風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -131ページ目
暑くなると食べたくなるもの ブログネタ:暑くなると食べたくなるもの 参加中

暑くなると食べたくなるものといえば素麺ですかねぇ。
でも、そうめんって水腹になってしまったようで食後感が良くない。なんというか、ぷっくりお腹になってしまって、麺を食べた感じが残らない気がするのは僕だけだろうか?

それから鰻丼。
食欲がないときでも食べられる筆頭がそうめんと鰻丼。まあ、鰻重でもいいのだけれど、重箱の端っこが何だか食べずらいと感じているのは、これまた僕だけだろうか。

でも、そうめんも鰻丼も毎日毎日食べるわけではない。去年なんか、そうめん一袋とちょっとしか食べていない。その残りが今も台所にある……。

それに引き替え、夏は欠かさずといっていいほど口にするのがトマト。やはり体が水分を欲しているからだろう。仕事帰りに毎日スーパーに寄るのだけれど、トマトの前で必ず立ち止まる。美味しそうなのはないかなぁって。家の冷蔵庫に冷えていてもだ。

そのトマトの食べ方といえば、お塩をザクザクと振ってからマヨをにゅるにゅると、人様には見せられないほどの量を山盛りに絞ってクチュリクチュリと頂くのもいい。僕はマヨラーであると同時に、塩ラーでもある(ねぇよそんな言葉……)

バタピーでさえお箸で食べる僕も、この時ばかりはフォークのお世話になる。口の横からはみ出したマヨを、唇をゆがめてチュッチュと吸ったりするのも魅惑的だ。
でも大抵は、洗ったままの丸ごとトマトを皿に盛ったお塩をつけながらかぶりつくのだけれどね。

そしてもう一つ忘れてはいけない食べ方は、お砂糖をトマトの上にドンと盛って食べるデザート感覚の冷やしトマトだ。そう、僕は砂トラーでもあるのだ(ないってばそんな言葉……)

左党の常でしょっぱい物も好きで、なおかつ甘い物も好きなのだ。
昔同僚に早死にするよといわれたけれど、根拠が分からない。

そしてオオトリは、たまに食べるスイカだ。スイカにはなぜかあじ塩が似合う。普通のお塩でも、塩分50%カットの「やさしお」でもない。断固あじ塩なのだ。

メインのスイカも美味しいけれど、スイカの皮の漬け物は格別だ。だから、実だけをカットしたスイカのパックを買うのは馬鹿者のすることだ。

その漬け方と言えば、何ということはない、スイカの固い皮をむいて、食べ残した赤い部分も軽くこそげ取って、適当な大きさに切ってお塩を振って冷蔵庫に入れるだけ。
冷えたらすぐに食べられる。これをやらないでスイカを食べるのは、お寿司のガリを食べない無謀な行いに等しい。
これはご飯のおかずにも、酒の肴にもうってつけだ。

ちなみに、日本で一番食べられているお漬け物は何でしょう?

キ・ム・チです。

僕たちはいつの間に、韓国人になってしまったのだ!

スイカの皮の漬け物を食べなさい! これが世界一コストパフォーマンスが高く、かつ美味しいお漬け物であると、僕は信じて疑わない。

そう言えばこの間、焼き肉屋さんでトマトキムチなるものを食べた。
メニューを考える人! 普通に冷やしトマトでいいんじゃないの?


$あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」-そうめん
この世にはたくさんの色が存在する。じゃあさ、そもそもその色っていったい何だろう?

そうそう、君も知っての通り光の波長だね。ある物体に当たった光のうち反射した色を僕たちは色と認識しているんだね。
僕がグラフィックデザインの専門学校に通い始めた頃、先生がこんなことを言った。
「色なんてないんだよ。あるのは光を跳ね返す要素だけ。だから、薄暗がりで見るとすべての物に色がない」

その色って、見える範囲が決まっているよね。人が見える光の波長、可視光線と言うべきだろうけど、昆虫なんかはそれ以外も見えていたりもするらしいね。でも、人間が認識できるのはその範囲だけ。

ところで君は何色?

僕には戸惑うほど不思議な色に映る。
それは本来の君が発した色。そして君が多くのものたちから受け取った色。そして、君が塗られた色。それらが混じり合って、混沌を塗り込んだ色に見える。

言っておくよ。君は何色に染まる必要もない。それは、君だけが彩(あや)なす心模様だから君の好きな色を発すればいい。何もかもかなぐり捨てて、好きな色を振りまけばいいのさ。

あの日はひどい雨降りだったかい? そのせいで記憶の中の風景が無彩色なら、僕が少しだけ色を足してあげよう。そうだなぁ、僕は今、空に似合う青なら持っている。雲に似合う白も、大地に似合う緑も。
そうだ、今度神様の引き出しから、君が好きなピンクを手に入れようかな、神様に内緒でね。それはきっと野辺に咲く花に似合う。

「ピンクかい?!」
って神様から突っ込みを受ける前に掠(かす)め取ってこよう。

「こらこら、何を血迷った。それはピンクだぞ! とてもお前にゃ似合わん!」
そんな神様の声が、背中に聞こえるかもしれない。

そうだそうだ、僕はね、ちょっとだけ見えない色を発しているんだ。それが紫外線領域なのか赤外線領域なのか残念ながら分からないけれど、君にそれが認識できたら、嬉しい。
君の不可視光線が僕には見えたから。


昼間は暖かくて良かったね。でも、日が落ちるとひんやりする風が首元を撫でた。街路樹の鉄柵に座って足を組み、僕が何気なく撫でたのは、寒さを覚えた自分の膝ではなく、君の背中だった。届かないバスの中に座る君のね。
大丈夫、大丈夫さ、僕は涙を見せるほど柔(やわ)な男じゃない。

涙が目から溢れるには順番があるんだ。まずは胸から涙がぐいっと押し出されて、それを受けた唇がぐっと我慢して、無理だと分かったとき、頬にバトンを渡す。
そして、頬が唇さんごめん、もうダメだ! と悲鳴を上げたとき、初めて唇をゆがめて、人の涙は頬を伝うんだ。
そう、目に涙を堪える力はそれほどないんだ。涙って大事な物だと、両の目は知っているから。

ダムを涙の波動が越え始めたとき、人ってそれを隠すために何故だか右とか左を見るんだ、そしてちょっと上をね。
でも、僕が街の明かりを映し出す窓の向こうの君を見上げたのは、涙を堪えるためじゃない。ただ、君の顔が見たかったからさ。



来生たかお 「気分は逆光線」





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僕はブログを書くとき、曲を先に選ぶ。
頭の中に書きたいことが浮かんでいるときもあれば、まったくの白紙で曲を聴きながら何かキーワードが浮かぶのを待つときもある。

今回は書きたいことがあった。

MISIAの〝Everything〟 を聴いた。最有力候補はこれだったから。それから〝つつみ込むように〟を聴いた。
超イケてる「Android Baby」も捨てがたいけど、間違いなくむち打ちになる。むちむちではない。ERIKAさんは妙にステキだ。彼女の素とライブのくい違いようは、人間業ではない。
それ誰? と思った方は、僕の足跡帳を探ってください。

さてさて、そして、この曲にたどり着いた。なぜか僕はこの歌をちゃんと聴いたことがない。なぜなら世間の評価ほど、この歌を重視したことがなかったから。
何度も何度も、ブログの下書きをしている間は繰り返し、ヘッドフォンからエンドレスで〝奏〟が流れている……君への思いを伝えるのは、この曲で良かったかなと思いながらこれを聴いている。



ずいぶん以前のブログで、会話はキャッチボールなんだよ、そんなことを書いたことがある。
そう、虚空にボールを投げるほど虚(むな)しいことはないから。

怒らないで聞いて欲しいのだけれど、僕は何度か、虚空にボールを放ってしまった。なぜそれが分かるかというと、投げたボールが返ってこなかったからなのだ。
僕の投げたボールが、シンカーかフォークか分からなかったときは訊いて欲しい。今のボールは何? と訊くのが君のプライドに関わるのなら、
「今のはシュートかなぁ、よく見てなかったけど?」と両肩をすぼめてもいい、両の手を肩口で広げてね。

ボールが返ってこなかったせいでどうなったかというと、僕は立ち位置を失ってしまった。僕は君にとっていったい何者だったんだろうと、考え込んでしまったってことになる。
なぜそんなことでって思う?

たとえばの話だけれど、君が僕に何を食べたいって質問をしたとしよう。そして、それは最も重大な問いかけだったとしよう。
そのとき、ドラえもんより静香ちゃんの方が好きだなぁ、のび太も悪くはないけどって僕の声が返ってきたら、どうだと思う?
これはたとえばの話だから、あまり真面目に聞く必要はないのだけれど、そのとき君は、自分の声が届かなかったのだと愕然とすることは想像に難くない。

さらに、今度ね、静香ちゃんと遊びに行くんだって僕が楽しそうに報告したら、君の頭の中はきっと「??????????????」で埋まるんだ。
何を食べたいって質問は、どこへ消えたんだろうって。

ま、これはたとえの話だったから、現実の話に戻そう。
この会話の食い違いで、さらに、どうなってしまったかというと、昨日辺りから腰の辺りがゴソゴソするようになった。
「ちょっとゴソゴソするよぉ」って言ってたのはゼンジー北京だったろうか? ま、今はそんな話ではなかったね。

そして今夜、作業をするたびに腰の辺りがゴソゴソする。
まただ、そう思った僕は、ひょっとしてって、ズボンを持ち上げてみた。そして、手を離してみた。
ズボンは見事にストンと落ちて腰骨で止まった。

痩せた……。

痩せるのが朗報な人たちも多いだろう。でも元々スリムな僕が痩せるということは、言葉を換えれば〝やつれた〟ということになる。
多忙とストレスで、頬がこけることはある。でも、それがウエストに響くことなど滅多にない。
僕は、仕事中にズボンのベルトをひとつ狭くした。それはズボンに餃子の皮のようなシワを作った。

ベルトの穴は呟いたに違いない。おいおい、痩せちゃったのかよ、と。
お前仕事のしすぎなんだよって。

でも、仕事をしすぎても、僕のウエストは細らない。頬がこけるだけ。

君に投げた言葉はもちろん意地悪ではなくて、きれいに立ち位置を見失い、失速を始めてしまった、とても寂しい顔をした男の、最後の振り絞った声であったことを、君は理解してくれるかい?

僕は夢を見たのだろうかと思った。一瞬の……夢。
そして君は、僕の前に二度と姿を現さないような気がした。
その恐れは、今もある。

安心しているのは、息がかかるぐらい側にいるときだけでいい。双方何の悪気がなかったとしても、すれ違いが起こる可能性はあるのだから。

あ! しまった……酢だこのスライスを、餃子のたれにつけてしまった。
何だか不思議な味がするよ。

食欲が失せてしまっていても、僕は何でもいいから口に運ばなければならない。こけた頬と細ったウエストを元に戻さなければならない。

でも、僕のウエストを元に戻せるのは、きっと、いや、間違いなく、君の言葉しかないと僕は知っている。

そして僕は、君を泣かせるつもりなど毛頭ないことを分かって欲しい。僕に至らないところがあれば、必ず先に僕が謝罪する。
二人に必要なことであれば、僕が君に苦言を呈することもあるかもしれない。それは、愛ゆえなのだということは理解してもらいたい。

君に流して欲しい涙は、感動と嬉し涙だけ。
あとはちょっぴりの……会えない悲しみの涙。



スキマスイッチ 「奏(かなで)」



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夜のしじまがそっと教えてくれたものは、闘いを終えてあらためて気づく心の痛みと、癒えない傷を覆うかさぶたの厚み。
未来を照らし出すはずの光が届くのは、ふらつく足下と一寸ばかり先の頼りない道だけ。

どんな過去であろうとも、消すことも戻ることもできない。さりとて未来に生きることも叶わない。
もしも君が未来に生きようとするなら、きっと今を半分おざなりにするだろう。
だからといって、振り返ることばかりしていては終わらぬ繰り言の上塗りに終始する。

僕たちには、過去もなければ未来もない。できることは、今という一瞬を生きるだけ。それを知っているからこそ、僕は過去を語らない。

たとえ今に続く道の先に何が待ち受けていようとも、心をしっかり保持してさえいれば、これでよかったのだと思えるはず。

こう考えてごらん。不要なことは起こらない。君を地獄に落とす出来事も起こらないと。
神は負えない荷を背負わせたりはしないのだ。
だから、嫌だった思い出も、辛かった痛みも、きっと何かに出会うための布石。
だから僕は、きっと僕は、ここに現れた。夜をいくつも越えて、君と交わした約束を果たすために。

君が読み終えたページは過去だろうか。まだ見ぬページは未来だろうか。
いや、違う。それは一冊の本が紡ぐ物語の後先。
一冊の本は君。君は一冊の完結された物語。
最後の1行まで、すべては道半ば。未来でもなければ過去でもない。どこをめくろうと君は君なのだ。

君の最終章を僕は開くことができないだろう。だって、僕の方が先に死ぬだろうから。
だからこそ、大事なのは今読んでいるページなのだ。
読み急ぐな。読み終えたページにこだわるな。

夜が織りなす闇と静寂を縫って、さあ、前に進もう。下弦の月を背中に背負(しょ)って、どっこいしょと声に出してみよう。こんちくしょうでもかまわないのだけれど、誰かを恨んだりしないように。
やがて陽は、東から昇る。静かに、きっと君が心挫けそうになるときを、まるで狙い澄ましたかのように。

僕はここにいる。いつでもここにいる。
君の願いに応えるために。



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来生たかお「語り継ぐ愛に」
見上げた夜空が、誰かの頭上にも確かに存在する、この空は繋がっているのだと感じたとき、仄(ほの)かな恋心はもう引き返せない部分に踏み込んでいる。
ならばさらに一歩踏み込んでみるべし、結果の善し悪しは受け止める君の心が決めること。
それが希望通りでなかったとしても、受け止め方によってその景色はまったく違ってくる。

この世に失敗はないのだ。
あるのは、決断したかしなかったか、行動を起こしたか起こさなかったか、君が己(おのれ)の心の声を聞いたか聞かなかったかだ。
起こした行動に後悔はあったとしても、決断が遅れて逃してしまった魚(サイズは謎だけど)ほどの悔しさは生まれないだろう。

動け動け! 君の世界はきっと広がる。君はもっと素敵な人になる。
後悔を恐れて足をすくませているほど人生は長くない。

そんな僕は余計なことばかりして後悔が多いのだけれど……。
                                                                                   
そうそう、余計なことと言えば、一昨日の夜のことだ。
大都会の真ん中、雑踏の中、何人か前を歩く女性のミニスカートの裾が妙に上がっていた。
ん? あんなスカートなのか?
ジーと目で追う。いや、違う。いやいや、出窓のレースのカーテンのように真っ直ぐじゃないスカートもあるけど、あれは違う!

おぱんちゅが危険! お尻がやばいぞ! 

誰に会うのかおしゃれな服を着て、ふわふわのスカート。
あの太ももというかお尻ぎりぎりを見て、ラッキーとか思って目で追ってる男も何人かいただろうと思うと気分が悪いのだけれど、僕は心急(せ)くままに歩み寄り、
「裾が上がってるよ、右の裾」
そう言って何事もなかったかのように信号を渡った。いや、僕も動転していたのだろう、赤信号を渡ろうとしてしまったのだけれどね。

これは本題とは関係ない話なのだし僕は何の感謝もされなかったのだけれど、何もしなかった場合のその女性の可哀想さを考えると 、これで良かったのだと思う。
ここで無言だった君に一言言っておきたい。断じて僕は、君をやらしい目で見てた変態男じゃない!

さ、話を戻そう。
どうせ短い人生なのだから、背中の翼は思うさまに広げよう。
躊躇は負けだと考えてみよう。

僕? 
僕は案外ものぐさだから、ここに座っているよ。
セブンスターでも吸いながら、君を横目で見つつ、すぐに動ける体制を整えてね。

僕はこの十日間ノンストップで130時間ぐらい働いた。休憩をさっ引いてもそれぐらい勤務した。実はそんなに働きたくはないのだけれどね。
そして今夜はやっとお休みだ。とかいって朝になっちゃったけど……。

僕が明日、屍として横たわっていませんように。
神様、僕にはまだやりたいことがある。
僕は絶対ギブアップはしない。

だから君も……
悲しみを眠らせて、
さ、ゲッダン!

Don’t let it get you down!
くよくよするなよ。




広瀬香美「Promise」





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「何が見えた」
こちらを真っ直ぐに見る君の瞳に街灯が映り込む。俺はゆっくりと辺りを見回した。
「何がって、何の変哲もない夜景だけど」

「あたしに何が見えたの」

そう言ったまま君は、くるりと背中を見せた。翻ったワンピースの裾が起こした風でもないだろうけれど、生ぬるい風が頬を撫でた。

「何が見えたか? 何に見えたかじゃなくて、何が見えたかって?」
「そう、あたしに何を見たの」
君は小高い丘のちっちゃな展望台の手すりに両手を乗せて、猫のように背中を伸ばした。

「今度は何を見たかって? ちょっと妙な質問だな」
「そう、やっぱりそうよね」君がクックと肩を震わせた。
「おかしいかい?」
「そうね」
車のヘッドライトが左から右へ木々を舐めるように過ぎていった。

「俺、何か悪いことしたか? それとも何か気に障(さわ)ること言ったかな」

「ううん、あなたは何も言わなかった……何も」
「だったら、何で泣く必要があるんだよ」

「何も言わなかった……肝心なときはいつも、口をつぐんだ」
「意味が分からないんだけど」

「何も言わないってことは、口にできない答えを持ってるか、何も考えてないってことよね」
「ますます意味が分からないんだけど」

「意味はあなたに預けておくわ、いつか気がつくといいわね。それに、あなたにはトゲがなかった」
「トゲって何だよ、俺に不満があるのか? あるならはっきり言ってくれよ」
「下手な触り方をすると怪我でもしそうなトゲがなかった。つるんとしてた」
「優しい男が好きだって言ってたのはお前だろ」
「そう、あなたは優しい人だったわ」

さっきからずっと過去形だ。
俺は煙草に火をつけた。指先がちょっと震えた。

「あたし、あなたの知らない人と結婚する」
こちらに向き直ったその目は、もう俺を見ることはなかった。




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「真夏の夜の夢」 松任谷由実
外はいい天気、でもこの季節にしてはちょっと肌寒いかな?

前回のブログ通り、3つ4つの短編小説も、猫の話しも、定食の話しも、全部消えちゃった。

僕の兄が死んだのは、何年前だろう。
とても破天荒で、とても気が強くて、僕はその存在を何度鬱陶しいと思ったことか。
僕は争いごとが嫌いだし、できれば平和に暮らしたい主義なんだけれど、僕の兄は少し違っていた。

ボクシングをやっていた。でも、視力が弱かったので、プロテストを受けるための視力検査は、僕がダミーでやった。
結婚をして、二人の子供をもうけて、東京を引き払い田舎に帰って飲食店をやった。
あの頃の兄夫婦は希望に満ちていた。

何があったのかは知らない。
やがて二人は離婚して、長女は元の奥さんが、長男は兄が引き取った。

母が死に、父が死に、長男が東京に出て行き、兄はひとりになった。

その兄は、孤独死をした。誰にも看取られずに、階段の下で倒れていたそうだ。
そして、何日も、何日も、そこで死体を晒していた。
僕が生まれた場所の7人の家族のうち3人は、みんなすでに骨になった。

その兄が東京に出てきたのは、何年前だろう?
そう、まさに僕が今いるこの部屋だ。僕は兄にペペロンチーノを作ってあげた。
美味しい美味しいと言いながら、兄は床にスパゲッティの欠片をこぼした。
兄はもう、少し壊れていた。あんなに頼りがいのあった兄なのに、壊れかけていた。

迎えに行った羽田で会えなかった。僕は歩き回り、探した。携帯がつながらない。
諦めて浜松町まで引き返したときも、そこで座り込んで携帯をかけ続けた。

事実はどうだったかというと、羽田に着いた兄は、お酒(多分ワンカップ)を飲んだのだろう。そして、寝込んでしまった。そして、荷物を盗られてしまった。
昼間にお酒を飲んではダメだと、何度注意したことだろう。でもそれは実行されなかった。

僕は最後に、それは最後とは思っていなかったけれど、兄を送っていくとき、強くてとても立ち向かえなかったはずの彼を叱ったのだ。
羽田のエスカレーターだった。


兄は何かに呪われていた。それは楽しかった家族の残像だったのかもしれない。
眠っているときも、うめき声を上げ続けた。時には叱責するように、時には嘆きのように、時には泣き声のように、それは僕の眠りを妨げた。

兄は何かに負けたのだろう。それに立ち向かうだけの強い心を持てなかったのだろう。

勝ち負けの単純な判定なら誰の目にも分かる。
けれど、明日へ繋がる負けもあるのだと、兄には気づいて欲しかった。

勝ち続けるだけが人生ではない。そしてそれは、喜ぶべきことでもない。
けれど、負けて自ら地獄に堕ちてはならない。

天国も地獄も、自分の心が決めるのだから。



駐車場の猫はあくびをしながら、今日も一日を過ごしていく。

僕は一週間だけ、猫になりたい。

風鈴の音でうとうとしながら。





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ゆず「夏色」
パソコンの調子が悪くなって、何度立ち上げても無反応で、そして、やっと立ち上がったら、またまた「リカバリしますか?」の表示。
前回で懲りたので、悪戦苦闘していたら、「フォーマットしますか?」の表示。
動かないものはどうしようもない。
携帯電話も壊れてデータもすべてなくした僕に、大切な人に繋がる方法はパソコンしかない。
たとえ携帯を買い換えたとしても、僕は誰にも連絡を取れないのです。

ということで、書きためてパソコンにストックした物すべてが消えました。
同じ言葉は綴れない、それは思いを込めて物を書いたことがある人なら一番よく分かると思うのだけれど、二度と同じ言葉は浮かんではこない。
僕は歴史を置き去りにした痴呆老人、あるいは、真っ白な生まれたての赤ちゃんになってしまった。

ま、いいや。
大事なのは昨日の僕より、今日の僕だ。
さらに、明日に向かって、まだ見ぬ君へ僕の砕け散ってしまった言葉の欠片を送ろう。
少しずつ、少しずつ思い出しながら。

そしたら、そのうち、きっと、空も飛べるはず。



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スピッツ「空も飛べるはず」
好きなパスタ ブログネタ:好きなパスタ 参加中


断然、自分で作るスープ仕立てのペスカトーレが好きです。

ここで詳しいレシピを紹介しても誰も作らないと思うので省きますけど、おおざっぱに言えば、シーフードたっぷり、スープ仕立ての過激なペペロンチーノという感じかな?
包丁の腹で潰したニンニクをたっぷり、丹波産の辛みの効いた小振りの鷹の爪。
生のエビのばら売りをしてたりするとそれも一緒に使ったりするんだけど、基本袋入りの冷凍シーフードなので、旨味の足りない部分は顆粒タイプの昆布だしを入れます。

仕上げの最後に、オリーブオイルを回しかけます。真冬なんかこれが蓋代わりにもなって熱さが長持ちします。
たまにはイタリア産のトマトの缶詰を入れるのもいいです。

そしてそこで大問題があるのです。僕の部屋のコンロは一口です。以前住んでいたところは3口コンロだったんだけど、一口でスパゲッティを作れますか?

シェフであるなら、あり得ない! と言うでしょう。
でも、それを言ってもやっぱりコンロは一口なのです。
だから、ものすごく固ゆでの状態のスパゲッティをざるで水にさらし、茹で上げを止めます。そして、フライパンにシーフードが整ったときにそれを投入するのです。
シーフードを炒めているフライパンに茹で汁を入れて、そうです、フライパンの中で茹で上げるのです。何とも強引。

パスタはディチェコです。
バリラと人気を二分している感のあるスパゲッティですが、表面がザラザラしているディ・チェコが僕は好きです。アルデンテが長持ちしない感じがしますが、それでも表面つるつるのタイプより、頑(かたく)なにディ・チェコです。
アルデンテが長持ちしないとか言いながら、細身のフェデリーニです。頑なにフェデリーニです。

ザラザラとツルツルの違いは、ロングパスタを絞り出すダイス(鋳型)素材の違いなんだね。ブロンズタイプはザラザラになり、テフロンはツルツルになるのです。

イタリアではバリラの方が人気らしいけど、日本のパスタ屋さんやリストランテだと、圧倒的にディ・チェコですね。仕事で僕が関わったことがある店もすべてそうでした。

そうそう、テフロンのダイスを開発したのは、確かバリラです。日本のパスタもほとんどテフロンのツルツルタイプですので、僕は買いません。

以前、夜中にどうしても食べたくなってコンビニに行きました。まぁ日本のパスタしか売っていなくて、一口食べたとたんに、僕はそれを捨てることに決めました。
そしてそれは、作った物、乾燥スパゲッティともに、ためらわずに実行されました。

デュラムセモリナが一般的に食べられるようになったのはそんなに昔のことじゃなくて、感覚的にはつい最近です。パッケージに書いてあるデュラムセモリナ100%を読んで、そんな名前の小麦なのだと思っていた人を知っているけど、皆さんご存じのようにそうではありません。

デュラム小麦をセモリナ(粗挽き)にしたもの、という意味です。

バリラの値段は無視してるけど、ディ・チェコは500グラムで198円とか、場合によっては178円だったりします。
つい最近まで300円を超えていたはずなのに、驚きの価格です。

ついでに、本場イタリアのカルボナーラには生クリームが入らないというのは有名な話だね。あ、ニンニクもかな。
カルボナーラと銘打って、ベーコンとタマネギ入りの炒り卵がのっていたような時代を、僕は知っています。恐ろしや恐ろしや ( ´艸`)




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$あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」-ディチェコ
前世は何だったと思う? ブログネタ:前世は何だったと思う? 参加中



突如炎と黒煙がまわりを包んだ。
押せども引けどもドアは開かない。窓も開かない。車の中は一気に熱くなった。ガソリンの匂いが鼻を突く。息が苦しい。
そして、子供の泣き叫ぶ声。
僕はドアのガラスに肘打ちを噛ました。うなり声を上げながら何度も何度も肘を打ち付けた。やがて骨が砕けた。

今度は頭をぶつけた、幾度も幾度もドアのカラスに向かって頭突きをくり返した。
そんなことで割れるわけはないことは、僕が一番よく知っていた。
子供の泣き叫ぶ声。
僕は絶望感に襲われながら、炎で熱くなったガラスに、流れ出た血でぬるりとする頭で頭突きをくり返した。

無理だと分かったなら、どうして僕は子供を抱きしめてあげなかったのだろう。抱きしめたまま一緒に死んでやらなかったのだろう。いや、それでも僕は、一縷(いちる)の望みに掛けたのだ。


これはもちろん実話ではなく、ましてや微睡(まどろ)みの中の夢でもないのだけれど、現実の僕は曲がり角が怖い。十字路であろうと三叉路であろうと、信号のない見通しの悪い曲がり角が怖い。

あれは下北沢から池の上に向かって歩いていたときだろうか。緩い上り坂、十字路のたびに立ち止まって左右を確認する僕に、同僚が言った。
「○○さん、変ですよ」
そう、確かに変だ。静かな住宅街の昼間、車が走ってきたら音で分かる。夜であるならライトで分かる。それをわざわざ立ち止まって左右を確認するのは明らかに奇妙に映るだろう。
この癖は今はもう大分薄れてきたけれど、いまでも曲がり角は歩くスピードを緩め、前屈みになって左右を確認する。

それから僕は、子供の泣き声が嫌いだ。かといって、子供が嫌いなわけではない。小さい子供の笑い声やはしゃいだ声、それを聞いていると知らず知らずに微笑んでいる自分がいる。
幼い子の笑顔は、まさに心がとろけるようだ。

でも、泣き声は嫌いなのだ。泣いている理由が分かっているのならまだいい。
あぁ、この子は何かを買って欲しくてだだをこねているな。あぁ、この子はこの場所を離れたくないのだな。
あぁ、この子はだっこして欲しいのだな。

でも、理由の分からない泣き声というのがある。もちろん他人様の子供の泣く理由など分かるはずもないのだが、その火の付いたような泣き声を聞くと、僕が気が狂いそうになる。本当に気が狂いそうになる。

一瞬迷子になった幼い子を見ると、心臓がトクンと跳ねる。だから僕は、
「お母さん、いないの?」と声を掛ける。幼い子は、今にも泣きそうな目でこくんと頷く。
親はというと、子供の存在を忘れたかのように買い物かごを下げてのんきに買い物をしていたりする。あの神経が僕には分からない。

この二つの謎を合わせてみると、冒頭の物語が出来上がる。
僕は、助けを求めて泣き叫ぶわが子を、この手で救うことができなかった父親であるのかもしれない。
それが、前世の僕であるような気がする。

僕は車を運転しない。
あの小道から、あの空き地から、今にも子供が走り出てくるのではないか。
今にも、サッカーボールが転げ出て、直後、小さな子が走っているのではないか。
自転車が信号を無視して走ってくるのではないか。
あの公園から、頼りなくも走ることを覚えた幼子と、それを追いかける母親が不用意に出てくるのではないのか。

僕が運転していて安心できたのは、高速道路だけだった。事故が起こっても、死ぬのは自分だけですむだろうから。

教習所で適正テストのようなものをやらされるのだけれど、結果は、「優良なドライバーになるでしょう」的なものだった。
でも、その前に、僕の精神が摩耗すると感じた。だからもう、車は運転しない。
結果、ゴールド免許だ。運転を続けていたとしても、そうだったはずだけれど。

そうだそうだ、車のある時代に生きたということは、輪廻のサイクルが早いはずだ。ということは、僕は修行の足りないポンコツ魂なのかもしれない。
ポンコツだからこそ、迷い苦しむのかも……。







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あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」-燃える車