時空を超えた友情と家族愛の物語『ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!』
今年劇場で見た最後の映画。1989年に公開された『ビルとテッドの大冒険』91年公開『ビルとテッドの地獄旅行』に次ぐシリーズ第3弾である。若手時代のキアヌ・リーブスのヒット作でコンビを組んだアレックス・ウインターともども再出演。一時期は「こんなバカ映画にはもう出ない」なんていったとか言われてたけど29年経った今でもバカ全開で同じ役を演じてました。
ビル(アレックス・ウインター)とテッド(キアヌ・リーヴス)のバカがつくほど能天気な仲良しコンビはワイルド・スタリオンズという呆れるほどにドヘタな素人バンドを組んでいたが、電話ボックス型タイムマシンによってやってきた未来からの使者ルーファス(ジョージ・カーリン)にワイルド・スタリオンズの音楽が未来の世界を救うと教えられ、タイムマシンで期末試験の赤点を回避するという任務をクリア、続編『地獄旅行』では地獄の世界を音楽で解放するのだった。そして29年後・・・中年男になったビルとテッドは今もワイルド・スタリオンズを続けていたが、音楽で世界を救ううどころか、自分たちの娘以外には誰にも相手にされていない無名のままだった。テッドの弟の結婚式(ちなみに結婚相手は一作目でビルの父親の若い再婚相手だったミッシーを演じていたエイミー・ストックが再登場)で一曲披露するのだがテッドのテルミンをバックにビルがホーミーを聴かせ、すかさずバグバイプを吹き鳴らすという難解にもほどがある迷走ぶりでテッドの父親ローガン警部(これまた一作目から演じているハル・ランドン・Jrが三度登場!)から演奏を強制的に中止させられてしまう。
「いい加減夢を見るのはやめて真面目になれ(40過ぎの息子にいうセリフじゃないと思うが、僕も父に同じようなこと言われてるので笑えない・・・)」
二人は一作目で中世のお姫様と結婚しているのだが、その二人にも愛想を尽かされかけている。理解者はそれぞれの娘であるシーア(サマラ・ウィービング。『マトリックス』のエージェント・スミス、ヒューゴ・ウィービングの姪)とビリー(ブリジット・ラインディ=ペイン)だけ。
そんな二人の前にルーファスの娘ケリー(クリステン・シャール)がやってきて次元が崩壊を起こしており77分25秒後にビルとテッドが世界を救う音楽を作らなければ世界は滅亡してしまうと告げる。
二人は世界を救うための音楽づくりをはじめるが、なにしろ筋金入りのボンクラなのでタイムマシンで世界を救う音楽が完成しているであろう」未来に行ってその曲をもらってこようとする。それパクリやん!いや自分たちの曲だからパクリじゃないのか・・・ところがたどり着いた未来の自分たちから妻たちと離婚する羽目になると聞かされさあ大変だ!何年経っても曲は完成せず、時が経つほど堕落していく自分たちにウンザリ。
一方未来世界ではビルとテッドでは次元の崩壊を救えないとする意見が目立ち、いっそ二人を殺しちゃえば歪みは元に戻るのでは?ということで殺人サイボーグのケイレブ(アンソニー・キャリガン)がターミネーターのごとく送り込まれる。その方針に反発するケリーはビルとテッドの娘たちの作戦を受け入れタイムマシンを貸す。それは様々な年代のミュージシャンたちを集めて「世界を救う音楽」を奏でてもらおうというものであった。集められたのはルイ・アームストロング、ジャニス・ジョプリン、モーツァルト・・・
ところがサイボーグのミス(「あ、いっけね」程度の)によって娘たち、ケリー、ミュージシャン、テッドの父親らが殺されてしまう。老人ホームで終末医療を受けている自分たちからついに「世界を救う音楽」を手に入れたビルとテッドだが(ようやく完成してんの。時間かかりすぎだよ!)娘たちを助けるために手に入れた音楽を捨て、地獄に落ちていく。娘たちと再会した二人は脱出の方法を知っている死神グリム・リーパー(もちろんウィリアム・サドラーが再登場です)の元へ行き、かつて組んでいたバンド解散の理由をこじらせている死神をなだめすかす。果たして彼らは無事地獄を脱出して世界を救えるのか?
タイムマシンを使った時間軸のトリックが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ばりの感動を呼んだ一作目を彷彿とさせ、一作目から連綿と続く「世界は音楽でひとつになれるか?」というテーマがきちんと収束し、シリーズを通して貫かれたどうしようもなく能天気なバカ騒ぎの果てに時空も人種も地獄すらも超えた家族愛の物語として完結するクライマックスはオタクがオタクを超えた人類愛の物語だった『ギャラクシー・クエスト』のディーン・パリソット監督の冴えわたる手腕!そしてキアヌとアレックス他再集結したキャストとスタッフの数十年にわたる友情の物語だった。一年の締めくくりに相応しい。
女王は愛されたいの『女王陛下のお気に入り』
※この記事は前ブログ(2019年03月03日)の再録です

18世紀末のスペイン継承戦争を描いた『女王陛下のお気に入り』でイギリスのアン女王を演じたオリヴィア・コールマンは第91回アカデミー賞にて主演女優賞を受賞。前評判では今回で7度目のノミネートとなるグレン・クローズの受賞が囁かれていたが、この結果は91回アカデミー賞中で一番の驚きだった。
アン女王は継承権のトップであったので女王の位につくが、お嬢様育ちでブランデーを好んでケーキばかり食べていたので肥え太り、痛風を患って車いす生活を送っていた。政治にも疎かった女王は豪華な宮殿を建てようとして配下たちから「今、フランスと戦争中ですのでそのような予算は…」と言われて「え…戦争ってまだ終わってなかったの?」と言い出す始末であきれ返る。
だから戦争や国政については側近である公爵夫人サラ(レイチェル・ワイズ)が取り仕切っていた。サラの夫マールバラ公爵は軍のトップであったから、サラはスペインを手に入れるためにアン女王に戦争をけしかける。トーリー党員のハーレー(ニコラス・ホルト)は長い戦争に国民は疲れ果てているからと和平を勧めるがサラを信頼する女王は受け入れない。
城に没落した貴族の娘アビゲイル(エマ・ストーン)がやってくる。父親がギャンブルで破産したために生活のため縁故のサラを頼って女中になったのだが、女中仲間たちからは激しいイビリを受けてしまう。
痛風に喘ぐ女王の足に薬草からつくった薬を塗ったところ、女王の気分は優れるようなったことで、サラは個室を与えられて女官へと格上げされる。
ある夜のこと、女王の寝室で本を読んでいたアビゲイルは舞踏会から戻ってきた女王とサラがアビゲイルに気づかず寝所で同性愛行為に及ぶのを見てしまう。
フランスを徹底的に叩き潰さんと戦争を継続させようとするサラの専横が目立ち始め、女王はサラを「国の仕事にかまけてばかりで私に冷たい」と愚痴を漏らす。仕事が忙しいサラは女王の世話をアビゲイルに任せるようになり、アビゲイルは女王が飼っている17匹のウサギを可愛がり、女王がウサギに亡くした子供の名前をつけているのを聞くと子供の死を悼み、女王の心を労わるように寄り添う。
やがて女王の寵愛はアビゲイルの方に向けられ、サラがアビゲイルを追放しようとした時はすでに寝室付きの女官になっており、女王は「冷たいお前と違ってあの子は口でもしてくれる」サラの進言をはねつける。サラとアビゲイルは女王の寵愛をめぐって激しく争い、女王も二人を煽るような態度を取って楽しむのだった。
「二人がわたしを求めて争うなんて素敵。もっと愛されたいの!」
世継ぎを産めという周囲のプレッシャーに苛まれ、17度も妊娠しながら流産、死産を繰り返し産まれた子供も若くして死んでしまったアン女王は次第に心を病み、癇癪持ちで酒と甘いものに溺れ王宮の兵士に「今わたしを見たわね!?こんな醜い私を笑っているんでしょう!?」と不安定な精神の女王はただ愛されたいがために側近による骨肉の争いを煽り続ける。
そんなことをしている間に戦争で何千もの国民が犠牲になっていくのだが、女王や王宮の貴族たちは民衆の死に目もくれず毎夜パーティーと豪華な食事を楽しんでいる。「愛されたかった」がために政治に無頓着で、気に入った人間をそばに侍らせて側近に好き放題させていたアン女王の役をコールマンは「ドナルド・トランプのように」演じたという。好き嫌いで人事を決めて、対立を煽って好き放題させる。18世紀末のイギリス王室の話でありながら現代のアメリカ政権に通じる話なのだ。
シリアスな話のようで女王の寵愛をめぐる争いはやりすぎて笑えるように描かれている。なにしろジャンルは「コメディ映画」だから!監督のヨルゴス・ランティモスはコールマン、ワイズも出演していた『ロブスター』で出産率が低下した世界で子供を産むことを推奨するため、おひとりさまの男女を無理やりくっつけて、期限までにカップルにならなければ動物にすると脅される恐怖政治を描いていた。恐ろしいのはこっそりオナニーしてたら手をつぶされるのだ!
当人たちにとっては笑いごとじゃないんだろうけど、やっぱり笑っちゃうよな。そういう作風の監督なの。エマ・ストーンが野望のために結婚した相手との初夜を手コキだけで済ませようとするところとか、絶対笑うよな。
ヒロポンで空高く吹き飛んだ『麻薬王』
※この記事は前ブログ(2019年03月03日)の再録です
今年のアカデミー賞ではNetflix配信映画の『ROMA/ローマ』が各部門にノミネートし、「配信限定映画なんか映画じゃない」という頭の固い連中など物ともせず3部門受賞に輝きました。
かように最近のNetflix配信映画は野心作やビッグバジェットによる大作が続々配信され世界中の映画祭でも評価されているので、もはや映画館でかからなければ映画ではない、などと言っている時代ではないのです。
今回ご紹介する映画は韓国で大ヒットした劇場映画ですが、日本ではNetflixで配信中の映画『麻薬王』です。

1970年代の韓国では覚せい剤製造ビジネスが盛んであった。かつて日本では疲労がポンと飛ぶ、という意味の「ヒロポン」という名称で生産、発売が公然と行われ、庶民の間に爆発的に広まっていた。第二次大戦時には特攻隊員の恐怖を取り除くためにキャラメルにヒロポンを入れて与えられた(当時は満州で作られていたという)。
70年代になり、副作用などがようやく問題となり国内での製造が縮小されたため、海を渡った隣国、韓国に製造の場が求められ、韓国内でも覚せい剤の需要が高まり、大規模な生産が必要だった。
金細工の職人、イ・ドゥサム(ソン・ガンホ)は家族思いの冴えない男。金を密輸する裏社会に頼まれて金が本物かどうかを鑑定する仕事で禄を食んでいたが、トラブルから拷問に遭い、密輸の罪で服役する羽目に。妻からも愛想をつかされてしまう。
しかしドゥサムは密輸事業の際に日本の大阪で「釜山の水は良質なので、いいヒロポンがつくられる」と聞いたことがり、覚せい剤輸出で外貨を稼ごうとする。ドゥサムのビジネスは恐ろしいほど当たり、神戸山口組の抗争に巻き込まれたり(!)しながらも荒稼ぎを続け政財界にも名が知られるように。
だが、かつて彼を拷問し刑務所に送り込んだ中央情報部の人間がドゥサムを脅しにくる。恨みを忘れていないドゥサムは彼に仕返し、遺体をバラバラにして海に捨てる。「麻薬を扱う人間は麻薬だけは使ってはいけない。破滅が待つだけだ」という教えに逆らってヒロポンを注射する。一線を超えたドゥサムはもう止まれない。政財界の大物の養女、ジョンア・キム(ぺ・ドゥナ)と知り合いになり、彼女の提案で「メイド・イン・コリア」と名付けたドゥサムのヒロポンは韓国、日本両国で爆発的に売れまくる。ヒロポンで莫大な利益を手にしたドゥサムはあちこちに寄付して表彰され、国を代表する名士となってゆくのだった。
映画の舞台になる70年代の韓国は、60年代まで世界の最貧国に数えられるほどの底辺だったが、60年代後半に日韓基本条約、ベトナム戦争に派兵して得た外貨をきっかけに経済復興を遂げた。誰もが一山当てたいという空気の中で覚せい剤という金儲けのネタを手にしたドゥサムのビジネスは右肩上がりを続ける。しかし崩壊は足元に迫っていた。
覚せい剤の撲滅を目論む検事キム・イング(チョ・ジョンソク)はドゥサムの妻やヒロポン中毒に落ちぶれた従弟を使ってドゥサムを追い込んでいく。最初は小動もしないドゥサムだったが、日韓基本条約をとりつけた朴正煕大統領の暗殺をきっかけに韓国は軍事独裁政権と民主化デモとの対立の時代に突入する。
イケイケドンドンでビジネスを拡大させる中、親しい人間すらも切り捨ててきたドゥサムの周りには誰もいなくなり、飼い犬だけが寄り添う部屋でヒロポンに溺れ「アカが俺を殺しにくる」という妄想に取り憑かれ銃をぶっ放すドゥサムの屋敷をキム検事と兵隊たちが取り囲む。
最近の韓国映画は政治的に際どいテーマをエンターテインメントに落とし込むのが得意で、『麻薬王』の数年後に起こった光州事件をテーマにした『タクシー運転手 約束は海を越えて』(これもソン・ガンホ主演作)のような歴史の恥部のような光州事件をすこぶる活劇として描くことに成功していた。絶好調の時代を生きながら一つの時代の終焉とともに没落するドゥサムの生きざまは悲しくもあり、魅力的でもある。説教臭くなく、笑って楽しめる娯楽映画になっているのがすごい。よくいうけど、日本じゃこういう映画は絶対作られないね。
あと、映画のテーマソングがジグソーの『スカイ・ハイ』なのでやたらと勇ましいんだよな。でも実際は失恋の歌で、「愛を捧げたのになぜか君は僕を空高く(スカイ・ハイ)吹き飛ばした」という意味が「俺はみんなを幸せにしたかっただけだ。俺のおかげで大勢が救われた」と嘯くドゥサムのことを言っているようで切なかった。
ゾンビファンの脳みそを破壊する『トウキョウ・リビング・デッド・アイドル
※この記事は前ブログ(2019年02月27日)の再録です

当時、SUPER☆GiRLSのメンバーだった浅川梨奈主演のゾンビアイドル映画。「ゾンビ」と「アイドル」というローバジェット映画の定番要素二つがドッキングしたらどうなるか?華やかなカップルとなるか、それとも最悪の組み合わせになるのか!?
3人組の地下アイドルユニット「TOKYO27区」(3人組なのに27区というこのネーミング)のセンターであるミク(浅川)は今日も満員のライブをこなしたが、メンバーのモエ(スパガの阿部夢梨)、ルナ(尾澤ルナ)のドヘタな歌と合わないダンスにブチ切れ。
「やる気あんの?わたしらもうすぐメジャーデビューで、もう地下アイドルじゃあないんだよ!」
そんなミクの態度に少々ウンザリな二人。地下アイドルにありがちな無駄に意識高いケンカ、よくありますね。観客もちょっとイラついたところで、エレベーターから現れたゾンビ(突然)に噛まれるミク!騒然となる楽屋裏!周囲は突然のことにおびえるばかり(そりゃそうだよ…いくらなんでもゾンビの出現、突然過ぎ)で、誰もミクのことを助けない(これまでの態度が悪いせいもあるんじゃない?)。彼女を助けたのはゾンビハンターの男(また突然だなオイ!)。
腕の噛まれた後を包帯で隠したミクは人で溢れかえる真夜中の街を疾走…って、ゾンビが出てるのに普通に人が暮らしてるの?
そう、この世界では人々が普通に生活を送っているのだ。ゾンビといえば発生した瞬間に無法地帯になったり、文明、日常が崩壊する様が描かれるのだが、この映画では通り魔が出てきたぐらいの騒ぎで済んでいる。なんて斬新な世界観なんだ。役者の後ろをよく見ると通行人が通っていたり、道路を車が走ってる。決して低予算すぎてポスト・アポカリプスな世界を描けないわけではない。
ゾンビ化するまでのタイムリミットは72時間。噛まれた人間は警察によって専門の施設に強制収容される。のだが、捕まえた警察の偉い人がアイドル・ミクのファンなのでこっそり彼女を逃がしてあげるのだ。なお、低予算映画なので細かい設定についてはすべてセリフで説明される。
なぜミクは逃げ出すのか?それは都市伝説として伝わっているゾンビ状態から回復する血清を探し求めるために。
偶然見つけた「ワンダフル探偵事務所」の男、犬田満男(『ハルサーエイカー2』の田畑ジョー役やってた尚玄)に助けを求めるミク。
「わたし、どうしても夢を叶えたいの…アイドルの聖地、中野サンプラザでコンサートをやって国民的アイドルになるまで死ねないの!」
ずいぶん小さい夢だな!中野サンプラザは確かに聖地かもしれんが、そこから国民的アイドルまでかなり遠いぞ!そこは嘘でも武道館っていおうよ!ミクは血清に関する噂が書かれたムーのまがい物じみたオカルト雑誌を見せて「ここに書いてる」そんなもん信用すんなよ。
クラーケンとネッシーの戦いは気になる
逃亡したことで全国指名手配された彼女を助けるのは面倒だと手を引こうとする犬田だが、ミクが頭を下げてまで懇願するのに気が咎めて、この依頼を受けることに。
翌日、高田馬場あたりにある雑誌編集部を訪ねていくと、建物があった場所は更地になっていた。なんと、数日前に謎のガス爆発を起こして編集部員は全員死んでいた。オカルト雑誌に真実を書いたから消されたのか?陰謀論が渦巻く中、タイムリミットは迫る。公園の草むらから突然現れた(ホント突然)ゾンビの頭を金属バットでカチ割り、逃亡する二人。
一方、逃亡したミクを捉えんとゾンビハンターらも二人の足跡を追っていた。そのうちの一人、日本刀が武器の女子高生ゾンビハンター・如月が悶絶するほどカッコいい!襲い来るゾンビをバッタバッタと切り捨てるアクションは演じた星守紗凪、本人自ら挑んでます。公式プロフによると「特技・殺陣」とあり、ヘナチョコな剣の振り方じゃありません。こんな映画(失礼)で本格的な剣術アクションが見られるとは…僕は彼女のファンになるぞ!

本物の剣術ができるうえにカワイイぞ
公園での撮影の間、ずっと小雨が降っている。別にじめじめとした世界観を描きたいとかいうわけでもなく、ただロケ日が雨で日程を変更するほどの余裕がなかったんだろうな…
ミクたちはオカルト雑誌に記事を書いた男の家で「A」と呼ばれる感染少女がゾンビから回復する血清を作り出すことができる情報を入手、情報屋からA=アリシアと呼ばれている少女が実験のためどこかに監禁されていることを知るが、どこにいるのかわからないままタイムリミットは迫る。童顔巨乳好きゾンビ(どういうこと)に襲われるが、熱心なミクファンのオタクによって助けられ、というかオタク二人が勇ましく立ち向かうもあっさり犠牲になってる間に逃げたんだけど!アイドルはオタクを犠牲にして生き延びるんだ…彼らこそドルオタの鑑として語り継がれるべきだ。
しかしミクらの前にゾンビハンター・如月が立ちふさがる…が、如月はゾンビを切り捨てると
「わたし、ミクちゃんの大ファンなの!」
如月はTOKYO27区の古参(初期からのファン)だった!如月はアリシアの監禁場所を知っており、かつて感染した時に血清によって回復していたのだった。ミクのためにゾンビを人体実験に使っている組織を裏切ることにした如月、ミク、そして元刑事という過去も判明した(またまたまた突然!)犬田の3人は地下実験施設へ向かう。
あらゆる意味で従来のゾンビ映画の埒外へ飛び出しており、予想以上の面白さがある。低予算ながら本格的な剣術、パルクールなどの大胆なアクションがあり、なによりゾンビが現れてるのに特に文明が崩壊していないとか、何もかも斬新すぎる。ゾンビ映画という枠に囚われがちなゾンビファンの脳みそを気持ちよく破壊する一本です。
猫がいればそれでいいんだ『猫とじいちゃん』
※この記事は前ブログ(2019年02月27日)の再録です

世の中には「猫に癒されたい」という人がいっぱいいるので、日本では猫を主役にした映画が結構あります。猫にはセラピスト効果があるだの、「アケメネス朝ペルシアのカンビュセス二世は神聖とされる猫をエジプト人の立てこもる城の中へ投げ込んで、神聖なる猫を傷つけられないと恐れおののいたエジプト人は城を捨て逃げ出した」だのなんだのと猫がいかに素晴らしいかというもっともらしいエピソードを語りだすが(その前に猫投げるなよ)、その実、猫で搾取しようとたくらんでる猫エクスプロイテーションではないのか?
この『猫とじいちゃん』もそんなたぐいの猫エクスプロイテーションなんですが、そんじょそこらの猫エクスプロイテーションと一味違うのは猫写真の巨匠、岩合光昭の初監督作品という看板がついてるところ。
僕も岩合光昭の猫番組はテレビとかで観たことある。まるで猫の目線になったような写真とか、ありとあらゆる角度から押し寄せる猫写真には大層興奮させてもらった。猫の方も演技をつけられたかのような動きをする。「猫に演技をつけたような映像が撮れるのなら、人間の演技もつけられるのではないか?」ということか?そんな無茶な…
とはいえ無理なことは無理だと思ってるのか、制作側も無駄な演技指導の時間を避けるために、初めから演技がそれなりにできる人たちを配置してるのがなんとも。出演陣が立川志の輔、柴咲コウ、柄本佑、小林薫、銀粉蝶、田中裕子ときたもんだ。この人たちはともかく、若手の役者もいるけど、その子たちは難しそうな顔して会話してるだけ、いてもいなくても構わないような役なのが露骨です。
老人ばかりが暮らす離れ小島に暮らす元教師の大吉(志の輔)は2年前に妻(田中裕子)に先立たれ、妻が可愛がっていた猫のタマとのんきな二人暮らしをしている。都会からやってきた美智子(柴咲コウ)が開いたおしゃれなカフェで仲のいい友人たちとおしゃべりする毎日だったが、ある日タマがいなくなってしまい…
って、イッセー緒形が出ていた『先生と迷い猫』(2015)と似たような話だなあ…あれもイッセー緒形が元教師で、妻に先立たれて猫と暮らしてて、島が舞台なの。話も似てて、色々なことがあって疲れた人たちが猫によって癒されて、人と人との仲を紡いでいくんだけど、なにしろ猫は気まぐれなので人の思ってるようにはならなくて、、ただ寝転んでるだけだったり。だから猫はいいんだ、という人の気持ちはわからなくもない。
役者たちはみんな複雑な演技を求められていないので、ただの役目としてそこにいるだけ。何か問題を抱えて田舎に逃げてきた柴咲コウは一体何があったのかまったくわからない。医者の柄本佑も「魚の目が怖い」とかおびえているのもなんでそうなのかわからない。
まあ、人間のことなんてどうでもいいんですよね。猫がいればそれでいいんだから。
