第1471回('21) 川越線東部区間の駅を降り鉄してから東武東上線で川越市駅へと移動    | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
 
2021年12月29日~2022年1月1日、年末年始の長期休暇は年またぎの3泊4日の日程で関東地方と東海地方へ乗り鉄&降り鉄の旅に出かけました。
年末の3日間は主に東京近郊の駅を訪問していき、大晦日の夕方に豊橋へと移動。最終日の元日は飯田線の降り鉄をして帰宅しました。
『青春18きっぷ』は使用せず、その地域や鉄道会社のフリーきっぷや1日乗車券を適宜使用していきました。
さらに、新型コロナウイルスは12月下旬になって変異株のオミクロン株が拡大傾向でしたが、まだ感染状況が落ち着いていました。年明けに爆発的に拡大したのですが…。私自身は8月下旬から9月上旬にかけてワクチンを2度接種しましたが、今までと変わらずマスク・手洗い・アルコール消毒といった感染対策を徹底いたしました。
尚、29日~31日の模様につきましては、都合により1日の行程を4回に細かく分けて記事にしました。移動の状況がつかみにくいと思いますが、ご了承下さい。
 
今回は初日昼下がりの内容です。
前回に引き続き、埼京線列車が直通する川越線東部区間を降り鉄していきました。そして川越駅では東武東上線に乗り換えて川越市駅へと移動し、さらに西武新宿線の終着駅である本川越駅へと徒歩移動しました。
 
今回の日程 2021年12月29日  (水)    【その3】    
 
指扇1343(川越線・快速)1348南古谷1410(快速)1414川越1513(東武東上本線・急行)1514川越市1533(徒歩)1540本川越    
  
【その4へ続く】    
 
指扇駅からは13時43分発の川越線下り快速・川越行きに乗車しました。快速と言っても川越線内は各駅に停車し、川越行きは「各駅停車」として案内されています。車両はE233系7000番台10連で、私が乗り込んだ最後部車両の車内は空いていました。私は着席して荒川、広大な田園風景、川越車両センターといった車窓風景を眺め、次駅の南古谷駅で下車しました。2面3線で、これまで橋上駅舎が続いていましたが南古谷駅は南側に木造駅舎が残っていました。しかし橋上駅舎化の計画が存在するようで、既に確保された北口予定地は現在、公園や駐車場として使用されています。南側の駅前は住宅地が広がっていますが、大宮方にある各駅と比較してローカル度が濃くなっている印象です。
 
 

 

 
南古谷駅では14時10分発の快速・川越行きに乗車。E233系7000番台10連で、この電車も最後部車両は空いていました。乗車後すぐに着席して、道中は田園風景などを眺めました。そして市街地に入ると東武東上本線をくぐり、東武線と並走するようになると14時14分に終点の川越駅に到着しました。到着後は車両とホームを撮影してから改札を出ましたが、東武駅と一体になった橋上駅舎の自由通路は多くの通行人で賑わっていました。改札を出てからは西口→東口の順に駅前を散策・撮影しましたが、大規模な商業施設が複数あるなどそれなりに栄えていました。
 
 

 

 

 
駅前を散策した後はJR線の東側にある東武線の改札を通り、ホームで車両を撮影してから15時11分発の下り急行・小川町行きに乗車しました。安全確認か何かの影響で2分遅れの15時13分発車になりましたが…。10030型の4連+6連で、乗り込んだ最後部車両は半分ほどの席が埋まっていました。私は空席に座り、しばし車窓風景を楽しんですぐに到着した川越市駅で下車しました(2分遅れの15:14着)。川越市駅は2014年以来2度目の訪問ですが、今度はじっくり車両やホームを撮影しました。運転上の拠点駅で構内には留置線があり、前年の2020年までは川越工場も併設されていました。駅舎は上り線側にあり、三角屋根が特徴的です。また、駅前は背が高いビルもなく、やや旧態依然とした市街地といった感じでした。
 
 

 

 
川越市駅からは徒歩で西武新宿線の終着駅である本川越駅を目指します。川越市駅から東へ延びる歩道のない道路を歩くと、町並みを撮影しながらでも7分ほどで本川越駅の西口に到着しました。今は数分で連絡可能ですが、以前は2015年以前は西口がなかったため、北へ迂回する必要があり、乗換が不便でした。西口の開設により、両駅間の乗換客が増えたようですが、途中の道路は大半の区間において歩道が整備されていないため、危険ではあります。
 
 

 
本川越駅では駅舎・駅ビルと駅前を撮影してから入場し、新宿線ではまだまだ活躍している特急『小江戸』の10000系「ニューレッドアロー」を撮影してから各駅停車に乗車し、今夜の宿泊地である東京へと向かいました。
 
 

 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)