名鉄竹鼻線(江吉良~大須・2001年廃止) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

【踏破後、廃線…】の第15回は、2001年1月に乗りつぶしをして、同じ2001年10月に廃止となった
名鉄竹鼻線の末端区間・江吉良~大須(全区間が岐阜県羽島市内)です。

 

現在は羽島市コミュニティバスが羽島市役所前駅~大須の間で鉄道時代と同じ概ね30分毎に運行されています。

 

尚、写真が少なく、めちゃめちゃな写真しかありませんが、何卒ご了承願います。


 

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(Yahoo!地図を使用。見苦しい内容になりお詫び申し上げます。)

  

路線名   区間   営業キロ  備考  
名古屋鉄道:竹鼻線(一部)  江吉良~大須  6.7km   全線単線・直流1,500V電化。2001年廃止  
  
踏破達成時   2001年1月  
撮影時   2001年1月ほか  

  

  

イメージ 2
江吉良駅にて2009年撮影。右へカーブしている線路が羽島線、左前方へ延びている空地が竹鼻線の廃線跡です。レールは撤去されたようですが、架線柱は残っています。

 

江吉良を発車すると羽島線が右へ分かれ、その後は住宅地を牧野、長間と進みます。長間駅は名神高速道路の高架下にホームがかかっています。
長間を発車後は東海道新幹線をアンダーパスしますが、東海道新幹線の車窓から長間駅跡を見ることができます。その後は田園が混在する住宅地を中区、市之枝と南下し、八神駅で針路を西へと変えます。最後は田園地帯を西へ進み、前方に岐阜県道1号線の南濃大橋(長良川)へ上がる高架橋が見えてくると終点の大須に到着します。


 

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大須駅にて。ホームは2両少々分の長さしかなく、4両編成の電車は後2両をドアカットしていました。
また、2両編成×2本の列車の場合は、笠松方の編成も全てのドアを開け、いちばん終端方にあるドアから乗降していました。
尚、廃止区間には特急の増結車である1800系も入線していました。


 

イメージ 4
大須駅の駅名標です。新しいタイプへ取り替えられていました。
駅名標下部には『バスのりかえ おちょぼ稲荷方面』と書かれています。お千代保稲荷は長良川の対岸にあり、岐阜バスの便が連絡していました。
現在は海津市コミュニティバスによる運行となっていますが、羽島市コミュニティバスとの乗り継ぎは不便かつ海津市側の本数が少なく、参詣路線としてはあまり機能していないかもしれません。


 

イメージ 5
大須駅の終端方を望む。南濃大橋へ至る県道の高架橋が目の前を通っています。
その先には長良川の堤防が壁のように横たわっています。
長良川がお千代保稲荷までの延伸を阻んでしまったかもしれませんね…。


 

イメージ 6
大須駅には木造駅舎がありましたが、1998年に解体されてしまい、
晩年は写真のように駅舎なしの寂しい状態でした…。

 

また、大須と聞いてピンと来た方が多いかと思いますが、名古屋の大須観音は元来この地にありました。
江戸時代初期の1612年にに徳川家康の命令によって名古屋へ移転しましたが、
そのルーツである真福寺は現在もこの大須の地に存在しています。

  

  
あとがき  

私が名鉄竹鼻線の廃止区間を初乗りしたのは2001年1月で、この年の9月末をもって廃線が決定していたので急遽乗りつぶしに行きました。
やはりローカル線で乗客も少なかったです。しかしながら列車本数は1時間に2本は確保されていました。
沿線はいたって平坦で、自転車でも苦にならない地理情勢だったかと思います。
線路沿いは民家が多かったものの、少し遠ざかると広大な田園風景が広がっていて、沿線人口も少ないような印象でした。

 

結局、私が訪問したのはこの1回きりで、最初で最後の乗車となりました。
ちなみに、竹鼻線の残存区間は羽島線と一体となり現在も現役で頑張っています。すぐの廃止はないと思います。

  

  
のりかえ  

乗換駅   乗換路線  
江吉良駅   名古屋鉄道:竹鼻線 (羽島市役所前、笠松方面)羽島線 (新羽島駅行き)   
  
(参考:JTBキャンブックス『私鉄廃線25年』寺田裕一著、Wikipedia)