせんする素人モデルのブサイクぶりはとても信じられないだろう(この真鍋のオッちゃんを舐めダルマ親方こと島本慶が憎めなく演じている)。
 なんでもやります、という名目で紹介された娘が「わたし、水着までしか見せません!モデルなんだから」と言い出して現場は大混乱。あわてて末井は真鍋のオッちゃんにクレームの電話を入れる。その間カメラマンの荒木経惟(演じた菊地成孔がまったく似ていないが、勢いでアラーキーっぽく見せる怪演ぶりだ)が「なんで脱げないんだよ!ははぁ、お前、変な乳首なんだろ!変じゃねえなら見せられるだろうが!」とカマシを効かせ、末井が電話を終えて戻ってきたころにはすっぽんぽん!アラーキーの口八丁手八丁で女を脱がせるテクニックが垣間見れてこれが天才と呼ばれた所以か…

 時流に乗ってバカ売れする末井さんのエロ雑誌だが、ワイセツ表現、女性器が見えそうなカットのせいで毎月のように警察に呼び出され(松重豊があのノリで「これ、入ってるんじゃないの?ダメだよぉ~こんなの載せちゃあ・・・」とゆるい説教をし、柄本佑が「いや、入ってるように見えるだけで・・・」とゆるゆるで交わしていくやり取りは爆笑を禁じ得ない)、発禁処分を食らい続ける。
 金が儲かりすぎて小銭でポケットが重くなると道端に捨ててしまったり、先物取引でン億円の借金を背負ったり、愛人が精神を病んで狂人になってしまったり、最初の妻との離婚を経験し…と母親をダイナマイト心中で亡くした過去に負けず劣らず、嵐のような人生を送っているのに悲壮感がほとんどなく、飄々と人生の岐路を渡ってしまう末井さんのユーモアかつペーソス感あふれる生きざまは、サブカル野郎が人生を生き抜くヒントが隠されているようにも思える。
 そして登場する女性たちの「理想のサブカル感」が現れていて同じ趣味のご同輩にはたまらんね。ダイナマイト心中する母親、尾野真千子。末井さんの最初の嫁、前田敦子(にじみ出るサブカル感!)。愛人役、三浦透子の名前のごとき透明感!さらに狂人になったあとの異常な美しさよ!エロ業界の男たちはみんなバカでスケベ(当たり前だけど)だが、女たちはみな印象的で美しく、そして強い。女装をして、自分の中に女を持っている末井さんらしい男女観が出ている素敵な映画化。

 

 

 

 

 

愛されたファン

※この記事は前ブログの過去記事(2018年03月20日)の再録です

 もう40半ばになろうという年になると、ある日突然亡くなったりする知り合いが出てきたりする。月に一度は見ていた人が急に見かけなくなったと思ったら単に東京に転勤していただけだった、というのはまだいいが、風の噂で病気で亡くなったらしい、というのを聞くことも多くなると、「ああ!みんな年くったなあ!」としんみりする。

55歳ファンが孤独死 心配して自宅を突き止めたアイドル、亡くなったことを知り追悼ライブを開催
http://news.nicovideo.jp/watch/nw3373112?news_ref=watch_accessRank_nw3370823

 とあるシンガーソングライターの女性が10年来のファンという55歳の男性が大動脈乖離の手術後、ひっそりと亡くなっていた、ということを約一年後の今、自らの足で調査して知るという。彼は家族がいなかったため親戚によって荼毘に付され、葬式もなかったというので、彼女は彼のためにお別れ会、追悼ライブを企画することに。
 地下アイドル界では推していたアイドルのファンをやめて他のアイドルのファンになることを「他界」というけど、本当に他界してしまうとはシャレでも言えないこの結末。それにしても彼のために独力で自宅を調べ上げて亡くなった事実を知り、お別れ、追悼会まで開こうとするシンガーソングライターがいるなんて、よっぽどその娘ができた娘なのもあるけど、ファンの人もよっぽど愛されたいい人なんだなあ、と。相手の気持ちを無視してプロポーズ迫ったり、拒否された腹いせに訴訟起こしたり、新幹線の予約を調べ上げてストーカーしたりとか、ろくでもない自称ファンもいれば、こんなに愛されるファンもいるのです。アイドルファンってどうしてこんなに悲しいんだろう。涙があふれてきた。

そのシンガーソングライターの人のブログ
https://ameblo.jp/arisakaemi/entry-12361641311.html
https://ameblo.jp/arisakaemi/entry-12361647182.html

 

麻生希さん、2年ぶり二度目の出場

※この記事は前ブログの過去記事(2018年03月17日)の再録です

 セクシー女優の麻生希さんが覚せい剤所持で二度目の逮捕。

AV女優、麻生希が覚醒剤所持疑い コカインや大麻も、密売か
http://www.sanspo.com/geino/news/20180317/tro18031712280003-n1.html

 普段はセクシー女優と気を遣って呼称されているのに、こういう時はAV女優呼ばわりで、メディアも「AV女優」は蔑称という扱いなんですねー
 一度目の逮捕後は多人数共演作などに出つつ、2月からデリ ヘルデビュー。そして二度目の覚せい剤所持逮捕。一度目の逮捕の際は、急に独立しようとしたり現場をすっぽかしたりとか不義理が多かったと東スポに書かれたこともあったけど、すでに薬物の影響でおかしくなってたんじゃないのかな。
 ろくでもない男に引っかかったのだろう。今回の逮捕も同棲相手の男と一緒に逮捕だから、そうに決まってる。変な男にさえ引っかからなければ幸せになれたのに(それはどうかな)。

信者にひどい目に遭わされる北原里英『サニー/32』

※この記事は前ブログの過去記事(2018年03月10日)の再録です



 『日本で一番悪い奴ら』『彼女がその名を知らない鳥たち』で邦画界一、ノリにノッている白石和彌監督が出世作『凶悪』で組んだ脚本家、高橋泉と再び組んだ実録映画路線が『サニー/32』だ!

 NGT48の北原里英演じる主人公の藤井赤理は東北で中学校教師で情熱をもって生徒の指導にあたるが、なにもかも空回り、いじめられてるかも知れない生徒の純子(蒼波純)の相談に乗ろうとしても相手にされない。そんな彼女は24歳の誕生日に誘拐される(突然!)。犯人はピエール瀧とリリー・フランキー。『凶悪』の二人組!ただ『凶悪』と違ってピエール瀧の方がリリーよりも立場が上ですぐに暴力を振るって相手を支配する男だ。一方リリーはちょっと頭のおかしい男でいつも股間をいじっている。だが焼きそばの腕前は絶品だ(そんなやつのつくる焼きそば、食いたくねえ)。
 二人は赤理を「サニー」と呼んでかわいがる。サニーとは14年前に起きた小学生女児による同級生殺害事件の犯人で、ネット上で出回った犯人特定画像に加害者が左右の指を3本、2本で独特なピースサインを作るポーズから「サニー」というあだ名をつけられネット上で神のように崇められている少女だ。ピエールとリリーは赤理こそが大人になったサニーだと決めつける。

 長崎で起きたNEVADAちゃん事件をモチーフにするという凶悪さに身震いするが、『凶悪』コンビなのでただ実際にあった事件をなぞりはしない、もっとどぎつく事件をえぐる。
 監禁場所はネットで中継され、ピエールが集めたサニー信者たちが集まってくる。「サニーによって人生を救われた」という杉崎(奥村佳恵)のような狂信的信者もいれば単に卒論のテーマにしたいという田子(大津尋葵)のような男もいる。中にサニー事件の被害者遺族がおり、勘違いして復讐の刃を赤理に向ける。混乱の中、医師の男(山崎銀之丞)は刺されて死に、死体は打ち捨てられ仲たがいの末、田子は監禁部屋の外に放り出されて凍死する。この過程はまるで連合赤軍あさま山荘の内ゲバのように描かれる。師匠の若松孝二的スタイルを踏襲したということか。

 その場にドローンを飛ばして現れた少年・百瀬はスタンガンでピエールたちをあっという間に片づけてしまう。そして自分のshowroomでサニーを配信してネット上の神になろうとする。これってドローン少年じゃねえか!演じた加部亜門の演技がハマりすぎで本当のドローン少年がスタイリッシュな革命家に思えてくる(バカな)。
 電気ショックで覚醒した赤理は信者たちを説教し、さんざん暴力を振るわれたピエール瀧を逆に足蹴にする。「オラ!こういうのが嬉しいんだろうが!」「あぁ…サニーさま、もっとやってください!」showroomの画面上に流れる「サニー!神!」の文字。「みんながわたしにサニーを求めるのなら、本当のサニーになってやる」と堂々宣言した赤理=サニーはネット配信の辻説法で神として崇め奉られるのだ。その内容も「パチンコがやめられない」という主婦に「お前が吸われた金は北の国からミサイルになって飛んでくる」というアレなやつ。

 監督による北原里英への責められ方は半端ではない。家の二階の窓から豪雪の上に放り出され、裸足で延々と歩かされる。途中で疲れ切って倒れるシーンはカットのタイミングを計っておらず、北原も倒れるタイミングがわからないから声を掛けられるまで歩いて行って、本当に力尽きて倒れる。追い込みすぎだろ!熱狂的な信者(ファン)にひどい目に遭わされるというのは、AKB時代にも体験してるだろうけど、ここまでの目には遭ってないはず。白石和彌の凶悪ぶり、おそるべし。

 そんな女優イジメを経て物語は第二のサニー(門脇麦)が現れ、「わたしが本物のサニーです」とネット配信で自分の指を自らへし折ったりする過激番組を配信。赤理は自身の番組に純子が書き込みをしてるのを見る。「先生、昔同級生をカラオケボックスで殺したんでしょ。すごいね。わたしも負けないで頑張るよ」といじめっ子の同級生に復讐しようとする純子を赤理は止められるのか?

 門脇麦演じる第二のサニーとの対決を経て赤理はようやく教師としての使命に目覚める。なんだか最後は温かいムードで完結するじゃないか。この実録路線でハートウォーミングなオチをつけようとは白石・高橋が一番の凶悪だろ!