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本番の準備

バイクの拭き掃除のように、本番の日の出発前、ぼくは自分の身体を洗う。

今日の指先の調子はどうか、大きい筋肉は? 肌は触れたときに気持ちがいいだろうか、触れられたときは? 爪は今、どのくらい伸びているのだろう。知らないうちについていた傷もある。

劇場では客席の通路や舞台上でキックボクシングのシャドーをする。余計な力みはないか、出した手はスムーズか。蹴り込んだときの腰は入っているか。まだまだ解(ほぐ)れてはいないか。芯は暖まってきたか。無用な興奮はないか。

鏡の前に座る。今日の顔はどうだろう。剃(そ)り残し等、気になるところはないか。

無ければようやく、自分の課題に入れる。

本番二日目

ぼくは笑える舞台が大好きだ。マスコミが大々的に宣伝している作品、チケットの取れない作品、有名人の出ている作品、いろいろある。
でも、自分が面白いと思えるものには、なかなか出合(であ)わなかった。

今回はストレートプレイで、今までやってきた演技でじゅうぶん通用する。見た目や癖(くせ)で誤魔化されない観客が観てくれているのが判る。
どうして今まで、こういう演出に出会(であ)わなかったのか。コメディはコメディとしての演技を求められるのに一番、抵抗があった。

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だからといって、台本の面白さを無視するわけではない。むしろそうした飛躍(ひやく)を表現するのに、人物設定は慎重になる必要がある。
笑いについて経験は浅いが、それだけは得意なほうだと思う。

ただ突飛(とっぴ)なことをしているだけでは、観客はついてこない。バカなキャラクターがただバカなだけでは。

客席は、彼らほど愚(おろ)かではない。

生きた間(ま)と、死(し)に間(ま)

演技は聞くことから始まる、とは、トレーニングを始める初日に聞かされる言葉だ。
自分が舞台上でこれ以上なくスムーズに展開しているときには、自分のご都合主義でないか今一度、疑う必要がある。

残念ながら多くの俳優には癖(くせ)がある。一言一言、考えてから言う者。自分の語勢(ごせい)に惑わされ、短いセンテンスごとに間を空けてしまう者。全体から見れば無用な見せ場を、その欲求に耐えきれず身体を差し出してしまう者。

そうした状態に比べれば、生きた間(ま)はむしろ物語を明確にする。演出にもよるが、早いテンポを作れるなら、そうした間を恐れないことだ。

ただし台本が読めていない場合は、作ることができない。いわゆる"死に間"となる。
それ以上に、役者がその台本の面白さを理解していないのに、観客に伝えたいというのでは、あまりに無謀(むぼう)過ぎる。