─幻想の魔物─
「シャメーナ様、数は充分とは言えませんが、剣は揃いつつあります。今魔物はどの辺りにおりましょうか」
イエナの問いに、シャーマン・シャメーナは優雅に衣を揺らしながら両手をひろげた。
「イエナよ、魔物など実はいないのだ。存在しないのだよ」
「魔物は、いない? それはどういう意味でございますか」
「魔物は人々の心の中にいる。みなの心がすさみ始めた時、その心の奥底から這い出てくるのだ。だから、敵はそこでもない、ここでもない、あちらでもない、心の中だ」
「魔物は幻想だと仰るのですか」
「イエナよ、この世のすべては幻想である。非常に巧妙なる幻想である。それは明らかなる形を伴い、時として人を傷つけ、痛みを与えるからだ」
「しかし、我が村の男たちは倒れ、骨となりました」
「それは魔物という名の外敵にではなく、人々が集団で作りだした幻想に、究極は己の邪心に負けたのだ」
「己の、邪心に、負けた……」
「人が人を羨(うらや)む心、人が人を憎む心、人が人を蔑(さげす)む心、人が人を虐(しいた)げる心、人が人を陥れようとする心。
足りるを知らず欲する心。分けあわぬ欲心、盗むふるまい、強奪する所業、人の心身を傷つける愚行、毀損(きそん)、冒涜、不品行、不行跡(ふぎょうせき=ふしだら)、不心得、慢心、虚栄、傲慢、独善。
それらが渦巻き、やがて魔物が生まれるのだ。そして、まるで天蓋(てんがい)を裂くかのように湧いて出る」
「シャメーナ様、私にはわかりません。この荒野の民の心にそんな醜いものが宿っているというのですか」
「もちろん一部ではあるが、確かに宿っている。そして時として、すべての民に宿るのが邪心だ。だからこそ感応し、意思を抜き取られるのだ」
「だとするなら、どう闘えばよいのでしょうか」
「感応せぬように、呑まれぬようにすることだ。己の邪心に負けにようにすることだ。しかし、闘うための方策はない。あるとすれば、己を捨てて、人を助けようとする心だ。それは、魔物が持ち得ぬ光である」
イエナはシャメーナをじっと見つめた。自分はなにをくみ取ればいいのだろう。どう闘えばいいのだろう。答えは出ない。シャメーナの目はただ、慈悲深さをたたえていた。

「イエナよ、私の言うすべてをわからずとも良い。今は死力を尽くして魔物と闘え。力ある者が闘う時、剣の先にさらなる幻想が見えるはずだ。精神の力が強いほどその幻想は生々しい。
己が見える者もある。父が見える者も母が見える者もある。まさかと思える幻想を斬るのだ。ためらわず斬るのだ。そこに立ちはだかるのが我が子であっても斬るのだ。これは過酷な闘いである」
「さらなる幻想と闘うのでございますか」
「そうだ。かつてイシュリムが率いて闘ったものと大元は同じであるが、似て非なるものと言えよう。より酷くなっていると言うべきだろう。目の前に誰が立っても狼狽えるなと皆に伝えるがよい」
「シャメーナ様、この荒野の部族は死に絶える恐れがございます。その幻想とやらに滅ぼされるやも知れません。シャメーナ様にお出まし頂くわけには参りませんでしょうか」
「イエナよ、あの古木が見えるか」シャメーナが指さす先に枯れた大木が見えた。
「はい」
「あれが、シャーマン・シュムランである」
「あちらにお眠りですか」
「違う。あの古木そのものがシャーマン・シュムランなのだ。シュムランも私も人ではないのだ。シュムランがそうであったように、雨が降ろうと風が吹こうと私もここに立っている」シャメーナは、諭すように両手をひろげた。
「シャメーナ様、いったいどういう事なのですか」
「木に宿った魂だと言うことだ。私が役目を終えここを離れた時、ここに枯れた木が立っていることに人々は気がつくだろう。だからイエナよ、ここを離れることはできないのだ。私はお前たちの闘いをここで見ている。クロンよ」
呼びかけられたクロンは肩をビクッと震わせた。
「はい、お名前をお呼びいただき恐縮にございます」
「お前はイエナの親族ではないか」
「あ、はい、そうでございます」
「忘れていることはないか」シャメーナは思い出せと言わんばかりに、開いた片手をクロンに向けた。
「はい?」クロンは狼狽している。
「お前も剣を操る一族の子孫であるということを忘れてはおらぬか」
確かにそうだ。イエナはそのことをすっかり忘れていたことに気がついた。
「は、確かにそうでございます。それを失念いたしておりました」クロンが頭を下げる。幼い頃より兄弟のように、あるいは年の近い友のようにして育ったイエナとクロンは、実際の親族であることをそれほど意識したことはなかった。
「お前の先祖の剣は失せている。お前は一足先にここを出て剣を打ってもらうがよい。この闘いに剣の使い手が多すぎるということはない」
「シャメーナ様、実は剣の打ち手が腕に怪我を負いまして、おそらく作業が遅れております。クロンのものにまで手が回るかどうか」イエナは口にした。
「心配はいらぬ、刃を付ける前の剣ゆえ傷は浅い。クロンの剣を優先させよ」
「ではクロン、シャメーナ様の言われた通りにしよう。今ここでひとりでも剣の使い手が増えるのはありがたいこと、ましてやそれがお前であるならどれほどか心強かろう」
では早速。木の切り株から立ち上がったクロンは馬にまたがり、急ぎイシュリムの村へと向かった。
ポチポチッとクリックお願いします。
短編小説 ブログランキングへ
にほんブログ村









