風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -67ページ目

最近ずっとテレビを点けたまま寝てしまっている。
それは、すんなり睡眠に入れそうもないな、と感じているから。

ふと目覚めたら、スキマスイッチが「奏」を歌っていて、見たことのある女性が涙を流していた。
なんだろうな、これ、で再び眠ってしまったけれど、なるほど、このシチュエーションだったか。

川口春奈が「奏」が大好きだと言っていたけれど、僕も大好きだ。
元は漫画らしいけど、調べた限り、大した内容ではなさそうだ。でもヒットしたらしい。ネタバレしないように書きません。

映画はどうだろう。うまく演じさえすればヒットするんだろうね。
平成29年2月18日 ロードショーとのこと。

木曜日は東京も雪の予報になった。大したことがなければいいけど。
電車が止まったら、かなわんで。

川口春奈、スキマスイッチの生歌サプライズに涙(ノ_-。)


『一週間フレンズ。』


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風が季節を連れてくる。

はる、なつ、あき、ふゆ、風が吹く。

己の意志で咲いたのか、知らず知らずに咲いたのか。
寒さ緩むころを待ち、定めのように膨らむ蕾、
掟に沿うように開く花。

柔らかな日差しの下で、可憐な花がゆらりふわりと風に揺れる。

それは、季節が織りなす懐かしき色模様。



咲いた花はやがて散り、跡形もなく消え失せる。留まることは許されない摂理の冷徹さに、人は時に涙を流す。

諸行は無常。歩みを止めることなく季節は巡る。
走るその膝を折るように、伸ばすその手を払いのけるように。

戸惑い、迷い、立ち止まり、天を仰ぐ。
それでも人は顎を引き、前に進む。まるで季節を追うように。

だからこそ、どんなときにでも、人は春を待ち望む。

凍える冬の只中で、春よ来いと、願い続ける。

淡き光立つ 俄雨 いとし面影の沈丁花 溢るる涙の蕾から ひとつ ひとつ香り始める
それは それは 空を越えて やがて やがて 迎えに来る


春よ来い/松任谷由実



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闘うとはどういうことだろう。
闘うために必要なのは、力だろうか、知恵だろうか、経験だろうか、それとも勇気だろうか。

いや、まずは敵が必要なのだ。

敵って何だろう。

理不尽なことを言う奴か。潰しにかかってくる奴か。頭を押さえつける奴か。いわれなき誹謗中傷をする奴か。

持って行き場のない怒り。ひとり吐き捨てる呪詛の言葉。
四面楚歌。

闘うべきか、無視をするべきか、逃げるべきか。
あるいは、顔で笑って……。

心の持ち方ひとつだとわかっていても、ヤリキレナイことはある。

自分の前にいっぱい敵があらわれた時、振り返って見るがいい。味方だっていっぱいいるものだ。
生田長江(小説家、翻訳家)

暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
光っているのは傷ついて はがれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて 魚たちのぼってゆく


ファイト!/吉田拓郎 作詞:作曲/中島みゆき


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人というのは、大人になり切れないまま死ぬに違いないと、僕はずいぶん若いころに気が付いていた。

未熟さは見苦しくもみっともなくもあるけれど、成熟がどれほどのものかと考えてみれば、それほど大した引け目はないと思える。だって、大人になれる人なんてほとんどいないのだから。

だから、30歳も60歳も、実体などたいして変わりはしない。

いっぽう、成熟とは丸くなることでけっしてないと思うけれど、とんがった頑固者になるのはみっともない。頑迷さが恥さらしと言った方がいいだろうか。

そこで考えてみる。大人って何だろう、と。それは経験を積んできたということになるのだろう。

けれど、猿でも長く生きれば経験を積む、それだけのことなのだ。

翻って未熟者は、自らの未熟さを知っている。己を知っている。

しょせんみんな未熟者に過ぎない。
だって、千年も生きやしないんだから。

僕としては、経験が優しさにつながっていけばそれでいいような気がする。経験って、喜びや悲しさや、悔しさや痛みの数に他ならないのだから。

分からぬ大人が多すぎる。それを大人とは言わない。

未熟だからと、いたずらにとんがる必要はない。
大人だからと偉そうにする必要も、また、ない。

あがいて もがいて 1日がゆく
わめいて ほざいて 1日がゆく
逆らい 歯向い 1日がゆく
当たって 砕けて 1日がゆく

いい加減に悟ればどうかと
低く招く誘い蹴れば
掌は返る 敵(かたき)は増える

それでこうして 優しい人を
おろおろと探しているんです。

野望はあるか 義はあるか
情はあるか 恥はあるか

あいにく 本日、未熟者
わたくし 本日、未熟者

しかし、あっという間に消されちゃうなあ。
TOKIOに差し替えます。

中島みゆき/本日、未熟者


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「たまには贅沢して、おうどん食べて行こっか。寒いからカレーうどんなんてどう?」

「お、いいね。でも、鍋焼きうどんもいいなあ。七味いっぱい入れて、ふぅふぅ言いながら鼻水なんか垂らしてさ」

「あ、いいね、鍋焼きうどん! あそこの蕎麦屋さんにきっとあるよね。鼻水はたらさないでほしいけど」

「しかし、寒いな」
「寒いね。でも、手があったかいよ。あ……流れ星」

「行っちゃった? 願い事する間もないな」
「いいの。叶ってるから、いいの」
「そか、良かったな」

内山田洋とクール・ファイブ「東京砂漠」


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僕たちは歩いてきた。
そして、また歩く。未来だった今を。

昨日に戻ることはできないし、明日に跳ぶこともできない。

出会いと別れを繰り返しながら、ただ、今日を歩く。
時に、笑いながら、時に反吐を吐きそうになりながら、時に涙をぬぐいながら。

覆水は盆に返らぬことを、嫌ほどこの身に刻みながら、ひたむきに歩く。

夢の続きは明日見ることができると信じて。



あなたの夢を聞かせて そうしていると
幸せな気分になると 君は笑った
ワイングラスをあふれた 僕たちの時間
こぼれてしまった後で ふと気づく

雪の中をかける子犬のように
帰り道たしかめながら 遠くへ
ひとつ上の愛を 求めたわけじゃない
ひとつ上の恋を 探したわけじゃない

村下孝蔵
1953年2月28日 - 1999年6月24日
46歳で亡くなってしまったけれど、この人の50歳の曲も、60歳の曲も聴きたかったな。
生きていれば64歳かな。まさにレジェンドになってしまった。

夢のつづき/村下孝蔵


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「仏様は煙を食べるんだったよなあ」
弔問客も途絶えた10畳ほどの部屋。夜も更けた蛍光灯の下で黒い背中が揺れる。

「いやいや違うよ、煙に乗っていって、仏様になるんだよ。だからさ、煙を絶やしちゃいけないんだ」隣の黒い背中も揺れる。

煙草の煙と、お酒の匂いと、薄紫のお線香の香りが立ち込める部屋の片隅で、わたしはひとり、ひっそりと座る。

「どなたさんでしたかね」ふいに向き直った初老の男が首を傾げた。その頬はお酒で赤らんでいる。
「友人です」わたしは小さく頭を下げる。

「そうでしたか。おじです。まだ若いのに、あいつも残念な事でした」
「はい」わたしは再び小さく頭を下げる。

「ほら、こっち来て飲みなさいよ」
「いえ……」

あなたが愛してくれた女だとは誰も知らない。それを証明してくれる存在は、もうこの世にはいない。
わたしはただ、微笑むあなたの写真を遠くから見つめる。

もしも花びらを集めて 青空に心をかいて
遠くのあなたまでそのまま 伝えることができたなら

例えば白い花ならば 寂しくて泣いていますと
赤い花なら 元気ですと 教えられたなら

あなたのまわりを いつも飛び続ける
小鳥になりたい 誰よりも近くで

追いかけて ゆきたいけれども
何もかも すてたいけれども

花れん/村下孝蔵


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今は消滅してしまったレーザーディスクの映像が、壁に設置されたスクリーンに映し出されていた。
記憶に残るそれは、ランチの食べ放題をやっていたときだろう。

値段に比べて、その豪華さと種類の豊富さに、hanakoを始め、女性誌の取材がわんさとやってきた。それは来るよね、洋食メインの中に、蕎麦やら、ズワイガニまであったからね。

東京ウォーカーに店の紹介と、店長としての僕の顔写真が載ったりもした。
「店長さん、笑ってください」カメラマンの横に立つ人がにこやかに言う。

おかしくもないのに、笑うのか……? に、苦手だ。

僕はかつて違う用事で出版社を訪ねたことがある。
広い部屋に楕円型の大きなテーブルが何台も配置されている。

テーブルの上を見上げて、プレートが下がっていることに気が付いた。
そのテーブル一台が、ひとつの雑誌の編集部だったのだ。

まあもちろん、そこだけで済むわけはないのだけれど。

話は戻って、レーザーディスクだ。
何が流れていたかというと、森高千里。
これは僕のチョイスだった。タワーレコードだったか、そこで買ったものだ。

1969年4月11日生まれ。
御年47歳。2児のママ。



この人、老けないな。

これを聴いていた頃には、森高千里がオバさんになるのなんて遥か未来のことに思えたのに、同世代は、もうとっくにオバさんになってしまった。

ほら、そこのあなたですよ!
でも大丈夫。僕も充分おじさんになったから(笑)

その時流れていたのが、まさにこの映像だった。

私がオバさんになっても/森高千里 (1992年)



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ほのかに灯るろうそくのように、柔らかな日差しが心暖めた春。
時にもどかしく、時に心地よく、吹き過ぎる風が心と体をくすぐっていった夏。

どこまでも茜色だった秋の夕暮れ。



笑った。泣いた。

空想、妄想、白昼夢。
すべてはDay Dream──

いつまでも変わらぬ愛を/織田哲郎



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