渋谷東急プラザ横の246号線で、首都高の橋桁に激突して死んだ奴がいた。
バイク事故だった。
十代の頃は絶対やんちゃしてたような風情を漂わせた、背の高い気の良いコックだった。
「うそ?」
「○○さん、ほんとなんですよ」
「マジで?」
「はい」
つい昨日まで、一緒に仕事をしていた男だった。まだ20代だった。
仕事帰り黒いネクタイを買い、池上線に乗って急ぎ駆けつけた。
まだ、赤ん坊と呼んでもいいぐらいのお子さんを抱いた奥さんの背中は、斎場の最前列で呆然としていた。背中なのに、呆然としているのがよく分かった。写真を見つめる丸い背中がそれを物語っていた。
だから僕は、何も声を掛けられなかった。
そして、あろうことか、その場所で、もうひとりの人が事故を起こした。
やはりバイクだった。折れたスポークか何かが刺さって、死んだ。
六本木辺りで仕事をしていて渋谷に流れてきた、どこか東北なまりの抜けない、武闘派だったけど、いい人だった。
人の死に、無駄や無意味はないと、僕は思っている。
しかし、いつも思うのは、死んだ人より、残された人が可哀想だということだ。
君死に給うことなかれ。
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吉田拓郎 「おきざりにした悲しみは」


