あの時のどん底が実は恩恵だった | まあるい世界の創り方

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名古屋でワイヤーアートジュエリーの制作とレッスンをしています。美しい天然石や、創作を通して日々感じる事、私が志す『光のお志事』について綴ります。

こんばんは。

読みに来てくださって、ありがとうございます。

 

名古屋でワイヤーアートジュエリーの制作と

レッスンをしています、ninaです。

 

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先日、この記事を書きました。

 

人生にはいろんな辛い状況や、ものすごい苦労を強いられるようなこと、人間関係での痛みなど、ネガティブな出来事がいろいろ現れます。

 

その渦中にいる時は、もう嫌で嫌で仕方なくて、「なんで私がこんな目に遭わなくちゃならないんだ」と文句が出るし、「はやくなんとかしてくれー!」と悲鳴も上がる。

 

言葉も出ないくらい落ち込んだり、自暴自棄になったりもする。そういうものだと思います。

 

でもその体験が、そのままでは終わらないことが、たくさんある。上にある記事、『癒しの姿』もその内容ですが、昨日も、それに似たようなお話になりました。

 

 

 

 

 

アロマバスソルトのワークショップを終えた後、私は、ヒーリングルームKanoa よしえさんと打合せすることがあって、二人でランチに行きました。

 

そこで流れ的に、「どうしてninaは天然石ジュエリーを制作することになったのか?」という、そもそもバナシになりました。

 

自分で改めて話していて、いやはや、『はー、すごいなー!』と思いました(笑)なので今日は、そのお話を。

 

 

簡単に一言で言ってしまえば、私が天然石で制作するようになったのは、もう身体的にも、精神的にも、社会的にも、経済的にも、地の果てまで落ちたからです(笑)

 

(は?なんのこっちゃ、ですね)

 

 

 

初めて天然石に出会ったとき、私は13年勤めた会社に、リストラされていました。

 

食品偽装が世に多く出てしまっていた時代で、勤め先も同じ状況に。私は当時クレーム処理班に居り、来る日も来る日も電話が鳴って、刃物が送られてきたりで、終電帰り。

 

そこでボロボロになり、もう使い物にならないから、ポイされたのでした。

 

結婚していましたが、無職というのは人生初の体験で、辛かった。

 

そもそも自分というものが社会のラベリングでのみ成立している、そういう意識レベルだった私には、もう受け入れがたい、信じられない現実でした。

 

無職で生産性の無い自分を責め、でも外に出れば人の目が怖くて、家の電話が鳴るだけでも涙が出てしまうような、かなりヤバい精神状態でした。

 

そんな状況ですから、ひなが一日家にこもって、呼吸だけしている。布団の上で、ソファに寝そべって。日が昇って、沈んで、日付の感覚も、曜日の感覚も、もう夢の中のようです(苦笑)

 

生活で接するのは、相方さんと、自分の担当医だけという感じ。

 

食べても美味しくない。どうせ下から出るのに、栄養を取っても意味がないと思っていました。そうしたら、体重は40キロを切りそうになっていた。

 

自分に関わるもの、何もかもをゼロにして行けば、きっと私自身もきれいさっぱりゼロになるんじゃないかな、そうなったらイイのかな…?なんて思考もあった頃。

 

出会いました、天然石に(笑)←ここかい!!っていうね。

 

 

 

それは相方さんに着いて行ったダイソーで見つけたのです。レジ横に、掛かっていました。

stone-bless

さざれカーネリアンのブレスレット。もちろんダイソーですから、100円です。(当時の手首、ほっそいなー笑)

 

とりあえず、私の人生をゼロにしようとしていたので、私の生活要素は限りなくシンプルでした。人間は、相方さんと担当医しかいません。

 

そんな究極にミニマルな状態で、こんな鮮やかなものが人生に飛び込んできたら、とてつもない求心力が働きます。

 

しかし当時の私はそこまでの思考も働かず。もう、本能に近いようなレベルで、このカーネリアンを飽きもせず、朝から晩まで、上から下から眺め、見つめ、入り込み、味わい尽くしました。(100円な、笑)

 

それからだいぶ時間が経って、他にも天然石というものが存在しているはずだと気付きます(笑)

 

でもそれらは家の外に出ないと、見ることができない。私は天然石知りたさに、恐る恐る外界への接触を試みます。そこからはもう、早かった。

 

相方さんが外出するついでに、ショッピングモールの中に入っている天然石屋さんへ度々行くようになりました。石のことも、少しずつ知り始めました。

 

粒でビーズを買ってみて、自分で作るようになりました。

 

そうしたら当時、私が相方さんと一緒に行っていたビリヤード場の常連さんたちが、作って欲しいと言ってくれるようになりました。

 

小さくオーダーを受けるようになると、オーナーさんが、「店に商品を置いて良いよ」と言ってくれました。

 

そこから人づてに広がったのか、「今度新しく商売を始めるから、お店番をやって欲しい。そこに石も置いて良いから」という話があり、再就職となりました。

 

就職したのは花屋さんで、一角に小さなショーケースを置かせてもらい、その中だけにブレスレットや石を置いていたのですが、5年経つ頃には、花と石のボリュームが逆転していました。

 

その頃にはもう、私は精神科通いも卒業し、天然石検定を取得し、ワイヤーアートを学んで、お客さんにレッスンもさせて頂くようになっていました。

 

そして6年目、オーナーは花と石を綺麗に分業するべく、「この店をやらないか」と言ってくれたのですが、私は自分でやるなら、もっとこういうのがイイというビジョンがあり、お断りしました。(エラっそーに笑)

 

勤続6年で会社都合だったので、すぐに失業給付金が頂けて、そのお金でまず半年間、ビジネスの勉強をすることにしました。足繁く東京へ通うようになり、石の仕入れは東京や大阪でするようになりました。

 

その頃、タイミング的になぜかピタリと合ったのがマイホームです。

 

図面上にあった2階のベランダがとても広く、それを私が「制作部屋にしたい」と言って、そのようになりました。今レッスンさせて頂いているのは、そのお部屋です。

 

そこから5年経って、現在です。

 

 

 

よしえさんとランチしながら、本当に人生というのは、何が恩恵になるのか分からないのだと思いました。

 

あの時、ウツになってポイされて、本当に良かった(笑)

 

でなければ私は、ダイソーのレジ横のカーネリアン(しつこいけど100円な、笑)とあんな鮮やかな出会いを果たせなかった。

 

何が自分の好機であるかは、目の前にあるその時の現実だけでは、到底!!計り知れない。

 

(だから私は今も、自分にとっての苦しい何かが巡ってくると、「これは5年後、恩恵であったと感じるものに姿を変えているに違いない」なんて思って、ひとりニヒヒとなるのです笑)

 

こんな話も思い出しつつ、私をどん底からすくい上げてくれた時のあれやこれやが、今になってまた誰かのお役に立とうとしているのが、本当に、ありがたいです。

 

よしえさん、思いがけず話してしまったけれど、聞いてくれてありがとう。

(キーマカレーにフォンデュが付いていた♡しかもこれ、アイスなフォンデュなの。濃厚なのに、さっぱり♪)

 

 

(デザートは『リンゴのシブースト』とかいう名前のを選びましたが、シブーストって何なのか、よく分かってなかった笑)

 

 

(しかも二人とも分かってなかった。なのに、選ぶって言うね。つーか、ランチメニュー、10種類くらいあったのに、二人ともキーマカレー選ぶのなー笑。まー、全部美味しかったからヨシなのですわ♡)

 

 

 

 

 

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。明日も素敵な一日でありますように!愛をお贈りします。

 

 

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