風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -57ページ目

もしも僕が、何か聴きたい? って訊かれたら。
そしてそれが、僕にとって最後の歌だと悟っていたとしたら……。

目を閉じた僕の頭に浮かぶ曲はこれに違いない。

柔らかな風、その風が舞い上げる土埃の匂い、微かな草の香り。手に残る鉄棒の匂い、風に鳴る木々、揺れるバスケットネット、二度と戻らぬ日々。

誰か僕を、あの日に連れて行って。
そして、意気地なしって、罵って。

それからそれから、それでも、よく頑張ったねって、褒めて。
少年に戻った僕の頭を、少し撫でて、そして頬も、少し撫でて。

僕、これでも、頑張って生きたよ。


初恋/村下孝蔵


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それは中学の頃だった。
僕の友達が、その父親が言ったという言葉を教えてくれた。

世の中で一番怖いのは、人間だ

どのような出来事にぶつかり、そんな言葉を口にするようになったのか、経緯は一切知らない。

その時の僕がどう思ったのかも忘れてしまった。けれど、いまだに記憶に残っているということは、そこそこの衝撃を受けたのだろうと思う。

世の中には、信用できる人間と、信用できない人間がいる。その比率はわからないけれど、これは間違いない。

例えば痴漢、これはごく少数、常習者がいる。
例えば万引き、これもまた、ごく少数常習者がいる。

そう、ごく少数の「常習者」だと僕は思う。
この二つに関しては、「出来心」なんて言葉は通用しないから。

だからというわけでもないけれど、人を信用しない人は少数であってほしいと願う。

人を信じなければ、騙されることも裏切られることもない。
いや、あったとしても、「ほらな、お前なんて信用していなかったんだよ」と口元を歪めて笑えばいいだけの話だけれど、そんなのはさびしい人生だと思う。

僕の周りにも、信用できそうもない人というのは存在する。
あちらとこちらで言っていることの違う人。

あれやこれやと、告げ口みたいに口にする人。
自分の正当性を守るために、人を陥れる人。
つまらぬ噂話の好きな人。

疑り深い人。

でもそれも、ごく少数だと僕は思う。
そう、痴漢や万引きの常習者みたいに。

信じて傷つけば、学べばいい。
信じるに足りる人とは、どんな人なのかを。

「だから○○はダメなんだ」感情に任せて、ついついそんな言葉を口にする人を、僕は信用しない。

なぜなら、普段見せている顔と、隠れた本心が一致していない人が発する言葉だから。


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個人でもそうだろうけれど、なにがしかの目標というものを組織は持っている。それがなんであるかは率いる人にもよるだろう。

その目標というものが、組織の多くでは、ノルマというものにすり替わる。
だから、ルールに外れていると知りながら、姑息な手段もたくさん使われる。

世の中は勝ち負けだからだ。
勝てば報酬がある。負ければない。

all or nothing

そんなこと、もうやめればいいのに。

報酬は結果ではなく、努力にこそ与えられるべきだと、僕は思うのだ。

以前ブログに書いた紫カタバミを都心で見かけた。
それも、繁華街のそばのアスファルトの割れ目に。それは西日にあぶられ暑そうだった。



その近くには銀杏の街路樹。うるさい音楽に引きも切らない車の流れ。
彼らはそこから一歩たりとも動けないんだなと思ったら、ちょっとかわいそうに思った。

それを努力とは言わないけれど、彼らはきっと懸命だ……。

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「好きと嫌いは紙一重」

この言葉がどこから来ているのかは知らないけれど、同じものだという話はよく知られている。
好きも嫌いも「気になる」という意味では同じで、どっちでもないのが関心がない状態という話。

「LOVE」と「LIKE」どちらでもいいけれど、嫌いが好きになった経験は誰しもあるのではないだろうか。

「嫌よ嫌よも好きの内」
これはちょっと例えが違うかな? ま、いいや。

好きと嫌いで生きていくと、なかなかに面倒くさいし、疲れる。
必要であるかどうかで判断すべし。
そんなことを何かで読んだ記憶がある。

仏教だったろうか?
調べている時間もないけど。

嫌いな人を、嫌いだいやだと思っていると疲れる。呪詛の言葉など吐いたら余計やっかいなのだ。
だって、関心の中心にグイグイと持っていくことになるから。

いっそ手放してみよう。
そう、無関心の領域へとドラッグするのだ。

あ、そうだ、「LOVE」は異質を求め、「LIKE」は同質を求める。そんなのも、どこかで読んだ記憶がある。

「LOVE」は異質を求めるを否定はしないけれど、それが長続きするかどうかに関しては、経験上疑問符をつけておこう。

無関心の領域へのドラッグはできた?
できない?
おっと、マウスの状態が悪いか?

マウスの状態をよくする秘訣は、何の感情も抱かず、風景みたいにその人を見ること、かな?
見ないように努力するのもまた、強い意識になるはずだから。


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月が見えない。
歩きながらキョロキョロと探すが見えない。

うんと低いところに出てるのか?
それとも新月か? どうなんだろう、よくわからない……。

帰って調べてみたら、新月は5月26日みたいだ。
僕は月博士じゃないから、月が見えない夜、ということで決着をつける。
うん。月のない夜空も珍しくはないのだから。

夜空といえば、忘れられないことがある。
あれは、そう、僕がまだ小さいころだ。

トイレは外にあった。夜中に起き出してトイレに行くなんてめったになかったのだろう。
暗いから怖い。どう考えたって、夜中に、電気も灯らないトイレに行くのは怖い……。

だから僕は庭の隅っこでおしっこをした。
そして、見てはいけないものを見てしまった。

それは、夜空。

満天の星。

そう書くとロマンティックな感じがするけど、空を覆いつくす星ってどう感じると思う?

僕はね、ビビり倒したんだ。
怖かった。
自分が宇宙に放り出されたようで、ただただ、怖かった。

だから僕は、おしっこを途中で止めて逃げるように家に入った。
おしっこを止めたとき、きゅいーんって痛かったかどうかは覚えていない。

あれがトラウマなのだろか。宇宙は僕にとって怖いものになった。
だから、いまだに、宇宙飛行士になりたいなんて無謀なことを考える人の心が分からない。

ついでに、泳げない僕は深海も怖い。

宇宙に行くか、それが嫌なら深海に潜るか、どっちかしか選択できないぞ! ってなったら、それこそ究極の選択だろう。

だったら僕は、満天の星空を見上げながら、時に潜ることを選ぶ。それをひとは、露天風呂と呼ぶだろう。間違いない。

潜った後は、顔をゴシゴシする。
そして、人生というものを考えてみる。

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河原へに向かう道筋の、なんてこともない道端に花が咲いている。その形はどうみてもカタバミだけれど、赤っぽい色をしているのだ。

それを見て思い出す景色がある。
子供の頃、家の周りの土手にたくさん咲いていた花が風に揺れていた風景。
あれと同じだろうか。

調べてみると、それはどうやら、紫カタバミというらしい。
あのころ咲いていた花も、これに違いない。茎の部分を噛むとすっぱい味のする花。

僕が幼くて、父も母もまだ、若かったころ。
その花は今も咲いているかって?

どうだろう……。
ないかもね。

だって、その道は愚か、僕の住んでいた家さえ跡形もなくて、それがどこに建っていたのかさえ分からなくなっていたんだからね。それもずいぶん昔の話だ。

時はブルドーザーだね。
いつか、僕も君も時の彼方に消えて、記憶の中の、あるいは写真の中の昔の人になるんだね。




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最近、こんな言い方はしないような気がするけど、ヒーローはみんな正義の味方だった。
弱気を助け強きを挫(くじ)く。

でも、正義って、何だろう?

長いので読み飛ばしてくれてもいいです。面倒なので僕も読みません。↓↓↓↓↓

正義とは、それ自体に鑑みれば、社会における物および人に関する固有の秩序である。この概念は、哲学的、法的あるいは神学的な影響の下で、歴史上絶え間なく論じられてきた。

正義に関する問題の多くは、西洋における正義概念に依拠している。例えば、「正義とは何であるか」「正義は個人および社会に何を要求しているか」「社会における財と資源の本来的な配分方法(平等主義、才能主義、身分主義)は何か」などである。

これらの問いに対しては、政治および哲学に関する多様な観点から様々に答えうる。 正義の概念は、多くの正義論によって極めて重要な概念であるとされている。

例えば、ジョン・ロールズは次のように述べている。「正義とは、思想体系が真であることとしての、社会制度の根本的な徳である」。
正義は、親切、慈悲、慈愛、寛大さあるいは共感などのその他の徳と区別され、そしてそれらよりもより基本的な徳であると考えることもできる。
正義は、とりわけギリシャ哲学やキリスト教においては、運命、輪廻あるいは神の予見のように、自然の摂理や超越的存在によって規律された生ないし生き方と結び付けられることがしばしばであった。
しかし、現代の正義論においては、このような宇宙論的・宗教的世界観を離れて、正義を社会制度の根源を為す価値である公正さと結び付けて人間社会の枠組みの問題であると捉える傾向が強い。

─Wikipediaより─

正義などというものが、はたしてこの世に存在するのだろうか。
いや、存在するのかもしれない。

例えば、いわれのない暴力を受けている人を救い出すのは正義だろう。
困っている人を助けること全般は、正義だろう。

では、自分の会社のためにライバルを蹴落とすのはどうだろう。
そう、戦争と同じように、これもまた正義なのだ。勝つことが正義なのだ。

北朝鮮はどうだろう。
やり方の姑息さもあるけれど、あれも正義なのだろう。

それだからこそ僕は思う、正義なんて言葉が自体があやふやなのだから、使わない方がいいと。

正しいことが、すべての面において正しいとは限らない。
悪いと思われることが、すべての面において悪いとは限らない。

勝ち負けを追い続ける限り、僕たちの前に正しい正義は現れない。僕はそう思う。
だから、正義なんて言葉は放っておいて、人として恥じない姿勢と言い換えてみようか。


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side‐B 読み終わった。

本多孝好著「真夜中の五分前side-B」

〝物語は、驚愕のエンディングが待つside‐Bへ〟

この解説を読んで、最後の最後、もの凄いどんでん返しがあるのかと思っていたら、違った。確かに、ハラハラとする展開はあったけれど、エンディングは軽く救われるような終わり方だった。

side‐Bは二年ほど経ってからの物語。
多く盛り込んだ題材は一応の始末はできていた。元女上司の小金井さんも出てきたし、5分遅らせた時計を好んで使った学生時代の恋人の話も出てきた。

ネタバレしないように書くのは難しいな。

恋愛小説として読むと、ちょっと物足りない感じがする。主人公の「僕」がかなり淡々とした性格に描かれているせいもあるのだろうか。かといって、ミステリーでもない。
喪失と再生に向かう物語……それもちょっと違う気がする。

公園で読み終わってから、無性に恋愛小説が読みたくなってBOOKOFFに行った。けれど手にしたのは森見登美彦の本二冊だった。

僕はこの作家さんについては、一冊しか読んでいない。
もちろんというか、「夜は短し歩けよ乙女」だけど。


内容は全く忘れている。でも、面白かった、という記憶だけは残っている。
でも、これ以上読んでいない文庫本を増やしても仕方がないと棚に戻した。

本多孝好の文庫本も何冊か手にした。裏表紙の解説を読んで、僕は結構この作家さんの本を読んでいたことに気がついた。

冗長に流れる部分もある文体だけれど、嫌いではない。
けれど、「真夜中の五分前」には、もっと決定的な何かが欲しかった。
何か、とは、もちろん感動。もったいないなと感じた。でも、いい小説だと思う。


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かつて、そこに存在したものと、今は手の届かないもの。
得てきたものと、失ったもの、そんな事どもを僕は考えてみる。

それはそこに、本当に存在したのだろうか。
間違いなくそうだろうか。

実は、何ひとつ得てなどいなかったのではないのか。
僕たちが、ひとときの幻想を見ただけではないのか。

菜の花が黄色に見えるとは限らない視点が、そんな世界が、この世にないことを誰か証明できるのだろうか。

僕たちは、同じ色を同じように見ているだろうか。
同じ色を同じように……。
同じ色を同じように……。

あ、ダメだ、同じの「同」がゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。

僕はそろそろこの世界を抜け出て、I wanna go out、遊びに行きたい。

作詞:作曲:歌/藤原さくら「I wanna go out」


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メッセージソングは聴く対象に向けてのメッセージを歌詞に乗せて作られた楽曲であり、言語としての歌詞の意味を超えるものでさえ、音楽に乗せて伝えることもある。

J-POPや洋楽は勿論、アニメソングやゲームソングなど、幅広いジャンルの音楽でみられる表現形態である。

日本国内で著名なメッセージソングとしては、NHK『プロジェクトX~挑戦者たち~』の主題歌ともなった中島みゆきの『地上の星』、坂本九の往年の名曲『上を向いて歩こう』などが挙げられる。

─ニコニコ大百科より─

メッセージソングにも、古今東西さまざまなものが存在するのだろう。
反戦や平和のアピール。あるいは、原発批判や人種差別や貧富の差のような、個人の力ではいかんともしがたい題材を取り上げた歌。

一方、日々どこかで繰り広げられる、個々人の置かれた状況や心情に寄り添い、訴えかけてくる歌。

僕の場合、心の中のモヤモヤや、どうしようもない虚無感が生じたとき。やり場のない怒り、生きている意味を問わずにはいられない時、聴きたくなるアーティストがいる。

それが、吉田拓郎とミスチルだ。

全体がそうであれば申し分ない。
けれど、一行、一節でいい。
心に響けば、それはメッセージソングなのだ。

だけど
あるがままの心で生きようと願うから
人はまた傷ついてゆく
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
もがいているなら誰だってそう
僕だってそうなんだ

Mr.Children / 名もなき詩


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