「夢ってさぁ、いったいなんだろうね」
ネクタイを緩めながら、僕はテーブルの向かいに座る神崎(かんざき)に問いかけた。神崎は生ビールのジョッキを持つ手を止めて首を傾げたあと、考え込むようにその肘をテーブルについた。
壁際の二人席だからひどく狭い。行きつけのチェーン店化されていない薄汚れた居酒屋は、僕たちと同じサラリーマンや学生風の若者、労働者風のおじさんたちで今日も賑わっていた。焼き場から煙が盛大に上がり、ホッピーと声を上げるおじさんが混雑感に拍車を掛ける。
「はい、軟骨塩おまちどうさまー」
神崎は中年の店員が運んできた豚の軟骨の塩焼きを一本取り、トンボの目くらましのようにクルクルと回しながら、
「うーんとね、潜在意識? 深層心理だったっけなぁ、ま、どっちでもいいや。よく憶えてないけど、それが何か言ってるんだよ、そんなのを読んだことがある。どこまで本当なのかは知らないけどな」
神崎はうんうんと頷いて練り辛子をなすりつけた豚軟骨を噛んで引き抜いた。
「潜在意識かぁ」僕は枝豆を口に運び、煙に燻(いぶ)され飴色に変色している天井を見つめた。
「なにか嫌な夢でも見るのか?」
ビールの泡で濡れる口元をおしぼりで拭い、もさもさと軟骨を噛む神崎の目が一瞬怪しさを帯びた。
「あの淳一郎さんに迫られる夢とかさ。片倉くうーんって」神崎は右手をくねくねさせた。
「やめてくれよ」僕は目の前のハエでも追い払うように右手を振った。
淳一郎さんとは、会社の上司である課長の名前だった。嘘か誠かそんな噂も立っていた。確かに、しゃべり口調がどこかのメイクアップアーティストに似ていなくもなかったからだが。
「でもさぁ、あの噂って本当なのかね」僕は野沢菜の漬け物を口に運んだ。
「山本がさ、この間入院したろ? あれ原因知ってるか?」神崎がテーブル越しに顔を寄せた。
「胃だか腸だかの潰瘍だろ」
「表向きはな。しかしてその真相は」箸でチーンと小皿を叩いて、
「痔だってさ」と何だか酸っぱそうに口元をすぼめた。
「課長と山本の痔は関係ないだろ」
「でも、そこはかとなく面白いだろ。な、そこはかとなく妄想を呼ぶよな。それより(わき)肉系も食わないと栄養偏るぞ。豚の軟骨うまいんだから」
「喉だろ?」
「喉って言うなよ喉って。いかにも不味そうじゃないか。ま、気管もあるけどな」
神崎は僕のことを「わき」と呼ぶ。和樹だと訂正を求めても聞き入れる様子はないから、そのまま受け入れることにした。同期入社で妙に気が合うせいもあり二人で酒を飲むことも多かった。ふざけたことを言うわりには、至極まっとうな精神構造を持った男だった。
「それはそうと法要なんだってな」おまえもお代わりだな、生二つくださーい。神崎が手をあげる。
「うん、そう。姉の二十三回忌なんだ。それに合わせて夏休みをもらうよ」
「二十三回忌?!」神崎は驚いたように目を見開いた。
「じゃあずいぶん小さい頃に亡くなったんだな」
「そう、6歳の時に死んじゃった」
「おまえがか?」
「いや、僕の姉が6歳の時」
「そうかー、わきの両親も大変だったろうなぁ」神崎は遠くを見る目をした。
れ以上この話に触れたくなかった僕は、話題をそらすことにした。
「はい、生お待ちどうさま」店員がしずくのしたたるジョッキをテーブルに置いた。
「どう、うまくいってんの」僕の立てた小指に、
「おまえ、相変わらず表現が古いなぁ」と笑ったあとに、おまえもしかして、アベックとか朝シャンとか使ってないか、死語だぞと真顔になった。
「しかし、年上女房もいいもんだ」神崎は口元を引き結び、うんうんと頷いた。
「結婚するのか? 俺たちまだ24だぜ」
「いやなに、結婚するって決めたわけじゃないけど、きんのわらじもいいかなぁって」
「うーん、その言葉を知ってるのは偉いけどなぁ」僕はもずく酢の小鉢を手に取った。
「出たな、うんちく野郎! で、何が正解なんだ?」
「かねのわらじだよ」
「へ、そうなの?」神崎が妙に濃い眉をへの字に曲げた。
「お金か?」
「金属、すり減らない鉄だよ。年上の女房はそれを履いてでも探せってこと」
「おまえ、絶対おじいちゃん子だろ」
この夜、僕は夢の中のあの坂道を今度歩いてみようと決めた。決めたからと行って行動に移せる確証はない。何故なら、歩けるのなら、これまでだってそうしていただろうと思えるからだ。
☀☀☀
やがてその日はやってきた。梅雨も明け連日暑い日が続いていた。テレビの気象予報士は熱帯夜だと伝えていた。
僕はあの坂道の途中に佇んでいた。夢の中にいるのだと妙にはっきりした意識で分かる。坂の下を見ると、やはり右カーブを切っていてその先は見えない。坂の上を見れば壁がそそり立つような圧迫感だ。
そして夢の中で思う。やはりこれは現実に存在する坂道ではなかったのだなと。油断すれば滑り落ちてしまいそうな傾斜は、4WDの車だって下手をすれば仰向けに転がり落ちていってしまうだろう。こんな道は世界中探したってあるはずもなかった。
僕は寒さで目が覚めた。タオルケットを引っ張り肌がけ布団をかぶる。そのときエアコンが稼働していることに気がつき、枕元のリモコンを探ってスイッチを切った。どうやら寝ているときにたまらず点けてしまったようだ。夢の第一夜は途中で終わった。
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