今回は、和歌山県南部、紀勢本線の新宮駅から東へ分岐し、海寄りにあった貨物駅・熊野地駅までを結んでいた
紀勢本線貨物支線(熊野地貨物線・熊野地線)の廃線跡について簡単にレポートします。
また、戦前は熊野地駅から先、三輪崎まで線路が延びており、この線路が紀勢本線(当時は紀勢中線)の一部をなしていましたが、1938年に現在線が開業して廃止となりました。こちらの廃線跡につきましても併せてレポート致します。さらに、熊野地駅から北方へ延びていた専用線の廃線跡も紹介致します。
新宮(旧)~三輪崎の廃止と同時に熊野地駅は貨物駅となり、新宮駅と熊野地駅を結ぶ旧線は貨物線に転用され、国鉄分割民営化直前の1982年まで営業していました。
ちなみに旧・新宮駅は現駅のやや亀山方にあったそうです。
尚、今回の区間は自転車でサラッと辿っただけなので調査が不十分なことをお詫び申し上げます。
また、今回も写真が少ないです。ご了承願います。
また、今回も写真が少ないです。ご了承願います。
(Yahoo!地図を使用。廃線跡のラインは実際の廃線跡を完全に辿れていません)
路線名 | 区間 | 営業キロ | 廃止時 |
国鉄:紀勢本線貨物支線 | 新宮~熊野地 | 1.5km | 1982年11月15日 |
路線名 | 区間 | 営業キロ | 廃止時 |
国鉄:紀勢中線旧線 | 新宮~熊野地~三輪崎 | 5.4km | 1938年5月20日 |
探訪・撮影時 | 2008年11月ほか |
(1)新宮駅1番のりばにて。当駅より貨物支線が分岐していました。
写真左側には切欠式ホーム跡らしき遺構が見られ、現在は公園のような感じになっていますが、以前は貨物側線があったようですね。
また、旧・新宮駅は現駅のやや亀山方にあったそうで、新線開業時に現在地へと移転しています。
写真左側には切欠式ホーム跡らしき遺構が見られ、現在は公園のような感じになっていますが、以前は貨物側線があったようですね。
また、旧・新宮駅は現駅のやや亀山方にあったそうで、新線開業時に現在地へと移転しています。
(2)紀勢本線を走行中の車内より撮影。
貨物支線は新宮駅を発車してすぐに左へカーブして紀勢本線と分かれていました。
現在もその名残で、JR西日本所有の建屋の建ち方から、カーブ地点の廃線跡の雰囲気が分かります。
貨物支線は新宮駅を発車してすぐに左へカーブして紀勢本線と分かれていました。
現在もその名残で、JR西日本所有の建屋の建ち方から、カーブ地点の廃線跡の雰囲気が分かります。
(3)廃線跡はJR西日本の用地を抜けると2車線道路に転用された区間へと入ります。
鉄道路線らしい緩い左カーブを描いています。
鉄道路線らしい緩い左カーブを描いています。
(4)左カーブが終わると廃線跡は街路樹が植えられた区間へと入り、市街地の中を東へ進みます。
(5)しばらく進むと、右へカーブして熊野地駅跡へと向かいます。
遺構は見当たりません。
遺構は見当たりません。
(6)そして、「サークルK」の辺りで左側から来た専用線と合流して熊野地駅跡に到着します。
(7)熊野地駅跡にて。空中写真を見るとこの辺りに駅跡があったはずですが、
廃止後に開発が進んで面影がなくなっています。
尚、終端方には海側(左側)へ分岐する専用線跡らしきカーブした道路があります。
廃止後に開発が進んで面影がなくなっています。
尚、終端方には海側(左側)へ分岐する専用線跡らしきカーブした道路があります。
(8)専用線の終点にはかつて工場(会社名不明)がありました。
専用線は熊野地駅と工場を結んでいました。
現在は工場が撤退したようで、更地になっています。
専用線は熊野地駅と工場を結んでいました。
現在は工場が撤退したようで、更地になっています。
(9)工場を出た専用線は住宅街の裏手を右へカーブしながら通っていました。
現在、廃線跡は一部が住宅の庭に転用されています。
また、手前には古い側壁があり、もしかすると現役当時の遺構かもしれません。
現在、廃線跡は一部が住宅の庭に転用されています。
また、手前には古い側壁があり、もしかすると現役当時の遺構かもしれません。
(10)路地裏を進むと、廃線跡は遊歩道に変わりました。
沿道にある公園には蒸気機関車のC11が静態保存されています。
沿道にある公園には蒸気機関車のC11が静態保存されています。
(11)さらに進むと、サークルKが見えてきて、紀勢本線貨物支線と合流して熊野地駅へ至りました。
(12)熊野地駅跡より紀勢本線貨物支線と専用線の分岐部を望む。
貨物支線は左へ、専用線は正面奥へ続いていました。
貨物支線は左へ、専用線は正面奥へ続いていました。
(13)熊野地駅を過ぎると右へカーブして市田川を渡っていました。
市田川は護岸工事が行われており、旧線跡の橋台などの遺構は確認できませんでした。
市田川は護岸工事が行われており、旧線跡の橋台などの遺構は確認できませんでした。
(14)そして旧線跡は大浜墓地の敷地内を通っていたと思われます。
墓地と駐車場の間にある段差の法面は、もしかして旧線時代のものかも…と思ってしまいますが、詳細は不明です。
墓地と駐車場の間にある段差の法面は、もしかして旧線時代のものかも…と思ってしまいますが、詳細は不明です。
(15)その後、旧線跡は熊野灘の海岸線に沿って通っていたと思われます。
海との間には松林があります。内陸側は住宅地になっています。
海との間には松林があります。内陸側は住宅地になっています。
(16。亀山方を向いて撮影)そのまま旧線跡は海岸沿いを走り、現在線と合流していたと思われます。
写真の線路は現在線で、旧線跡は写真右端よりもう少し海岸方を走っていたと思われます。
写真の線路は現在線で、旧線跡は写真右端よりもう少し海岸方を走っていたと思われます。
(おしまい)
私が訪問したのは2008年でしたが、廃止から相当経過していたので遺構らしい遺構はあまり見つけられませんでした。
貨物支線跡と旧線跡を合わせた廃線跡の実質的距離は3kmほどですが新宮駅からですと往復しなければならないので、徒歩ですと3時間ほど必要ではないでしょうか。レンタサイクルですと1時間あれば何とか回れるかと思います。
食料・飲料についてですが、熊野地駅跡付近にコンビニが1軒あります(サークルK)。
接続駅 | 接続路線 |
新宮駅 | JR西日本:紀勢本線【きのくに線】(和歌山、大阪方面) |
新宮駅 | JR東海:紀勢本線(津、亀山、名古屋方面) |
新宮駅 | 和歌山観光:旅館二の丸のケーブルカー廃線跡 (丹鶴駅跡まで徒歩10分) |
(参考:地理院地図、Wikipedia)