風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -56ページ目

今日はどうにも、この歌が頭の中で鳴り響いて止むことがなかった。そんなことって、あるよね。

Gメン'75エンディング曲
面影/しまざき由理



「ハードボイルド Gメン'75 熱い心を強い意志で包んだ人間たち」
芥川隆行のナレーションも懐かしいオープニング。



こんなのも見つけました。僕的には、口パク疑惑が……。
そもそも、映像のお歳と声の若さが合ってないし。
でもまあ、いい歌だから。

再生されなかったら画像の左下をクリックしてみてください。

面影 Gメン75 しまざき由理

ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村

金曜の夜だったか、ようやく月が顔を出した。

月だ! 月だ! 月が出たあぁぁぁぁ。
僕は思わず呟いていた。そう、僕は声を出す癖を持っている。
あ……とか。
ん? とか。
なんだ? とか。しょっちゅう口にしている。

方位磁石を持っているわけではないから、正確な位置はわからない。おそよ西の空に鮮やかな半月。とはいえ、僕は乱視が入っているからくっきりとは見えないんだけど。

昨夜は朧(おぼろ)月だった。
今夜は雲が多い空で見えたり隠れたりしていた。それが少しづつ南に移動しているようだ。

昼間は涼しい風の吹くいい天気で、出来損ないの綿菓子みたいな雲が浮かんでいた。青い空に白い雲。夜空に月。これほど似合うものはないだろう。

都心に住んでいると気がつかないけれど、街灯もろくすっぽないところで射す月灯りは馬鹿にできない力を持っている。

そして、コバエ……。

僕がコバエというものを初めて見たのは、今住んでいるこの部屋だ。住み始めて何年かしたある日、突然コバエが飛んでいた。

コバエというものを僕は知らなかった。
「こんな」僕は親指と人差し指の腹を近づけて、「こぉんなちっちゃい虫が、ぷんぷん飛んでるんだけど、なんだろ?」と女子高生のバイトに尋ねた。

「コバエじゃないんですか」
「こばえ? こばえって何?」

「コバエは、コバエ」
「ちっちゃいハエってこと? よくわかんないんだけど」
「だからあ、コバエはコバエ」

「コバエいなくなる」というスプレーがある。ガスを使っていないのでスプレーと呼んでいいのかどうかはわからない。これは効く。
でも60プッシュしかできないのに、900円近くする。ぷしゅっとすかしっ屁みたいなワンプッシュで15円近い。不経済だ。だから、コバエキンチョールも併用する。

コバエがホイホイ。これは全く効果がない。取れないのだ。

休みの日に一旦公園を離れてダイソーに行った。
そこで二つ買ってみた。

「コバエがとれちゃう‼」と「虫よけプレート」
「コバエがとれちゃう‼」はやっぱり一匹も捕獲していない。

種類の違うコバエだからじゃないかと吊るした「虫よけプレート」
そのせいか、激減した。探すのに苦労するぐらいに激減した。休みの日から四日が経った、たまたまじゃないような気がする。

ネットで探した「コバエなんちゃら」、正確な名前は忘れてしまったけど……。
麺つゆと水1:1
台所洗剤数滴

二日間効果がなかった。ダメじゃん、と思っていたら、今夜取れていた。
「コバエがとれちゃう‼」より効果があった。

月とコバエのお話、おしまい。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村







怨みをいだいている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは大いに楽しく生きよう

怨みをもっている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは暮らしていこう。

悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。
悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮そう。

貪っている人々のあいだにあって、患い無く、大いに楽しく生きよう。
貪っている人々のあいだにあって、むさぼらないで暮らそう。

われわれは一物をも所有していない。
大いに楽しく生きて行こう。
光り輝く神々のように、喜びを食(は)む者となろう。


岩波文庫/中村元訳
「真理のことば・感興のことば」より
*真理=ダンマパダ 感興=ウダーナヴァルガ

上記は、真理のことば(ダンマパダ)です。

そう、僕たちはきっと何も所有していない。
多く所有した人が勝利者で、少ない者は敗北者。強者が勝ち、弱者が負ける。
世の中はやっぱり、そんな尺度で人を見るし、己を見るし、それに沿うように動いているのだ。

倒すことが勝利じゃない。奪うことが勝利じゃない。ましてや多く持つことが勝利でもない。

たかだか百年も生きやしない短い人生、つまらぬ目先の勝敗を決めるためだけに僕たちは生まれてきたはずじゃない。

想像してごらん、所有なんてないんだ。
ジョン・レノンがそう歌ったのはもうずいぶん昔の話だ。
人類はいつになったら、一歩を踏み出すのだろう。

イマジン/ジョン・レノン



ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村


あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。

況(いわ)んや朋友をや。犀(さい)の角のようにただ独り歩め。

交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。


僕は若いころ、この「犀の角」が大好きでした。我が道を行け! と鼓舞されている気がしました。

子を欲するな、友も同じく。愛情から禍いも生ずる。犀の角のようにだだ独り歩め。

かなり激しい感じの教えです。それはもちろん、出家者、修行者に向けたものだからでしょう。

出家者でも、かなりのレベルの進んだ者に語られた教えであるとされています。
これも前回と同じく、スッタニパータからです。

原始仏教・最古層の原始仏典のひとつが、スッタニパータです。ブッダが直々に説法をしていた頃のものと考えられています。

もちろん口伝ですので、パーフェクトではないかもしれませんが、のちの宗教としての仏の教えとはまた、一味違うものです。

僕は仏教の研究者ではないので誤りがあったら申し訳ないのですが、それほど大きな間違いはないと思います。

「犀の角」は、もっともっと続きます。
中を飛ばしてもう少しだけ載せます。

もしも汝が、〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。

しかしもしも汝が、〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。


もしもお前が、素晴らしい同伴者を得たならば、心喜ばせてともに歩め。もしも得られないなら、際の角のようにただ独り歩め。

ひとりでいることが孤独ではないのです。集団の中の孤独が一番つらいのです。

そんなときには、
犀の角のようにただ独り歩め。

仏陀が教えているような気がします。

仏陀とイエスに共通していることがあります。それは、自分が教祖となることなど意図してはいなかったことです。

だから僕は、そう、宗教撲滅委員会、会長の僕も、このふたりの覚者を攻撃することはありません。
言葉のひとつに疑問を呈することはあるかもしれませんけれど。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村

目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

岩波文庫
中村 元「ブッダのことば スッタニパータ」より



なんと暖かくも力強い言葉だろう。
この後ろにもっと続くのだけれど、僕は時々、この部分を読み返します。

ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村





いつものようにブラックのボトルコーヒーを買い、川辺のベンチに座って一口飲んだ。長く住んでいるけれど、そういえば、このベンチに腰を下ろした回数は数えるほどだ。



赤の他人なら二人座ることはなさそうな小さなベンチ。きっとそのせいだろう。

公園などのベンチには傾向がある。寝そべることのできないほど短いものか、ひじ掛けとは名ばかりの肘のつけないほど低いものが付いたベンチ。

長いこと行っていないから今はわからないけど、新宿駅西口歩道橋に設置されたものは、個々にわかれたものだったはずだ。池袋西口公園のベンチは丸太のようなステンレスだったはず。

他にもいろいろある。前に向かって傾斜のついたもの、パイプが並んだような座面。長居は無用と眉をしかめているようだ。

これはホームレス対策なのだろうか。うん、きっとそうに違いない。でもそのせいで、家族と遊びに来て疲れ果てたお父さんが横になる場所もなくなってゆく。

僕の記憶に間違いがなければ、このスタイルのベンチが設置され始めてから20年そこそこしか経っていないのではないだろうか。

けれど、そうしなければ寝そべるホームレスで公園が本来の意味を失ってしまう。
現に、僕の行く公園の南側はホームレスの青テントで占拠されていた。

今はそれもなくなり、他の場所のものより座りやすそうな新しくベンチが設置されているけれど、近づく一般人はいない。その一角だけ別世界のようだ。座っている人も、どこか違う雰囲気を漂わせている。

世の中は、良くなっているのだろうか。それとも、悪くなっているのだろうか。

さて読書でもと思ったら風が吹いてきた。川下から吹く風、方向的には東かな。それも明らかに強くなっていった。

暖められて膨らんだ空気は軽くなって上昇する。空で冷やされた空気は縮んで重くなり下降する。

上昇した空気の後には違う空気が流れ込んでくる。下降した空気の後もそうなる。ざっくりといえば、そんな大気の動きが風になる。

柔らかな風は心地いいけれど、強い風というのは心を不安にさせる。その風も15分ぐらいで静まってきた。

空一面に薄い灰色が広がり、南の空の一部だけ、白に青を少しだけ混ぜた水彩絵の具に、間違えて水を入れ過ぎたみたいな薄い薄い水色をしている。

白と表現してもおかしくない水色。浮いている白っぽい雲が、それが白ではないと教えている。

読み始めた文庫本の上で揺れる木の葉の影。あ、薄日が差してきたんだ。
でも、また強くなり始めた風に、僕は煙草に火を付けて大きく揺れる葉桜を見上げた。

そして、風が吹かない限りその存在を見せない空気というものを考えてみた。

ベンチに置いたメガネが滑り、同じく開いて置いた文庫本のカバーも外れるような風。
諦めた僕は公園に向かうため自転車を押し始めた。ゲートがあって、乗ったままでは通行できないところがあるからだ。

ピンクと白のタチアオイが咲いていた。ああ、そろそろ梅雨なんだな。
梅雨明け前に咲いて、梅雨明けに花の季節が終わるため「梅雨葵」とも呼ばれる花を僕は見つめた。



ゲートを抜けて、風を背中に受けて自転車を漕ぎ始めた。スピードを上げると風がピタリと止まる。風と自転車の速度が一緒になったのだ。

これを風になるというのだろうか。それとも、風を切って進むことを風になるというのだろうか。

佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」、僕は読んだろうか、それとも手にしただけで買わなかったのだろうか。いつものように、忘れてしまった。


帰って調べてみたら三部作だった。だったら読んでいない。

公園のベンチに腰掛けると、ひゅんひゅんビュンビュンと羽音をさせてハトが飛び立った。
あれは、羽の音だろうか、それとも空気の音だろうか。

そうだ、空気のない宇宙は音がしないという。
だから、羽が起こした空気の音なのだな。考えるまでもなく、当然のことだった。僕の思考回路は少し面倒臭くなっている。

羽と羽根の違いを君は知っているだろうか。
羽は翼。抜ける、あるいは抜けたものは羽根。

だから飛行機は「羽」
共同募金は赤い羽根。
人がのびのびと伸ばすのは羽。

どうでもいいことだった。

スタジオジブリ映画『猫の恩返し』の主題歌
風になる/つじあやの



ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村


背中にホワイトボードを背負った女の人が来た。年の頃はどうだろう、30代? 40代?

お水やらお弁当やらをワシワシと買い込んでいった。その量からして何人かで行動しているのだろう。

それなのに、なぜ一人で買い物に来ているのだろう? 重いだろうに。

僕が気になったのは、そのホワイトボードだ。
そこには、手書きでこう書いてあった。

イエス様があなたの罪のために
十字架にかかって死なれました
これを信じれば
あなたは救いを受けることができます
God Loves You

↑↑↑↑↑↑ この文面は間違いありません。だって僕はメモったんだから。

コアなクリスチャンがこんなことをするはずもない。
何だろう。キリスト教をかじったような新興宗教だろうか。

こんな純真で疑うことを知らなそうな人を騙して、何をしようというのだろう。原罪なんてありもしないものを、なぜいまだに説き続けるのだろう。

イエスは十字架にかかっていないという話がある。
おもしろいのは、その多くは、死んだのは弟だという説だ。

さらに、磔になったけど死なずに東方に逃げたという話もある。
秋田で死んだといったのは誰だったろう。

行ったことはないけれど、青森にはキリストの墓もある。
戸来村という名前も、確かに怪しい。

真実は知りようもないけれど、キリストが死んでいなかったとすれば、根底から覆ることばかりだ。

それは置いておくにしても、こんな無理くりな話がなぜ長く信じられているのだろう。

罪だの贖罪だのと、旧約聖書の神はブラック企業の社長みたいだ。
もう、壊滅的にハチャメチャだ。もう、謎だ。

謎/小松未歩


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村





もう何年も前から知っているのですが、とあるサイトが「神との対話」を低俗なチャネリングと決めつけています。

あえてリンクは貼りませんけれど、そのサイトはシルバーバーチを最高のチャネリングとしているようです。

書かれている批判的な文章を読むと嫌なものを感じるのです。宗教同士の戦いを見るような気がするのです。史上で最も多くの人を殺してきたのは宗教だからです。

僕はどっちも持っています。シルバーバーチに関しては、翻訳者が名言をピックアップしてまとめた「今日の言葉」と題される一冊だけですが、神との対話に関しては、本作3篇以外もほぼ全巻。

そんな僕だって、宗教は批判します。本来の教えから離れてしまったもの、もともと胡散臭いもの、様々ですが、僕は断続的にですが、続けるでしょう。

けれど、「神との対話」も「シルバーバーチ」もその対象には入りません。それはもちろん、内容に納得するからです。

そこで、本日のラムサの教え。

あなただけが自分にとって最高の恋人となることができるのだ。あなただけが自分にとって最高の友、最高の師となることができるのである。

あなたに教えをたらしてくれる声で、あなた自身の声よりも偉大なものは決して現れない。あなに教えをもたらしてくれる言葉で、自分自身が書く言葉より偉大なものも決して現れない。

僕は僕の心の声に従う。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村


私はラムサ、ひとりの至高の存在である。私は遠い昔に地球、あるいはテラと呼ばれる天界に生きていた。その人生で私が死ぬことはなかった。私はアセンションしたのだ。

それは私が、自分の力を使って見えない生命の次元へ、持っていくことを学んだからだ。

そのことを学ぶ中で私は無限の自由、無限の喜び、無限の生命、があることを知った。私のあとにここで生きた者にも私と同じようにアセンションした者がちがいる…。


─「BOOK」データベースより─



BOOKOFFでなんて、絶対みつかりません。
普通の本屋でも見つかりません。

ずいぶん以前、僕はAmazonで入手しました。
中古でも値段は下がりません。高いです。
でも、もう一度ちゃんと読み返してみたいと思う本です。

父なる神は、誰に対しても、どのように生きるべきかという指示を与えていません。たった一つの願いを除いて。
その一つの願いとは、喜びの中に生きるということです。喜びがあなたにとって、どのような意味を持つものであれ。


常に喜びの中に生きるのは、とてもシンプルです。あなたがそれに値すると知るだけで良いのです。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ

blogramのブログランキング


にほんブログ村