可部線非電化区間・加計~三段峡の廃線跡(プチ廃線跡探訪) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

イメージ 1
今回のプチ廃線跡探訪コーナーは、
2003年に廃止された可部線非電化区間(可部~三段峡)のうち、末端部の加計~三段峡の廃線跡について超簡単に紹介いたします。

  

可部線は(広島~)横川~可部の電化区間可部~三段峡の非電化区間に二分されており、非電化区間は当初より超閑散区間でした。
未成線の今福線とともに広島~浜田(島根県)を結ぶ構想でしたが、国鉄再建のあおりで建設は中止され、
結局可部線非電化区間につきましては利用客の減少などが原因で2003年に廃止されました。

  

尚、廃止区間のうち可部駅~河戸駅の三段峡方につきましては、
本日2017年3月4日に可部~あき亀山が再延伸されました(事実上の復活)。
ちなみに一旦廃止された可部~河戸の廃線跡探訪の記事はこちら

  
  

今後、廃線跡を正式に探訪した際には、廃線跡探訪の記事を改めてUP致します。

  
  

イメージ 2
加計駅跡より可部方を望む。路盤、築堤、鉄橋が残存していました。
レールは撤去されています。

  
  

イメージ 3
上の写真の鉄橋を可部方より望む。鉄橋の先に加計駅跡があります。

  
  

イメージ 4
加計駅跡です。現在は跡地に体験交流館「かけはし」があります。

  
  

イメージ 5
加計駅跡に整備されたロータリーの中央にはホームと上屋の一部がモニュメント的に保存されています。

  
  

イメージ 6
加計駅跡の三段峡方にはレールが残っていました。本線ではなく車庫への側線跡と思われます。

  
  

イメージ 7
レール遺構の先には機関車または保線用車両の車庫が残存しており、
そこに広島色のキハ28 2394が静態保存されています。車庫から少しはみ出ています。
写真は可部方を望む。私の撮影位置が本線跡だったと思われます。

  
  

イメージ 8
車庫の先には鉄橋が残存していました。この先、廃線跡は三段峡へと向かいます。

  
  

イメージ 9
加計駅跡より先は私の愛車・マツダデミオの運転中に撮影した写真ばかりになりますが…。
(この記事の写真は全てスマホではなくデジカメで撮影)
加計~木坂にて。国道186号線をオーバーパスする陸橋が残存していました。

  
  

イメージ 10
その先、近代的な高架橋がそのまま残されていました。加計~三段峡は1969年に開業した区間です。

  
  

イメージ 11
木坂駅跡にて。駅施設が残存していました。立寄ればよかった…orz

  
  

イメージ 12
上殿~筒賀にて。国道191号線を跨ぐ陸橋が残存しています。
この先は旧・筒賀村をへ迂回してから戸河内へ向かっていました。

  
  

イメージ 13
戸河内駅跡にて。駅施設は解体され、跡地はバス待合所になりました。
見えづらいですが、駅名標のモニュメントがあり、ここに駅が存在した事を後世に伝えています。

   
   

イメージ 14
戸河内~三段峡にて。柴木川の橋梁が残存していました。
山間部をトンネルと橋梁の連続で直線的に駆け抜けていました。

  
  

イメージ 15
終点だった三段峡駅跡にて。こちらも駅施設が撤去され、安芸太田町立の三段峡交流広場になっています。
施設内にレールと車止めのモニュメントがあります。

  
  

(おしまい)  

  

  
注意点  

廃止からさほど年月が経過していませんが、遺構は確実に減少しています。
また距離が長いので徒歩ですと数日間必要かもしれません。道路を歩く際も自動車に注意が必要です。

  

(2016年撮影。参考:地理院地図、Yahoo!地図、Wikipedia)