─結果─
「坂上部長、お電話です」受話器から女性事務員の声がした。
「はい、どこから?」
「内藤様という男性の方です。どちらのとお尋ねしたのですが繋いでもらえばわかりますと」
内藤という名に覚えはなかった。しかし、一度顔を合わせただけで親しげにしてくる取引先の人はいるものだ。坂上は受話器を上げてボタンを押した。
「お世話様です。坂上です」
「あ、お忙しいところ恐縮です」その声は親し気と言うより事務的だっだ。
「○○警察署ですが。坂上優子さんのご主人様でよろしいでしょうか」
警察……それに、妻の名前?……瞬時に閉じた毛穴が、体表を静電気が走るように波立たせた。
「はいそうですが、何か……」
妻に限って、そんな癖があるとは到底思えなかったが、一時の気の迷いによる万引きのようなものか、あるいは事件、事故か。私は何か覚悟を決めるように、唾を飲み込んだ。それは思いのほか大きい音を立てた。それに遅れるように耳元でカツンと音がした。人差し指の爪が受話器の腹に当たった音だった。私の指は強く受話器を握りしめていた。
「奥様が自動車事故に遭われまして」
事故……私は息で呟いた。事故という言葉はテレビで流れるものだった。
「ええ。飲酒運転の車に撥(は)ねられたんです。○○町の救急病院に搬送されました」
自分の吸った息が小さな音を立てるのを、私ははっきりと聞いた。
「で」周りを見渡し声を落とした。
「容体はどうなんですか? 無事、なんですか」
「まだ何とも分かりませんが、至急おいでいただけますか」
何とも分からない。救急病院に搬送。簡単な怪我ではなさそうだ。私は理由を告げて会社を早退し、タクシーを拾った。
病院についた時点で、妻はもうこの世の人ではなかった。
飲酒運転によるハンドルの操作ミスで、小型の乗用車は妻を撥ね、民家のブロック塀に激突した。運転手は骨折こそしたものの命に別条はなかった。
救急病院に搬入されたときすでに心肺停止状態だった妻は、結局助からなかった。
死に顔はどこか苦しげで、悲しげだった。
「妻は、苦しまずに死んだんでしょうか」自分の声も遠く、夢を見ているようだった。
「脳や臓器に大きな損傷は見られません。外傷性の失血死ですね」医師は沈痛な表情を浮かべた。
「それは、痛いんでしょうか、苦しいんでしょうか」
「痛みは誰しもご経験があるように」医師は唇を尖らせ、スーッと音をさせて息を吸った。「スポーツの時とか、まあ、今回のような突発的な事態で発生する、エンドルフィンという脳内物質によって緩和されたでしょう。しかし、寒さや……いわゆる不安を覚えたであろうと思われます」
妻は道路に横たわり、薄れゆく意識の中で、自分はこのまま死ぬのではないかという不安と、大量出血による寒さに襲われていたのだろうか。
いつも通い慣れた、家からわずか100メートルの道路に、スーパーの袋から飛び出したジャガイモやニンジンが散乱していたそうだ。
幾度も通ったその道に、妻は鮮血を流して死んだ。
昨夜のビーフシチューは私のリクエストだった。そして妻が今夜作りましょうかと言ったカレーは、私の好物だった。
妻の料理は美味しかった。リクエストした料理を作れないことはなかった。初めて作ったと自信なさげにしているものでも、そつのない味に仕上げた。
それが当たり前のことで感謝することすら忘れていた。
最後の最後は、罵倒して終わった夫婦生活。悲しいままに終わらせてしまった妻の人生。「そんなものいちいち聞くな」が妻が聞いた私の最後の声だったとは。
私は、なんと取り返しのつかないことをしてしまったのだろう。
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