第1437回('21) 飯田線を乗り鉄。秘境駅の千代駅や飯田市南部の駅を中心に降り鉄  | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
 
2021年7月22日~24日、東京オリンピック開会式による4連休の前3日は、新型コロナウイルスの感染状況を睨みながら乗り鉄の旅を企画しましたが、東京都と沖縄県を除き緊急事態宣言が発令されていなかったため、感染対策を徹底した上で乗り鉄に出かける事にしました。
旅のメインは飯田線の降り鉄でしたが、飯田線は2日目から乗ることにしたため、空いた1日目はお盆休みにはコロナの影響で行けないであろう横浜へ行きました。現に、神奈川県の感染状況はその後急速に悪化して、お盆前に緊急事態宣言が出てしまいました…。
そして2日目以降は予定通り飯田線の乗り鉄・降り鉄を実行しました。夕立に見舞われましたが、概ね天気は良好で、非常に暑かったです…。
 
今回は2日目(スポーツの日)後半の内容です。
午前中は豊橋から秘境駅の田本駅と中井侍駅を訪問して、昼には飯田市内の天竜峡駅、川路駅も降り鉄しましたが、午後は飯田市南部の駅をできるだけ多く訪問しました。秘境駅は千代駅の1駅のみでしたが、天竜峡駅と飯田駅の間にある駅も個性ある駅が多かったです。
そしてこの日の乗り鉄は飯田駅で打ち切って、飯田駅近くのホテルで宿泊しました。
きっぷは『青空フリーパス』(2,620円)を使用しました。
 
今回の日程 2021年7月23日  (金・祝)   【後半】   
 
川路1248(飯田線)1253千代1410(下り普通)1430伊那八幡1456(上り普通)1500駄科1510(徒歩)1545毛賀1634(飯田線)1639時又1724(下り普通)1740切石1812(普通)1815飯田   
    
【宿泊】   
  
川路駅からは12時45分発の上り普通列車・豊橋行きに乗車しました。3分遅れでやって来ました。車両は主に飯田線北部で使用されている313系1700番台3連で、転換クロスシートを備えています。豊橋への返却回送を兼ねた列車です(車両は神領区に所属も使用編成は豊橋に常駐)。私は最後部車両に乗り込みましたが、「乗り鉄」などの旅行者が多く、窓側席がほぼ埋まっていました。私は1ヶ所だけ空いている窓側席を見つけて着席し、水分補給をしながら車窓風景を眺めました。主要駅の天竜峡駅ではすぐに発車して、天竜川を渡って山間部を走ると1分遅れの12時53分に目的地の千代駅(ちよえき)に到着。下車したのは私だけで、駅には誰もいませんでした。
 
 

 
千代駅も秘境駅として有名ですが、駅前に民家があります。また一応、自動車での訪問は可能です(但し、道路は非常に狭くUターンに苦労しますが…)。それでもホームにいると秘境駅感を存分に味わう事ができます。ホームを撮影後は南側の出入口から駅を出て、舗装された山道を東へ登ると山上の開けた場所に出ました。そこには小さな集落が形成されていました。集落のさらに東には三遠南信自動車道の千代ICがあり、その付近は畑も多くさらに開けているようですが、そちらへは行きませんでした。そしてこの集落からは、北側出入口へ向かう舗装道路を下り(途中から自動車通行不可)、20分少々で千代駅に戻りました。集落から駅まで徒歩圏内ですが、多少距離がありました。周辺の道路事情の改善もさることながら、結局は周辺人口が少ないため、千代駅が利用の少ない秘境駅に甘んじている事を実感しました。
  
 

 
この日の秘境駅訪問はここまでで、これからは飯田市内の小駅を中心に降り鉄していきます。千代駅では14時10分発の下り普通・岡谷行きに乗車しました。ワンマン対応の313系3000番台2連で、ボックスシートを備えていますが、アコモデーションは飯田線で運用されているJR東海車の中では一番グレードが低く、この3000番台が来るとがっかりしますww 尚、最もグレードが低いのはJR東日本から乗り入れてくる211系のロングシート車です(私の独断)。岡谷行きは豊橋始発で、案の定「乗り鉄」の人々などで乗車率が高く、2両目は大半の席が埋まっていて空いているボックスシートの区画がありませんでした。私はドア脇に陣取り車窓風景を眺めていましたが、偶然にも次の天竜峡駅で1ボックスが空いたため、私はすかさずそこに着席しました。その後も車窓風景を楽しみました。先ほど下車した川路駅をはじめ、未訪問の時又駅、駄科駅、毛賀駅はパスして、私は準主要駅の伊那八幡駅で下車しました。
 
 

 
伊那八幡駅は2面2線の駅で、西側に大正15年(昭和元年)の開業当初からと思われる古い駅舎が鎮座していました。駅前は住宅地で、南西側のJA建屋の一角にある小さなたこ焼き屋にはひっきりなしに客が来店していました。子どもやオバチャンが多い印象でした。後で調べると、この店の名は「じゅんじゅん」で、かつては長野県を中心に各地に展開していたものの、今では数店舗しか営業していないとの事でした。この地区にはファストフード店が少なく、子ども達にとっては手頃に軽食やおやつを調達できる店舗とし重宝されている感じでした。また、テイクアウト専門なのでコロナの影響も少なく、頑張っている感じでした。今後も末永く営業を続けてほしいです。
 
 

 
伊那八幡駅からは豊橋方面へ少し戻ります。乗車したのは14時56分発の普通・天竜峡行きで、313系3000番台2連でした。終点の天竜峡駅で豊橋行きに接続するため長距離の乗客が多く、2両とも座席の大半が埋まっていました。私は後部車両のドア脇に陣取り、道中は車窓風景を眺めて過ごしました。そして私は2駅先の駄科駅(だしなえき)で下車しました。駅名のインパクトが強く、私は10年前に飯田線を乗り鉄した際、一度覚えたこの駅名を忘れませんでしたww 1面1線の小さな駅で、西側に待合室を兼ねた簡易駅舎がありますが、旧駅舎は1998年、放火により焼失しました。駅西側は住宅地です。駅前にはタクシーが待機していて、一定数の利用客がいる感じでした。一方、駅東側には関西で有名な大豆食品メーカー「旭松食品」があり、驚きました。「あさひ豆腐」「生みそずい」などの商品が有名で、「なっとういち」も当初は旭松食品が発売していました(後にミツカンへ移管)。旭松食品は大阪に本社がありますが、創業の地は飯田市で、駄科には工場があり、登記上の本店もここに位置します。
 
 

 

 
駄科駅からは列車ではなく徒歩で1駅北の毛賀駅へ移動します。列車本数が少なく、また飯田線には駅間距離が短い区間が多いため、徒歩移動をして訪問駅を稼ぐ作戦ですw 駄科駅を出てすぐ北側にある踏切を渡って東側へ回ると輝山会記念病院前を通ります。休日なので外来診療は行っていませんでしたが、駄科駅にタクシーがいた理由の一つがわかりました。年配の方は駅から病院の間も移動が苦しいと思います。もちろん、病院側にもタクシーがいました。病院を通り過ぎると飯田線の築堤下を北へ歩き、さらに谷を下って小さな川を渡りました。その後は丘へ上がり、住宅地の中を北上しましたが、急に雲行きが怪しくなりました。雷も鳴り出したので最後は早足で移動して、25分ほどで毛賀駅に到着しました。到着後、すぐにゲリラ雷雨に見舞われましたが、10分ほどで止みました。その間、待合室でじっとしていました。待合室にはもう一人男性がいましたが、16時25分発の岡谷行きに乗車していきました。その後、誰もいないホームで私は撮影を始めました。1面1線の小さな無人駅で、駅舎はなくホーム中ほどに待合室があるのみです。駅周辺は住宅地です。利用客はそこそこいるようです。
 
 

 
毛賀駅では16時34分発の普通・豊橋行きに乗りました。転換クロスシート主体の213系2連で、遠くないうちに315系に置き換えられる運命です(飯田線には玉突き転配で313系がやって来ると思われます)。豊橋行きですが豊橋着が20時16分と遅く、『青春18きっぷ』使用ですとその日のうちに東京へ戻れないからか、車内に「乗り鉄」や旅行中の人は少なく、2両とも空いていました。私は後部車両の窓側席に座り、水分補給をしながら車窓風景を眺めました。先程下車した駄科駅はパスして、もう1駅先の時又駅で下車しました。2面2線の交換可能駅で、構内は国鉄時代からの雰囲気を残していて、木造駅舎が似合いそうな駅ですが、残念ながら木造駅舎ではなく待合室兼用の簡易駅舎でした。周辺は住宅地で、約500m南を天竜川が流れており、そこには「天竜舟下り」の下船場である時又港があります。飯田市の天竜川には「天竜舟下り」と「天竜ライン下り」、2種類の川下りがあり、上流側が「天竜舟下り」、下流側が「天竜ライン下り」で、両業者のエリアは重複しておらず、テリトリーが明確に区分されています。
 
 

 

 
時又駅からは飯田方面へ進みます。17時24分発の普通・岡谷行きに乗車しました。転換クロスシート主体の313系1700番台3連で、天竜峡始発列車でしたが、豊橋発天竜峡行き列車の接続を受けている割には車内がガラガラでした。私は最後部車両の窓側席に座り、道中はこの日何度も見た景色をもう一度見直しました。伊那八幡駅からは本日の初乗車区間入ったため、必死に車窓風景を眺めていました。時間の関係で下山村駅と鼎駅(かなええき)はパスして、飯田駅の1駅手前の切石駅で下車しました。急カーブ地点にホームがあり、私鉄駅の雰囲気を残していました。扉とホームの間隔が広いため、乗降には気を遣いました。駅舎はなく、周辺は古くからの住宅地が広がっていました。
 
 

 

 
そろそろ暗くなり始めたので、宿を目指す事にします。今度は18時12分発の普通・岡谷行きに乗車。313系のボックスシート主体3000番台2連で、後部車両に乗り込みましたが2両という事もあり、空いていたものの乗車率は先程の3両編成よりやや高めでした。また、この列車は豊橋方面からの接続を受けていないため、車内は地元客ばかりでした。私は唯一空いていたボックス席に座り、松川を渡って段丘を登るという見所ある車窓風景を眺めました。少なくとも20mほどは高度を上げ、段丘上に広がる市街地に入ると18時15分、目的地の飯田駅に到着しました。私はここで下車しました。意外にも飯田駅で乗降する人は少なかったです。
 
 

 
下車後はホームを観察してから改札を出ましたが、ホーム滞在時間が長かったため改札が閉まっていました。駅員に申し出て『青空フリーパス』を提示の上で出場しました。飯田駅の改札を出るのは実に20年ぶりでしたが、丸屋根が特徴的な駅舎は以前と変わりありませんでした。駅前は市街地ですが、コロナ禍という事もあり人通りが少なく閑散としていました。また、駅近くにあった「ユニー(末期は「ピアゴ」)」は撤退したようで、古い建物だけが残っていました。
 
 

 
駅前を観察後は、コンビニに立ち寄ってから駅近くのホテルにチェックイン。入浴を済ませてからテレビを観たりスマホを操作したりして過ごしましたが、22時頃に寝落ちしていました。
 
翌日も飯田線の乗り鉄を続けます。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)