夕闇の迫る港町に、潮を含んだ風が吹く。
砂浜に吹く風と、港に吹く風の匂いは違う。
港の匂いはどこか雑多で、異臭を感じる時さえある。
男はぽとりと落とした煙草をつま先で揉み消し、古ぼけたアパートを見上げ、ゆっくりと足を踏み出した。
きしむ階段を上がり通路に立つ。夕日はもう、海に沈もうとしていた。

「誰?」
ノックしたドアの向こうから気だるげな声がした。
「あ、俺」
近づいてくる気配がして、ゆっくりとドアが開いた。
女は途端に眉をしかめた。
「俺って、あんた何様よ。尋ねる部屋を間違えてない?」
「あ、申し訳ない」
「何?」
「いや……なんていうか」
「用もないのに、俺様があたしんちに来たわけ?」
「いや、プレゼントを」
「プレゼント? あたしに?」
「うん」
「あら、なにかしら」女は少しうれしそうな顔になる。
後ろ手に隠していたものを、男はおずおずと差し出した。
「これ」
「はあ? なに、これ」
「いや、プレゼントに」
「何が」
「いや、プレゼントに」
「何考えてんの?」
「いや、お誕生日だったなと思って」
「違うわよ。あんた、他の女と間違えてない?」
「違ってた? それは申し訳ない」男はプレゼントを少し引っ込めた。
「仮に誕生日だったってさ。そんなもん、誰が喜ぶの? 白いバラ一本?」
「いや、両手いっぱいのバラなんて買う金ないから、せめて三本にしようかと思ったんだけど、やっぱり持ち合わせがなくて」
「バラはさ、5本や10本じゃバラって言わないのよ。そんな煮ても焼いても食えないもんなんて持って帰ってよ。頭大丈夫? 家に帰って風邪薬飲んで寝た方がいいわ」
「いや、申し訳ない。でもさ、俺……」
「俺がどうしたの?」女は、面倒くさそうにドアにもたれた。
「いや、なんていうか、俺はさ……昨日の男と違ってさ、精いっぱいのものを買ったんだよ」
「何言ってんの?」女は気色ばんだ。
「どうでもいいけどさ、帰ってくれる。鬱陶しいんだけど」
女はつかみ取ったバラを床にたたきつけた。
「そうか、申し訳なかったね。じゃあ、これはどう?」
「何それ」
「プレゼントだよ」
「それをあたしにくれるっていうの? ますます意味が分からないんだけど。それに、古びてんじゃないの? どうかしてるわよあんた。早く帰ってくれる」
女は、指先をハエでも追い払うように振った。
男は口を真一文字に結んで一気に踏み込んだ。
マリオネットの糸が切れたみたいに、女が床に崩れ落ちた。
男はきつくきつく目を閉じた。
終わっちゃった……彼女の命も、俺の人生も。
淺川マキ/かもめ
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