自分のことでも友人でも家族でも、本の中の主人公でもニュースにでてくる被害者や加害者でも、クライアントや講座の受講生でも
『かわいそうなひと』
という視点では見ないように気をつけている。
気をつけている、ということは、油断をするとそのように見てしまうことがあるということだけど。やりきれない、悲惨なニュースを見るととくに。
これは、不安や悲しみに沈んでいるひとを「そんなに大変なことではない」「もっと大変なひともいる」と否定することでも、無理にはげますことでもなくて。
悲しみや恐れ、後悔や罪悪感は、本人にとっては耐えられないほどリアルだし、否定をすることは逆効果でしかない。そのひとが感じている感情は本人のものだから、本人が受けとめるしかない。
共感って、同調しておなじように悲しんだり、憎しみを抱いたり、さみしい想いをすることとはちがうとおもう。それではまわりの人も(被害者ー加害者)の沼に入り込んでしまう。一層そこから抜けにくくなる。
わたしは沼の外にいて引き上げられるひとでいたい。そしてわたしが沼に落ちたときもそのようにいてくれるひとがほしい。沼の外にいることは、そのひとのほんとうの姿をおもいだすことだとおもう。生命力、回復力、信頼、しあわせになる力。無理にひっぱりあげるのではなく、それを待つ忍耐力も必要だ。
祈りにちかいのだ。
神頼み?そう、人間にできることなんてたかがしれてるから、神さまにお願いした方がいい。祈りのなかで、いま自分にできることを、寄付をしたり、声をあげたり、ただ静かに祈ったり、毎日を丁寧にすごしたり、話を聞いたり、リーディングをしたり、講座をしたり、お茶を入れたりすればいいのだとおもう。そのひとのひかりを感じながら。
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