加藤三光堂、御数珠調進所。京都市下京区正面通油小路西入数珠屋町(じゅずやまち)
2008(平成20)年3月9日
当ブログ前回の「山徳仏具商店、北川仏具製作所」の向かい側。写真右方向が堀川通。写真右の家が柴田念珠店で、その右が堀川通との角にある山本亀太郎商店。写真では看板から、加藤三光堂、御数珠調進所、藤田仏書堂、仏壇の安心堂、北川仏具製作所。
堀川通から裏通りになる油小路通まで、伝統的町家の商店が並んでいる。今も建物は変わっていない。安心堂は数年前に、宿泊施設の「西本願寺いづき」になった。
加藤三光堂、御数珠調進所。京都市下京区正面通油小路西入数珠屋町(じゅずやまち)
2008(平成20)年3月9日
当ブログ前回の「山徳仏具商店、北川仏具製作所」の向かい側。写真右方向が堀川通。写真右の家が柴田念珠店で、その右が堀川通との角にある山本亀太郎商店。写真では看板から、加藤三光堂、御数珠調進所、藤田仏書堂、仏壇の安心堂、北川仏具製作所。
堀川通から裏通りになる油小路通まで、伝統的町家の商店が並んでいる。今も建物は変わっていない。安心堂は数年前に、宿泊施設の「西本願寺いづき」になった。
山徳仏具商店、北川佛具製作所。京都市下京区正面通油小路西入数珠屋町(じゅずやまち)。2008(平成20)年3月9日
西本願寺の堀川通の向かい側、正面通に入ると両側に仏具店が建並んでいる。写真はその北側の家並み。写真左隅に総門が写っている。総門は宝永8年(1711年)に建立されたという。3回移築され、明治44年(1911年)に現在の位置に定まったもの。ぼくは商店街のゲートくらいに思っていた。
写真の店は左から、あすか六字堂(4階建ビル)、伊吹新八商店、水谷仏具店、山徳仏具商店、北川仏具製作所、山田安心堂(4階建ビル、油小路通との角)。
現在も写真の景観は変わりがないように見えるが、山徳仏具店は「丸三」という仏具店に変わり、建物も2014(平成26)年に建て直されている。その家が写真の山徳仏具店を改修したようにしか見えず、伝統的な町家の造りにしている。
梅小路蒸気機関車館 転車台と扇形車庫。京都市下京区観喜寺町(かんきじちょう)
1992(平成4)年8月6日(3枚とも)
京都駅は1877(明治10)年の開業。1914(大正3)年、大正天皇の御大典にあわせて2代目駅舎が、当時鉄道院に勤めていた渡辺節の設計で建設された。その際、貨物専用駅の梅小路駅が設置され、そこの機関車車庫がやはり渡辺節の設計で建設された。施行は大林組。「装飾を廃し柱・梁を露出した「近代式」の鉄筋コンクリート建築である。その後、機関車庫の主流となる扇形スタイルの鉄筋コンクリート造の最も早い例。入口はスチールシャッター、窓はスチールサッシュとして排煙を考慮した回転装置を設けるなど当時としては最新の設備を誇った。(『近代建築ガイドブック[関西編]』鹿島出版会発行、昭和59年、2800円)」。
渡辺設計の京都駅は「鉄道院時代の彼の仕事を知るほとんど唯一といってよい建物であったのだが、残念ながら戦後間もなく(昭和25年)焼失してしまった。(『近代建築ガイドブック[関西編]』)」。
シンボルゾーン(C5788号主動輪)と扇形車庫後ろ側
第3展示室。現在、旧二条駅舎がある辺りにあった。
梅小路蒸気機関車館は1972(昭和47)年10月の開館。国鉄により日本の鉄道開業100周年を記念してのことだった。1987(昭和62)年4月、国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道が継承。1997(平成9)年7月、旧二条駅舎が移転されてきた。2016(平成28)年4月、「京都鉄道博物館」としてリニューアルオープンした。
太田商会。京都市下京区西酢屋町(にしすやちょう)。1992(平成4)年8月6日
七条通の大宮七条交差点から200m西の辺り、北側の家並み。
「YAMAHA」の看板は太田商会。ストリートビューでは2017年5月まで看板が残っており、建物は今も残っている。その左は1軒おいて、下の写真で「かわさき靴店」と分る。その左に2009年10月のSVより「キムラ理髪店」。そして一番左が3階建の洋館。
3枚目の写真で、洋館の左は「亀湯」という銭湯。2013年10月のSVでは、太田商会から左の家は全てなくなって駐車場になってしまっている。亀湯は2009年のSVで、袖看板に「サウナ/ジェット風呂/電圧風呂/水風呂/クスリ風呂」と読める。
かわさき靴店。京都市下京区西酢屋町。1992(平成4)年8月6日
三階建の洋館。京都市下京区西酢屋町。1992(平成4)年8月6日
藤田外科医院。下京区大宮通七条下ル御器屋町(ごきやちょう)
1992(平成4)年8月6日
藤田医院は七条通と大宮通との交差点(大宮七条交差点)の南西角。「藤田外科」となっているが、現在は内科・消化器科に変わったようだ。建物はけっこう新しいのかもしれない。現在、外壁が改装されて、1階外壁がレンガ積み風のタイル貼り、その上部はクリーム色のモルタル壁になっている。
ARC。下京区大宮西入ル花畑町(はなばたけちょう)。1992(平成4)年8月6日
ARCとした建物は七条通の、藤田外科から路地と小さいビルを介して建っていた家。写真の表札が読めない。2014年4月のストリートビューでは、「ARC アークカラープロジェクト」の看板なので、その店名にした。同年10月には取り壊され、「にった歯科」の4階建のビルが建った。

龍谷大学大宮学舎渡り廊下。京都市下京区猪熊通(いのくまどおり)七条上る大工町(だいくちょう)。2008(平成20)年3月9日
本館と南黌(なんこう)を結ぶ渡り廊下は、龍谷大学大宮キャンパスに建つ古い学舎と同じ1879(明治12)年の建築。当初は北黌との間にもあった。南黌・北黌は学寮だったので、学生が本館での講義を聴きに渡り廊下を往き来していたのだろう。
天井は白く塗られた「菱組天井」。解説パネルには「南黌と本館を結ぶ渡り廊下には、七条ステーション(現京都駅、1877年築)の駅舎に見られる独特の屋根装飾が使用されている。これは旧守衛所の施行にあたった大工の一人に、七条ステーションの建築に携わった京都の宮大工「三上吉兵衛」がいたことが関係していると考えられる」とある。
1998(平成10)年に、北黌・南黌とともに国の重要文化財に指定された。
龍谷大学大宮学舎正門
京都市下京区猪熊通(いのくまどおり)七条上る大工町(だいくちょう)
2008(平成20)年3月9日
龍谷大学大宮キャンパスの正門は、間口3間の大きい方の門柱と、その両側に小さい門柱があって、全部で4枚の鋳鉄の門扉とからなる。柱の上部は擬宝珠を思わせる飾りで、和風な意匠だ。門扉はイギリスのアームストロング社製という。現在はレプリカが付いていて、本物は東黌(とうこう、正門向かい側の学舎)に展示している。
本館とともに1964(昭和39)年に国の重要文化財に指定された。
龍谷大学大宮学舎旧守衛所。京都市下京区猪熊通(いのくまどおり)七条上る大工町(だいくちょう)。2008(平成20)年3月9日
龍谷大学大宮キャンパスの正門を入った左(南)にあるレンガ造の旧守衛所。現在は「オリジナルグッズ展示館」にしている。本館と同じ1879年の建築で、設計者・施工者は不明。1998年に国の重要文化財に指定された。
展示館の中の解説によると、「旧守衛所は1879(明治12)年に建てられた煉瓦造建造物である。躯体部はイギリス積みで開口部にはアーチ積がなされている。内部は建物のほぼ中央にフランス積みの間仕切り壁が設けられ、前室は門衛室、後室は宿直室として使用されていた」。
1992年頃から6年近くにわたる本格的な保存修理が行なわれた(『アトリエかわしろ生活館>龍谷大学大宮学舎(旧守衛所)』)。
龍谷大学大宮学舎 北黌・南黌
京都市下京区猪熊通(いのくまどおり)七条上る大工町(だいくちょう)
2008(平成20)年3月9日
上:北黌(西裏側・南側面)、左:南黌(東南角)、下:南黌(北側正面)
龍谷大学大宮キャンパスに本館を挟んで、北と南に東西に長い「北黌(ほっこう)」と「南黌(なんこう)」が建っている。本館と同年(1879明治12年)に建った、木造切妻造、桟瓦葺、2階建ての「擬洋風建築」とされる校舎。「学寮」として建てられた。現在は教室や研究室に改装されている。
「黌」は、まなびや/学校などの意味をもつ漢字。「校」と同じとしていいようだ。いつから黌というようになったのかは分らないが、『近代建築ガイドブック[関西編]』(鹿島出版会発行、昭和59年、2800円)では「北校舎・南校舎」である。
北黌・南黌ともほぼ同じ造りだが、南黌の正面(本館に向いた面)の中央にはバルコニー付きの車寄せの玄関があるのと、やはり正面西角近くに本館との渡り廊下と出入り口がある。