風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -141ページ目

幼い頃に見た夕焼けの赤、大好物だった母の手料理。季節ごとに咲く花の香り、木々を渡る鳥の声。コタツで食べたミカンの味、優しかったあの人の温もり。
人は実に様々なものを記憶にとどめている。だが、そのすべてが正しいとは限らない。それにも関わらすそうであったかのように信じ込むのは、日常において記憶が変化していくさまを人は実感することがないからだ。
己の頼りない記憶と残された写真や映像以外に、過ぎ去ったものを回想するすべはないのも原因のひとつなのだろう。しかし、意図しなくとも人の記憶というものは自分に都合の良い内容に変化してゆく。

思い出には、楽しいものもあれば辛いものもある。また、それぞれに歩んできた人生も違う。辛い経験を乗り越えてきた人もいれば、さしたる苦労もなく過ごしてきた人もいるだろう。ところが、その様々な人生模様でも、追憶の段階で変わらないものがある。それは楽しい思い出が6割ほどで、辛い記憶は1割に過ぎないといわれることだ。
誰にとっても思い出は、美しく変容を遂げるものなのだろう。だから人は明日に向かって生きていくのかもしれない。

          ***

「駅長さんっ!」
声に振り向くと、父親に手を引かれた女の子が立っていた。クルクルと動く利発そうな瞳と、少したれ気味の眉をした髪の長い子だ。年齢は確か6歳だったはずだ。ノースリーブのひまわり柄のワンピースを着ている。
「おぉ、亜弥ちゃん来たのか、今日はひまわりだねぇ、よく似合ってるよ」
亜弥ちゃんはふふと笑い、ピンクのサンダルを履いた片足で石でも蹴るような仕草をした。
「また来ました」
女の子の手を引いているのは、年の頃は40ぐらいの金縁で細身のめがねをかけた男性だ。そう、私がこの望遠鏡に出会った頃と同ぐらいの年齢だ。ボタンダウンのシャツにサマーカーディガンを羽織り、腕まくりをしている。その風貌はいかにも実直なサラリーマン風に見える。
「秋山さん、今日はからりといい天気になりましたね」声をかけると、本当ですねぇ、湿度が低くて気持ちいいです。と空を仰ぎ、秋山さんはまぶしそうに目を細めた。小走りに駆け出した亜弥ちゃんは台に乗り、くるりとこちらに体を向けた。
「お父さん、早く、早く! 半分こずつ見よ」さかんに手招きをする。
あの親子はいつもそうだった。顔を寄せ合い、一緒に望遠鏡をのぞき込むのだ。
風になびく髪を手で押さえる亜弥ちゃんの後ろ姿を見つめながら、神と仏の存在というものを私は考えてみた。

「こっちだよ! こっちこっち!」
望遠鏡をのぞき込んだままの亜弥ちゃんがさかんに手を振り、秋山さんが沈痛な面持ちで振り返った。ついに来たか……。
私の胸はチリリと痛んだ。

          ***

「覗いてみるかい」
ポケットから取り出したコインを差し出したのが塩田さんだった。あの頃の彼は70歳前後の年齢に見えた。
子供の頃にしか立ち寄ったことのなかった私だが、およそ丘の上の商店主らしからぬ上品で柔和な彼の顔は覚えていた。女房子供の相手もなかなかしてやることもできなかった私は、この丘に登ってくることさえしなかったのだ。そんな私の顔を、塩田さんが覚えていようはずもなかった。
二十年前の私は、どこへ行くあてもなくさまよい、この丘に登り、展望台の椅子に腰掛け、襲い来る絶望と闘っていた。
あのとき私は、這い上がることもできそうにない深くて暗い絶望の底に身を縮めていた。

「望遠鏡……ですか」私は力なく尋ねた。
「見てみるといい」塩田さんは目尻のシワを深くして、こっくりと頷いた。
なんて子供だましを……私は取り合う気もなかった。
「いいです」
「見てごらん。あんたがこの丘に登ってきたのはそのためなんだから」
この人はなんて訳の分からないことを言ってるんだ……。
しきりに差し出す小銭を断りポケットを探った私は、気の進まぬまま腰を上げ、塗料の剥がれかかった投入口にコイン押し込んだ。

少し腰を落として目を当てると、町並みが眼前に広がった。徐々に上に振ると海が見える。子供の頃に遊び、娘も遊ばせた遠浅の砂浜だ。岬の灯台の下では白い波が弾けている。
再び街並みに戻し、どこを見るともなくゆっくりと左右に振ってみた。するとそこに飛び込んできたのが見覚えのある家だった。
父が建て何度か補修をし今も住み続けているあの家だった。私は倍率を上げた。そのとき、二階のレースのカーテンの向こうに人影が動いているのが見えた。
そんなはずはない。すべて戸締まりはしてきたし、窓が開いているはずはないのだ。なんてこった、泥棒だ。
しかし、今から駆けつけたって間に合うはずもない。大切な物はどこにしまってあったろう。通帳、印鑑……高鳴る動悸が耳元でうるさく鳴ったが、思い出せない。
やがて、人影が3畳ほどのベランダに出てきた。
泥棒だ。

が、その姿はとても違和感があった。髪が長くスカートをはいている。
それは紛れもなく女性の姿だ。さらに倍率を上げた望遠鏡の向こうに私の目が捉えたものは、つい最近死んだ妻だった。
両手でプラスティックのかごを抱えている。そのかごをベランダに置き、洗濯物を干しだした。乱れる息で望遠鏡が揺れた。
妻がふいと部屋の方を振り返る。二言三言会話を交わしているようだ。軽く微笑んだ顔のまま妻が洗濯物に向き直る。
やがて男が顔を出した。そのとき私は、妻が若いということに気がついた。そして、顔を出したのが紛れもなく自分だということに。二人が笑いながら洗濯物を干す姿を、私は望遠鏡を握りしめ、目をこらして見つめ続けた。
妻の姿と着ているものから、私が三十歳ぐらいなのだと推定できる。そう、あの当時だから十年ほど前ということになる。男というのは自分の着ている服や相手の着衣から推し量れるほど記憶力がよくない。でも私には分かった、妻と子を亡くしてから何度もアルバムを開いたからだ。
この数年後に娘が生まれたのだ。私は食い入るようにして望遠鏡をのぞき続けた。そのとき機械的な音がして、視界が真っ暗になった。





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【中日新聞 社会面】 4月14日
13日午前4時10分ごろ、愛知県一宮市の安藤幸夫さん(41)方から出火、木造2階建て住宅約110平方メートルを全焼。妻の佐恵子さん(38)と娘の真実子さん(6)は駆けつけた消防署員らに無事救助され、命に別状はない模様。
近くの空き地で焼死体が見つかり、一宮署では行方不明になっている安藤さんが無理心中を図ったものとみて捜査している。火災現場は住宅密集地。近所の住民らによると、一階台所周辺から火が出ていた。

               ***

そこは海辺にある小さな町だった。水平線の左から日が昇り、山並みを藍に、空を茜に染めて日が沈んだ。
6月末頃からは田んぼや小川のほとりでホタルが舞い、鈍色(にびいろ)の空が広がる冬の頃には、普段は穏やかな海が荒れることもあった。
遠浅の砂浜から左に延びる海岸線は、ところどころに岩場が顔をのぞかせ、右の岬には白い灯台が建っていた。
その海に沿って走る二車線の道路の西側にはJRの駅があり、町並みの北側にはこの町を象徴するような小高い丘があった。

丘の急な坂道を登り詰めたところに、一本の立て札があった。塩田という老人が立てた、木の杭に板を打ち付けただけの粗末なものだ。
そこにはこう書かれていた。「ここです→」と。初めて目にする人は、ここってなんだろうと首をかしげるかもしれない。
しかし、二、三歩歩くと、草に埋もれた路傍に一体の石像が立っていることに気がつく。人の膝丈ほどのクシティ・ガルバだ。クシティが「大地」、ガルバが「母胎(蔵)」「胎内」「子宮」の意味を持つ石像だ。しかし、「ここです→」の指すものが、これなのか広場なのか展望台なのかは誰にも分からなかった。

かつてインドに2人の国王がいて、一人は「一日も早く如来になって人々を救いたい」と願を立てたのに対し、もう一人は「苦しんでいる人々を救ってから如来になりたい」と願を立てたとされる。これにより、前者は一切智成如来(いっさいちじょうにょらい)となり、後者は仏になる力を持ちながらも菩薩クシティ・ガルバになったとされる。

釈迦の入滅後、弥勒菩薩が如来として現れるまで期間は五十六億七千万年。その「無仏の時代」に、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界の六道世界を輪廻をくり返し、苦しみもがくすべての衆生救済を担う菩薩である。
特に日本では亡くなった子どもたちを苦しみから救い、浄土へ案内してくれるこの菩薩を子供の守り神と考えた。人々はこのクシティ・ガルバを町や村のいたるところに立て、親しみと敬意を込めてお地蔵様と呼んだ。

顔の輪郭や額の中央にある白亳(びゃくごう)は失われつつあり、赤い前掛けは雨に打たれ日差しにあぶられ、色を変えていた。
しかし、左手にはしっかりと宝珠を持ち、その右手に持つ錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる杖は、迷い苦しむ衆生を救わんとするがごとく、大地を捉えていた。
「光の丘公園」これがこの高台の広場の名前だが、人々はその丘を「地蔵公園」と呼びならわらした。

               ***

長引いた梅雨もようやく明け、丘の展望台にも蝉の声が降る季節がやってきた。木々の向こうに沸き立つ雲は日の光を受けて白くそびえ立ち、真夏の近さを教えている。
ここを訪れる人たちは私のことを「駅長さん」と呼ぶ。かといって、この丘に駅があるわけではなく、父から譲り受けたくたびれた官帽子がそう呼ばれるゆえんだった。
父は鉄道員で、勤めの最後は町の西側にある小さい駅の駅長だったはずだ。展望台の木陰のベンチで帽子を取り、私は首に掛けたタオルで額の汗を拭った。

「駅長さぁん!」
呼びかける声に左を見ると、つい最近この丘にやってきた青年だった。
「昼飯何がいいっすかぁ!」
腕時計を見ると11時。昼にはちょっと早いが、私は口元で箸をたぐる仕草をして見せた。
「そば? そばっすか?」私と同じ仕草を返す姿に大きく頷いて見せた。
「了解っす!」
「まだ、作らなくていいぞ!」声が届いたのか青年は右手を挙げて店に引っ込んだ。

店は若い者二人に任せて、私は日がな一日展望台のベンチに座っていた。もちろん、この丘を訪ねてくる人たちを出迎えるためだ。丘の上の店は私の持ち物だった。この「光の丘公園」で一軒だけの、長くここに建っている割には比較的こぎれいな小さい店だ。
そばやうどん、焼きそばにおにぎりなどの自家製のものもあるが、種類はさほど多くはない。店の売り場を占めるものはおせんべいやポテトチップなどのスナック類、それと、かき氷やアイスクリームなどのメーカーものだった。飲み物はペットボトルや缶のもので、ビールや日本酒も置いてあった。
展望台の後方はシロツメクサが生い茂る広場があり、春には桜の名所になったし、秋には紅葉狩りも楽しめた。
かつては親子連れやカップルで賑わいを見せたものだが、今は町の人口が減ったせいか以前のような活気はない。

元々この店は、塩田という老人から譲り受けたものだった。その塩田さんもまた人から譲り受けたものであるらしい。
「もうワシも歳だから、誰かやってくれる人はおらんかな」
当時の経営者だった塩田さんの期待を込めた呟きに、そのまま引き受けたのが始まりだった。
「そうか、あんたがやってくれるならそれが一番いい。しかし、いいのか?」塩田さんの憂い顔に私は頷いた。
「じゃあ、ワシはそれと」と望遠鏡を顎でしゃくり、「最後の日々を過ごすことにしよう」と目尻にしわを寄せた。

私がこの望遠鏡に出会ったのは四十そこそこの頃だから、もう二十年ほど前になる。もちろん子供の頃からこの場所は知っていたしよく遊びにも来たが、その当時は望遠鏡などなく階段も整備されてはいなかった。
絶望のどん底にいた私は、どこへ行くともなくここを訪れ塩田老人と出会った。あれは何かの導きであったのだと、今にしてそう思う。








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あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」-展望台


うんと子供の頃、雨が降ったら空一面が雨だと思ってた。台風なんて来ると地表はもちろんだけど空も全部荒れ狂ってると思ってた。だから、どんなときも雲の上は太陽が顔を出していると知ったときは、それこそ天地がひっくり返るほどの驚きだった。



     Wikipedia ギャラリーより「天使の梯子」

あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」-天使の梯子


この間、雲の切れ間から幾筋もの天使の梯子が伸びるのを見たよ。朝夕なんか、曇天の雲の隙間を縫って差す光の筋は感動的ですらあるよね。天使の梯子はいろんな呼び名があるけれど、光と影の画家レンブラントがよく描いたらしく、それにちなんだ「レンブラント光線」というのはしゃれてるよね。


     レンブラント「夜警」
       あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」


嵐が怖くて目を閉じていたら、お日様が呼んでも気がつかないかもよ。世の中いいことばかりじゃないけれど、悪いことばかりでもない。

さ、光の差す方へ進もう。茨なんて踏み潰してさ。


PS 「天使の梯子」といえば、村山由佳の恋愛小説「天使の卵」←(読んだのはずいぶん以前だけど面白かったよ)の続編だけど、なぜか続編には入り込めなくて途中で読むのやめちゃったんだ。





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〝誰が目の前に立っても騙されてはならぬ。奴らはシャーマン・シャメーナにさえ化ける。その時頼りになるのはミランダ、お前の心である。お前の人を愛する心と怖じけながらも闘おうとする勇気は、必ずや真実を見いだすであろう。ミランダよ、弱きを助け強きを挫け。
今を見越したような曾祖父イエナの言葉をわたしは噛みしめています〟


ラクダを降りて二人は村の中に入っていった。
「お頼み申します!」クロンのひ孫ミネラが村の入り口で声を上げた。
奇妙な衣を身につけた男がひとり現れた。膝丈の亜麻の衣に袈裟に着た獣の毛皮、腰には太い皮の帯を巻き、足元は編み上げたような革の履き物。
そうだ、その毛皮は曾祖母シェリがイエナの形見として大事に膝掛けにしているものと同じだった。
「なに用でしょうか」
「族長様はおいででしょうか」ミネラが腰を折った。
「私の言葉が聞こえませなんだか。なに用かとお尋ねしたのですが」男は大げさに首を振って見せた。
こちらが若いうえに片方は女ときているから馬鹿にしているのだろう。しばらく待ってみたが、男は口元を曲げたままそれ以上言葉を発しなかった。

ミネラがこちらを見た。ミランダは頷いて一歩前に進み出た。
「わたくし、ネイトンの血筋、イエナとシェリのひ孫、ミランダと申します」ミランダは真っ直ぐに見つめて名乗った。驚いたように首を前に突きだした男の目が見開き、その顔色が変わった。
「ネイトン様の血筋……イエナ様とシェリ様のひ孫様でございますか」ミランダはゆっくりと頷いた。
「もしや……」男は口をとがらせてゆっくりと息を吸った。
「剣でございますか」男は内緒の話でもするようにミランダに近寄ってきた。先ほどまでの猛々しい態度はすっかり影をひそめた。
「はい、剣を必要としてここまで参りました」
「出たのでございますね」男の声にミランダは再び頷いた。
「そちらの木にラクダを」男が指さした木に二人はラクダを繋いだ。

「こちらへ、さ、こちらへ」半身を翻した男は右手を前方に出し、一度あごを引いてから走り出した。
「イシュリム様! イシュリム様!」声を張り上げながらみるみる遠ざかる男の背中をミランダは追った。
「ミランダ! 転んで怪我をしてはつまらぬぞ!」後ろからミネラの声と枝葉を踏む音が追いかけてくる。
「大丈夫よミネラ! お前こそ転んで泣くではないぞ!」本当にお前というおなごは、とでも言いたげな、ミネラのあきれた顔が見えた気がした。

「イシュリム様は生きておいでで!」木立を縫うように走り続ける男の背中に問いかける。
「はい、生きておいででございます!」
曾祖父イエナから聞いた話の中でもっとも疑わしい下りだった不死と思われる老人、族長イシュリムは紛れもなく存在していた。
「ミランダ殿もようもご無事で。わたくしティエンのひ孫、セブナの孫にございます! 名はイエナ様の兄上の名を頂き、ミシュンと申します!」男は走りながら叫んだ。
「ミシュン様! 我が曾祖母、我が祖母をお助けくれしお方のひ孫様ですね!」
「いえ、我が曾祖父母、我が祖母に救いの手を伸べてくれたのはイエナ様にございます!」
走る三人を見る村人たちが驚いたように見送る。ミシュンの足は速く背中はどんどん遠ざかっていった。やがてイエナが語ってくれた通り幅4間ほどの川が見えてきた。

川の畔に立つ一本の木にミシュンが話しかけている。追いついたミランダとミネラは肩で息をしながらその木に近づいた。
「よう似ておる。りりしい眉などネイトンとイエナにそっくりじゃ」イシュリムは雲が渦巻くようなコブのある長い杖につかまり立ち上がった。衣も髪も長い髭も真っ白だった。
「よう忘れずに来てくれた」
近づいてきたイシュリムに歩み寄り、ミランダはその身体を支えた。
「おぉおぉ澄み切った瞳などはシェリに瓜二つじゃ」ミランダの顔をのぞき込み頬をぴたぴたと叩きながらイシュリムは微笑んだ。その手のひらは老人とは思えないほど柔らかだった。今ここで初めて会うはずなのに、すでに既知の人のような気がしたミランダは、挨拶も詳細も省き大事なことから話し始めた。

「曾祖父イエナに聞いたことと、少し、いえ、だいぶ違うような気がするのです」
「お前は、イエナの経験した悪魔の使いと違うと感じるのだな」
「はい、違っています」
「しかし、悪さはするのだな」ミランダは頷いた。
「して、どう違っておるのじゃ」
「はい、足跡も争った様子も残さずに、村人が骨ごといくつにもぶった切られたありさまで死んでいくのです。曾祖父の話では意志を抜き取られて、獣に食われて骨になったと聞いています」
「うむ、確かに違っておるな……」思案顔のイシュリムは唸り声とともに顎を上げた。ミランダもつられるように見上げると、青い空と雲を透かす木立の中を小鳥が数羽飛んでいった。木々の葉は風にそよぎ、川の流れは陽の光を弾きまばゆいほどにきらめいていた。およそ闘う部族が住む村とは思えないほどに静かだった。

「が……」ミランダに顔を戻したイシュリムは小さく何度も頷いた後「案ずるな、我らが剣は無敵じゃ」と力強く微笑んだ。
「それを聞いて一安心しました。ここにまだスベラ様の末裔はおいででしょうか」
「類い希なる剣の使い手、腰抜けスベラの血筋は残っておる。あれ以来剣の使い手は絶やさぬようにしてきたゆえ、すぐにでも闘えるぞ」
「すぐにでございますか! それは心強いです!」

「して、お前は誰じゃ」ミネラに問いかける。なるほど見知らぬ人には愛想がないというイエナの話は誠だった。
「わたくしクロンのひ孫ミネラと申します」ミネラは右手を胸に当てて答えた。
「おお、おお、あのクロンのひ孫であったか。お前何を知らぬふりをして突っ立っておったのだ。人が悪い男よの、よう来た」
近寄っていったミネラの肩を、イシュリムは掴んだ。
「イシュリム様、シャーマン・シャメーナ様の跡継ぎ様はいらっしゃるのでしょうか? いましたら行こうと思っているのですが」
「跡継ぎどころか、シャーマン・シャメーナそのものが生きておる」イシュリムは川の上流を指さした。
「そうですか!」
「行くがよい、さぞや喜ぶじゃろう」
であるならば、二人が動き始めていることをシャーマン・シャメーナはすでに知っているだろう。

ふっと空気のすれるような音がして、頭の中で声が響いた。
「ミランダ、闘うか?」
「シャメーナ様ですね?」ミランダは声を出さずに言葉を返した。
「いかにも」
「光栄です。はい、闘います」
「わざわざ私の村まで足を運ぶ必要はない。それは闘いの後でもよいであろう」
「はい、分かりました。シャメーナ様どうぞお見届け下さい」
「言われずとも見る」
「そしてご加護を」
「お前がそれを望むなら」

「ミシュン、男どもを集会所に集めよ」イシュリムの声に、ミシュンが走り出した。
「さ、集会所に行こう」

やがて男たちが集まり始めた。先ほどのティエンのひ孫、セブナの孫、ミシュンに聞いたのだろう、みんな目で挨拶をしてくる。
「腰抜けスベラのひ孫はどうした、早くシオンを呼べ! ここにイエナとクロンの剣を持て! 闘いが始まるぞ! 今度は3昼夜で片を付けてやる」
イシュリムが杖を地面に突き立てた。

「イシュリム様、ミランダ殿、今度は2昼夜で充分でございましょう」ミシュンが抜いた剣は研ぎ上げられ、まばゆいばかりの銀色に輝いていた。
「ミシュン様、慌てずとも3昼夜でもよいではないですか」遅れてやって来たひとりの若者が穏やかな声で剣を抜いた。その剣も見事だった。そしてその鍔は際だって美しい透かし彫りの模様をしていた。若者は剣越しにミランダを見てやさしげな笑みを浮かべた。

「2昼夜だの3昼夜だのとお前たちは……」笑いを含んだ声とカツンと地面を叩く音がした。
どよめきと履き物が地を擦る音が響いて、男たちの人垣が割れた。
「たわけどもが、剣はお前たちの遊び道具ではない! むやみなことで抜いてはならぬ」
男たちが道を空けた集会所の入り口に、小柄な老女が立っていた。
ミランダにはそれが誰であるかすぐに分かった。右手を胸に当てひとつ頭を下げて、その姿をしっかりと見た。ミランダが微笑むと剣を杖代わりにした老女セブナがにっこりと微笑みを返してきた。
その顔は今にもいたずらでもやらかしそうな、えも言われぬ可憐さだった。


─FIN─


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イシュリムの作る結界はせいぜい15人が休める程度。立てばその数倍は入れるだろう。しかし、この村にはおよそ120人の村人に加え、難を逃れた者たちが50人ほどいる。いまここで剣を使えない男や女や幼な子たちに、この魔物が襲いかかったら瞬く間に屍の山が築かれる。
「イシュリム様はいずこに!」イエナは背中合わせに立ったひとりの男に尋ねた。
「まだ騒ぎに気づいていらっしゃらないようです!」
「誰かイシュリム様を起こしに行ってはもらえぬか!」

「イエナ、イエナ、聞こえるか」その時、頭の中で声がした。
「もしや、シャメーナ様ですか」
「いかにも」
「助けてくださいシャメーナ様! もうだめかも知れません!」
「イエナよよく聞け、私は言ったであろう、悪魔の使いはイシュリムの村には入らぬと」
「いえ、来ているのです! さきほどひとりが切られました!」
「イエナよ、落ち着きなさい。そしてわたしの言葉を聞きなさい。もう一度言う、魔物はイシュリムの村には入ってはこぬ」
「では、これは何でございますか?! この騒ぎが見えておるのでありましょう!」
イエナは剣を右に左に動かし魔物の姿を追った。背後に立つ男も同じ動きをしているようだ。闇雲に剣を振る男がいる。走り回る男がいる。
「それは、お前たちの恐怖心が創りあげたものだ」
「しかし、男がひとり切られたのですよ!」イエナはなおも見えない敵を剣の先に探した。
「お前はその男の顔をしかと見たのか」
「いえ、見てはおりませぬ! しかし、肩から腰に掛けて真っ二つでございました!」
「イエナそれも幻想である。誰も死んではおらぬゆえ、早くテントに戻って身体を休めなさい。さもなければ明日の闘いに負けるぞ。心配は一切いらぬ。よく見てみなさい、イシュリムはもちろん、セブナもティエンもスベラも、お前の友であるクロンでさえおらぬであろう。彼らは恐怖心と闘いそれに打ち勝っているのだ」
「シャメーナ様、それは誠でございますか」
「私がお前に嘘をつくと思うか?」
「いえ、思いません。シャメーナ様、私は腰抜けでございましたか」イエナは剣を降ろした。
「己を卑下するではない。お前は助けようとする気持ちが強すぎるのだ。人を案ずる心がその心に重くのしかかっているのだ。100人を越す人間をお前ひとりで守りきれるものか。まず己が生きよ、生き残ればそれだけ多くの魔物を斬り倒すと考えよ、それは紛れもなく他の人間にとっての価値である。
イエナよ、この世にあっては誰しもが生きることで価値を生むのだ。さあ、帰ってもう眠れ、明日の朝には私からの贈り物が届いているであろう。私が宿る木で創ったものだ、きっとお前の役に立つ」

二日目の朝の闘いが終わり、イエナたちは転がるようにイシュリムの結界になだれ込んだ。クロンもティエンも他の男たちも、俯せになりあるいは仰向けになり、肩で息をしていた。セブナは、おやすみと大の字になるなり寝息を立て始めた。
「セブナはもちろんずば抜けて凄いが、最初は尻込みをしたあの腰抜けスベラの剣も素晴らしい。動きは羽が生えたように軽やかで、振り抜く剣は夜空を切り裂く稲妻のように素早く力強い」
結界の中央に座るイシュリムが感嘆の声を上げた。昼前に闘うスベラたちは朝の部隊の闘い振りを座って見守るが、疲労困憊のイエナたちは彼らの闘う姿を見たことはなかった。
「お前とやり合っても、きっといい勝負をしよう」
「それはようございました。しかし、やり合いません」イエナは眠りに引きずり込まれながら微笑んだ。

クロン……ウトウトしていると呼びかける声が聞こえた。
「お疲れでしょう、あなた様にパンを焼きましたゆえお持ちしました」クロンの妻の声だった。
イエナを眠りが襲う中、ふとおかしなことに気がつく。この闘いのさなかにこの妻後は何をしている。イシュリムはなぜなにも言わぬ。ひょっとしてこの声、クロンにしか届いていないのではあるまいか。すぐ隣に横になっているため、たまたま聞こえるのではないのか。

イエナは首を傾け薄目を開けた。見える。クロンの向こう、結界から2間ほど離れたところにパンを持った妻が腰を落としている。
「クロン、お前の妻は皆の分のパンまで焼かぬほど薄情者ではなかったはず」隣に横たわるクロンにささやく。
「はい、確かに」目を閉じて様子をうかがっていた風情のクロンがささやいた。
「そもそも、ここにのこのこやってくるのはどう考えてもはおかしい」
「どうすれば……」
「斬るか?」
「しかし……」
確かに、いくら魔物であろうとも我妻の姿を切り捨てるのは容易なことではない。
「では、放っておこう」
「しかし、もしも本物であったら妻の身が危険にございます」
「イシュリム様、結界の周りに何か見えますか」イエナは寝返りを打ち小さく問いかけた。
「何も見えてはおらん。そもそもここには手出しはできん」やはりイシュリムには聞こえてもいず、見えてもいない。
やりとりを理解したクロンが起き上がり、結界を出て剣を振りかぶるのと相手が剣を振りかぶるのが同時だった。漆黒の剣と黄金色の剣がぶつかり空中にまばゆい稲妻が走った。クロンは後を追った。
「追うなクロン!」イエナの声にクロンが止まった。
「クロン、近くに魔物が見えても追うな! 今は休め」事情を知らぬイシュリムの声がした。
クロンが戻り横になった。イエナは眠りに引きずり込まれていった。

「イエナ様! 幼子様が!」クロンのささやくような声でイエナは目が覚めた。
「危のうございます!」クロンは結界を出て走っていく。イエナもすかさず飛び出した。
クロンの後ろ姿の向こうに我が子が見える。
「危ない! 危ない! 戻りなさい!」シェリが叫びながら後を追っている。これは幻想か本物か……しかし、イシュリムに尋ねている間はなかった。イエナはさらに走った。

「幼子様!」呼びかけた直後、クロンの体が宙を舞い四肢をくねらせて大地に落ちた。
「クロン!」イエナは走り寄る。クロンはうつぶせに倒れ身動きひとつしなかった。
「クロン、何ということに……」
顔を上げた先にシェリが見えた。その手に剣を手にしたシェリが立っている。その横には我が子があどけない笑顔を浮かべている。
「シェリ、お前が切ったのではないね」イエナの問いにシェリはこっくりと頷く。
「さ、その剣を捨てなさい! 早くイシュリム様の村へ戻るのだ」
「はい、この剣はそこに落ちておりました。あなた様の剣に似ていたのでもしやと思って拾いました」それは確かに闘う部族の剣だった。ヒヤリとして鍔を見たがスベラのものではなかった。仲間の誰かが切られたに違いない。
「ご無事で何よりです。娘を寝かしつけておましたらこちらも眠っていまい、いないことに気がつくのが遅れてしまって……それにクロン様がこんなことに、すべてわたくしのせいです」
「早く戻りなさい!」
シェリは、はいと言って娘を抱き上げた。

「イエナよ、切れ!」シャメーナの声がした。
「シャメーナ様、あれは我が妻子にございます!」
「違う! イエナよ切るのだ!」
「しかし、紛れもなく我が妻子でございます!」
「おかしいとは思わぬのか? あんな幼い子が、目前に見えるとはいえこの距離を歩いてくると思うのか? そんな時間気がつかないほどお前の妻は間が抜けてはおるまい。あの二人が村へ入ったらひとたまりもないぞ」
イエナは子を抱いて歩き去るシェリの後ろ姿を見つめた。
「早く行かぬと手遅れになる!」
シャメーナの声にイエナは走った。剣を振り上げ宙を飛んだ。おのれ! 着地すると同時に肩口から下へ剣を振り切った。手応えを感じ、黒い魔物が二つに弾け飛んだ。
「急ぎなさい!」イエナの声にシェリは走り出した。妻子の周りを走り回りながら、イエナは剣を振り続けた。シェリと子は無事にイシュリムの村へ入った。
「申し訳ないことをいたしました。どうぞご無事のお帰りを」シェリが頭を下げた。

「イエナよ、よく耐えた」
「今度は本物のシャメーナ様でございますね」
「いかにも」
「しかしシャメーナ様、遅うございました。クロンが死にました」踵(きびす)を返し歩く先に倒れたクロンが見える。その先に走り回り剣を振るう男たちの姿があった。その中で、スベラの動きは確かに際だって優れていた。
「お前は見たのか?」
「はい、何をでしょうか」
「クロンの死に顔を見たのかと訊いておるのだ」
「いえ、まだです」動かなくなったクロンの姿が近づいてくる。
「私がお前とクロンに贈った衣は、我が宿りし木の生命力で作られたもの、私がただの装飾品を贈ると思うか」
「はい?」
「今までの死者はどうであった」
「今までの死者でございますか?……身体が……真っ二つに」
「クロンはそうなっていたか」
「いえ、繋がっております」うつぶせのクロンの元にたどり着いた。
「衝撃で気を失っているだけだ。私はピシュナ神に怒られるやもしれん。余計なことをしおってと」
「シャメーナ様、感謝いたします」しゃがみ込み、クロンの肩を揺すった。うめくような声が小さく聞こえた。
「その衣は10昼夜ほどしかもたぬであろう。長引くようであれば過信はするな。二人分をこしらえるだけで私の寿命も少し縮んだ」シャメーナが少し笑った。


〝この闘いは7日の間くり広げられたと聞きました。そして彼らは勝利したのです。しかし、生き残った剣の勇者は僅か8人、いかに過酷な闘いであったかが分かります。
それから彼らは疲れの癒えぬままラクダを走らせ、村々を回りました。被害を受けたいくつかの村がすでに魔物によって滅ぼされていました。生き残った人々は彼らが引き連れて村を統合しました。
不幸中の幸いは、この闘いによって食い止めたために、半数以上の村は無事だったということです。

ティエンが率いていた人たちも含め、魔物の手から生き延びた人々の内の多くが、このイエナの村に居着きました。イエナがそれを望んだからです。そして残りの人たちはシャーマン・シャメーナの村に向かいました。子を持つものは、水と穀物の豊かなシャメーナ様の村が良いだろうとイエナが判断し、勧めたたからです。シャメーナを始めその族長も快く迎えてくれたそうです。
ティエンの一家とスベラはイシュリムの村に戻りました。再び魔物が現れた時、この荒野の部族を守るためです。

曾祖父イエナは必ず付け加えました。ミランダよ、もしも黒い魔物がやってきたら、陽の昇る方へ11昼夜歩め、川がある、その畔に村がある、そこにわしの剣がある、その剣を手にとって闘えと。
子も孫もたくさんいる曾祖父がなぜ好んで、それも女児であったわたしにその話をしてくれたのか、今は分かるような気がします。なぜなら、わたしの手の中で、ネイトンが鍛え、イエナが握りしめた剣が黄金色に輝いたからです。今は亡き曾祖父イエナが伝えてくれた昔々のお話でした〟


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ティエンが率いてきたおそよ50人の人々で、村の人数は一気にふくれあがっていた。食べ物は豊富にあるから気にせず逗留されよ、とイシュリムは快く迎えてくれたようだ。村の者は合流しテントを空けよ、男どもは外で眠れと。

「ティエン殿、無事でご到着されましたか」
「イエナ殿の妻子も含め皆無事でございます」ティエンを始め闘いに挑む者たちは、闘う部族の衣に着替えていた。イエナも剣を腰に差した。
「おじちゃん、ほら剣を小さくしてもらったの」セブナはその剣を抜いて見せてくれた。
「おお、これは扱いやすくなったでしょう」うん、と頷きセブナは剣を一振りした。
「急ぎこの子の衣も履き物も帯も揃えてもらいました」

「イエナ様、首を長くしてお待ちしておりました」
「おおスベラ殿、ようお似合いだ」
「これは動きやすい衣にございます。しかし、イエナ様の村が大変なことになったそうで……シェリ様にお聞きしました」スベラは頭を下げた。
「スベラ殿の村も心配でありましょう」
「はい、是が非でもここで食い止めねばなりません。それと、申し訳ないと思いましたが、イエナ様には内緒で剣を比べてみました。わたくしとイエナ様の剣の鍔(つば)はとてもよく似ております」
ネイトンの剣の鍔は大きな楕円を描き、大小の三日月、太陽と満月を表しているのか大小の丸、草の模様が透かし彫りにされたものだ。

そう言われて皆の腰の剣を見ると、柄を取り囲むように曲線を描いて設えられた金具は同じだが、鍔の形や大きさはそれぞれだった。菱形の鍔、丸い鍔、十文字に金具が取り付けられた鍔、お椀を伏せたような形をした鍔。
実際に剣を合わせたり打撃を加えるわけではないから、装飾の意味合いが強いのかもしれない。イエナは剣の鍔を寄せてみた。確かにそっくりだった。
「確かにこの二つの剣の鍔は際だって美しい。揃えたのかも知れませぬな」
「あるいはどちらかが真似をしたのやも」スベラは嬉しそうに笑った。
「わたくしはこれを、時の流れを表したものかと想像します。ほらイエナ様、三日月も丸もそれぞれ三つ。この草も三箇所で大きさが違っております。育っているのでありましょう」

「さ、皆のもの出陣じゃ!」イシュリムが声を上げた。
「ご武運を祈ります」子を抱いたシェリが愁いを帯びた瞳で腰を折った。

「では、ここで待とう」イシュリムの言葉に従い、村の目前に陣を構えた。クロンの剣も間に合った。迎える総勢23人。
イシュリムの結界は村の入り口よりおよそ60間(108m)ほど離れた左前方に設けられた。木の杭が打たれた5間(9m)四方ほどの空間の真ん中にイシュリムは座った。これが魔物を寄せ付けない結界だ。
12人の男たちは村を背に、お互いが離れて半円を描くように座っていた。最も近い扇の中心から村の入り口までおそよ30間(54m)。それぞれの距離おそよ4間(約7m)。

扇の中心にセブナ、右に二人置いてショナム。以前集会所でネイトンの帯を見せてくれた男だ。その反対側にクロン、左の端にイエナ、右の端にはティエン。
スベラを含む残りの11人はイシュリムの結界の中に座り、戦況を見守る側だった。
なぜ女児が扇の中心なのか、イシュリムの村の中でも異論が起きた。
「剣の色を見よ、紛れもなく強いからじゃ!」
イシュリムが言い放った直後、セブナは2間(3.6m)ほども離れたところに立っている大木を一刀両断で切り落とした。

陣を構えて二日目の朝がやってきた。
「おいおい、こんなところに女とはどうしたことだ」右の扇の中程にいた男が腰を上げ、驚いたような声を出した。「それもたいそういい女だ」
「お前は何を言ってるんだ」隣に座る男が立ち上がって近づいていく。
「これが見えねぇのか?」
「あ……いや見えた。ここは危ないから村へ案内しよう。しかし腿をそこまで見せるとはたいそう色気のある衣だな」男はこもった笑い声を漏らした。
ふたりの男がこちらに向かって歩いてくるがそこには何もない。それを見ていた男たちは剣を抜いて静かに立ち上がった。抜いたばかりの剣はまだ銀色の光を放つだけだ。
二人の男に駆け寄る男がいた。ショナムだ。
「女! そこをどけ! 悪魔の使いはどこにいる!」剣に左手をやったショナムが叫ぶ。

彼らには見えているのだ。魔物はその人間の目前でしか姿を現さない。イシュリムの言葉は真実だった。
「騙されるな! それは魔物に違いない!」イエナは怒鳴った。
「いくら何でも女は切れない」
「騙されてはならんぞ! 女などおらん!」遠くからイシュリムも声を上げる。
「イシュリム様、女は切れません!」
男が口を閉じたか閉じぬかの瞬間、その胴体が上下に離れた。血を噴き上げる下半身は、まだ上に持ち主が付いているかのようにかくかくと揺れながら大地に立っている。腹から血飛沫を上げながら下半身から離れ飛んだ男の顔は、呆気にとられたようであった。
「ショナム殿! 剣を抜け!」イエナは叫んだ。
続けざまに隣の男の身体が、頭から股へと真っ二つに割れた。眼球は飛び出し、大地が一直線に血で染まった。男の身体は前後にゆっくりと倒れていった。

おのれー! ショナムが走り込み斬りつけた、そのとき初めて、後ろへ飛び退く漆黒の魔物の姿が垣間見えた。
「ショナム相手を見るな! 剣の先を見て心を無にせよ! 目は半眼に保て! 見てはならぬ、気配を感じて闘え!」イシュリムが再び声を上げた。血を見た剣の勇者たちは一気に気を引き締めた。
闘いの端緒(たんしょ)で、すでにふたりの男が死んだ。それも剣さえ抜かずに。やはり、かつての剣の使い手のようにはいかないことが露呈した。これで残るは21人。

奇声を発したショナムが真横に黒い塊を斬って捨てたのを合図のように、黄金色に輝く剣を持った男どもは雄叫びを上げ、扇の輪を広げるように前に走った。荒野の大地にもうもうと土煙が巻き起こった。

「我らを見くびるではないぞ!」ティエンが声を張り上げ、大上段に構えた剣を袈裟にに振り切り、横になぎ払った。二つの黒い塊が瞬時に四つの切れ端になって宙に飛び散った。

「我が部族の敵討ちじゃ!」クロンも走り、飛び退(すさ)り、追いかけ、黄金色の剣を振りまわした。千切れた黒い塊は派手に宙を舞った。

セブナは嬉々として走り回り、飛び上がり、しゃがみ込み声を張り上げて剣を振るった。そのたびに、黒い塊が空に散った。

イエナも剣を片手にひっさげ風が耳を切る音を聞いた。朝日が大地を斜めに照らす中、息を弾ませ見えない敵を追った。
「深追いするな! 村と結界から遠ざかってはならん!」イシュリムの声が聞こえる。
見えた! 躍り上がり斬りかかってくる漆黒の魔物にイエナは腰を落とした。黒い剣が頭上に迫った。右へ避けながら左から右上に剣を振り切った。ネイトンの剣は両手がしびれるほどの衝撃を感じ、黒い塊が二つに千切れ飛んだ。
「敵が見えぬ者は回れ! 走れ!」戸惑ったように剣を構えて留まる男たちにイエナは声を張り上げた。

目前を右から左へ黒い影が横切った。その先に剣を構え背中を向ける男。イエナは走り、高く跳躍して斬り込んだ。強い手応えがして黒い影が二つに飛んだ。
「おじちゃん後ろに!」セブナの声に、イエナは屈み込んだ身体をひねり、振り向きざま右手で剣を払った。骨と肉を震わすような衝撃と共に黒々とした塊が宙を舞い、音もなく大地に落ちた。急速に雨雲が去るように、その塊も瞬く間に消えていった。

「セブナ!」礼を言おうと振り返ると、そのセブナが剣をこちらに向けている。イエナはまた振り向きざま剣を払った。しかし手応えはなかった。前を向くとセブナは剣を構えたまますり足で近づいてくる。
「セブナ、私の後ろにまだ魔物がにいるのか?」イエナの問いにセブナは無言だ。
これか? これが幻想か?
「セブナ、冗談はやめてくれ」イエナの声も届かぬようにセブナはじりじりと寄ってくる。
「イシュリム様、私の前に何か見えますか?!」イエナは遠くにいるイシュリムに向かって声を張り上げた。
「何もおらん! だが奴らは目前でだけ姿を現すゆえ気を緩めるではないぞ!」右耳にイシュリムの叫ぶ声が届いた。
やはりこれは幻想。だが、斬れるのか? もし、まかり間違えて本者だったらどうするのだ。
「セブナ、冗談だったらやめてくれ」イエナはじりじりと後ろへ下がる。
そのセブナが剣を振りかぶり躍りかかってきた。イエナは横飛びに転げるように避けた。その刹那遠くで剣を振るうセブナの姿が見えた。
イエナは立ち上がり走った。土埃を上げて立ち止まり、一回転し、また走った。偽物のセブナが見えた瞬間、大地を蹴り大上段に斬りかかった。
手応えを残し、二つに割れた真っ黒い塊が地を這うように飛び散った。

「おじちゃん、大丈夫だったぁ?!」
遠くで声がする。先ほどのあの声は本物のセブナだったのだ。
「セブナ、見えるのか?!」
「見えるよ、ほとんど見える!」
何という眼力、何という能力。
「セブナ! 今どれぐらいいるんだ」
「多分4人の手の指ぐらい! でも、斬っても減らない! おじちゃん後ろ!」
屈み込んだイエナは振り向きざまに地から天に向けて剣を振り抜いた。しびれるような手応えを残して黒い塊が宙を舞った。

朝に始まった闘いは、昼が過ぎ夕が訪れても終わらなかった。相手は斬っても払っても一向に減っていく様子がないのだ。
朝に闘った者は昼までイシュリムの結界の中で休み、午後に再び闘う。昼前に闘った者は午後に休み夕に再び闘う。
「引き上げろ! 村へ入るのじゃ!」イシュリムの声と共に村へと向かって走る。その時は結界で休んでいた者がしんがりとなり、夕闇の迫る虚空を切り続ける。

村に帰り着いたのは19人だった。最初に斬られた二人以外に戦闘で二人がやられたことになる。夜の内にかがり火を持った男たちがその亡骸を回収して土に埋めた。

「もっと灯りを焚け」イシュリムの声に応じて、村のかがり火が夜空を焦がすように赤々と燃える。
「イシュリム様、斬っても数は減りません。我らに勝ち目はあるのでしょうか」イエナは心底の恐怖からイシュリムに尋ねた。
ひとりの男が魔物と対峙して剣を振るうさなか、前方に血飛沫を上げながら斜めに切断された瞬間を見た。そう、姿も見せず気配さえ感じさせず、後ろからいきなり斬り込まれたらひとたまりもないのだ。数としては二人がかり三人がかりになられてもおかしくはない。
「確かに増えてくる。だが、斬った分だけ確実に減っておる、だからこそネイトンたちは勝利したのじゃ。真に強いものはそれほど増えぬもの、弱いからこそ数を頼む、虫や生き物と同じじゃ、イエナよ恐れるな」
「有効な闘い方はないのでございますか、ネイトンはどう闘ったのでございましょう」
「イエナよ、あればとうに教えておる。昔の勇者と肩を並べるのは一握り。明日も被害が出るであろう」イシュリムが苦い表情を浮かべた。
頼るは己の精神力と腕一つ。イエナは分かりましたと呟いてテントに向かった。

「おじちゃん、あたしを斬ったんだって?」セブナが笑いかけてきた。
「誰に聞いたんだい?」
「クロンのおじちゃんに。でもね、あたしはそんなに近づかないから、剣を構えて不自然に近づいてきたら絶対あたしじゃないよ。構わず斬って」
「分かったよセブナ。それに私は、お前を斬るほどの腕はないという当たり前のことに、今気がついたよ」イエナは微笑んだ。
「そんなことないよ、おじちゃんはなかなか強い。あたしの父さんといい勝負をするかも知れないよ」笑ったセブナは、じゃね、もう寝ると走り去った。

先ほどまで闘っていた男たちが大地に横たわっている。
「スベラ殿大丈夫か?!」イエナはそばに屈み込んだ。
「ああ、イエナ様、ほんのちょっと疲れているだけにございます」スベラは軽く微笑んだ。立ち上がる気力も体力も残っていないのだ。それほどまでに過酷な闘いだった。そしてこれは、まだ初日だった。

イエナの腕と肩は火照り、骨には斬って捨てた衝撃が残っている。シェリがそれを濡らした亜麻の布で冷やしてくれていた。
今日はセブナに続いて、父を斬り、母を斬った。
「お疲れでございました。イエナはお父様を斬ったのでも、お母様を斬ったのでもございません。魔物を斬ったのでございます。お気に病まぬようにしてくださいませ」
確かにそうだ。しかし、斬られた瞬間、どちらも悲しい顔をした。母などは剣ではなく、湯気の上がる椀を両手で捧げるように持っていた。飛びかかり、それを斬ったのだ。
父母の最期を看取っていないイエナにとって、その幻想は真実味を帯びていっそう心に重かった。イエナは隣に眠る我が子の頬を撫でた。

その時だった。腹に響くような叫び声が村に轟(とどろ)いた。来た、ついに村の中にも魔物がやってきた。
「シェリ、子を抱きなさい」イエナは剣を手にテントの外に飛び出した。そこには胴を真っ二つにされ、内臓が飛び出た切り口から血を噴き上げる男がいた。片方を大地にもう片方を木の枝にぶら下げた男は果てていた。

「イシュリム様! ティエン殿! セブナ!」呼びかけに声は返ってこなかった。イエナは剣を抜き走った。
「スベラ殿! クロンどこにいる!」
イエナはかがり火の燃える中を走った。やがて広場に男たちが固まって剣を構えているのが見えた。
男がひとり剣を振りかぶり躍りかかる。その剣は空を切った。走り込んだイエナは見えない敵に切り込んだ。だが手応えはなかった。


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「君も剣を使えるのだね」イエナはラクダにまたがった男の子に問いかけた。
「もしやこの子を男の子と間違えてございますか?」ティエンが白い歯を見せて笑った。
「イエナ殿、これは我が子セブナと申す女児でございます。我が部族の血を引く中で、これほどの使い手はいないとさえ思われる剣の名手。この子がおらねばわれらも全滅していたでしょう」
「そうでしたか、りりしい顔立ちゆえ男の子と勘違いをしてしまいました」
「いいんだよおじちゃん、それよりお水とパンをありがとう、すごく美味しかった。おじちゃんのためなら、あたしは何でもするよ」
セブナは微笑みながら小さな拳を握った。

「闇との戦(いくさ)でよく闘った私の祖先は、兄弟で今の村へ居着きました。伝えられた剣を使えるのは私と娘のセブナ。そして村々を回っている時にあなた様の村へ着いたのです。みな倒れ伏し全滅かと思われました。
しかし子を寝かしつけていたり、眠ったり瞑想に入っていた人たちは無事でした。
魔物と闘っている時、私はもうだめかと思いましたが、この子の剣は無類の強さを見せてくれました。そして夕になり闇が迫った頃、魔物は去ったのです」
「セブナはその身体でよく剣が操れるのだね」イエナは笑いかけた。セブナは恥ずかしそうに微笑んだ。
「この子は止まることなく走り回り、肩にからげた剣をまるで放り投げるかのように振りまわすのです」
「だって、この剣は大きいし重い」セブナはラクダにくくりつけた剣を叩いた。

「ところでティエン殿、剣を使える方は何人ですか?」
「村を回るうち3人を見つけましたゆえ、私たち親子を含めて5人です」
「イシュリム様は最低でも20人が必要と仰っていました。今も剣を打っておりますが、打ち手の者が腕を怪我するという事故が起こり途方に暮れておりました。これで16人、その後何本打てているかにもよりますが……。
ティエン殿はイシュリム様の村へ向かって下さい。私とクロンは向きを変えてシャーマン・シャメーナ様の元へ向かいます。悪魔の使いが今どこにいるのか尋ねて参ります」
「分かりました」ティエンは力強く頷いた。
「ところでティエン殿、これだけの人数、食糧と水は大丈夫でしょうか?」
「滅んだ村よりそれぞれの村人が持ち出しましたゆえ、問題はなかろうと思います」
「わたくしは……」いつの間にシェリがラクダの下に立っていた。
「シェリよ、この方たちと一緒にイシュリム様の村へ向かいなさい。セブナの剣は頼りになるであろう。ティエン殿頼みます」
「血肉をお分け給いしイエナ殿よ、お任せ下さい。あなたがたのご家族が亡くなる時は私の家族も死ぬ時です。最後の最後までお守りしましょう」
「おじちゃん、また会いましょう」夕日を浴びながらセブナが笑った。

〝ラクダにまたがり、イエナとクロンはシャーマン・シャメーナの村へ向かいました〟

「シャメーナ様、伝説の剣は揃いつつあります。今悪魔の使いはどこにおりましょうか」
イエナの問いに、シャーマン・シャメーナはまた優雅に衣を揺らしながら両手をひろげた。
「イエナよ、真実を明かそう。悪魔の使いなど実はいないのだ。魔物は存在しないのだよ」
「それはどういう事でございますか」
「魔物は人々の心の中にいる。みなの心がすさみ始めた時、悪魔の使いはその心の奥底から這い出てくるのだ。だから、敵はそこでもない、ここでもない、向こうでもない、己の心の中だ」
「魔物は幻想だと仰るのですか」
「イエナよ、この世のすべては幻想である。幻を真実と信じている限り、それは明らかなる形を伴い時として人に痛みを与える」
「しかし、人々は倒れ骨となりました」
「人が倒れたのは力を奪い取られたからだ。しかし、それは悪魔の使いにではない。人々が集団で作りだした魔物に、究極は己の心に負けたのだ」
「それは何のことでございましょう?」
「人が人を羨(うらや)む心、人が人を憎む心、人が人を蔑(さげす)む心、人が人を虐(しいた)げる心、人が人を陥れようとする心、足りるを知らず欲する心、分けあわぬ独善、盗むふるまい、奪う所業、傷つける愚行、毀損(きそん)、冒涜、不品行、不行跡(ふぎょうせき=ふしだら)、不心得、慢心、虚栄、それらが渦巻き、やがて魔物を生み出すのだ」
「シャメーナ様、私には分かりません」
「やがて分かる時が来るだろう。今はそれと闘え。力ある者が闘う時、剣の先に幻想が見えるはずだ。精神の力が強いほどその幻想は生々しい。己が見える者もある。父が見える者も母が見える者もある。まさかと思える幻想を切るのだ。ためらわず切るのだ。そこに立ちはだかるのが我が子であっても切るのだ。これは過酷な闘いである」
「幻想と闘うのでございますか」
「そうだ。目の前に誰が立っても狼狽えるなと皆に伝えるがよい」
「しかしシャメーナ様、この荒野の部族は死に絶える恐れがございます。その幻想とやらに滅ぼされるやも知れません。シャメーナ様にお出まし頂くわけには参りませんでしょうか。恥ずかしながら、その幻想とらやと闘う自信が私にはないのでございます」

「イエナよ、あの古木が見えるか」シャメーナが指さす先に枯れた大木が見えた。
「はい、見えますが」
「あれが我が父シャーマン・シュムランである」
「あちらにお眠りですか」
「違う。あの古木そのものがシャーマン・シュムランなのだ」
「どういう事でございますか」
「父シュムランも私も人ではないのだ。シュムランがそうであったように、雨が降ろうと風が吹こうと私もここに立っている」前のめりにこちらに向かいあったシャメーナは、諭すように両手をひろげた。
「シャメーナ様、いったいどういう事なのですか?」
「木だと言うことだ。私が役目を終えここを離れた時、ここに木が立っていたことに人々は初めて気がつくだろう。だからイエナよ、ここを離れることはできないのだ。これは地上の誰も知らぬことだ。やがてお前が子孫に語って聞かせるまで、ほかには誰も知らぬこと。しかしイエナよ、私はあなたがたの闘いをここで見ている。クロンよ」
呼びかけられたクロンは肩をビクッと震わせた。
「はい、お名前をお呼びいただき恐縮にございます」
「お前はイエナの親族ではないか」
「あ、はい、そうでございます」
「忘れていることはないか」シャメーナは思い出せと言わんばかりに片手を胸に当てた。
「はい?」クロンは狼狽している。
「お前も剣を操る一族の末裔であるということを忘れてはおらぬか」確かにそうだ。クロンは曾祖父の従兄弟であった。イエナはそのことをすっかり忘れていたことに気がついた。
「は、確かにそうでございます。それを失念いたしておりました」クロンが頭を下げる。幼い頃より兄弟のように、あるいは年の近い友のようにして育ったイエナとクロンは、実際の親族であることをそれほど意識したことはなかった。
「お前の曾祖父の剣もイシュリムの村にあるが、合うかどうかまでは分からぬ。お前は一足先にここを出て剣を打ってもらうがよい。この闘いに剣の使い手が多すぎるということはない」

「シャメーナ様、クロンに剣が合えばよいのですが……実は剣の打ち手が腕に怪我を負いまして、おそらく作業が遅れております」イエナは口にした。
「心配はいらぬ、刃を付ける前の剣ゆえ傷は浅い」
「ではクロン、シャメーナ様の言われた通りにしよう。今ここでひとりでも剣の使い手が増えるのはありがたいこと、ましてやそれがお前であるならどれほどか心強かろう」
では早速。木の切り株から立ち上がったクロンは、ラクダにまたがり急ぎイシュリムの村へと向かった。

「ピシュナ神にはお助けいただけないのでしょうか」
「ピシュナ神は神々の父、神々の中の神。ピシュナ神の周りにいる神々もピシュナの生み出せしもの。この荒野に住む者たちもピシュナの生み出したひとつの形だ。ピシュナの願いは皆が思い思いに生きること。そして、その生きてゆく道の中で何事かを学び取り、つかみ取り、ピシュナの元へ戻ること。だから助けもしなければ罰しもしない。
幼い子供の頃ならいざ知らず、大人になってからああせよこうせよせよと言われて生るのは窮屈であろう。ピシュナは天上天下唯一の神。人々に選択の自由を与えし神。すべての魂はやがてピシュナに帰るのだ」
「シャメーナ様、難しい理屈はイエナには分かりませぬ」
「分からずともよい。ピシュナは悪魔の使い、剣を持って闘う者たち、そのいずれへも肩入れはしないということだ。しかしイエナよ、私はあなたがたの勝利を願う」

「シャメーナ様、我々はどこへ向かえばよいのでしょうか。どこに向かえば魔物と出会えましょう。今どこにいるのでしょうか」
「そこでもない、ここでもない、あちらでもない。悪魔の使いは幻想であると申したばかりではないか。イシュリムの村の外で待て、やがてやってくる」
「村の近くでは村人が危険なのではないですか」
「奴らに近いも遠いもない。剣を持ちし者たちが絶えれば、やがてイシュリムの村も滅ぶであろう。イエナよ悲しげな顔をするでない。お前の曾祖父ネイトンもあの古木の前でひざまずいた。彼もまた不安に駆られていたからだ。我が部族を、この荒野のあらゆる部族を守れるであろうかと我が父シュムランに訊いた。その答えは私の答えしものと些(いささ)かの違いもない」
「ネイトンも恐れていたのですね」
「死を恐れぬ者などいない。我が父シュムランが最後にネイトンに贈った言葉をお前にも贈ろう」
「はい、お願いいたします」
「死を恐れるではない。死さえもまた幻想である。存在は永久に消えることはない。何事にも、何者にも、恐れを抱くではない」
「ありがとうございます」
「ゆけイエナよ。もし闘いのさなかに私の声が届いたなら、耳を傾けてくれ」
「シャメーナ様、感謝いたします」
「最後にこれは私からの言葉である。苦しい時ほど喜べ、辛い時ほど笑え、それがピシュナ神の願いである。悔いの残らぬ闘いを祈っている」
礼を述べ、イエナはイシュリムの村へ向向かった。



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「遅かったか……」ラクダから降りたクロンは声を震わせた。
「剣を手にしたとき即座に戻ればよかったのだ。たとえ敵(かな)わずといえども……あの黄金色の剣を抜いて、我が部族と共にここで果てるべきだったのだ」イエナは誰にでもなく、己を叱咤するように呟いた。

「誰かおらぬか! クロンじゃ誰かおらんのか!」クロンの呼びかけに応じる者はなかった。
イエナは足早に家々の中を見て回った。しかし、そこには誰も残ってはいなかった。もちろん、妻シェリとわが子と共に暮らす家にも。
大地に横たわり骨を露わにした一体の亡骸には食い残された肉が残り、ウジが湧き、辺りに腐臭を放っていた。意志を抜き取られ、生きたまま獣に食われていった村人の悲劇がイエナの胸を押し潰した。
クロンは呆然とした足取りで村の中を歩き回り、頭の骨にこびりつく毛髪を確かめていく。妻と子を探しているのだろう。イエナにそれをする勇気はなかった。

大地に膝を落としたイエナはそのまま突っ伏した。悲しみの涙か、怒りの涙か、後悔の涙か、族長としての己の無力を知ったイエナは、絞り出すように妻と子の名を呼んだ。二人の笑顔と過ぎ去った日々が頭の中に渦巻いた。自分はあまりに無力でありすぎた。
クロンは悲しみのあまり、彼の父、彼の母、彼の妻、彼の子の名を呼び、大地を転げ回った。

陽は傾き、陽は沈み、夜が月と星を連れてきた。やがて朝が、物音ひとつ立たぬ大地に素知らぬ顔をした太陽を連れてきた。
眠ったのか眠らなかったのか、大地を這っていく視線の先に風になぶられる衣が見えた。イエナはゆっくりと起き上がり、骨を包み血で赤茶けたその衣の元へ歩み寄った。

「クロン、隣村へ行こう。これを見よ、隣村の者の衣だ。彼らは助けにやってきてくれたのだ」
昨日は気づかなかったが、村の地面にはラクダと、四方に乱れ大地を蹴ったような人の足跡が残っている、これは闘いの痕跡に違いない。

〝族長イエナとクロンは隣村へ向かいました。我が部族よ我が家族よ生き残っていてくれと一縷の望みを抱いて〟

「これはもうすでに我が部族の範疇を超えた」
イエナの声にクロンが無言で頷いた。隣村も同じ惨状だったのだ。
「クロン、イシュリム様の村へ行こう、この荒野の部族すべてが危機に陥った」

イシュリムの村へ向けて3昼夜ばかり進んだところで、赤々と沈む夕日を浴びる無数のラクダの群れと人々の影を見つけた。
「イエナ様、あれは何でございましょう」
「部族で移動をしているのだろうか、もしや魔物の手を逃れた者たちかもしれぬ」二人は急いでそのラクダと人影に向かった。
「どなたか、どなたか、みなはどこへ向かわれる」ラクダを走らせながらクロンが問いかけた。一頭のラクダにまたがった男が振り返る。

「ご無事でしたか」イエナは声を掛けた。パンと水を分けたラクダの親子だった。
「申し訳ない、夕日の影になってしかとお姿が見えません」ラクダにまたがった男が近寄ってきた。
「おお、パンと水を分けてくださった方たちではないですか?!」

「私は陽の沈むところで族長をしていたイエナと申します。どちらへ向かわれます」イエナは問いかけた。「していた」と過去の話にしてしまわざるをえない己が不甲斐なかった。
はい、と頷いた男はイエナより10ほど年かさだろうか。夕日に映えたその顔はたくましく、白い歯が印象的だった。
「私は遠くの小さい村で族長をしておりますティエンと申します。私たちはイシュリム様の村へ向かっております」
「おお、ティエン殿それは我らの目指すところと同じ。我らはイシュリム様の村より我が村へ向かい、再び引き返すところです。しかしティエン殿、我らが村は魔物の手により壊滅いたしました」
「何と、イエナ殿の村が魔物に襲われましたか! それは何ともお痛ましい」
魔物と口にしただけで話が通じた。やはりその手を逃れていたのだ。
「奴らは人の魂を抜き取ります。普通の人々では抵抗は難しいのです」ティエンはラクダの背を撫でながら悲しげに表情を曇らせた。
「はい、間に合いませんでした。夥しい骨が大地を埋めておりました」
ラクダを近づけてきたティエンはイエナの肩に手を置いた。
「分かります。族長であれば、その悲しみも倍でございましょう。お泣きになるなイエナ殿」その時初めて、頬を涙が伝っていることにイエナは気がついた。人に見られぬように衣の袖で頬を拭った。

「しかし、ティエン殿は何ゆえイシュリム様の村へ?」
「はい、ある夜、急いで剣を集めよと告げる夢を見たのです。魔物の伝説は一族に語り継がれておりましたゆえ、それに違いないと判断して、私たちは村々を周り剣が使える我が末裔たちを探していたのです」
「ティエン殿もイシュリム様の村の末裔でしたか」
「ということは、イエナ殿、あなたも?」
「はい、私は事ここに至るまで知りませんでしたが」
「さては、以前と違うその出で立ちは、我が血筋の部族の衣にございますか?」
イエナ……。荒野を吹く風が、呼びかける声を運んできた。イエナは右を見たが、クロンはラクダにまたがった見知らぬ男と話をしていた。
「そうです。イシュリム様の村でご用意していただきました。しかし我らは同じ目的で動いておりましたか」

イエナ……。再び呼びかける声。頭をゆっくりと巡らせて、その声の元を探したが見あたらなかった。この集団の数はおそよ50人ぐらいだろうか、日が暮れたらこの辺りで眠ることになるだろう。
「どうされました?」ティエンがラクダから身を乗り出した。
「いえ、名を呼ばれたような気がしまして。してティエン殿、もうここらで野営をされますか?」
「どなたか、イエナ殿をお見知りの方がおいでか?!」イエナの問いを聞いてか聞かずか、ティエンが大声を上げた。
「ほら、イエナ殿あそこに」ティエンが指さす。指先を辿ると、夕日を浴びる人々の中に子を抱くひとりの女が目に入った。その女は肩の辺りで小さく右手を挙げた。

「シェリ!」ラクダを飛び降り人の群れの中を進みイエナは妻と我が子に駆け寄った。昨年生まれた女児は亜麻の大きい布にくるまれ、シェリの胸で何事もなかったかのように眠っていた。
「シェリ、生きておったか!」
「はい、しかし、気づいた時には、村の人々は倒れていました」シェリはその泉のような瞳に夕日を映す涙を浮かべた。
「すまぬ、私が留守の間にとんでもないことになってしまった」シェリは両の耳辺りで編んだ髪をゆすりながら首を横に振った。
「父母様はお亡くなりに……」
「我が村の者たちは?」

「少数ですが生き残りました。昼をすませて、時がいくらか過ぎた頃です。眠っていた人たちは助かりました。しかし、隣村の方たちが気に掛けて尋ねてくれたようで、その方たちと談笑していた村の人たちや、外で遊んでいた子らは助かりませんでした。クロン様の妻子はご無事です」
シェリが誘(いざな)うように後ろを振り向く。クロンの妻とその胸に抱かれた幼い男児がいた。その妻が腰を折った。近くに彼の父母の姿は見えなかった。
「ようご無事で」イエナは歩み寄った。
イエナ様!
族長様!
人々の中から声が上がった。我が部族の者たちだった。皆夕日に顔を赤く染めて頷いたり目頭を押さえたりしていた。その数ざっと20人ほど。それでも一割は生き残ったのだ。
「すまぬ」イエナは膝に手を当て頭を下げた。
「イエナ、よくご無事で」歩み寄ってきたのは叔母エレナだった。
「私は何の役にも立ちませんでした」
「よいのです、これもまた我が部族の定めでしょう」
エレナは声を落とした。「イエナが族長などやりたくなかったのはわたしが一番よく知っております。あなたが気に病むことではありません」
そう、兄が族長を継ぐのが当たり前だった。イエナよりも逞しく、智恵があり、強かった兄は病で死したのだ。

「クロン!」呼びかけた先を見ると、すでに妻子の姿を確認したのかラクダにまたがったクロンが衣の袖で顔を拭っていた。

「あの方が助けて下さいました」妻シェリの指さす先にはティエンが見えた。イエナは人混みを分け、家族に走り寄った。
「助けてくれたのですね!」
「あれはイエナ殿の村でしたか。ご妻子にございますね?」
「はい、そうです」
「ご無事で何よりでした」
「ティエン殿、このご恩イエナは一生忘れません」
「よいのだイエナ殿、助け合うのが人。それを忘れてしまえば野を這う獣に同じ」頷くティエンが、イエナには幼い頃に亡くした兄のように思えた。


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扉を開けて集会所に出ると、イシュリムの前に立つ男がこちらを見た。腰に剣を差した若者だった。
「あなた様は?……」男の眉がゆっくりと開いた。
「ここが故郷でございましたか、よくぞご無事でご到着を」イエナは微笑みながら片手を上げた。そう、イエナが川辺でパンを分けたあの男だった。
「おぉ、やはりあなた様は、パンを分けてくださったお方でございますね!」スベラと名乗っていた若い男はイエナをめがけて駆け寄ってきた。
「族長である父が剣を持てといいました。もしや……もしや、剣の力を必要とされたのはあなた様で」
「はい、いかにも。私は陽の沈む方角のところに村を構える、族長のイエナと申します」
「そうでしたか……わたくしは」口元を引き結び、スベラは悲しそうな顔をした。
「恥ずかしながらこのスベラは、迷いに迷うてここまでたどり着きました」
「道に迷うてございましたか」知らぬふりをしたイエナの視界の端で、クロンがうつむいたまま小さく頷いている。彼にもこの若者の気持ちが痛いほどに分かっているのだ。
「いえ、心に迷いが……剣を持てとは闘えということ、こののどかなる時に命の危険を冒す必要があるのか、夢見など信じなくてもよいのではないか……あぁ、はい、夢を見たのでございます」
「夢を見たのでございますか?」
「はい、もう一つの故郷へ向かえ、お前を待つ者がいると。父は剣が必要になるに違いないと、こうやってわたしに持たせました。剣が必要とは、闘うこと。わたしは正直嫌でございました。このまま引き返し父には何事もなかったと伝えればよいではないか、村に着いたとて、事情によっては断ってもよいのではないか、さんざん心を迷わせながらここまでやって来ました」

「スベラ殿、妻子はおいでか」
「はい、まだ口もきけぬ幼子にございます。アーアーダーダーと口をとがらせます」
「それならばなおさら仕方のないこと、誰とて悩み迷うでしょう」この若者、やはり故郷へ帰してやろう。巻き込んではならない。
「しかし、しかし、剣を必要とされたのはあなた様でした」スベラは両手を膝に当て項垂れた。
「見ず知らずのこのわたくしに血肉のパンを分けて下さったあなた様」
「スベラ殿、そんなことは気にせず故郷へお帰りなさい、たかがパンひとつと命を比べてはなりません。妻御とお子を幸せにしてあげなさい」
「いえ、あの時のパンはわたしの命だったのです。迷いを重ねてきた己を恥じます。そしてわたくしを必要とされたのがあなた様であるなら、この命あなた様に捧げまする」
「よいのだスベラ殿、妻子の元へお戻りなさい」
「いえ、腹は決めましたゆえ」

イエナはイシュリムを振り返った。
「イシュリム様、昔の闘いで当方の被害はいかほどで」
「無傷じゃ、しかし、それは日々剣の腕を磨き、肉体と精神を研ぎ上げ、日々鍛錬を重ねてきたかつての勇者たちならではのこと……今一度闘わば必ずや被害が出るじゃろう。わしの作る結界に入れば何者も手出しはできんが、闘いのさなかは助けることはかなわぬ。よって命の保証はない」
「スベラ殿、やはりあなたは妻子の元へ引き返しなさい。この闘いに義務などないのです」
「イエナ様、私はここに残ります」

イエナは再び振り返ったが、イシュリムは杖に両手を乗せて押し黙ったままだった。
「イシュリム様、いかがすれば……」
「イエナ殿、わたくしの剣は黄金色に輝きまする。石とは言わず岩とは言わず、大地までをも切り裂きまするぞ」スベラは腰の剣に手を当てた。
「ネイトン」イシュリムが呟いた。「イエナはやはりお前の血を引いておる。無類のたわけ者じゃ……」
「スベラ殿、最後にもう一度言う、お里へお戻りなさい!」
「戻りませぬ!」
「なにゆえに……」
「心でございます。わたくしの心がそうせよと命じるのでございます。あそこであなた様に出会ったのも運命でございましょう、運命ならばそれは必然でございます」
「スベラ殿、私の願いを聞いてはくれないのですね?」
「聞きませぬ!」
「スベラ殿、では一緒に闘って死しても悔いはないのですね?」
「もちろんですとも、イエナ様!」
如何(いかん)ともしがたいとはこのこと、諦めて差し出したイエナの手をスベラは堅く握り返してきた。

「闘いが終わりし時は、スベラ殿のお子にも会わせてもらえますか?」
「はい、ぜひ妻にも」スベラはくしゃくしゃの顔をして涙を拭った。
「スベラよ、よく腹を決めた。お前の曾祖父スメロはイエナの曾祖父ネイトンときわめて仲がよかった。虫さえ殺さぬネイトン、普段は気弱だったスメロ、しかしひとたび剣を抜けば二人とも比類なき勇者だった。が、スベラよ、まだまだ剣が足りんのじゃ」
「イシュリム様、我が村には剣の使い手が後3人おりまする。みなこの村の血筋の末裔、私が15昼夜を過ぎても戻らぬなら、その3人にここを目指せと父が告げてあります。道に迷って時間を費やしましたゆえ、もうすでに村は立っているはずです」

〝これで、イシュリムが口にしたぎりぎり最低の20人まで、後10人となりました。剣を打つのに50昼夜はかかります。この時曾祖父イエナは死を覚悟したそうです。〟

剣を打つ作業は想像以上に過酷だった。剣を打ってもらう者はまんじりもせず横に座って見守り、剣を打つ男は無心に焼いた剣に向かう。
「念を入れよ!」剣打ちの男がほとばしる汗も拭わず叫ぶ。そのたび剣の持ち主は両の手を組み念を入れ続ける。
「念を解け! もっと素早く解け! 強い念と果てない虚無その交互が織り込まれなければ真に強い剣はできあがらぬ、この剣はお前自身だぞ!」
駄目だ! 剣打ちの男が、打っていた剣を投げ捨てて立ち上がった。
「緩急をつけよ! それができなければ剣は打ち上がらぬ。まかり間違えて仕上がったとしても闘いの時に破れ去るのだ! 剛と柔だ! 始めと終わりだ! 呑(どん)と吐(と)だ! 張り詰めた糸とどこまでも緩んだ糸だ! 緩んでいたら闘えない、さりとて始終張り詰めていたら己の精神が壊れるのだ!」
剣打ちの男は、また新たな剣の元棒を取り出した。
「いいか、闘いを甘く見ていたら必ず大地がお前の頬を打つ。お前の頭とお前の足は、離ればなれになって地に落ちる。魔物を退け勇者を休めるイシュリム様の結界にはせいぜい15人ほどしか入れない。闘いと休息、放出と貯え、剣と眠り、交互に繰り返すのだ。勝利の時までそれは果てなく続くのだ」

剣は一日早く4昼夜で1本打ち上がった。これで残すは後9人。このまま行けばあと36昼夜。しかし、2本目を打ち始めた時、突発的な事故の知らせは届いた。折れ飛んだ剣の先が剣打ちの男の腕に刺さったと。
「何ということじゃ」イシュリムは杖をつく腕をブルブルと震わせながら打ち場へ急いだ。
「もう、剣を打てる者はいないのですか?!」分かっていながらの問いかけだった。
「子がおるがまだ幼く、奥義は伝授されてはおらぬ」

「イシュリム様お恥ずかしいことになりました。しかしたいしたことはございません、必ずや打ち上げます」亜麻の布で腕をぐるぐる巻きにした剣打ちは苦悶の表情を浮かべながら剣を打ち始めたが、予定は大きく狂うはずだ。ここでじっと待っていても埒(らち)が明かないと判断したイエナは一度村に帰ることを決めた。
「イシュリム様、一度村に戻って様子を見てきたいと思います」
「うむ、心配じゃろう。ただし、その剣は置いてゆけ」
「なぜでしょうか」
「その剣を見れば奴らは力で襲いかかってくる。なぜなら我が部族の鋼の意志を抜き取ることは容易ではないことをすでに知っておるからじゃ。本格的な闘いが始まる前に力でねじ伏せようとしてくるだろう。奴らの漆黒の剣は人の胴体など瞬時に真っ二つにする。様子がおかしいと感じたら、己を捨て心を無にするのだ。魔物とて、心がそこにない者から意志を奪い取ることはできまい」

〝族長イエナとクロンは故郷の村を目指しました。ここからおよそ11昼夜と思われます。〟

はるか前方に村が見えてきた。イエナとクロンはラクダを走らせた。
「イエナ様、狩りや水くみには言いつけ通りにまとまって行ったでしょうな」
「ユインがいるから大丈夫だろうが、被害がまったく出ていないとは言い切れんだろうな」
イエナとクロンは6昼夜で故郷にたどり着き、ラクダを村に乗り入れた。地面のあちらこちらに白いものが散乱している。
「クロン、この散らかりようは何だ」
「イエナ様……まさか、まさかあれは、骨ではございませんか?!」
うすうす感ずいていたイエナは何も答えずにラクダを進めた。空に浮かぶ何かをもがき掴もうとしているように見えるのは胸の骨……久しぶりの故郷の村は変わり果てていた。活気に満ちた暮らしの匂いは消え失せ、おびただしい骨が大地に散っていた。狩りに出ていた男たちを骨にした魔物はついに村を襲ったのだ。
骨になれば誰であるかの見分けなど付かない。男と女の違いは衣と毛髪をまとわせた頭の骨がそれと分からせるだけだった。
衣の切れ端が風に揺れている。小さい骨も小降りの衣も見えた。その不条理な風景の中、小鳥のさえずりだけがいつもと変わらず長閑に響いていた。



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「みなの者よ鎮まれ! ここのおるのは如何にも我が同士ネイトンの血筋じゃ。そしてまた、悪魔の手先がやって来たようじゃ」
男たちのどよめきはさらに大きくなった。
やっぱりだ……
また闘いだ……
わしは使えん……
わしもじゃ……
いや、俺は使えるぞ。

「剣を使える者は手を挙げよ」
男たちの中からぽつぽつと手が上がる。その数5人。これだけの数がいれば心強い。
「30人は必要だろう」イシュリムが唸るような声を上げた。
「30人ですか?!」
「そうじゃ、奴らは後から後から湧いて出る、心の隙を突かれたら闇に飲まれるゆえ、我らとて長くは闘えん。だから日中の間交代で闘うのだ。夜の闇が奴らの力の源だから奴らは夜の間は動かん。夜は力を貯える」
「夜は大丈夫なのですね」
「いや、かならずしもそうとは言えん。夜は動けなくなるというわけではないからだ。奴らと一度闘いを始めればどちらかが死に絶えるまで闘わねばならん。闘いを途中でやめるということは、すなわちこちら側の全滅を意味する」
「闘いでは鎧をまとうのでしょうか? 戦(いくさ)を好む大国では鎧を着るようですが」
「無敵の我が部族に鎧など必要ではない。ましてや鎧など魔物の前には裸も同然じゃ」

「イシュリム様、合うとは、使えるとはどういう意味でございますか」クロンが口を開く。その声に頷いてイシュリムがネイトンの剣を抜いた。
「イエナよ、この剣を持ってみよ」
その剣は奇妙な形をしていた。剣と言えば真っ直ぐな諸刃で、切っ先は敵を貫き通すように鋭角にとがっているもの、しかし手にした剣の身は片刃でゆるやかに反り返り、その曲線は美しく思ったよりも軽い。
「打撃も、突き刺すことも必要のない剣じゃ。究極は刃さえも必要はない」
「シャーマン・シャメーナ様が黄金色に光る剣だと仰っていましたが」手にした剣は顔を映すほどに研ぎ澄まされ、銀色に光り輝いている。
「そうじゃ、その者の精神に合致した時初めて、その剣は黄金色に輝く。そして相手に触れることのない距離で相手を切り倒す。だから刃は相手を斬りつけるのではなく、己の気を鋭く放射するために付いている。さ、構えてみよ」
イエナは両手で剣を構えた。

「心を穏やかにして何も考えるな。無心だ。風の音を聞け、その中に潜む聞こえぬ音を聞け。人と獣では聞き分ける音が違う。獣の耳を研ぎ澄ますのじゃ」
イエナは精神を集中して集会所の外に吹く風の音を聞いた。葉擦れの音、遠くで聞こえる小鳥のさえずり、川の流れの音、子らの声。
「さあ、草木の匂いを嗅げ、川の匂いを、石の匂いを、大地の匂いを嗅げ、わしらは生かされておる、その偉大なる力の息吹を全身で感じろ」
イエナは鼻に意識を集中させた。石の匂い、大地の匂い、水の匂い。

「己を考えるな、ちっぽけな己など捨て去れ、何も悩むな、心を解き放て、天より与えられし剣だけを信頼せよ」
しばらくそうしているうちに、剣の持ち手が熱を帯び始めてきた。
「持ち手が熱くなってきました」
「よし、合うかも知れんぞ。次はお前の守るべき者たちを思い浮かべよ」
剣の先が仄かに黄色みを帯びてきた。
「己が闘う姿を思い浮かべよ。剣の先から目に見えぬ力が放出されるのだ。さあイエナ、あの石に向かえ」
イシュリムが指さす方へゆっくりと移動する。やがて剣が黄金色に輝き始めた。男たちが輪を描くように後ろへ引いていく。
「イエナよ振りかぶれ、何疑うことなくその石を切れ! 当てることなく切れ!」
イエナは言われるままに剣を袈裟に振り抜いた。男が4人がかりでも持てないであろう石の角が、ずずっと滑り砂地に落ちた。
おお、集まった男たちから歓声と拍手がわき起こった。

「イシュリム様、あと24本打つとなると120昼夜もかかります。我が部族の男たちが骨となって荒野に晒されております。何か他に方法はないのでしょうか」
「イエナ、お前がそうであったように、わしらの部族の子孫はあちこちに散っておる。それらの村をすべて回って剣を使える末裔を捜しても途方もない時が必要じゃろう、しかし、その剣の数はせいぜい10数本……」記憶を辿るようにイシュリムは目を閉じた。
「忘れてしもうたが、16本ぐらいだったろうか、しかし、その中に何人の使い手がいるか」
即座に10本集まったとしても16本、そしてそれは到底望めない。これでは闘えない。
「いよいよとなれば少人数で挑むしかなかろう。しかし、それは無謀なことであることは確かじゃ」
「最低は何人だとお考えですか」
「イエナよ、昔闘った数が30人だったということだ。最善の数がいかほどかはわしにも分からん。しかし、いかに無敵の剣とはいえ、末裔である者たちにかつての勇者の技量は望めまい。もっと多くてもいいぐらいだろうが」イシュリムは唸った。
「……最低でも20人は欲しい」
最低20人として、後14本。そしてそれは、無謀な闘いになる。ここに来れば何とかなると思っていた己の安易さにイエナは絶望的な気分になった。

「イシュリム様、もしも最低の20人が揃わなかったら、どうなるのでしょうか」
「イエナよ、聞いてはおらなんだか、我が部族は各地を転戦したと。ということは、今回も被害は広がる。お前の村だけの問題ではないのだ」
「はい、確かに」
「鎧を身につけ、槍や剣で武装した大国の兵とて、奴らの前には無力じゃ。我が部族が食い止めるよりほか策はない。その時は」イシュリムは、少し悲しそうに眉を曲げた。
「その時は数人でも挑むよりほかない。我が部族が闘わねば、荒野の民は死に絶えよう。生きながらそれを見ることは地獄であろう」
イエナはイシュリムの手を取り、亜麻の衣越しの腕を、細い二の腕を撫でた。闘う部族の強さと悲しみを初めて知った。
「そんな悲しい顔をするな。その顔はネイトンにそっくりじゃ」
「曾祖父もこんな顔を?」
「あいつは勇者であったくせに、イシュリム様この夜空の星は何を訴えているのでありましょうか、ほら瞬きをしておりますなどと夜中に外に寝転がって不思議なことを口にする男じゃった。ある時などヒャッと声を上げて飛び退いたかと思うと何だったと思う?」イシュリムは、ヒャッヒャと笑った。
「アリじゃ、イシュリム様危うくアリの行列を踏むところでございました、などと騒ぎ立てるような男であった」イシュリムは懐かしむように微笑んだ。
「さ、イエナ、奥に行って衣と帯と履き物を見繕え。ネイトンの帯もあるが、もう皮が堅くて使えんじゃろう」イシュリムはイエナの肩を叩いた。
「さ、こちらです」イエナは先ほど剣を持ってきた男に案内されて扉の奥に入った。

「我が曾祖父ネイトンの帯はどれでございましょう」
「これにございます。ネイトン様はウサギがライオンの牙を生やしたようなお方であったと聞いております。心お優しけれども、正義に燃えてひとたび剣を抜けば、誰も近寄れなかったと」
確かに、曾祖父ネイトンはここにしっかりと生きていたのだ。
ネイトンの帯を手に取ってみると確かに皮が固くなり腰に巻くにはもはや耐えられない様子だった。

「イシュリム様の末裔様はおいででしょうか」集会所の方で声がした。
「来客のようですね」イエナは男の方を見た。
「イシュリム様の末裔様とは……もしや我が部族の血筋の者かも知れません。さ、ここにあるものはみな新しいもの、どれを使われても構いません。ご用意がおすみならおいで下さい。私は先に集会所に戻ります」
男は微笑んだ後、私も剣を使えますゆえ、その時は力を合わせましょう、と頭を下げて出て行った。
「ありがとうございます」

「誰じゃ」イシュリムの声が聞こえてくる。あの方はどうも第一印象はよくない方のようだ。イエナはふっと笑って履き物を手にした。
「わたくしはスメロの末裔スベラと申します」
やはりこの部族の末裔の者らしい。もしも剣を手に現れていてくれたらどれほどか心強い。
「おおっ! スメロの血筋の者か、わしがイシュリムじゃ。で、いったいどうした」
「これはこれはイシュリム様、生きておいででしたか。わたくし夢を見ました。急ぎお前のもう一つの故郷へ向かえ、川を目指せ、そして川を下れ、そこにお前を待つ者がいると」
やはり新手の助太刀のようだ。イエナは履き物の皮の紐を締めて立ち上がった。
「おお、夢のお告げがあったのか、さすが我が部族の末裔よの」
「闘いでございますか?」
「いかにも」
しばらく無言の時が流れた。イエナは膝丈の衣に袖を通した。
「イシュリム様……わたくしは故郷に妻と幼い子がおります。初めての子にございます。まだ言葉も話しません。恥と知りつつ、できうるならばこのまま故郷に帰りたいのでございます」
雲行きが変わってきたようだ。妻と幼い子がおれば無理もない。イエナはシェリと娘を思った。
「ではなぜ来た」
「父が族長をしております。父に剣を持たされました」
「いやいややって来たというのだな」
「イシュリム様、わたくしは我が子の将来を見たいのでございます。妻と子と3人で、いや、もっと増えるやも知れません。この先も生きてゆきたいのでございます」
「おぬしは腰抜けなのだな」
「いえ、イシュリム様……」
「それでも誇り高き我が部族の末裔か!」
それきり声は聞こえなくなった。剣は一本でも欲しい。しかし、魔物の被害が局地的で終わるものなら、あの男故郷に帰してやりたい。イエナは毛皮を着て、3本目に手にした帯を腰に巻いた。


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