名鉄三河線(【海線】碧南~吉良吉田・2004年廃止) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

【踏破後、廃線…】の第16回は、2001年1月に乗りつぶしをして、同じ2001年10月に廃止となった
名鉄三河線の『海線』の末端区間・碧南~吉良吉田(愛知県碧南市~西尾市)です。

 

ちなみに、『山線』の廃止区間である猿投~西中金についてはこちら

 

現在の廃止区間には名鉄バス東部による代替バス「ふれんどバス」が運行されています。
また、廃線跡は施設がほとんど撤去され、現役当時を偲ばせる遺構は少ないようです。

 

尚、拙い記事で写真が少なく、めちゃめちゃな写真しかありませんが、何卒ご了承願います。


 

イメージ 1
(Yahoo!地図を使用)

 

路線名  区間  営業キロ  備考 
名古屋鉄道:三河線(一部)  碧南~吉良吉田  16.4km  全区間単線・非電化。2004年廃止 
   
踏破達成時   2001年1月  
撮影時   2004年3月  

  

  

イメージ 2
碧南駅にて。左側の側線にキハ20形が留置されています。
廃止区間は当初、電車による運転でしたが、1990年よりレールバスによる運転に変更され、架線は撤去されました。
当駅を跨いで利用する際は、ごく一部を除き当駅にて乗換が必要でした。

 

碧南を発車すると市街地を南下し、やがて左へカーブして玉津浦に着きます。
玉津浦を発車後も左カーブが続き、碧南発車時から180°ほどカーブすると棚尾に着きます。
棚尾を発車後も市街地を左カーブで走りますが、今度は右へ大きくカーブして市街地を出ると三河旭に到着します。
当時の地図を見ると、碧南~三河旭でΩカーブ(オメガカーブ)を描いているのが分かりました。

 

三河旭を発車すると築堤を上がり矢作川を渡り、愛知県・碧南市から西尾市へと変わります。その後は田園地帯を走りながら築堤を下り、中畑に着きます。
中畑を発車後は住宅地を東進し、三河平坂に到着します。


 

三河平坂を発車すると右カーブで南へ針路を変え、築堤で道路2本を跨ぎますが、このうちの1本は名鉄平坂支線の廃線跡を転用した道路です。その後は地平に下り、三河楠に着きます。
三河楠を発車後は真新しい高架橋へと上がり、中部国際空港と西尾・岡崎を結ぶ都市計画道路「衣浦岡崎線」をオーバーパスします。この高架橋は1998年11月に使用開始となりましたが、当該区間の廃線が2004年4月なので、結果として5年少々しか使用されずに、「税金の無駄遣い」と揶揄されているのをどこかのサイトで見た記憶があります。
その後は地平へと戻り、住宅地を南下して寺津に到着します。

 

寺津を発車すると北浜川を渡り、田園風景の中を走ってから住宅地へと入ると西一色に着きます。
西一色を発車後は一色の市街地を通り、鰻で有名な三河一色に到着します。

 

三河一色を発車すると国道247号線と交差し、左へカーブして田園地帯を走り松木島に着きます。駅の南側には、うなぎ養殖場が広がっています。
松木島を発車後は築堤へ上がりながら左へカーブして東へ針路を変え、矢作古川を渡ります。その後は築堤高架を徐々に下りながら田園地帯を東進し、やがて住宅地へと入ると終点の吉良吉田に到着します。


 

イメージ 3
吉良吉田駅にて。三河線のホームは相対式ホーム2面2線(1、2番線)でしたが、晩年はキハ30形が停車している2番線を中心に使用していたかもしれません。
現在、2番線は蒲郡線の電車が使用しています。


 

イメージ 4
吉良吉田駅にて碧南方を望む。
吉良吉田駅では三河線・蒲郡線が直線状に延びていて、西尾線が急カーブしながら蒲郡線に合流する線形ですが、これは蒲郡線が西尾線ではなく三河線の延伸路線として三河鉄道が建設した歴史的経緯によります。

  

  
あとがき  

私が名鉄三河線【海線】(碧南~吉良吉田)の廃止区間を初乗りしたのは2001年1月で、
3年後の2004年3月、廃止1ヶ月前にもう一度乗りに行きました。
2001年乗車時は乗客は少なかったですが、2004年乗車時はお名残乗車の乗客で満員状態でした。
沿線は比較的大きな集落が多かったものの、やはりクルマ社会の愛知県、鉄道利用者は少なかったのでしょうね…。

 

ちなみに、知立~碧南の三河線【海線】残存区間は現在も頑張っています。
毎時4本運転の線区なので、すぐの廃止はないと思います。

  

  
のりかえ  

乗換駅   乗換路線  
碧南駅   名古屋鉄道:三河線【海線】(知立方面)  
吉良吉田駅   名古屋鉄道:西尾線蒲郡線  
  
(参考:Wikipedia)