「ロバート・モンダヴィ」
「ロバート・モンダヴィ」は、
カリフォルニアワインのブランドとして有名であるだけでなく、
カリフォルニアワインを安価に流通させていることでも有名です。
日本でもスーパーに行くと、
このブランドは目にする事ができます。
モンダヴィはイタリアのワイナリー(確かフレスコバルディでした)
を買収して、ブレンドを施し、
独自のトスカナワインのブランドを立ち上げたそうです。
その後、
影響力のある雑誌の評価を意図的に上げ、
アメリカでの評価を決定的なものにしたようです。
本日、BSで海外のドキュメンタリーを見ていたら、
そのように批判的に報道していました。
トスカナのある小さな酒屋の主人が、
「アメリカで売っているトスカナワインは、みな同じだ。あれはトスカナワインではない。
手を加えすぎている、みな同じブレンドだ」
と怒っていました。
モンダヴィのこの試みは、最初フランスで行われたようですが、
下心を見透かされたため、失敗に終わったとか。
アメリカに対し、疑り深いフランス人は、この点、なかなか利口なようです。
イタリアでの成功を誇らしげに笑う、モンダヴィ氏の笑顔は、
いかにも、品がなく、成金的で、
とても嫌な感じを与えました。
ちょうどこの時期、私はベネチアにロケしたのですが、
撮影の後、
ベネチアで近代ヨーロッパ時代から続く、骨董屋で、
ご主人が興味深い話をしてくれました。
主人曰く、
「日本人が買い物に来ると、これは、いつ誰が使っていた物か?どんな由緒があるのか?」
と、必ず尋ねてきて、その物の歴史的価値に対する敬意というものが感じられる。
しかし、アメリカ人はね、
金細工が使ってある骨董品を店内から無造作に集めて来て、これらの中に含まれる
金の重さはどのくらいだ?、ん!2kg? だったら○ドルくらいだな?
なんて言うんだ。金の値段の相場で売れというんだよ!」
と、怒るやら、ばかにするやら、憤懣やる方のない様子でした。
アメリカ人に、生活文化にまで、
歴史的価値を求めるのは、
無理かもしれないと、私は考えますが、
多様性を無視して、自分たちのスタンダードとして変容させ、
それを、世界中に押し付けるやり方は
結構悪どいものがあると思います。
金融危機で、我が世の春を謳歌してきた投資銀行も
そのシステム自体が終焉を迎えそうです。
よいことだと思います。
ついでに、マクドナルドやスタバに代表される
似非グローバリズムも終焉を迎えて欲しいものです。
伝統とか多様性を無視して、スタンダードを押しつけ、
実利に走る、悪しきアメリカ人を見ていて、
久々に、怒りました。
カリフォルニアワインのブランドとして有名であるだけでなく、
カリフォルニアワインを安価に流通させていることでも有名です。
日本でもスーパーに行くと、
このブランドは目にする事ができます。
モンダヴィはイタリアのワイナリー(確かフレスコバルディでした)
を買収して、ブレンドを施し、
独自のトスカナワインのブランドを立ち上げたそうです。
その後、
影響力のある雑誌の評価を意図的に上げ、
アメリカでの評価を決定的なものにしたようです。
本日、BSで海外のドキュメンタリーを見ていたら、
そのように批判的に報道していました。
トスカナのある小さな酒屋の主人が、
「アメリカで売っているトスカナワインは、みな同じだ。あれはトスカナワインではない。
手を加えすぎている、みな同じブレンドだ」
と怒っていました。
モンダヴィのこの試みは、最初フランスで行われたようですが、
下心を見透かされたため、失敗に終わったとか。
アメリカに対し、疑り深いフランス人は、この点、なかなか利口なようです。
イタリアでの成功を誇らしげに笑う、モンダヴィ氏の笑顔は、
いかにも、品がなく、成金的で、
とても嫌な感じを与えました。
ちょうどこの時期、私はベネチアにロケしたのですが、
撮影の後、
ベネチアで近代ヨーロッパ時代から続く、骨董屋で、
ご主人が興味深い話をしてくれました。
主人曰く、
「日本人が買い物に来ると、これは、いつ誰が使っていた物か?どんな由緒があるのか?」
と、必ず尋ねてきて、その物の歴史的価値に対する敬意というものが感じられる。
しかし、アメリカ人はね、
金細工が使ってある骨董品を店内から無造作に集めて来て、これらの中に含まれる
金の重さはどのくらいだ?、ん!2kg? だったら○ドルくらいだな?
なんて言うんだ。金の値段の相場で売れというんだよ!」
と、怒るやら、ばかにするやら、憤懣やる方のない様子でした。
アメリカ人に、生活文化にまで、
歴史的価値を求めるのは、
無理かもしれないと、私は考えますが、
多様性を無視して、自分たちのスタンダードとして変容させ、
それを、世界中に押し付けるやり方は
結構悪どいものがあると思います。
金融危機で、我が世の春を謳歌してきた投資銀行も
そのシステム自体が終焉を迎えそうです。
よいことだと思います。
ついでに、マクドナルドやスタバに代表される
似非グローバリズムも終焉を迎えて欲しいものです。
伝統とか多様性を無視して、スタンダードを押しつけ、
実利に走る、悪しきアメリカ人を見ていて、
久々に、怒りました。
「ハロウィーン第一弾」


ニューヨーク1993年のハロウィーン・ナイトです。
この頃は、
もうすでに帰国して東京で仕事をしていたのですが、
いくつか、アメリカ東海岸方面で仕事が発生したので、
ちょうど、ハロウィーンの頃、1ヶ月ほど、NYに滞在していました。
この頃のNYは、本当に屈託がなく、底抜けに明るかったと思います。
昼過ぎまで、ボストンでロケ撮影をして
夕方からは、NYで、急に入った撮影をこなしました。
この撮影は、ジョルジョ・アルマーニ氏の主催する大きなパーティーで
プレスとして、アルマーニ氏のショットを押さえてくれという依頼だったのですが、
結構、セレブやスーパーモデル連中もいて、
ちょっとしたパパラッチ気分でした。
仕事から解放されてから、
一晩中、知人、友人が開催するパーティーをはしごしました。
その途中、街中でいろんな仮装パーティーに遭遇して、
フィルムに納めました。
上の写真は、ファッションデザイナー、ガブリエラさんと友人たち。
真ん中の女装したおっさんは、背が2mくらいあって、
すね毛もじゃもじゃ、ミニスカート+ハイヒールで、
ひときわ、異彩を放っていました。
下の写真は、何の仮装なのか未だ不明です。
アニメの主人公なのでしょうか?
暗がりからいきなり、いっせいに、この格好で現れたので、
結構あせってしまいました。
しかし、よく見ると、おねえちゃんたちは、
みんな美人で、
だから、よく覚えています。
夢のようなハロウィーン・ナイトでした。
「ゴスペル」

アメリカのゴスペル番組で、
ゲストで常連だったのがこのパティ・ラベル。
ルックスも声量も「こぶし」も度迫力で、この人が歌い始めると、
興奮で足踏みしながら、エンディングが延々と続き、
曲がなかなか終わりませんでした。
もう終わりかと思うと、また、エンディングのリフが続いて、
もうトランス状態(恍惚、ハイ状態)で、聴衆も大興奮でした。
そう、ゴスペルにトランス状態はつきものなのです。
ハーレムにある福音派の教会では、
聖歌隊のゴスペルに合わせ、皆が歌い、踊り、
次第にトランス状態に上り詰めて行きます。
ミサが終わりの頃になると、
教会の前には、誰も連絡もしないのに、
救急車が2~3台やってきます。
そして、ミサが終わると、
失神したおばさんたちが担架に乗せられて
運び出されるというわけです。
友人のアパートから教会を見下ろしながら
その光景を唖然としながら眺めていました。
映画「ブルースブラザース」の教会でのシーンは、
誇張でもなんでもなかったのです。
なにがそうさせるのか、分からなかった私は、
一度、知り合いの誘いで、ミサに参加してみました。
そして、その私が、危うく、救急車のお世話になりそうになりました。
酒も薬の力も借りずに、これだけの、興奮と至福を味わえるのは、
ゴスペル以外にありません。
ジーザス・クライストのパワーは偉大で、永遠です。