こんばんは。
読みに来てくださって、ありがとうございます。
名古屋でワイヤーアートジュエリーの制作と
レッスンをしています、ninaです。
〈ninaの自己紹介ページです♪〉
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日々、何の制約もないという事をフルに意識して、自由奔放に制作中です。
これは小倉抹茶なんですな(笑)(なんじゃそれ)
ワイヤーを叩いて硬くする手法がまた面白い。思い出した頃にやる(笑)
今日は午後、お郷に帰りました。実は年を越してから初めての帰省でした。
不義理していたのでは無くて、2月頭の女神巻きティーチャー認定まではちょっと気持ちを集中させたいということで、事情を話して了解をもらっていました。
ですが今日帰ると…(笑)「あけましておめでとうございます」と、母が神妙な顔で言うのです。
2月下旬に少し長い期間、東京の妹夫婦が帰省してくれていて、その間は安心してお任せしていたら、妹から意外なLINEが届きました。
どうも母は、脳梗塞から復活してしばらくして、鬱になってしまったそうなのです。
以前出来ていた事が、できない。おまけに脳梗塞で入院していたひと月ちょっとの間のことは、なぜだか記憶がどんどん抜け落ちていって、最初から無かったことになってしまったようで(笑)
だから本人は脳梗塞になった事もうっかり意識には無く、「なんで出来ない?」となって落ち込むという状態に。
今日は母の好きな甘いものをお土産に持っていきました。そしてお茶を飲みながら、こう話してみました。
「ゼロベースで考えてみようよ」
母はおそらく、いつもかなり無理をしながら、何でもやってきたと思うのです。家事はなんにも出来ない父のこと、両祖母のお世話、閉鎖的な田舎社会のこと、他の何もかも。
そして自分が無理をする事で、どうにかこうにか回っているという現実を創造してきたのだと思います。
だからこれからも、やらなきゃならない。そうしないと回っていかない、という気持ちなんだと思いますが…。
「無理をすればするほど、無理しないと回っていかない現実が創造されるよ」
母に限らず、です。
会社辞めたい、好きなことをやりたい、時間が無い、お金が無い、第一そんなこと誰が許してくれるの?
…と言いながら無理をして、無理をするのが当たり前みたいになって、自分が一番望んでいることをずっとずっと選択できないでいる人だらけなのです。
「例えばお母さんが無理しないで居た結果、この家がゴミ屋敷みたいになったとして、何が問題なの?(笑)」
「それよりもユルっと無理のない自分でいて、そこから楽しんで出来ることって何?というふうに考えてみよう」
(人間、不思議なもので、無理しないと決めたら意外と何でも楽しんでやれる笑)
すると母は、それまでの神妙な表情から、ほわーんとゆるんだ顔になって、「そっか」と笑いました。
我が家は、父と妹、私も、それぞれに事情があって、(別の時期ですが)鬱を患った経験があります。みんな症状の出方は違っていましたが。
母は「こんなに辛いものだとは思わなかった。知らなくてごめんね」と、今日は会話の途中でやたら謝っていました(笑)
でも私は今や、鬱になったからこの私がある!くらいの理解でいるので、「謝る必要なんてないんだよ」と言いました。本当に、あれは私にとって必要な経験でした。与えられたんだと思います。
そしていつか母にも、「あの時、鬱になって良かったわ~」と言える毎日が来るのではないかな?きっとそうであって欲しいな、と思います。
今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。明日も素敵な一日でありますように!愛をお贈りします。
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