泳ぐ写真家龍之介 -80ページ目

「競合?」

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俳優さん、タレントさんを広告で使うときに、

制作者は、そのタレントさんのエージェンシーから

「競合」について確認されます。


競合とは、競合同業他社のことで、


例えば、資生堂の広告にでていたら、

コーセーの広告には使えないという内規のようなものがあります。


しかし、異業種であれば、問題ありません。



豊川悦司が、とてもインパクトがあってきわどい

「キンチョー」のテレビCFに登場しています。

「どっちのキンチョーがええんや?」

という、思わず、

「いやらしいわ~(*゚ー゚*)」と言いそうな、例のCFです。


同時に彼は、


日産のTIANAでしたっけ、

上品なインテリアが売りの車のテレビCFにも登場しています。

私は、最初に、この日産のCFを見たときに、


「キンチョー車内編」登場か?(ノ゚ο゚)ノ


と思わず緊張してしまいました。


しかし、それは、上品な車のCFだったのです。


「悪貨は良貨を駆逐する」ではないですが、

(キンチョーの制作者のみなさんすみません)

もう、現在の豊川悦司のイメージは

「キンチョー」に塗り固められています。


どんなに美しい画像で、演出が優れていても。

そこからは、

「どっちのキンチョーがええんや?」

という、あの声が聞こえてくるようです。


日産のキャスティングを担当した方は、

キンチョーのCFのことを知っていたのでしょうか?

とても興味があるところです。





「イメージトレーニング」

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私は、プライベートで、外を出歩くときに、カメラを持って出かけたことが、
ほとんど、ありません。
私は報道系のカメラマンではないので、

カメラを持ち歩くのは、あまり意味がないと思っています。


その瞬間をそのまま撮るよりは、演出して撮ることが好きだからです。


ですから、カメラを持ち歩く代わりに、

外で、興味ある被写体や風景に出会うと、

自分だったら、このカメラで、何ミリのレンズで、こういう演出をして、この方向から撮る。

というイメージをいくつか想像してみます。

そして、それらを頭に焼き付けるようにしています。


この習慣を続けていると、自分で考えたり想像したイメージが潜在意識に定着し、
実際にカメラを持っているときに、見た目とほぼ同じイメージで撮ることができるようになります。


イメージの詰めが甘いと、頭に描いたイメージとファインダーのイメージが乖離します。


子供の頃に、父から2眼レフをおもちゃ代わりにもらって、
カメラのファインダー越しに、外の風景とか、物を見るのが好きでした。
肉眼で見る外の風景は、ファインダーでは、こういう風に見える。
という感覚が、習慣になり、身についたと思っています。


このトレーニングは、とても、有効で、楽しいと思います。
何より、カメラを持っていなくてもできます。
物理的な制約が全くないのです。


人物撮影についても同じだと思います。
暇だと、オープンのカフェに座って、
通り過ぎる女性を眺めては、
「あの女性は、きっと、性格がこうだろうな。顔のつくりがああだから
こんなライティングで、あんなこと言って、こう撮ろう。」
なんて、勝手に考えています。


これが、意外と、実際に人を撮るときに役立っているのです。


すべては、まず頭の中から始まります。
そして次に何かしらの言葉にして、

形をはっきりさせます。


はじめに言葉ありき。

だと思います。

ニューヨークでは、アート、コマーシャル関係なく、

自分の撮った写真に対する説明を求められました。

今では、自分にとって、それは当然のことだと思っています。

写真には、言葉にできる意味が必要だと思っています。


そうしないと、いきあたりばったりの

偶然撮った写真の連続になってしまうと考えています。

「食と器」

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以前は、料理を撮るカメラマンは、

結構、器を所有していたものです。

自分の撮影スタジオの地下室が、

すべて、器の収納庫だというカメラマンもいました。


私は、料理は専門ではありませんが、

「陶芸家と器」の撮影をよく担当していたので、

器の重要性というのは、よく分かっているつもりです。


写真は、平凡社の「太陽」という雑誌の仕事で撮ったカットですが、

器は、巨匠、番浦史郎先生のお弟子さんの蓮善隆先生。

三重県の釜まで撮影に行きました。


奥様がわざわざ器に料理を盛り付けて

それを撮影しました。

やはり、器だけで撮るよりは、料理があった方が

華やかで、器もいきいきと見えます。


日本料理は見て楽しむものだと言いますが、

まさにそのとおりだと思います。


行きつけの鮨屋の板さんと、よく器の話をします。

新しい器が入ると、刺身をきれいに盛り付けてくれて、

「これ、どう?」

「いい感じだね。」

なんて、会話を楽しみながら、

酒を呑んでいます。

器に興味の矛先が向けられると、

食の楽しみは、2倍になります。