いつものようにブラックのボトルコーヒーを買い、川辺のベンチに座って一口飲んだ。長く住んでいるけれど、そういえば、このベンチに腰を下ろした回数は数えるほどだ。

赤の他人なら二人座ることはなさそうな小さなベンチ。きっとそのせいだろう。
公園などのベンチには傾向がある。寝そべることのできないほど短いものか、ひじ掛けとは名ばかりの肘のつけないほど低いものが付いたベンチ。
長いこと行っていないから今はわからないけど、新宿駅西口歩道橋に設置されたものは、個々にわかれたものだったはずだ。池袋西口公園のベンチは丸太のようなステンレスだったはず。
他にもいろいろある。前に向かって傾斜のついたもの、パイプが並んだような座面。長居は無用と眉をしかめているようだ。
これはホームレス対策なのだろうか。うん、きっとそうに違いない。でもそのせいで、家族と遊びに来て疲れ果てたお父さんが横になる場所もなくなってゆく。
僕の記憶に間違いがなければ、このスタイルのベンチが設置され始めてから20年そこそこしか経っていないのではないだろうか。
けれど、そうしなければ寝そべるホームレスで公園が本来の意味を失ってしまう。
現に、僕の行く公園の南側はホームレスの青テントで占拠されていた。
今はそれもなくなり、他の場所のものより座りやすそうな新しくベンチが設置されているけれど、近づく一般人はいない。その一角だけ別世界のようだ。座っている人も、どこか違う雰囲気を漂わせている。
世の中は、良くなっているのだろうか。それとも、悪くなっているのだろうか。
さて読書でもと思ったら風が吹いてきた。川下から吹く風、方向的には東かな。それも明らかに強くなっていった。
暖められて膨らんだ空気は軽くなって上昇する。空で冷やされた空気は縮んで重くなり下降する。
上昇した空気の後には違う空気が流れ込んでくる。下降した空気の後もそうなる。ざっくりといえば、そんな大気の動きが風になる。
柔らかな風は心地いいけれど、強い風というのは心を不安にさせる。その風も15分ぐらいで静まってきた。
空一面に薄い灰色が広がり、南の空の一部だけ、白に青を少しだけ混ぜた水彩絵の具に、間違えて水を入れ過ぎたみたいな薄い薄い水色をしている。
白と表現してもおかしくない水色。浮いている白っぽい雲が、それが白ではないと教えている。
読み始めた文庫本の上で揺れる木の葉の影。あ、薄日が差してきたんだ。
でも、また強くなり始めた風に、僕は煙草に火を付けて大きく揺れる葉桜を見上げた。
そして、風が吹かない限りその存在を見せない空気というものを考えてみた。
ベンチに置いたメガネが滑り、同じく開いて置いた文庫本のカバーも外れるような風。
諦めた僕は公園に向かうため自転車を押し始めた。ゲートがあって、乗ったままでは通行できないところがあるからだ。
ピンクと白のタチアオイが咲いていた。ああ、そろそろ梅雨なんだな。
梅雨明け前に咲いて、梅雨明けに花の季節が終わるため「梅雨葵」とも呼ばれる花を僕は見つめた。

ゲートを抜けて、風を背中に受けて自転車を漕ぎ始めた。スピードを上げると風がピタリと止まる。風と自転車の速度が一緒になったのだ。
これを風になるというのだろうか。それとも、風を切って進むことを風になるというのだろうか。
佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」、僕は読んだろうか、それとも手にしただけで買わなかったのだろうか。いつものように、忘れてしまった。

帰って調べてみたら三部作だった。だったら読んでいない。
公園のベンチに腰掛けると、ひゅんひゅんビュンビュンと羽音をさせてハトが飛び立った。
あれは、羽の音だろうか、それとも空気の音だろうか。
そうだ、空気のない宇宙は音がしないという。
だから、羽が起こした空気の音なのだな。考えるまでもなく、当然のことだった。僕の思考回路は少し面倒臭くなっている。
羽と羽根の違いを君は知っているだろうか。
羽は翼。抜ける、あるいは抜けたものは羽根。
だから飛行機は「羽」
共同募金は赤い羽根。
人がのびのびと伸ばすのは羽。
どうでもいいことだった。
スタジオジブリ映画『猫の恩返し』の主題歌
風になる/つじあやの
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