第377回('06) 『銀河』で東京へ。最初で最後の交通博物館見学。 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2006年3月末で突然夜勤が終了し、4月からは日勤に戻りました。

早速、週末は乗り鉄することにしました。今回は、金曜の夜に自宅を出発し、新幹線ではなく寝台急行『銀河』に乗って東京へ行きました。
そして、老朽化や翌2007年に『鉄道博物館』(さいたま市)が開館するなどの理由で2006年5月14日に閉館となる『交通博物館』へ行ってきました。
今回の日程 2006年4月7日(金)~4月8日(土) 【前半】

加古川2108(山陽→東海道本線・3538M新快速)2158大阪2222(東海道本線・102レ寝台急行『銀河』【車内泊】)642東京732(京葉線・765A快速)741新木場748(東京メトロ有楽町線)753豊洲804(ゆりかもめ)836新橋846(山手線内回り)854神田(徒歩)920交通博物館1230

【後半へ続く】
この日は仕事を定時で終えて、自宅へ直行帰宅しました。そして入浴と夕食を済ませ、20時30分頃に自宅を出発し、コンビニに寄って飲料と翌日の朝食を調達してから加古川駅へ向かいました。加古川駅からはJR神戸線の上り新快速(223系8連)に乗り、大阪駅にて下車しましたが、ラッシュとは逆方向だったので車内はガラガラで、座って移動できました。居眠りが心配でしたが、もし寝過しても京都や米原で『銀河』に乗ればいいやと思うと気が楽でした。そういう時に限って眠気に襲われないのは何故でしょうか?

大阪駅では改札を出ずにそのまま10番線ホームへと移動し、やや寒い中『銀河』の入線を待っていました。そして22時16分に神戸方からEF65PF形を先頭に寝台急行『銀河』が入線してきました。客車は24系25形6連で、私は5号車の禁煙B寝台の、今度はしっかりと下段を押さえることができました。同一区画の反対側下段には男性客がいて、隣の区画には東京ディズニーリゾートの話をしていた家族が乗っていました。車内改札は早々と終了し、私はすぐに寝ました。起きるまで一度も目が覚めませんでした。

翌朝、5時台に目が覚めました。二宮付近を走っていました。私は朝食と歯磨きを済ませ、寝台や通路の補助席から車窓風景を眺めながら『銀河』でのひとときを過ごしました。そして『銀河』は定刻の6時42分に東京着。8時間20分の旅でした。



イメージ 1イメージ 2

2枚とも東京駅にて。寝台急行『銀河』です。結果としてこのときが最後の乗車となりました…。


この日の目的は交通博物館でしたが、9時半(だったと記憶しています)の開館までまだ3時間近くもあります。私は東京駅の丸の内口と八重洲口を散策しながら時間をつぶしましたが、全然時間が進みません…。



イメージ 3イメージ 4

2枚とも東京駅にて。上が赤レンガの丸の内駅舎、下が八重洲駅舎(鉄道会館ビル)です。
その後、丸の内駅舎は復原(復元)され、八重洲口の鉄道会館ビルは解体されました。


そこで、東京駅近辺で残っている未乗線区を乗りつぶすことにしました。そこで思いついたのが、まずは、12日前に有明~豊洲が延伸開業したばかりの『ゆりかもめ』の乗りつぶしでした。まずは、豊洲駅を通る東京メトロ有楽町線へ向かうことにし、京葉線の快速(201系6連+4連)に乗って新木場駅まで移動しました。車内は東京ディズニーランドや東京ディズニーシーへ向かう乗客が多かったです。

新木場駅からは有楽町線で豊洲駅まで移動しました。車両は西武6000系10連で、乗客は少なかったです。



イメージ 5

新木場駅にて。有楽町線の小手指行き電車(西武6000系)です。
小手先の撮影技術のせいで写真がブレてしまいましたw


私は2駅だけ乗って、予定通り豊洲駅で下車しました。島式ホーム2面4線でしたが、両端の2線しか使われていないようで、中央2線にレールが敷かれていたかどうか定かではありませんでした…。下車後は地上へ上がり、さらに高架にある『ゆりかもめ』の駅へと急ぎました。

『ゆりかもめ』の豊洲駅は開業間もないからか、閑散としていました。改札を通ってホームへ上がり、停車していた車両に乗りました。7000系6連で、ガラガラでした。『ゆりかもめ』は新交通システムで、神戸のポートライナーと同じく無人運転です。ということは、と思い先頭へ行くと、予想通り運転席部分が座席として開放されていました! 私はすかさず最前部の席へと座り、前面展望を楽しむことにしました。

豊洲を発車し、まずは開発途上の一帯を走ります。そして有明からは1995年開業区間へと入りますが、私は全線通して今回が初乗車となりました。東京ビッグサイトを見ながらお台場地区へと入り、青函連絡船の「羊蹄丸」が展示されていた船の科学館も見ることができました。しかし、車窓風景で一部見逃しがあり(どこを見逃したか忘れてしまいましたが…)、またリベンジすることになります…。
その後はフジテレビを見てからレインボーブリッジを渡り、ループ線を通って陸地へ戻った後も港湾地区を通りました。そして元貨物駅の跡地を再開発した汐留地区を通り、豊洲から32分で終点の新橋に到着しました。乗客は席が埋まるほどにまで増えていました。
余談ですが、この6日後の2006年4月14日、『ゆりかもめ』で車両故障が発生し、長期運休に追い込まれました。私の東京訪問が1週間遅れていたら『ゆりかもめ』の乗りつぶしは不可能でした…。



イメージ 6

ゆりかもめの車窓から。


新橋からは山手線内回り(E231系11連)で神田まで移動し、神田駅の『みどりの窓口』で交通博物館の割引入場券を購入してから5分ほど歩いて交通博物館に着きました。しかし、既に数十人の列ができていて、私は最後尾につけました。翌5月には閉館するので、名残を惜しもうとする見学客が多かったです。



イメージ 7

交通博物館にて。


20分ほど道路上にできていた列で待った末、ようやく開館となりました。入館後は館内に遺構が残っている「旧万世橋駅遺構特別公開」の遺構ツアーに申し込み、待ち時間は館内を見学しました。狭い館内には色々な車両展示されてはいましたが、スペースの関係からかカットされた車体が多かったです。また、「鉄道」ではなく「交通」博物館ゆえに、鉄道以外の乗り物の展示も目立ちました。とにかく初めての訪問だったので楽しかったです。

そしていよいよ遺構ツアーの時間がやって来ました。一行はガイドに案内され、レンガ造りの小部屋(何室かは忘れましたが…)に案内された後に階段を上がり、ホーム跡へと案内されました。さすがにホームへ出ることはできませんでしたが、ガラス越しに中央線の線路を見ることができました。私はしばらくホームにいましたが、ツアー終了が近付いてきたので私は階段を下り、一行と一緒に館内へと戻り、僅か20分間の遺構ツアーが終了しました。今回はこの遺構の為にわざわざ東京まで来たようなものでしたが、この遺構ツアーは大変人気があり、正直私が先着順の遺構ツアーに参加できるかどうかは分かりませんでした。まぁ今回は運良く参加できて嬉しかったです。ちなみに、この万世橋駅跡の遺構は交通博物館閉館後の再開発によって2013年夏から再び見学できるようになる予定らしいです。



イメージ 8イメージ 9

念願叶い、旧万世橋駅の遺構を見学することができました。


遺構ツアー終了後も館内見学を楽しみ、12時30分頃に交通博物館を後にしました。その後は腹が減ったので近くの「はなまるうどん」にて昼食を済ませました。館内で昼食を食べてもよかったのですが、人が多すぎるので断念しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
ゆりかもめ:東京臨海新交通臨海線豊洲→新橋14.7km踏破達成!


今回新たに訪問した廃駅跡

路線名区間備考
日本国有鉄道:中央本線万世橋駅1943年休止(実質上廃止)
(参考:Wikipedia)