「皇帝と女スパイ」
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写真上は、第二次世界大戦中の満州国皇帝、溥儀のポートレートです。
オリジナルです。
多分、
当時中国に居た、私の祖父が撮ったと思われますが、
直接聞く機会がなかったので、確証はありません。
溥儀の別名は、「ラスト・エンペラー」。
ベルトルッチ監督の同名の映画は、
アカデミー賞で、9部門を受賞し、坂本竜一の映画音楽でも有名になりました。
彼のおかれた当時の状況が、彼の憮然とした表情に見て取れます。
この写真は、どちらかというとスナップ的に撮られているようです。
35mmカメラで、多分ライカでしょう。
写真下は、やはり満州国の女スパイで、
東洋のジャンヌ・ダルクと呼ばれた
川島芳子の写真です。これもオリジナルプリントです。
集合写真の一列目の女性のアップが、下の写真です。
川島芳子は、当時天津で中華料理店も経営して繁盛していたそうです。
戦後、日本に協力したかどで、中国政府に処刑された悲劇のヒロインです。
彼女も、映画「ラスト・エンペラー」に登場していました。
祖父は、集合写真の中で、川島芳子といっしょに写っています。
この写真は、現地の写真館のカメラマンが撮影したようです。
プリントサイズは、ほぼ、8×10インチです。カメラも8×10インチだと思います。
数年前に、ある記念館に、全く同じプリントがあることが判明しました。
現存するのは、2枚だけのようです。
彼女は、当時、女スパイとして男勝りの戦士的なイメージがありました。
そのためか、残っている写真は、
軍服を着て厳しい表情をしたものばかりです。
最近、そのイメージは作られたものであるという説が出てきました。
本当は、とても女らしい、やさしい女性だったと言われています。
この写真を見る限り、その方が正しいような気がします。
昭和の激動期に大国の思惑に翻弄された彼女の悲しげな笑顔が、とても哀れです。
写真は、いろんなことを語りかけてくれます。
「青島(チンタオ)1930年代」
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この写真は、今から約70年前の、
中国は、青島(チンタオ)の街角のスナップです。
当時、青島は、ドイツ租界といって、
ドイツの治外法権的な領土だったそうです。
この写真は私の祖父が撮ったものです。
母は、この青島で生まれ、子供の頃は中国語の方が上手かったといいます。
祖父は当時、中国で、三井物産の綿花取引部門であった(東綿)トーメンで
綿花の買い付けを担当していました。
祖父は、道楽家で、カメラ収集と写真撮影が趣味でした。
この写真は、多分、ローライフレックスで撮影されたものだと思います。
引き伸ばし機がなかったようで、
ベタ焼きが数多く残っています。
当時は、写真撮影というと、大きな蛇腹式のカメラを三脚に乗っけて撮るという、
大掛かりな撮影方法が一般的でした。
小型、中型の携帯が可能なカメラがほとんどなかった時代です。
あったとしても、ローライフレックスとかライカという、
当時、家が買えそうな高価なカメラばかりでした。
ですから、当時のスナップ写真というものは、
ほとんど現存していません。
祖父は、ドイツ租界にいたので、
なんらかのコネで、ドイツ製のローライと35mmカメラを手に入れたのでしょう。
35mmカメラは確認できていませんが多分、同じドイツ製のライカだったと思います。
祖父母が亡くなって、多くのプリントが私のもとに送られてきました。
それを、時間があると、デジタル化してレタッチ(修復)しています。
経年のせいか、定着液の不良が原因なのか、
オリジナルはモノクロなのに、変色しています。
最初、この変色を、クリアーなモノクロに補正したのですが、
どう比べても、この変色して、定着ムラのあるセピア調のプリントの方が味があります。
オリジナルは6cm×6cmの小さなプリントですが、
大きく伸ばしても、なかなか味のある描写力です。
絵画のようにも見えます。
映画でいうと、リドリー・スコット監督か、
ジャン・ジャック・アノー監督の世界ですね。
まだまだ修復は続きますが、
随時、発表していきたいと思います。