第1457回('21) 伊勢鉄道線と名松線を乗り鉄・降り鉄    | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
 
2021年10月30日~31日、1泊2日の日程で、主に東海地方西部の乗り鉄&降り鉄の旅に出かけました。
初日は三重県方面で主に関西本線のJR東海区間、伊勢鉄道線、名松線の駅を、2日目は岐阜県方面で主に東海道本線のJR東海区間を、降り鉄(途中下車)していきました。
また、新型コロナウイルスの感染状況が改善し、私自身も8月下旬から9月上旬にかけてワクチンを接種しましたが、今までと変わらずマスク・手洗い・アルコール消毒といった感染対策を徹底いたしました。
 
今回は初日後半の内容です。
引き続き伊勢鉄道伊勢線の一部駅を降り鉄してから津駅へ。近鉄経由で一志駅へと移動し、列車が少ない名松線の2駅を訪問しました。その後も近鉄経由で松阪駅へと移動し、最後はJRの快速『みえ』で一気に名古屋へと戻り、宿泊しました。近鉄線を除き、『青空フリーパス』(2,620円)を利用しました。
  
今回の日程 2021年10月30日  (土)   【後半】   
 
中瀬古1311(伊勢鉄道伊勢線・下り普通)1320東一身田1340(上り普通)1343河芸1418(下り普通)1426津1447(近鉄名古屋線・急行)1501伊勢中川1512(大阪線)1515川合高岡1519(徒歩)1523一志1529(名松線)1536伊勢大井1606(上り普通)1623権現前1630(徒歩)1650伊勢中原1703(近鉄山田線)1709松阪1727(紀勢本線→伊勢鉄道伊勢線→関西本線・快速みえ22号)1846名古屋   
 
【宿泊】  
  
伊勢鉄道伊勢線・中瀬古駅からは13時11分発の下り普通・津行きに乗車しました。車両は単行の気動車であるイセIII形(車号は「イセ102」)で、車内は比較的空いていました。私はボックスシートの進行方向窓側席に着席しました。発車後は単線区間を走りますが、伊勢線は中瀬古駅を境に北の河原田方が複線、南の津方が単線です。道中は水分補給をしながら車窓風景を眺めて過ごしましたが、高架を走るイメージが強い伊勢鉄道線において、路線の中間部に当たる玉垣駅付近~河芸駅付近は地平部を走る区間が多かったのが意外でした。河芸駅を過ぎると連続高架区間になり、平野部の田園地帯を南下すると列車は東一身田駅(ひがしいしんでんえき)に到着し、私は下車しました。東一身田駅は1面1線の高架駅で、駅舎がない無人駅でした。駅西側は一身田の高田本山専修寺から続く住宅地、駅東側は田園地帯でした。約600m東に近鉄名古屋線・高田本山駅、約900m西に専修寺、約1.3km西に紀勢本線・一身田駅があります。
 
 

 

 
次は河芸駅へと戻ります。駅前散策を終えてホームへ戻ると、見慣れた色の制服の高校生が数人いました。専修寺近くにある私立高田中学校・高等学校の生徒で、伊勢鉄道線で通学する人も一定数いるようです。全員が四日市方面列車を待っていたようです。少しの間ベンチで休憩していると、津方から13時40分発の上り普通・四日市行きがやって来て、これにホームで待っていた全員が乗車しました。車両は「イセ102」で、車内は空いていましたが、東一身田駅から乗車した私や生徒により半分近くの席が埋まりました。私は空いているボックスシートの進行方向窓側席に座り、しばし車窓風景を楽しんで次駅の河芸駅で下車しました。河芸駅は平地にありながら地平駅で、周りの道路を立体交差としています。駅舎はなく、ホームは千鳥配置になっています。駅東側は田園地帯で、駅西側は昭和期に開発されたと思われる住宅地が広がっていますが、伊勢線がなければ一面が田園のままだったかもしれません。
 
 

 

 
河芸駅からは再び南下します。乗車したのは14時18分発の下り普通・津行きで、今度は違う車両の「イセ103」でした。車内は空いていて、私はボックスシート進行方向窓側席を確保できました。道中は車窓風景を眺めて過ごし、終点の津駅まで乗り通しました(14:26着)。 
  
 

 

 
津駅ではホームと東西の駅舎・駅前を撮影しました。次の目的地は名松線・伊勢大井駅ですが、紀勢本線経由ですと時間を要してしまうため、私は近鉄経由のルートを選択しました。津駅では『ICOCA』で入場し、近鉄線ホームへ。
 
 

 
偶然入線していた名阪甲特急の80000系『ひのとり』を写真撮影してから14時47分発の急行・宇治山田行きに乗車しました。6両編成で、前からL/Cカーの2800系4連、オールロングシートの9000系2連の順でした。私は最後部車両(9000系)の空席に座りました。車内を見渡すと半分程度の座席が埋まっていました。ここでも道中は車窓風景を眺めましたが、この電車は急行といえど各駅に停車していきます。いつしか津新町~伊勢中川はデータイムの普通列車が廃止され、急行を各駅に停車させることで運行本数を削減しています。と言っても以前通過していた駅は南が丘駅と桃園駅の2駅のみでしたが…。ちなみに乗客は停車駅ごとに微減していきました。そして桃園駅を過ぎて名阪特急が走る中川短絡線が右へ分岐するとすぐに右から来た大阪線と合流して伊勢中川駅に到着、私はここで下車しました。
 
 

 
伊勢中川駅は構内が広く、「降り鉄」したい駅のひとつですが、今回は乗換列車の発車が迫っているため撮影はほどほどにしておいて、西端にある単式ホームの6番線へ。どこか新幹線の新大阪駅20番線と似たような、片隅に追いやられたような空間でしたw 次に乗車したのは6番線から発車する15時12分発の大阪線上り普通・名張行きで、1437系2連でした。コロナ禍の影響で11時台~14時台は普通列車が毎時1本に減らされていましたが、15時台からは毎時2本に戻ります。また、この電車は特急を含めて終点の名張駅に先着するため、乗り込んだ後部車両は大半の席が埋まるほどの乗り具合でした。近鉄大阪線の山越え区間は普通や急行でも一定数の乗客がいますね。私は空席に座り、しばし車窓風景を眺めて1駅目の川合高岡駅で下車しました。
 
 

 

 
川合高岡駅で下車したのは「降り鉄」目的ではなく、乗換目的でした(前年に訪問済み)。公式な乗換駅ではありませんが、JR名松線の一志駅が徒歩3~5分の至近距離にあり、例えば都営地下鉄(東京)の蔵前駅の都営浅草線~都営大江戸線の乗換と比較しても、こちらの方が圧倒的に楽ですw 川合高岡駅を出て駅前にある県道の信号を渡り、南へ延びる路地を進めば一志駅に到達します。距離にして約200mです。ネックを挙げれば駅前の信号のタイミングが合わなければ少し待たされる事、一志駅へ向かう路地があまり広くなく、また案内板もないため初めてですと不安を抱くかもしれない事、そして一志駅の駅舎が道路から凹んだ場所にあるため分かりづらい事、くらいでしょうか。私は前年の川合高岡駅訪問時、電車の待ち時間を利用して一志駅にも訪問していたため(しかも迷ってしまったため)、今回はスンナリと一志駅にたどり着きました。駅に着くと、家族連れなど7~8人ほどが駅舎で列車を待っていました。
 
 

 
私は席を確保したいために撮影はそこそこにホームの乗車位置へと急ぎ、スマホを操作しながら列車を待っていました。そして数分後に松阪方から15時29分発の下り普通・伊勢奥津行きが到着しました。キハ11形300番台の単行(303号)でした。名松線は半自動ドアを採用しているため、先頭にいた私がボタンを押してドアを開け、車内へと入りました。乗客は少なく、ボックスシートも2区画空いていたため私はボックス席をゲットできました。後から乗ってきた人はボックス席やロングシートに分散して着席し、結果として半分ほどの席が埋まりました。まぁ、『青春18きっぷ』のシーズンですと「乗り鉄」の人たちで松阪からボックス席が埋まっており、一志からですとまともな席に座れなかったでしょうね…。
 
発車後、道中は過去に何度も見ている車窓風景を今回も楽しみました。終点からはまだ遠いですが、既に山間部の景色の中を走ります。井関駅を過ぎるとトンネルもあります。そのトンネルを抜けて盆地の田園風景の中を走るようになると列車は伊勢大井駅へと到着し、私はここで下車しました。もっと乗っていたかったのですが、今回は伊勢大井駅の訪問が目的だったため、わずか2駅のみの乗車になりました。私は運転士に『青空フリーパス』を提示して下車しましたが、『青空フリーパス』で名古屋からこんなローカル駅まで来れるのも不思議な気分でした。下車後は駅と駅前を撮影しましたが、伊勢大井駅は1面1線で駅舎無しの小駅でした。集落も駅から少し離れた位置にあり、駅は田園の中にあります。駅の近くに立ち寄れそうな場所もないため、駅から少し離れた位置からホームを撮影後は駅へと戻り、ホームのベンチで次の列車を待っていましたが、他の乗客はいなかったため、ローカル駅の雰囲気を存分に味わう事ができました。但し、名松線と並行する県道の交通量が多いのがローカル駅の雰囲気に合わなかったですが…。
 
 

  
しばらく待っていると伊勢奥津方から16時06分発の上り普通・松阪行きがやって来ました。キハ11形300番台の単行(305号)でしたが、この車両はJR西日本のキハ120形よりも車体や車内はしっかりしています。エンジンもこちらの方が強力です。車内に入ると、乗客は往路より少なかったものの、ボックス席が全て埋まっていたため、私は後方のロングシートに腰掛けました。道中は往路と反対側の車窓風景を眺めました。今度は一志駅では降りずに、まだ乗り続けます。一志駅で下車した人も少しいましたが、名松線と近鉄を乗り換える人は少なからずいると思われます。逆に一志駅から乗車する人はおらず、松阪方面の輸送はほぼ近鉄が独占しているのでしょうね。一志or川合高岡から松阪までの運賃はJR240円、近鉄300円でJRに軍配が上がるのですが、本数は桁違いで近鉄の方が多く(それでも概ね毎時1~2本ですが)、利便性では近鉄が圧勝しています。一志駅から先は山が遠ざかり、平野部を走るようになります。伊勢八太駅(前年のドライブ時に訪問済)はパスして、その次の駅の権現前駅で下車しました(16:23着)。
権現前駅は元々交換可能駅だったようですが、現在は棒線化されています。ホームは歴史を感じさせる雰囲気を持っていますが、駅舎はありません。以前は駅舎があったかもしれませんが…。
 
 

 

 
次に権現前駅に来る列車は伊勢奥津方面が17時28分、松阪方面が18時30分と、どちらも時間が開き過ぎます。まぁハナからこれらの列車を待つ気はありませんでした。権現前駅で下車できたのは、遠くない位置に近鉄山田線の伊勢中原駅があるからで、権現前駅の「降り鉄」後は、徒歩で伊勢中原駅を目指します。地図を見て徒歩移動が可能と判断しました。まずは駅前通りを北上して初瀬街道に出て、その初瀬街道をひたすら東へ歩きました。道路幅が狭く、歩道もないので心配でしたが、意外と通行する自動車は少なかったです。夕暮れ時に古い町並みを見ながら歩き続け、中原神社を過ぎて沿道に田園が現れると近鉄の架線柱が見えてきて、20分ほどで伊勢中原駅に到着しました。17時が近づき、空が結構暗くなってきました。また、伊勢中原駅より権現前駅の方が駅前に建物が多く、こちらの伊勢中原駅は田園地帯の中に駅があり、後から住宅がポツポツ増えてきた感じです。
 
 

 

 
伊勢中原駅では『ICOCA』で入場し、17時03分発の下り普通・賢島行きに乗車しました。名古屋方面には乗りません。車両は1201系2連でした。山田線の普通列車は角屋根車が使用されています。新しく見えますが、これでも名鉄では6000系中期車と同じ世代であり、片や全車健在、片や廃車が進行と、今の近鉄一般車は名鉄より古くなってしまったのか…と、いつも衝撃を受けますw 私は後部車両に乗り込み、空いていたため着席しました。さらに暗くなってきましたが、車窓風景を眺めていました。そして私は2駅目の松阪駅で下車しました。JRに乗り換えます。
 
 

 
『ICOCA』で近鉄を利用したため松阪駅では一旦改札を出て、『青空フリーパス』で再入場しました。そして17時27分発の上り快速『みえ22号』名古屋行きに乗車しました。ハイパワーの気動車である転換クロスシート主体のキハ75形2連で、私は前寄りの2号車に乗車。座れても通路側を覚悟していましたが、意外と空いていたので転換クロスシート窓側席に座れました。コロナ禍の影響もあるでしょうね…。改めて車内を見渡すと、松阪乗車組で全ての窓側席が埋まりました。ちなみに『みえ』の1号車後寄り区画は指定席になっています。
もう暗くなったので、道中はスマホを操作していました。津駅では多少の乗降がありましたが、乗車率は大して変わりませんでした。津駅からは伊勢鉄道伊勢線に入ります。今までの経験では伊勢鉄道線内で検札があり、『青春18きっぷ』利用時は必ず伊勢鉄道線の運賃を現金精算していましたが、今回は検札がありませんでした。これもコロナ禍の影響でしょうか…。伊勢鉄道線内は鈴鹿駅のみに停車し、河原田駅からはJRに戻ります(関西本線)。四日市駅では少し乗客が増え、桑名駅ではさらに増えて大半の席が埋まりましたが、私を含む転換クロスシート2人席の通路側は空席が多かったです。中京圏は他の地方と違い、ラッシュ時を除きクロスシートでの相席を結構嫌う傾向があるように見受けられます(今の時期はコロナ禍の影響も少なからずありますが)。ロングシートですとそこまでひどくないのですが…。結果、満席でもないのにドア付近に立客が集中し、乗降に手間取って遅延する悪循環に陥るため、JR東海も名鉄と同様に立客をある程度分散できて空席を減らせるロングシートに舵を切ったのかもしれません。新型の315系もオールロングシートですから…。
列車は木曽三川を渡り、愛知県に入りましたが、単線区間が長いため速度が上がりません…。このボトルネックを何とかしなければとても近鉄には対抗できません(対抗する気がないようにも見受けられますが)。最後は名古屋車両所の脇を走って新幹線や他の在来線と合流すると18時46分に終点の名古屋駅に到着しました。
 
 

 
名古屋駅で下車後は中央線ホームへと移動し、南端部の東京方にあるきしめん屋で夕食を済ませました。結構冷えてきたので体が温まりました。
 
 

 

 
食事後はあおなみ線改札に隣接している太閤通南口から駅を出て、コンビニで買い出しをしてから予約していた駅西側のホテルでチェックインしました。
 
 

 
部屋に入るとすぐに入浴を済ませ、その後はスマホを操作しつつテレビを観て過ごしましたが、翌日も早朝スタートなので22時頃に就寝しました。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)