第1385回('20) 京成本線の京成船橋駅以西の駅を降り鉄してJR線で新松戸駅へ移動 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
 
2020年9月19日~21日、シルバーウイーク4連休のうち前3日間は、新型コロナウイルスの感染拡大が収まりつつあったと判断し、2泊3日の日程で関東地方へ乗り鉄・降り鉄(途中下車)に出かけました。
但し、新規陽性者数の多い東京都と神奈川県はできるだけ避けつつ、新規陽性者数が比較的少なく、私の地元・兵庫県と同レベルの千葉県、埼玉県を中心に回りました。宿泊は東京都内でしたが。
 
今回は初日中盤の内容です。
午前中から引き続き京成本線の京成船橋駅以西の未訪問駅を1駅ずつ降り鉄していきました。
そして京成船橋駅に到達後はJR線に乗り換えて、総武緩行線と武蔵野線を乗り継いで新松戸駅まで移動しました。
 
今回の日程 2020年9月19日  (土)   【その2】
 
鬼越1145(京成本線)1146京成中山1158(普通)1159東中山1222(普通)1224京成西船1244(普通)1245海神1305(普通)1308京成船橋/船橋1332(総武緩行線)1335西船橋1346(武蔵野線)1402新松戸
 
【その3に続く】
 
午前中より千葉県内の京成本線の駅を降り鉄しています。
 
鬼越駅からは11時45分発の普通・京成臼井行きに乗車しました。車両は3000形6連です。以前は北総線の白井駅との混同を防ぐ目的で「うすい」と平仮名で書かれた方向幕が使用されていましたが、今は正式名称がLEDに表示されています。乗り込んだ最後部車両は半分ほどの席が埋まっていました。私は着席して水分補給をしながら車窓風景を眺めているとすぐに京成中山駅に到着し、私はここで下車しました。鬼越駅までは市川市でしたが、当駅からは船橋市に入ります。京成中山駅は相対式ホーム2面2線の小さな駅でした。また、「中山」と言えば中山競馬場を思い出しますが、京成線における中山競馬場への最寄駅は当駅ではなく1駅先の東中山駅になります(後述)。そして、駅から北へ進むと駅名の由来となった、関東の日蓮宗大本山として知られる中山法華経寺があり、駅前通りは参道になっていますが、コロナ禍において外出する人が減少しているのか、参道は閑散としていました。また駅前通りを300mほど南下するとJR総武線の下総中山駅に到達します。
 
 

 

 
京成中山駅では後続の普通・津田沼行き(3000形6連)に乗車。最後部車両は空いていて、私はロングシートに着席しました。道中は車窓風景を眺めて過ごし、次駅の東中山駅で下車しました。東中山駅は前述のように中山競馬場への最寄駅で、競馬観客に対応して他の駅より規模は大きいですが、それでも一気に客が押し寄せるとパンクしそうな規模で、キャパシティーが不足している印象です。まぁ、武蔵野線の船橋法典駅が開業してからは競馬場最寄駅の地位を明け渡す事になり、当駅を利用する観客はそれほど多くないようですが…。中山競馬場は北へ約1.5kmと徒歩では少々きつい距離であるため、競馬開催日やパークウインズ(場外)開催日は駅前と競馬場の間をシャトルバス(有料)が運行されています。ちなみに私は20年前の2000年に競馬観戦のため当駅で下車した事がありますが、写真は撮っていませんでした…。尚、駅舎は改良工事中でした。
 
 

 

 
東中山駅からは12時22分発の普通・京成津田沼行き(3000形6連)に乗りました。この列車も最後部車両は空いていました。道中は着席して車窓風景を楽しみ、すぐに到着した京成西船駅で下車しました。駅名から分かるように、近くにはJR・東京メトロ・東葉高速鉄道の西船橋駅がありますが(乗換駅には指定されていません)、西船橋駅とは違いこちらの駅前はひっそりとした印象です。また、駅舎の正面(南側の西船橋駅方面)は駐車場になっていますが駅前の土地利用としては不自然で、駅前広場整備など何かしら再開発が行われるのでしょうか? あと、当駅は1987年までの駅名が「葛飾駅」だったそうですが、駅周辺の地名(住居表示)が西船である事、域外の人が東京都葛飾区の駅と間違えやすい事から現駅名へ改称するに至りました。
 
 

 

 
京成西船駅では2本後の普通・京成津田沼行きに乗車しました。車両は3700形6連でした。最後部車両は乗客が10人ほどで、私は着席して車窓風景(発車後すぐに武蔵野線をアンダークロス)を眺めつつ水分補給をしていると間もなく海神駅に到着し、私は下車しました。駅名から海に近い駅を想像してしまいますが、実際は海から離れていて、しかも丘陵地に駅があります。駅前は閑静な住宅街で、高級住宅街も形成されているそうです。京成沿線には意外と高級住宅街が多く、千葉県内の高級住宅街の多くが京成線の沿線に形成されていると思われます。そして、駅の接近メロディーがどこかで聞いた事がある曲で、高校野球の応援歌でも使用されているような気がしたので調べてみると、アニメ「海のトリトン(手塚治虫原作)」のオープニングテーマ「GO! GO! トリトン」である事が分かりました。海神駅にちなんでこの曲が導入されたのでしょうね。また、駅名標や駅名看板も「海のトリトン」仕様(?)になっていました。
 
 

 

 
海神駅からは13時05分発の普通・京成津田沼行き(3000形6連)に乗車。最後部車両はガラガラで、着席して今度も車窓風景を眺めました。しばらくするとJR総武線をオーバークロスして、高架区間を進むと電車は京成船橋駅に到着しました。私は下車して、今回の京成本線駅降り鉄はここまでとしました。京成船橋駅は綺麗な高架駅で乗降客も多いですが、わずか2面2線のみの構造で、意外と規模は小さいです。
 
 

 
下車後は京成船橋駅を後にして、ペデストリアンデッキと船橋フェイスビル2階を通ってJR線の船橋駅に移動しました。これは我が地元・兵庫県の川西池田駅(JR)と川西能勢口駅(阪急・能勢電)を結ぶ連絡経路と似ている気がしました。JR線の船橋駅コンコースは京成船橋駅とは比較にならないほど人が多かったです。これから総武緩行線と武蔵野線を乗り継いで新松戸駅を目指します。
 
私は『Suica』で入場して、13時32分発の総武線各駅停車・三鷹行きに乗車しました。車両はかつての主力車両であったE231系0番台10連でした。中央・総武緩行線の0番台は山手線から転用されたE231系500番台に置き換えられ、大半が武蔵野線などに玉突き転配されましたが、500番台の全52編成を転用しても中央・総武緩行線の必要編成数には不足しているため、一部の0番台は残存しています。但し、6扉車は4扉車に取り替えられています。最後部車両に乗り込みましたが車内は満席で、私はドア脇に陣取りました。立客は十数人いました。道中は先ほど乗車した京成線との交差部分など車窓風景を眺めて過ごし、次駅の西船橋駅で下車しました。船橋駅も西船橋駅も乗降が多かったですが、一日平均乗車人員(JR東日本限定)は西船橋駅が千葉県で第1位、船橋駅が千葉県で第2位です。ちなみに県内第3位は柏駅で、トップ3に県庁所在地である千葉市の駅が入っていません。
 
 

 
西船橋駅ではトイレを済ませてから、改札を出ずに上層にある武蔵野線ホームへと移動しました。そして13時46分発の各停・府中本町行きに乗車しました。車両は209系500番台8連で、乗り込んだ最後部車両は半分近く空席があったので着席しました。西船橋駅からの乗客で座席はほぼ埋まりました。水分補給をしてから道中は車窓風景を眺めて過ごし、5駅目の新松戸駅で下車しました(14:02着)。新松戸駅は常磐緩行線との乗換駅で、地平を走る常磐緩行線とほぼ直交する形で高架部に武蔵野線ホームが設けられています。武蔵野線ホームを観察後は常磐緩行線ホームも観察してから改札を出て、駅前も軽く散策しましたが、1973年の武蔵野線開業と同時に駅も開業したため、駅前は整然としている印象で、ビルや商店が立ち並んでいました。一方、駅舎のない常磐線の東側は未開発で、住宅地と畑が混在していました。
 
 

 

 
この後は、新松戸駅の西側、武蔵野線の高架橋脇から高架下に延びる歩行者用通路を通り、ひっそりと佇む流鉄の幸谷駅へと移動し、この後は流鉄の乗り鉄・降り鉄を楽しみました。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません
 
 
(参考:Wikipedia)