霞ヶ関ビルの展望台は誰一人いなかった。僕は中島みゆきの歌をくちずさんだ。

♪ふたりだ~け この世に残し 死に絶えてしまえばいいと 心ならずも思ってしまうけど それでもあなたはわたしを選ばない~♪

今のふたりにこれだけ似合う歌はありそうになかった。僕は泣けないほどの奥深い闇に向かって舌を出した。ワコはまだ諦めそうになかった。僕はどうしたらいいのかわからなくなった。もう一度ワコを抱きしめることも考えた。でも…無理だった。

僕の愛は無力だった。ワコの愛も無力だった。ふたりには世界を敵に回す根拠はなかった。僕は自分の生み出したアルバトロスを始末することが出来なかった。ワコには新しい恋を待つ勇気がなかった。

そろそろ帰ろう…

僕の言葉に不満そうな気持ちを隠さずにワコはこう言った。

隆…もう嫌い

やろね…

僕は自分の為にデートの誘いに応じたことにすこし後悔した。アパートでひとりで魘されているより、自分を好きな女の子といるほうが楽だった。僕の痛みを別の形にして出してしまえるからだ。その頃にはもうギターを弾くことができなくなっていた。辛うじて歌うことはできた。でも僕はバンドをやっていなかった。だから誰かに本当の事を伝えたかったんだ。

その日、ワコは僕が言う一言を怖がっていた。

ワコ、もうすぐ救急車の音、聞こえるよ。誰か事故したんかな?

           …

僕がそう言った数十秒後には必ず救急車のサイレンが鳴った。ワコはその度に怯えていた。普通の女の子なら帰ってもおかしくない、っていうか、帰るだろう。それでもワコはずっと僕のそばを離れなかった。

僕はワコにそばにいて欲しかった。でもワコを好きになるのが怖かった。痛みに一緒に耐えてくれ!なんて言えなかった。そう言った途端、僕はほんとうに気が狂ってしまいそうな気がした。ジョンレノンは気狂いの甘チャンだとしか思えなかった。

僕はその頃、きっと病気だったんだと思う。まず1週間近くろくに眠れなかったし、大きな黒い鳥のような幻に苦しめられていた。

普通なら睡眠薬を飲むか医者にかかるかするだろう。でもその頃の僕は、どちらもできなかった。『この黒い鳥と戦わなければ…』そんな使命感のようなものが僕に耐えがたい苦痛を耐えさせていた。

ワコと待ち合わせした日は、チラチラと雪が降っていた。肝心な時はいつもそうだ。初めて京都に行った時も雪が降っていた。

上野動物園に着く頃には雪はすっかりやんでいた。僕は、僕らのいる場所は大きな墓場なんだ!って何故かそう思った。大きな黒い鳥はきっと僕を迎えに来るだろう。何故僕を迎えにくるのかはわからない。でも、何千人かいる動物園に遊びに来ている人間の中で、確実に僕だけを狙って飛んでくる気がしていた。僕はそれが怖かったんだ。だからワコに守ってもらいたかった。ワコの愛で守って欲しかった。

ワコとふたりでたくさんの動物たちをみた。まるで友達のようだった。僕を食おうと鎌首をもたげるニシキヘビ。『なんでココにいるの?』と聞いてくる駱駝。僕には彼らの気持ちがわかる気がした。動物たちばかりか、すれ違う人みんなの気持ちが入ってくる。1時間もしない間に、僕はその感情を受け入れるのが辛くなり、ワコに『動物園を出たい!』と訴えた。

ワコは僕のことが好きだった。だからなんでもいうことを聞いてくれた。僕らは人気のない通りを探して歩き、ロックや仕事の話をした。僕はそれだけでも苦しかった。人に伝えるために喋ることさえ僕には不要だった。僕だけが人の気持ちをわかり、僕だけが自分の気持ちを伝えるために何故こんな努力をしなけりゃいけないのか?と思っていた。

僕はワコのことを抱きしめようかと思ったこともあった。でもそれは無理な気がした。これ以上ワコに荷物を持たせることは、彼女を破滅させる気がしていた。そして、それは僕が破滅することも意味していた。

      僕はまずアルバトロスと戦わなければならない!

腹の奥底からいつもそんな言葉にならないメッセージが聞こえていた。僕はアルバトロスを殺す為に選ばれた戦士だった。それは僕とワコが生き残る為だったんだろうか?僕はそうは思わなかった。でも、そう思いたかった。

僕はもう駄目かもしれない…


山の斜面にそのままみかんの木を植えた畑の真ん中に腰を降し、僕は途方にくれていた。ここはまるで監獄のようだった。抜けるような青空、肌を撫でてゆくすこし冷たい風、前方には小高い山が幾重にも連なっている。遠くのほうは紺色にみえる。山の向こうのほうからトランペットの音が聞こえてくる。中学校のブラスバンド部の誰かが練習しているんだろう。

ひとりでここにいると、世界中で起こっていることは、小さな箱庭に住む小人たちの営みのように思えてくる。僕はその外にいて、アルバトロスが来るのを待っている。

アルバトロス…もし君が神様の使いなら、僕をどこに連れていこうとしてるんだろうか?もし希望が叶うなら宮沢賢治のイーハトーヴなんかいいかな?そんなことをすこし考えて、やはり馬鹿化たことだと思う。

しなやかな足取りで夕暮れが近づいてくる。きっと明日もこんな風に過ぎていくんだろう。何事もなく、僕は生まれた場所で仏像のように畑の真ん中に一日中座り、君のことを考えている。君のこと…。そう僕にも君とちゃんと出会うチャンスがあったに違いない。

夕暮れに背中を押されるように、僕は畑の脇に作られた小さな土手のような小道を辿って家路に着いた。『僕宛に手紙が来ている』短くそういう母からバトンを受け取るように手紙を受け取り、納屋の2階に設えた自分の部屋に急いだ。きっと彼女からだろうと思った。

              私の好きなバンドが解散しました

白い便箋の真ん中に、僕を咎めるようなタッチの字が書いてあった。背中がゾッとした。またか!と思った。

ワコと上野動物園の帰り、どこかの公園で彼女の好きなバンドを見たのはもう3ヶ月くらい前になるだろうか?僕がバンドマンを諦め東京から実家に帰ることを伝えた1週間後のことだった。ワコの強い希望で一度だけデートをすることになったのだ。僕は彼女に興味があった。セックスしてもいいと思った。それが正直な気持ちだった。でも、そんなことを本人に言える訳はなかった。ワコの気持ちがわかっていたからだ。遊びじゃ終われないだろう?!自分にそう言い聞かせ、雪の中を新宿アルタ前まで向かった日のことを思い出した。
ついおく
よくぼう


ボブディランが初来日したのは、もう30年近く前になる。
僕は16歳、高校1年だった。はじめて聞いたレコードは『欲望』だった。
中学校時代のロック好きの友達と、学校をさぼり徳島からフェリーに乗って
大阪の枚方市にある松下電器体育館までコンサートを見に行った。
チケット代は当時では考えられない高価な額¥10,000だった。

豆粒のような大きさのディランは、レコードのジャケットでよく見るカジュアルな服
装ではなく、白いスーツでキメ、まるで演歌歌手のようだった。
いつもレコードでしか聞いたことのないしゃがれた太い声。独特のふてくさ
れたようなメロディー、大合唱する1万人の観客、その場所で行われている
事は、なにか儀式のような宗教性をおびていた。

僕は家に帰ってから『追憶のハイウエイ61』や『欲望』を聞きまくった。
it was written


Nasのライムの特徴を一言で言い表すと『喋り言葉の書き言葉的展開』ということになる。すこしわかりにくいかな?要は、他のラッパーと違って文学的な気がするのだ。彼がリリシスト(詩人)と喩えられるのも頷ける。一番資質が近いのはBOB・DYLANだろうな。音楽のスタイルは違うけど、もし二人が似たような音楽環境に置かれれば、そっくりな歌を歌うんじゃないかな?

さて、僕は今も約10年前に発売されたこの作品『it was written』をよく聞く。HIP・HOPが空気のようにある若い子らと違い、様々なROCKを聞いてきた耳にはこの作品が一番聞きやすい。ボブディランが好きな人はよかったら聞いてみて!