エンマ(旧村井銀行祇園支店)。京都市東山区四条通大和大路東入祇園町南側

2008(平成20)年3月11日

 

八坂神社門前、四条通の祇園商店街にある元銀行だった建物。写真では「Cara Ragazza」の文字が建物上部にあり、イタリア料理の店が入っていた。今はキャンディの店とカフェが入っている。「エンマ(閻魔)」はなんだか分らないのだが、ビルを所有する会社なのかも知れない。

村井銀行祇園支店は1924(大正13)年の建設、吉武長一の設計、清水組の施行、鉄筋コンクリート造2階建(『文化庁>国指定文化財等DB>エンマ(旧村井銀行祇園支店)』)。

『近代名建築 京都写真館』(福島明博著、日本機関紙出版センター発行、1996年、1800円)では、「煉瓦造2階建」としてある。見た目はRC造にしか見えないが、やはり同年に建てられた京都中央信用銀行(旧村井銀行五条支店)が「煉瓦造石張り2階建」。京都に現存するもうひとつの旧村井銀行に「七条支店」がある。それは1913(大正2)年建築で煉瓦造2階建。こう見てくると、煉瓦造が正しいように思えてくるのだが……。

 

 

香鳥屋本店。京都市東山区四条通祇園町(ぎおんまち)南側580

2008(平成20)年3月11日

 

八坂神社門前、四条通の祇園商店街にある老舗のハンドバッグ店。『香鳥屋のHP』によると、香鳥屋は1886(明治19)年、履物・和装小物を扱う「香取屋(かどりや)」として創業した。祇園ではあるが今のビルの場所とは別だったようだ。

写真のビルは1926(昭和元)年、2代目のときの建築で、鉄筋コンクリート造4階建、施行は大林組。設計も大林組になるのかも知れない。スクラッチタイル貼りの外壁、正面2・3階のバルコニー、建物横のアーチ窓、1階鴨居のステンドグラスなどが特徴。

洋館をたてると共に商品も草履などからハンドバッグに切り替えていったという。また屋号を「香鳥屋」に変えた。現在、店に並んでいるのは、香鳥屋のオリジナルデザインのハンドバッグで、顧客も余裕のあるおばさまである。

レストラン菊水 京都市東山区川端通四条上る川端町(かわばたちょう)187

1992(平成4)年8月6日

 

四条大橋の東詰めに建つ西洋料理・レストラン菊水のビル。放物線の塔奥が目を引くので「表現主義」の近代建築ということになっている。

1926(大正15)年の竣工で、設計=上田工務店(松村次郎)、施工=上田工務店、構造=鉄筋コンクリート造4、5階地下1階建(塔屋有)。当初の店名は「菊水館」。

『ウィキペディア>レストラン菊水』によると、「創業者の奥村小次郎は、この建物をデザインするに当たって、フランク・ロイド・ライトの設計である東京の帝国ホテルや、上海のカールトンホテルなど、各所の建築を見て回った。」とある。1955(昭和30)年に屋号を「レストラン菊水」に改称した。

Man Ray>菊水館』には、「…奥村小次郎が、上田工務店の上田辰三とともに、日本国内や上海などで建物を見聞し、表現主義の特徴を基本に、アールデコやスバニッシュ様式を取り入れ、塔屋屋根の曲線や左右非対称でのリズム感、スペイン風瓦の使用、陶製人面像の装飾などを配し建築した。」とあり、上田辰三の名前が出てくる。

上田工務店の詳細はネットでは不明で、上田辰三は社長、松村次郎は設計実施者なのだろうか。

 

京都府立図書館。京都市左京区岡崎成勝寺町9。2008(平成20)年3月9日

 

写真は1995(平成7)年の阪神淡路大震災で被災したため、ファサードを保存して建て替えられたもの。2000(平成12)10月竣工、2001(平成13)年5月の開館である。

元の建物は、1909(明治42)年に竣工、設計=武田五一、施工=直営、構造=煉瓦造3階建。『近代建築ガイドブック[関西編]』(石田純一郎他著、鹿島出版会発行、昭和59年、2800円)には「設計は当時京都高等学校教授だった武田五一」「この建築は歴史様式に依拠している。しかし、全体に漂うグラフィカルな平面性は様式からの脱却を感じさせる。家具はアール・ヌーヴォーそのものである。成功作とはいえないまでも、武田五一の面目躍如たるものがあるといえよう」とある。

 

『近代名建築 京都写真館』(福島明博著、日本機関紙出版センター発行、1996年、1800円)では、武田五一を「新感覚派」として説明している。京都府立図書館についての言及とは言えないようだが、その箇所を引用しておく。

 コンドルの第二世代が置かれた20世紀初頭は、歴史様式の基本が崩れつつある状況のなかで、歴史主義の延長上で活路を見出さなければならなかった時代である。

 彼らは、①新感覚を追求する(歴史主義にモダンデザインを導入する)。②ヨーロッパの歴史主義を深化させる。③アメリカ歴史主義を輸入する、の三つの流れを見つけた。

 新感覚とは要するにモダンなセンスの歴史主義ということであるから、以後に続く様式のモダンデザインと歴史主義の中間ともいえる。こうした立場をとった建築家に武田五一(1872~1938)の他、野口孫市、田辺淳吉、安井武雄、桜井小太郎などがいる。新感覚派の動きは大正半ばで急速にしぼんでしまう。

武田五一のごく初期の作品で、以降の作品では京都府立図書館のようなデザインの建物はほとんどないようである。重厚さとは逆を行く、目に優しい感じがぼくはいいと思うのだが。

 

京都市美術館。京都市左京区岡崎円勝寺町。2008(平成20)年3月10日

 

京都市美術館(現・京都市京セラ美術館)は昭和天皇即位の大礼を記念して建てられた。当初の名称は「大礼記念京都美術館」。市民の寄付を募って、百万円が集まったという。竣工は1933(昭和8)年、原設計=前田健二郎、実施設計=京都市建築課、施工=清水組、鉄筋コンクリート造2階建。原設計というのはコンペによる1等当選案に従ったものということだ。

『ウィキペディア>前田健二郎』によると、彼は「逓信省・第一銀行勤務を経て独立。戦前から戦後にかけてモダニズムとは一線を画した作品を多く残す。「コンペの前健さん」の異名を取り、戦前の数々のコンペティションに入選したが、実施実現できたものは少ない」「1916年(大正5年)東京美術学校図案科(東京芸術大学建築科の前身)卒業」とある。コンペの要件として「建築様式ハ四周ノ環境ニ応ジ日本趣味ヲ基調トスルコト」があり、和風の屋根を乗せた帝冠様式にしている。

1946(昭和21)年には駐留軍に接収されて、解除されたのは1952(昭和27)年。「京都市美術館」に改称して再開された。

当ブログで「前田健二郎」を検索したら、『川越商工会議所/川越市仲町1』が出た。

 

 

東華菜館。京都市中下京区四条大橋西詰斉藤町(さいとうちょう)

1992(平成4)年8月6日

 

四条大橋の西の袂にある北京料理のレストラン。近代建築としても有名で、全館、東華菜館が使っている。客は1食1万円くらいの心づもりで来るのかと思うが、5階建のビルが埋まるものなのだろうか?

建物は、設計=ヴォーリズ建築事務所、施行=大林組、構造=鉄筋コンクリート造5階建、1926(大正15)年、西洋料理店「矢尾政」として竣工した。外観の様式は「スパニッシュの中でもスペインバロックと呼ばれる過剰な装飾を特徴とする」(一粒社ヴォーリズ建築事務所>建築作品>東華菜館)。

ヴォーリズの設計した作品には教会と学校が多く、『ウィキペディア>ウィリアム・メレル・ヴォーリズ』に載っている商業建築は、銀行を除くと、東華菜館と大丸心斎橋店(1933年、大阪市)だけである。

東華菜館の「歴史」には、「大正の頃よりビアホールブームが始まっており、大正13年、「矢尾政」二代目店主・浅井安次郎氏が新しいビアレストランをイメージし、その設計をウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏に依頼」とあるだけで、詳しいことは分らない。

「戦時色が深まる中、洋食レストランの存続が許されない状況になり、浅井安次郎氏はこの建物を中国人の友人・于永善に託しました」というから昭和15年頃には店は休業してしまったのだろうか。戦後は、昭和20年末、北京料理の東華菜館として復活した。

 

京都市立立誠小学校。京都市中京区蛸薬師通河原町東入ル備前島町(びぜんじまちょう)。1992(平成4)年8月6日

 

『ウィキペディア>京都市立立誠小学校』によると、立誠(りっせい)小学校は、1869(明治2)年に「下京 第六番組小学校」として開校した。場所は河原町三条の大黒町。1877(明治10)年に立誠小学校に改名している。1924(大正13)年、新京極の大火により校舎が類焼、それを契機に現在地に移転するのだが、決行までにはゴタゴタがあったようだ。

写真の校舎は、1928(昭和3)年1月竣工、設計=京都市営繕課、施行=不明、鉄筋コンクリート造3階建のロマネスク様式の外観。校舎は北棟と南棟があり、その間を玄関の棟が結んでいる。

正面玄関へは木屋町通(きやまちどおり)から高瀬川に架けられた石橋を渡って入るのがいい雰囲気だ。橋の名前が分らない、というより名前があるのかも分らない。校舎の建設に合わせて架けられたのだとは思うが。

 

立誠小学校は児童の減少により、1993(平成5)年3月で閉校して高倉東小学校に引き継がれた。最後の卒業生は11人。その後、校舎は「元・立誠小学校」の名前でさまざまなイベントに使われてきた。

2020(令和2)年7月に、校舎の西に8階建の、ホテルなどが入る新館を建築して「立誠ガーデン ヒューリック京都」が開業した。

当記事の写真は閉校する半年前のもの。

 

北村カメラ店。京都市中京区大黒町(だいこくちょう)33。1992(平成4)年8月6日

 

河原町通の河原町三条交差点の南西の家並み。ストリートビューを見ると、写っている建物は全て現存している感じだ。店は全て替わっていると思う。写真からは左のビルが「ロッテリア」。その右は写真では分らない。そして「カメラの上田」。その右は「天津あま栗」「京菓子」が読める。その右は交差点の角になる。建物上の広告「EL POLLO LOCO」が店名なのだろうか?

2009年10月のSVでは、上田カメラ店の2階の広告が外されて建物が見えている。両隣と同じように洋風の看板建築だ。

 

ハマムラ美容室。京都市中京区大黒町(だいこくちょう)。1992(平成4)年8月6日

 

河原町通の河原町三条交差点のすぐ南で、写真左の路地は南大黒橋通。その角のハマムラ美容室の木造3階建と思われる洋風の建物はいつ頃の建築なのだろう。ストリートビューを見ると、2014年6月に取り壊しが始まっている。今は路地の奥に建ったホテルへの通路のようになっている。

ハマムラの右は「京都共栄銀行」。『ウィキペディア>京都共栄銀行』によると、第二地方銀行で、1997年に経営破綻、1998年に幸福銀行などに営業譲渡している。写真の店は「河原町三条支店?」あるいは「中京支店?」。2009年10月のSVでは「オーエスドラッグ」という薬屋になっている。

写真右は「HONKO…」と読めるが、2009年のSVでは「MIKADOⅡ」というパチンコ店。白い外観を取り去ると、2015年のSVで見られる3階建のかなり古そうなビルだ。2024年頃に現在のニッケイ(ナイキ京都店)の外観に改装したようだ。

 

サノビル。京都市中京区米屋町(米屋町)。1992(平成4)年8月6日

 

河原町通の、四条河原町交差点のすぐ北にある小さな3階建てビル。縦長の窓、壁上部の六角形を伸ばしたような形の飾りなどで昭和初期の建築のように見える。繁華街にあって現存している。「SANO」の看板がある(今はない)のと、2009年頃に建物右上に「SANO BLDG.」の字が取り付けられたのでビルの名称が分かる。

右の「ナガサキヤ」は「カステーラ」を売っているので洋菓子店らしい。『ウィキペディア>ナガサキヤ』の「株式会社ナガサキヤ」だろうか? だとすると、「1995年に河原町通に新築した本社ビル」「2000年7月に事業不振などで倒産」などとある。今は「河原町オーパ」のビルになっている。