今年で何回目の良寛会への会員投稿なのか?と思いハードディスクの保存データを見つけてみた。2019から4カ年分の記録が見つかった。読み比べ観ても自分の成長は感じられない。むしろ良寛から離れれていく。僕は良寛に対しての憧れを持ちながらそこに近づけない自分を感じている。一方いまでは自分の役割を良寛には近づけられないが良寛もどきの自分を役割を勝手に定義して満足している感じもする。せっかくだからブログ読者に山本龍のこの数年間の変化みたいなものを感じてもらいたいと思いこのブログにまとめてUPします。
何やった!的な主張ばかりの話ばっかりです。

違うでしょう。「私がやる!」ばかり。

萩原朔美さん 「展示がえばっている。そのことになんの疑問を持たない怠惰さ」
私への忠告だ。
――――2023良寛会へのメッセージーーーー
前回も書きたと通り、この会員投稿は私にとっては一番の難解です。なぜならば心を語らなければならないからです。政策や予算案、その成果や街並みの課題解決の手法を語るのではなく、私の「心」を語る…吐露することは難しい。どうしても政策との関わりの中で語りたがる。それが政治担当者の習性なのです。「生きるままに生きる・無為自然」、なんて私には難しいことです。常に市民が何を考えているのかを感じながらその枠の中でしか動けないのが私たちの特性です。
歎異抄は親鸞の生き方を後世の人たちが編纂した読み物です。※お弟子さんたちと書きたいのですが 親鸞さんは弟子を持たなかったと言っている。その中で私が知った「他力本願」の本当に意味。現在、「人任せ」だとか悪い意味に使われていますけれどもでも本当の 意味は、人はお釈迦様の力を信じればいいのだと言うことです。私にとって頼るべきお釈迦様?仏様?とはなんだろう。それは「市民の善意」です。市民は自らの意思で社会をつくる。市民自らが幸せを手に入れる。行政はそれらのお手伝いをすることが市役所の役割なのだ。それが、私自身が気付いた「市民主体の政治」というメッセージです。
だから私は一人ひとりが幸せをつかむための応援団です。彼らの生きる人生の舞台の大道具係であり小道具係でありそしてお掃除係である。ひとりひとりのみんながここで自分の幸せになる人生を自分の台本で歩んでいるのだ。と私は信じます。舞台の上に釘は落ちてないのか?どこかに腐った板があるのではないのか?みんなが踊りやすいように掃除をしておこう。それが私の心がけです。行政の役割でもあります。具体的に言えば
・どこにも自由に出かけられる移動交通であるマイタクやデマンドバス。
・若者たちがチャレンジできる空き店舗の支援事業
・子どもたちの学習を応援する教育や医療費負担の権限
・障害者の授産事業の応援
・市民活動の応援・・・・ きりがないぐらいのステージを私は掃除しています。
市民のおどりやすい環境を作ってきたつもりです。何度も言います。行政は舞台を作るけれども踊るのは一人ひとりです。どんな踊りが生まれるのかそれも一人ひとりの想像力が決めることだと。
今回のマイナンバーカードによる新たな市民サービスもきっと皆さんにとってはなんとなく便利だなと思ってくれるはずです。「なんとなく」でいいのです。孔子様が旅ゆく先で出会った人々がお腹を抱えて楽しそうに踊っている様子に出会い、「この国は善政の王の名は?」と問うと人々は「知らない。」との答え。これが「鼓腹撃壌」の起源です。これこそ市民主体のシンボルではありませんか。「市役所の恩着せがましい、やってやってる感ギラギラの政策など知らない!私たちは自分の意思で幸せになる!」。とても良寛さん的なメッセージではないでしょうか。
―――――2021 良寛会会報へ寄稿―――――
スーパーシティ・スローシティの根底にある良寛さんの心
私にとってこの原稿を書くことは他のいろいろな行政情報誌や団体機関誌への寄稿文と比べはるかに難解な宿題です。なぜなら「良寛さん」の心を語らなければならないからです。日々の課題に悩み逡巡し右往左往する「山本龍」と子どもたちと毬遊びをして過ごす「良寛さん」は重ならないでしょう。
「山本龍」は全く良寛的な生き方をしていません。私は敢えて混乱の中に身を置いている。自分の心の安寧を求めるものでもなく、混沌な時代だからこそ社会変革を焦って促しているのです。「良寛さん」のようにありのままを受け入れる心は私の中にはありません。次から次へと生まれる課題、そして次から次へと求められる対策、湧きあがる問題の根本にある社会の病巣への接触…
リーダーシップの形は変革期と安定期の形が二種類存在するのかもしれません。イギリス首相チャーチルがヨーロッパの戦争の中でヒーローになり、そして戦後、彼は首相を退きます。有時と平時のリーダーシップの違いを感じます。
でも、これからの社会に安定期という時代が訪れるでしょうか?私はコロナ禍についてだけ申し上げているのではありません。
社会は常に変化している。怒涛のような社会変化のうねりは常に私たちを混沌へ押し出そうとしています。未知の社会へ準備もしないままに放り出されるのか?あるいは一定の覚悟を持って未来へ漕ぎ出そうとするのか、その違いは大きい。どのような時代に直面したとしてもどのような覚悟があるかでその人の見る社会は違って見えるでしょう。
医療テクノロジーの進歩によって平均寿命が百歳になれば、その年月を乗り越える心のあり方が求められる。どのような技術革新やどのような社会変動があったとしても最も大切なことは 心のあり方だと思います。それこそが「良寛さん」に私達が学ぶべきことです。 混乱の中にただうろたえるのではなく、それを受け入れ乗り越えられる心のあり方。
デジタルの力で社会課題を解決しながら、一人一人の暮らしを支えていくという社会を目指すスーパーシティ、同時に、私がスローシティという言葉を並べたのは、そんな私の覚悟からです。みんながこうなったらいいだろうという希望の社会を作ること。そしてそのみんなの心の余裕の中に、良寛さんのように子ども達と遊ぶ心が生まれて欲しい、との願いです。
それがこのスーパーシティ・スローシティの根底にある「良寛さん」の心です。良寛さんの「紅葉を我が形見と思ってくださいね」と伝えていることと同様にこんな未来を子どもたちのために残したい、私自身の唯一の願いです。
形見とて 何残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉
良寛に 辞世あるかと 人問はば 南無阿弥陀仏と 言ふと答へよ
―――――2020「スローシティと良寛の教え」―――――
越後の出雲崎の小さな声で過ごした良寬から、私が学んだ大切な教え。その教えを活か
すために私は、赤城山を中心に地域の伝統や文化、自然を大切にするスローシティの取組を
進めることにしました。前橋市は、厳しい審査を受けてスローシティ国際連への加盟が2017年5月に認められました。当時、世界で30か国236都市が加盟しており、日本では気仙沼市に次いで2か所目の登録でした。赤城南麓に住む人たちが築いてきた歴史・文化・自然環境が世界に認められた証です。
赤城山には良寛さんが愛した暮らしが詰まっています。日々の暮らしと誠実に向き合って生きる時間に溢れているからです。そして今、新型コロナウイルス感染症がもたらした社会の変化により、東京から赤城山へ移り住む方々が増えています。時間がゆっくり流れることは暮らしやすさの指標であり、良質さんのように人間らしく生きるために大切なものです。先日、東京で活躍する前橋市出身の経営者と話をする機会がありました。は「社員が仕
事するオフィスは不要になるだろう。それよりも、東京のオフィス以外で集中できる環境で
仕事をしてもらったほうが会社にとっても社員にとっても良き結果を生み出す。」と語って
くれました。今後、東京のオフィスから地方へと働く場所が移っていくでしょう。
そして、働く時間もそれぞれの働き手の自由散量にゆだねられるでしょう。デジタルテクノロジーの恩恵により、9時から17時まで時給○○円という仕組みそのものが変わっていく時代です。前橋市の田園の中で小鳥のさえずりや風に揺れる木々のそよぐ音、緑の葉を透かし届く光、森を貫くオレンジの夕陽、まさに私たちが忘れていたことです。
もみぢ葉は 散りはするとも 谷川に 影だに残せ 秋の形見に
良寛の和歌には悠久たる時間の流れの中の一瞬を大切にする気持ちが感じられます。
私たちは都会の時間の激流の中で忘れていたものを取り戻すべきです。その可能性が
橋・赤城にはあるのです。そのためにも、赤城山は良寛さんのような生活に憧れる仲間たちを受け入れる場にしなくてはいけません。我々だけが享受するのではなく、幸福な未来のために分け合う資産であるべきです。観光・移住は、暮らしや我々の大切にしてきた価値を提供し感じてもらう手段です。通勤電車で揺られ高層ビルの中で働く大都会の人たちに私たちの暮らしの豊かさを分けることなのです。だからこそ前橋・赤城に「スローシティ」が必要です。
――――2019「論語の精神と良寛さん」――――
良寛の教えは私に何を与えたのか?「無私」の精神です。それは私:山本龍には苦しいものです。「無私」とは私のすべてを否定するものです。しかし私は社会を変えようとしています。私は人を導き、社会を変革させ、幸せを増加させたいという欲の塊が私:山本龍です。
私は前橋市を誇りある郷土にするために、市民を導きという役割を果たしてきました。
当選した2011年からの5年間で前橋市は変化の端緒に就きました。市長としての7年間で市民の信頼される市役所に変えたと自負しています。来る日も来る日も人々を変革へ導く気持ちがあれば、社会は良くなる。それが私のリーダーシップです。
人は誰しも変革を恐れます。変化への先に幸福が保証されていないからです。しかしリーダーは立ち止まることは出来ません。眼前に大きな崖があれば進路を変えなくてはなりません。砂漠に水を求めてキャラバンを進めなくてはなりません。遅れる市民を励まし、別の道を進もうとうする市民を納得せねばなりません。
その私に山里にそっと暮らし、子供たちと毬遊びを過ごす良寛さんの姿は社会変革に立つ私からみれば、怠慢なエゴイストに映ってみえます。私のモデルは吉田松陰さんや田中正造さん、そして大塩平八郎です。そこに書かれた言葉は「知行合一」です。学んだら行動せよ!との教えです。そのことば通り、この3人は社会変革のために行動し、吉田松陰は処刑され、田中は行き倒れ、大塩は自決します。行動し自らの人生を閉じます。これも無私です。
良寛さんの言葉を読み直す機会がありました。改めて今読む良寛の残した言葉は、その「力強いリーダーシップ」とは一線を画するものでした。そのことが大いに私を悩ませました。何かを達成しようと努力しない良寛さんの生き方は、変革を達成しようと足掻く私にとっては理解できないものでした。しかしこの一点「無私」とは良寛さんの人生でもあります。
「捨てる事」しかも「自らまでを捨てられる覚悟」を私は良寛さんに感じるのです。良寛さんの言葉では「無一物」です。
「変革を促す」のではなく「あるがままを愛する」事だったのです。その気付きは良寛さんの歌から与えられました。良寛さんは現状を肯定し、受け入れ、社会を疑わず、愛するだけです。「怠慢」ではなく、これが良寛さんのリーダーシップだったのです。