風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -117ページ目

─幻想の魔物─

「シャメーナ様、数は充分とは言えませんが、剣は揃いつつあります。今魔物はどの辺りにおりましょうか」
イエナの問いに、シャーマン・シャメーナは優雅に衣を揺らしながら両手をひろげた。

「イエナよ、魔物など実はいないのだ。存在しないのだよ」
「魔物は、いない? それはどういう意味でございますか」
「魔物は人々の心の中にいる。みなの心がすさみ始めた時、その心の奥底から這い出てくるのだ。だから、敵はそこでもない、ここでもない、あちらでもない、心の中だ」

「魔物は幻想だと仰るのですか」
「イエナよ、この世のすべては幻想である。非常に巧妙なる幻想である。それは明らかなる形を伴い、時として人を傷つけ、痛みを与えるからだ」
「しかし、我が村の男たちは倒れ、骨となりました」
「それは魔物という名の外敵にではなく、人々が集団で作りだした幻想に、究極は己の邪心に負けたのだ」

「己の、邪心に、負けた……」
「人が人を羨(うらや)む心、人が人を憎む心、人が人を蔑(さげす)む心、人が人を虐(しいた)げる心、人が人を陥れようとする心。
足りるを知らず欲する心。分けあわぬ欲心、盗むふるまい、強奪する所業、人の心身を傷つける愚行、毀損(きそん)、冒涜、不品行、不行跡(ふぎょうせき=ふしだら)、不心得、慢心、虚栄、傲慢、独善。
それらが渦巻き、やがて魔物が生まれるのだ。そして、まるで天蓋(てんがい)を裂くかのように湧いて出る」

「シャメーナ様、私にはわかりません。この荒野の民の心にそんな醜いものが宿っているというのですか」
「もちろん一部ではあるが、確かに宿っている。そして時として、すべての民に宿るのが邪心だ。だからこそ感応し、意思を抜き取られるのだ」

「だとするなら、どう闘えばよいのでしょうか」
「感応せぬように、呑まれぬようにすることだ。己の邪心に負けにようにすることだ。しかし、闘うための方策はない。あるとすれば、己を捨てて、人を助けようとする心だ。それは、魔物が持ち得ぬ光である」

イエナはシャメーナをじっと見つめた。自分はなにをくみ取ればいいのだろう。どう闘えばいいのだろう。答えは出ない。シャメーナの目はただ、慈悲深さをたたえていた。



「イエナよ、私の言うすべてをわからずとも良い。今は死力を尽くして魔物と闘え。力ある者が闘う時、剣の先にさらなる幻想が見えるはずだ。精神の力が強いほどその幻想は生々しい。
己が見える者もある。父が見える者も母が見える者もある。まさかと思える幻想を斬るのだ。ためらわず斬るのだ。そこに立ちはだかるのが我が子であっても斬るのだ。これは過酷な闘いである」

「さらなる幻想と闘うのでございますか」
「そうだ。かつてイシュリムが率いて闘ったものと大元は同じであるが、似て非なるものと言えよう。より酷くなっていると言うべきだろう。目の前に誰が立っても狼狽えるなと皆に伝えるがよい」

「シャメーナ様、この荒野の部族は死に絶える恐れがございます。その幻想とやらに滅ぼされるやも知れません。シャメーナ様にお出まし頂くわけには参りませんでしょうか」

「イエナよ、あの古木が見えるか」シャメーナが指さす先に枯れた大木が見えた。
「はい」
「あれが、シャーマン・シュムランである」
「あちらにお眠りですか」
「違う。あの古木そのものがシャーマン・シュムランなのだ。シュムランも私も人ではないのだ。シュムランがそうであったように、雨が降ろうと風が吹こうと私もここに立っている」シャメーナは、諭すように両手をひろげた。

「シャメーナ様、いったいどういう事なのですか」
「木に宿った魂だと言うことだ。私が役目を終えここを離れた時、ここに枯れた木が立っていることに人々は気がつくだろう。だからイエナよ、ここを離れることはできないのだ。私はお前たちの闘いをここで見ている。クロンよ」
呼びかけられたクロンは肩をビクッと震わせた。

「はい、お名前をお呼びいただき恐縮にございます」
「お前はイエナの親族ではないか」
「あ、はい、そうでございます」
「忘れていることはないか」シャメーナは思い出せと言わんばかりに、開いた片手をクロンに向けた。
「はい?」クロンは狼狽している。
「お前も剣を操る一族の子孫であるということを忘れてはおらぬか」
確かにそうだ。イエナはそのことをすっかり忘れていたことに気がついた。

「は、確かにそうでございます。それを失念いたしておりました」クロンが頭を下げる。幼い頃より兄弟のように、あるいは年の近い友のようにして育ったイエナとクロンは、実際の親族であることをそれほど意識したことはなかった。
「お前の先祖の剣は失せている。お前は一足先にここを出て剣を打ってもらうがよい。この闘いに剣の使い手が多すぎるということはない」

「シャメーナ様、実は剣の打ち手が腕に怪我を負いまして、おそらく作業が遅れております。クロンのものにまで手が回るかどうか」イエナは口にした。
「心配はいらぬ、刃を付ける前の剣ゆえ傷は浅い。クロンの剣を優先させよ」

「ではクロン、シャメーナ様の言われた通りにしよう。今ここでひとりでも剣の使い手が増えるのはありがたいこと、ましてやそれがお前であるならどれほどか心強かろう」

では早速。木の切り株から立ち上がったクロンは馬にまたがり、急ぎイシュリムの村へと向かった。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ


にほんブログ村

─セブナ─

「生きておったか!」
「はい」
「なんと……夢ではなかろうか」イエナはシェリの二の腕と我が子の頬に触れた。
「夢ではございません。しかし、村が襲われました」
「うむ、クロンと行ったのだ。目も当てられぬありさまだった。しかし、よくぞ無事で」
「はい。運良く助かりました。けれど、目覚めたときには、村の人々は倒れていました」シェリはその泉のような瞳に夕日を映す涙を浮かべた。
「すまぬ、私が留守の間に取り返しのつかないことになってしまった」イエナの声に、シェリは両耳の後ろで編んだ髪をゆすりながら首を振った。

「我が村の者たちは?」
「少数ですが生き残りました。事が起こったのは昼をすませて、時がいくらか過ぎた頃です。眠っていた人たちは助かりました。しかし、隣村の方たちが気に掛けて昼前に尋ねてくれたのですが、その方たちと談笑していたり、外で遊んでいた子らは命を奪われたようです」
「ユインも」イエナの問いかけに、シェリは頷いた。
「父母もか」シェリはうつむき、はい、と小さく答えた。
「けれど、クロン様の妻子はご無事です」

シェリが誘(いざな)うように後ろを振り向く。クロンの妻とその胸に抱かれた幼い男児がいた。その妻が頭を下げた。近くに彼の父母の姿は見えなかった。
「ようご無事で」イエナは歩み寄った。
イエナ様!
族長様!
人々の中から声が上がった。我が部族の民たちだった。皆夕日に顔を赤く染めて、頷いたり目頭を押さえたりしていた。その数ざっと20人ほど。400人の村で、生き残った民はそれだけだった。
「すまぬ」イエナは膝に手を当て頭を下げた。
「イエナ、よくご無事で」歩み寄ってきたのは叔母エレナだった。



「私は何の役にも立ちませんでした」
「お前が気にせずともよいのです。これもまた我が部族の定めでしょう」エレナは声を落とした。
「イエナが族長などやりたくなかったのはわたしが一番よく知っております。あなたが気に病むことではありません」
そう、兄が族長を継ぐのが定まった道だった。イエナよりも逞しく、智恵があり、やさしく強かった兄は、イエナが幼い頃に病で死したのだ。

「クロン!」呼びかけた先を見ると、すでに妻子の姿を確認したのか、馬にまたがったクロンが口元を押さえて肩を震わせていた。

「あの方が助けて下さいました」シェリの指さす先には、ラクダから降りたティエンが見えた。イエナは再び人混みを分け、ティエンの元に走り寄った。

「ティエン殿が助けてくれたのですね!」
「あれはイエナ殿の村でしたか。ご妻子にございますね?」
「はい、そうです」
「ご無事で何よりでした。もっと早くにたどり着けていれば、救えた人も多かったろうと思いますが」

「ティエン殿、このご恩、イエナは生涯忘れません」
「よいのだイエナ殿、助け合うのが人。それを忘れてしまえば野を這う獣に同じ。それを身をもって教えてくれたのはイエナ殿ではないですか」頷くティエンが、イエナには幼い頃に亡くした兄のように思えた。

「夢に従い村々を回っている時に、イエナ殿の村へ着いたのです。みな倒れ伏し全滅かと思われました。
しかし子を寝かしつけていたり、昼寝をしていたり瞑想に入っていた人たちは幸いにも無事でした」

「おじちゃん」ラクダに乗った男の子が手を振った。
「また会ったね。君も将来は、お父さんみたいな剣の闘士になるのだね」イエナはラクダに乗った男の子に笑いかけた。
「もしやこの子を男児と間違えてございますか?」ティエンが白い歯を見せて笑った。
「イエナ殿、これは我が子セブナと申す女児でございます。そして、すでに剣の闘士にございます。これほどの使い手はいないとさえ思われる剣の名手。この子がおらねばわれらも全滅していたでしょう。
魔物と闘っている時、私は死を覚悟したのですが、この子の剣は無類の強さを見せてくれました。そして夕になり闇が迫った頃、魔物は去ったのです」

「セブナ、ありがとう。その小さな身体でよく剣が操れるのだね」イエナはその足を軽く叩いた。セブナは恥ずかしそうに微笑んだ。
「この子は止まることなく走り回り、肩にからげた剣をまるで放り投げるかのように振りまわすのです」
「だって、この剣は大きいし重い」セブナはラクダにくくりつけた剣を叩いた。
「以前会ったときも剣をお持ちだったのですね。気がつきませんでした」
「2本とも袋に入れて、私が背負っておりましたから」ティエンが笑った。

「して、ティエン殿が剣をお持ちなのに、さらに、どうやって手に入れたのでしょう」
「セブナには亡くなった親族に伝わる剣がぴたりと合いました。イエナ殿のご先祖もそうでしょうが、闇との戦(いくさ)でよく闘った私の祖先は、兄弟で今の村へ居着きました。その剣です」ティエンがセブナの剣を指さした。

「ところでティエン殿、剣を使える闘士は集まったのでしょうか」
「村を回るうち3人を見つけましたゆえ、私たち親子を含めて5人です。先頭のラクダに乗る人たちがそうです。イエナ殿の村でも、剣を抜いて闘ってくれました」

イエナは小走りでその3人に駆け寄った。
「ありがとうございました。我が部族も20人ほどが助かりました」
「おお、あの村の方ですか」
「族長をしておりました、イエナと申します」イエナのあいさつに3人はそれぞれ名を名乗った。いずれもたくましい体つきをした男たちだった。
「力を合わせて闘いましょう」男たちは強く頷きながら、腰の剣を叩いた。

「ティエン殿、今も剣を打っておりますが、打ち手の者が腕を怪我するという事故が起こり途方に暮れておりました。これで15人、その後何本打てているかにもよりますが……」

「15人、それは真ですか」
「はい。イシュリム様の村でも、もう剣を持つものが少ないのです」
「それで、剣を集めよとご先祖様が夢を見せてくれたのですか」ティエンは夕焼け空を見上げた。
「しかし、なんとも少ない。かつては100人で闘ったと伝わっていますが」
「それは叶わぬ数です。イシュリム様は最低20人が揃ったら闘いを始めると仰っていました」
「20人……」ティエンは口を引き結んで厳しい顔をした。
「しかし、闘わなければなりますまい」

「ティエン殿、私とクロンは向きを変えてシャーマン・シャメーナ様の元へ向かいます。魔物が今どこにいるのか尋ねて参ります」
「分かりました」ティエンはあごを引いた。

「わたくしはどうすれば……」いつの間にシェリがイエナの後ろに立っていた。
「シェリよ、この方たちと一緒にイシュリム様の村へ向かいなさい。ティエン殿とセブナの剣は頼りになるであろう。ティエン殿頼みます」
「血肉をお分け給いしイエナ殿よ、お任せ下さい。あなたがたのご家族が亡くなる時は私の家族も死ぬ時です。最後の最後までお守りしましょう」
「おじちゃん、また会いましょう」夕日を浴びながらセブナが笑った。

〝馬を急がせ、イエナとクロンはシャーマン・シャメーナの村へ向かいました。闘いは迫っていました。〟


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ


にほんブログ村

─ラクダの群れ─

隣村の広場に立ち、イエナとクロンは両手を組み合わせて頭を下げた。物音ひとつ聞こえない不可思議な空間に、時折吹く風にざわめく葉擦れの音と、小鳥のさえずりが鎮魂のように静かに響く。
神は我らを、お見捨てになるのか……イエナの呟きは、風に巻かれて宙にかき消えた。

ふぅ……顔を上げたイエナは大きくため息を吐いた。

この騒ぎは伝説の魔物などではなく、シャメーナやイシュリムの、経験に引きずられた思い込みなのかもしれない。よしんば魔物であっても、局地的で終わるかもしれない。そんなイエナの希望的な見通しは崩れ去った。

「クロン、イシュリム様の村へ戻ろう。この荒野の部族すべてが危機に陥った」
クロンは小さく、はい、と頷いた。

イシュリムの村へ向けて1昼夜ほど進んだところで、赤々と沈む夕日を浴びる無数のラクダの群れと、人々の影を見つけた。
「イエナ様、かなりの人数のようです。あれは何でございましょう」クロンが怪訝そうにイエナを見た。
「部族で移動をしているのだろうか。もしや魔物の手を逃れた者たちかもしれぬ」二人は急いでそのラクダと人影に向かった。

「どなたか、どなたか、みなはどこへ向かわれる」馬を走らせながらクロンが問いかけた。一頭のラクダにまたがった男が振り返り、黒い衣が風に揺れた。
「ご無事でしたか」イエナは声を掛けた。
「申し訳ない、夕日の影になってしかとお姿が見えません」ラクダに乗った男が近寄ってきた。
「おお、パンと水をお分けくださった方たちではないですか!」シャメーナの村へ向かう途中に、イエナがパンと水を分け与えた親子の父親だった。



「ご無事で何よりでした」イエナの声に、男が微笑みながら頷いた。
「あなた方のおかげです」
「いえ。申し遅れました。私は陽の沈むところで族長をしていたイエナと申します。どちらへ向かっておられるのですか」イエナは問いかけた。していたと過去の話にしてしまわざるをえない己が不甲斐なく、強い悲しみがまた襲う。

はい、と頷いた男はイエナより10ほど年かさだろうか。夕日に映えたその顔は凛々(りり)しく、白い歯が印象的だった。
「私は遠くの小さい村で族長をしているティエンと申します。私たちは川を目指しております」
「川を?」
「はい。その畔に伝説の闘う部族の村があるそうです」
「おお、イシュリム様の村へ!」
「イシュリム様の名をご存じで」
「はい。そのイシュリム様は生きておられます」
「なんと! 不死と伝わっておりますが、それは真だったのですか」
「はい。しっかりと生きておいでです。ティエン殿、我らは今、そこへ向かっております。イシュリム様の村より我が村へ戻り、再び引き返すところです。
しかしティエン殿、我らが村は魔物の手により壊滅いたしました」
「何と、イエナ殿の村が魔物に襲われましたか! それは何ともお痛ましい」
魔物と口にしただけで話が通じた。やはりその手を逃れてイシュリムの村へ向かっていたのだ。

「奴らは人の魂を抜き取ります。普通の人々では抵抗は難しいのです。攻撃する者にはこぶし大の真っ黒い毒を吐きます。それは風より早い。イエナ殿の村が滅びましたか……」ティエンはラクダの背を撫でながら悲しげに表情を曇らせた。
「はい、間に合いませんでした。夥(おびただ)しい骨が大地を埋めておりました」

ラクダを近づけてきたティエンはイエナの肩に手を置いた。
「お察しします」ティエンは小さく何度も頷き、ひとつ息を吐いた。
「族長であれば、その悲しみも倍でございましょう。お泣きになるなイエナ殿」その時初めて、涙が頬を伝っていることにイエナは気づいた。人に見られぬように手の甲で頬を拭った。

「情けないところをお見せしました。ティエン殿は、イシュリム様の村へ逃れる途中でございますね」
「いえ、違うのです。ある夜、急いで剣を集めよと告げる夢を見たのです。魔物の伝説は一族に語り継がれておりましたゆえ、それに違いないと判断して、私たち一家は村々を回り剣が使える我が同士たちを探していたのです」
「ティエン殿もイシュリム様の村の血筋でしたか!」
「ということは……イエナ殿、あなたも?」
「はい、私は事ここに至るまで知りませんでしたが」
「さては、以前と違うその出で立ちは、我らが祖先、闘う部族の衣にございますか?」
「その通りです」

荒野を吹く風が、かすかな声を運んできた。イエナは右を見たが、クロンはラクダにまたがった見知らぬ男と話をしていた。
「この衣はイシュリム様の村でご用意していただきました。しかし我らは同じ目的で動いておりましたか」

再び呼びかける声。それはイエナと呼んでいるように聞こえた。頭をゆっくりと巡らせて、その声の元を探したが見あたらなかった。この集団の数はおそよ50人ぐらいだろうか、日が暮れたらこの辺りで眠ることになるだろう。

「どうされました?」ティエンがラクダから身を乗り出した。
「いえ、名を呼ばれたような気がしまして。してティエン殿、もうこの辺りで休まれますか」

「どなたか、イエナ殿をお見知りの方がおいでか?!」イエナの問いを聞いてか聞かずか、ティエンが大声を上げた。
「ほら、イエナ殿あそこに」ティエンが指さす先を辿ると、夕日を浴びる人々の中に子を抱くひとりの女が目に入った。その女は肩の辺りで小さく右手を挙げていた。

「シェリ!」馬を飛び降りたイエナは、人の群れの中を進み、妻と我が子に駆け寄った。
「シェリ!」
2歳になる女児は亜麻の大きい布にくるまれ、シェリの胸で何事もなかったかのように眠っていた。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ


にほんブログ村


─惨状─

はるか前方に村が見えてきた。イエナとクロンは逸(はや)る気持ちを抑えきれず馬を走らせた。

「イエナ様、狩りなどには言いつけ通りにまとまって行ったでしょうな」手綱さばきも慣れてきたクロンが息を弾ませた。
「ユインがいるから大丈夫だろうが、被害がまったく出ていないとは言い切れぬだろうな」

イエナとクロンは予定より早く3昼夜で故郷にたどり着き、馬を村に乗り入れた。地面のあちらこちらに白いものが散乱している。
「クロン、この散らかりようは何だ」
「イエナ様……まさか、まさかあれは」

イエナは何も応えずに馬を進めた。己の影でその白いものが陰ったところで馬を止めた。
「イエナ様……」イエナはなにも応えない。応える気力などなかった。ただ、無言で首をめぐらせた。
久しぶりの故郷の村は変わり果てていた。活気に満ちた暮らしの匂いは消え失せ、おびただしい骨が大地に散っていた。狩りに出ていた男たちを骨にした魔物は、ついに村を襲ったのだ。

骨になれば誰であるかの見分けなどつかない。男と女の違いは衣と毛髪をまとわせた頭の骨がそれと分からせるだけだった。
衣の切れ端が風に揺れている。小さい骨も女の衣も見えた。その不条理な風景の中、小鳥のさえずりだけがいつもと変わらず長閑に渡っていた。

「遅かったか……」馬から降りたクロンは声を震わせた。イエナも馬を下りた。
「剣を手にしたとき即座に戻ればよかったのだ」イエナは拳を握りしめた。
「たとえ敵(かな)わずといえども……あの黄金色の剣を抜いて、我が部族と共にここで果てるべきだったのだ」イエナは誰にでもなく、己を叱責するように言葉を絞り出した。

「誰かおらぬか! クロンじゃ誰かおらんのか!」上体を上下させながら叫ぶクロンの声に応じる者はなかった。
イエナは足早に家々の中を見て回った。しかし、そこには誰も残ってはいなかった。もちろん、妻シェリとわが子と共に暮らす家にも。

大地に横たわり骨を露わにした一体の亡骸には食い残された肉が残り、ウジが湧き、辺りに腐臭を放っていた。意志を抜き取られ、生きたまま獣に食われていった村人の悲劇がイエナの胸を押し潰した。
クロンは呆然とした足取りで村の中を歩き回り、頭の骨にこびりつく毛髪と衣を確かめていく。妻と子を探しているのだろう。イエナにそれをする勇気はなかった。

大地に膝を落としたイエナはそのまま突っ伏した。悲しみの涙か、怒りの涙か、後悔の涙か。族長としての己の無力を知ったイエナは、気も狂わんばかりに妻と子の名を呼んだ。二人の笑顔と過ぎ去った日々が頭の中に渦巻いた。自分はあまりに無力でありすぎた。

クロンは悲しみのあまり、彼の父、彼の母、彼の妻、彼の子の名を呼び、大地を転げ回った。



陽は傾き、陽は沈み、夜が月と星を連れてきた。

やがて太陽が、物音ひとつ立たぬ大地に、素知らぬ顔をした朝を連れてきた。
眠ったのか眠らなかったのか、大地を這っていく視線の先に風になぶられる衣が見えた。イエナはゆっくりと起き上がり、骨を包み血で赤茶けたその衣の元へ歩み寄った。

「クロン、隣村へ行こう。これを見よ、隣村の者の衣だ。彼らは助けにやってきてくれたのだ」
昨日は気づかなかったが、村の地面にはラクダと、四方に乱れ大地を蹴ったような人の足跡が残っている、これは闘いの痕跡に違いない。

〝一縷(いちる)の望みを抱いて、曾祖父イエナとクロンは隣村へ向かいました。〟


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ


にほんブログ村


─剣打ち─

イエナが目にした剣を打つさまは、想像を越える過酷さだった。剣を仕上げてもらう者はまんじりもせずに見守り、剣を打つ男は鬼のような形相で焼いた剣に向かう。

「念を入れよ!」剣打ちの男がほとばしる汗も拭わず叫び、火花が弾け飛ぶ。そのたび剣の主は両の手を組み、念を入れ続ける。

「念を解け! もっと素早く解け! 強い念と果てない虚無、その交互が織り込まれなければ真に強い剣はできあがらぬ。この剣はお前自身だぞ! 弱き者を守り邪悪な者を斬り倒す、この世にただ一本の無双の剣なのだ!」

駄目だ! 剣打ちの男が、打っていた剣を投げ捨てて立ち上がった。

「雑念を入れるな! もっと素早く緩急をつけよ! それができなければ剣は打ち上がらぬ。まかり間違えて仕上がったとしても闘いの時に破れ去るのだ!
剛と柔だ! 久遠と瞬間だ! 始めと終わりだ! 呑(どん)と吐(と)だ! 張り詰めた糸とどこまでも緩んだ糸だ! 緩んでいたら闘えない、さりとて始終張り詰めていたら己の精神が壊れるのだ!」
剣打ちの男は、また新たな剣の元棒を火の中に差し入れた。



「いいか、闘いを甘く見ていたら必ずや大地がお前の頬を打つ。休まず戦い続け、イシュリム様の結界で休む。闘いと休息、放出と貯え、剣と眠り、交互に繰り返す。勝利の時までそれは果てなく続くのだ! よいか!」
「はい!」

「イシュリム様に聞いたところによれば、20人で闘うとか」剣打ちの男が鋭い目で問いかけた。
男が口を引き結んで頷いた。

「我が部族がそれほど少ない手勢で闘ったことはないはずだ。最悪の闘いになるだろう。下手をすれば全滅する。
わしは闘えん。剣を打つことしかできないのだ。皆のために最高の剣を仕上げる。それしかできないのだ。
もしも、もしもだ。お前たち20人が死に絶えたなら、わしは剣を持って必ずや魔物に斬り込む。わしは闘士ではないゆえ、あっけなく死ぬだろう。それで我が部族の剣も絶える。伝説の我が部族も滅ぶのだ」
剣打ちの男の目はこの上なく真剣だった。

「すべてはお前たちにかかっている。頼んだぞ!」
「はい!」
「いくぞ!」
「はい!」
イエナはいたたまれなくなり、その場を静かに後にした。

剣は一日早く2昼夜で1本打ち上がった。研ぎも鍔も省かずに剣打ちの男は仕上げたのだ。これで残すは後9人。このまま行けばあと18昼夜。しかし、2本目を打ち始めた時、突発的な事故の知らせは届いた。折れ飛んだ剣の先が剣打ちの男の腕に刺さったと。

「何ということじゃ!」イシュリムは杖をつく腕をブルブルと震わせながら打ち場へ急いだ。イエナとクロンも後を追う。
「もう、剣を打てる者はいないのですか?!」わかっていながらの問いかけだった。
「子がおるがまだ成人はしておらん。ゆえに奥義は伝授されてはおらぬ」

「イシュリム様お恥ずかしいことになりました。しかし左腕ゆえこいつに持たせればなんとかなります」剣打ちは横に立つ息子をあごで指した。
「必ずや打ち上げます」

亜麻の布で腕をぐるぐる巻きにした剣打ちは苦悶の表情を浮かべながら剣を打ち始めた。
「念を入れよ!」男の声が打ち場に響く。

しかし、予定は大きく狂うはずだ。ここでじっと待っているわけにもいかないと判断したイエナは、一度村に帰ることを決めた。

「イシュリム様、一度村に戻って様子を見てきたいと思います」
「うむ、気がかりであろう。ただし、その剣は置いてゆけ」
「なぜにでございますか」
「その剣を見れば奴らは全力で襲いかかってくる。本格的な闘いが始まる前に力でねじ伏せようとしてくるだろう。
周りの様子がおかしいと感じたら、まやかしではないかと疑え。そして己を捨て心を無にするのだ。魔物とて、心がそこにない者から意思を奪い取ることはできまい。しかし、奴らの漆黒の毒は人を瞬時に死に追いやる。充分気をつけてゆけ。そうじゃ、馬を使え。慣れぬうちは走らせてはならぬ。落ちて怪我をする」

〝曾祖父イエナとクロンは故郷の村を目指しました。イシュリムの村からおよそ11昼夜と思われます。馬を得たふたりはそれを4昼夜で行くことを決めました。〟

ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ


にほんブログ村

─スベラの決心─

「しかし、しかし」スベラは両手を膝に当て項垂れた。
「剣を必要とされたのはあなた様でした。見ず知らずのこのわたくしに、血肉のパンを分けて下さったあなた様」
「スベラ殿、たかがパンひとつと命を比べてはなりませぬ。些末なことは気にせず故郷へお帰りなさい。妻御とお子を幸せにしてあげなさい」
弾かれたように身体を起こしたスベラは、大きく首を振った。

「わたくしはあのとき、一度死んだのです。お分けいただいたパンは命だったのです。迷いを重ねてきた己を恥じます。そして、わたくしを必要とされたのがあなた様であるなら」

「よいのだ、スベラ殿」イエナは両手を広げて言葉を遮った。
「この命あなた様に捧げまする」
「スベラ殿、妻子の元へお戻りなさい」
「いえ、腹は決めましたゆえ」

イエナはイシュリムを振り返った。イシュリムは、何だ? と言いたげにあごを上げた。
「イシュリム様、かつての闘いの被害は大きかったのでございますね」イエナはあえてイシュリムに語らせることにした。

イシュリムは、やれやれとでも言いたげに一度俯いた。そしてゆっくりと顔を上げた。
「そうだな。日々剣の腕を磨き、肉体と精神を研ぎ上げ、鍛錬を重ねてきたかつての勇者たちであったけれど、半数は命を落とした。今一度闘わば、どれほどが生き残れるか……わしの作る結界に入れば何者も手出しはできんが、闘いに臨(のぞ)めば命の保証はない」
「スベラ殿、やはりあなたは妻子の元へ引き返しなさい。この闘いに義務などないのです」
「イエナ様、私はここに残ります」

イエナは再び振り返ったが、イシュリムは杖に両手を乗せて押し黙ったままだった。
「イシュリム様、いかがすれば……」イエナの問いに、イシュリムは天を見上げたままだった。
「イエナ様、わたくしの剣は黄金色に輝きまする。石とは言わず岩とは言わず、大地までをも切り裂きまするぞ」スベラは腰の剣に手を当てた。

「ネイトン」イシュリムが呟いた。「イエナはやはりお前の血を引いておる。無類のうつけ者じゃ……」

「スベラ殿、最後にもう一度言う、里へお戻りなさい!」
「戻りませぬ!」
「なにゆえに……」
「心でございます。わたくしの心がそうせよと命じるのでございます。あそこであなた様に出会ったのも運命でございましょう、運命ならばそれは必然でございます」
「スベラ殿、私の願いを聞いてはくれぬのですね」
「聞きませぬ!」
「スベラ殿、では一緒に闘って死しても悔いはないのですね?」
「もちろんですとも、イエナ様!」
如何(いかん)ともしがたいとはこのこと、諦めて差し出したイエナの手をスベラは堅く握り返してきた。

「闘いが終わりし時は、スベラ殿のお子にも会わせてもらえますか?」
「はい、ぜひ妻にも」スベラはくしゃくしゃの顔をして、目尻を拭った。



「スベラよ、よく腹を決めた。お前の先祖のスメロはイエナの先祖ネイトンときわめて仲がよかった。我が部族の双璧をなした強者であった。ほれ、お互いの剣の鍔を見るがよい」
スベラが鞘ごと抜いた剣をイエナの剣に寄せた。
「確かに似ております。このように美しい鍔を持つ剣はこれひとつと思っておりましたが」スベラが驚きを隠せない顔をした。

「虫さえ殺さぬネイトン。常日頃は静かで気弱ですらあったスメロ。しかしひとたび剣を抜けば、二人とも比類なき勇者だった」イシュリムは目尻にしわを寄せ、遠い目をした。

「が、スベラよ、まだまだ剣が足りんのだ」
「イシュリム様、我が村には剣の使い手があと3人おりまする。みなこの部族の子孫。
わたくしが15昼夜を過ぎても戻らぬなら、その3人にここを目指せと父が命じてあります」
「おお、そうじゃ、思い出したぞ。スメロは親族の若者と己を慕う者を連れて行ったはず」
「はい、そのように聞いております。わたくし道に迷って時間を費やしましたゆえ、もうまもなく村を発つ頃でございましょう。発てばおよそ7昼夜ほどで到着できるかと」

〝これで、イシュリムが口にしたぎりぎり最低の20人まで、あと10人となりました。剣を打つのに30昼夜と手の届くところまで来たのですが、この時曾祖父イエナは、スベラや皆に申し訳ないと感じたそうです。
なぜなら、己の浅慮(せんりょ)でイシュリムに決断させた20人が、いかに少ない戦力であるのかが身に凍みて、その肩に重くのしかかったからです。
自分のせいで全員闘って死ぬだろう。荒野の民の明日を握りつぶそうとしているのはまさしく自分なのだと、体の真ん中を、凍えるような風が吹き抜けたそうです。〟



ポチッポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ


にほんブログ村


─来訪者─

「誰じゃ」イシュリムの不機嫌そうな声が聞こえてくる。あの方はどうも、初めて会う人には無愛想のようだ。イエナはふっと笑って履き物を手にした。

「わたくしはスメロの子孫、スベラと申します」
やはりこの部族の血脈の者らしい。もしも剣を手に現れていてくれたら、どれほどか心強い。

「なにっ! おぬしスメロの係累者か! それは真か!」
「はい。真っ直ぐにスメロに繋がるものでございます」
「こっちへ来い! 近く寄れ、ほれ、もっと近く。うむ、うむ」
集会所が静かになった。イシュリムが来訪者の見立てをしているのだろうか。

「わしがイシュリムじゃ。で、いったいどうした」
「イシュリム様のご子孫様ですか」
「わしがイシュリムだと言っておるではないか」
「お名前がご一緒なのですね」
「後にも先にも、イシュリムはわし一人じゃ」イシュリムが苛ついた声を出した。
「まさか」
「そのまさかじゃ」
「まあ、それはよいのですが……」
「なんとも疑り深い男じゃ」ため息混じりの声だった。それを信じろと言う方が無理がある。

「それはさておき」
「さておくのか」イシュリムのあきれ顔が見えた気がした。
「それはさておき、わたくし夢を見ました。急ぎお前のもうひとつの故郷へ向かえ、川を目指せ、そして川を辿れ、そこにお前を待つ者がいると」
やはり新手の助太刀のようだ。イエナは履き物の皮の紐を締めて立ち上がった。

「おお、夢のお告げがあったのか、さすが我が部族の血筋よの」
「闘いでございますか?」
「いかにも。手が足りずに困っておったところじゃ」
しばらく無言の時が流れた。イエナは膝丈の衣に袖を通した。

「イシュリム様……わたくしは故郷に妻と幼い子がおります。初めての子にございます。まだ言葉も話しません。恥と知りつつ、できうるならばこのまま村に帰りたいのでございます」

妻と幼い子がおれば無理もない。イエナはシェリと娘を思った。
「ではなぜ来た」
「父が族長をしております。その父に剣を持たされました」
「いやいやながらに、ここへやって来たというのだな」
「イシュリム様、わたくしは我が子の将来を見たいのでございます。妻と子と3人で、いや、もっと増えるやも知れません。この先も生きてゆきたいのでございます」
「おぬしは腰抜けなのだな」
「いえ、イシュリム様……」
「それでも誇り高き我が部族の子孫か!」

それきり声は聞こえなくなった。剣は一本でも欲しい。しかし、魔物の被害が局地的で終わるものなら、あの男、故郷に帰してやりたい。イエナは毛皮に腕を通し、3本目に手にした帯を腰に巻いた。

扉を開けて集会所に出ると、クロンが小さい身振りでしきりに指を指す。その先、イシュリムの前に立つ男がこちらを見た。腰に剣を差した若者だった。

「あなた様は……」男の眉がゆっくりと開いた。
「ここが故郷でございましたか、よくぞご無事でご到着を」イエナは微笑みを返した。

「おぉ、やはりあなた様は、パンをお分けくださりしお方でございますね!」スベラと名乗っていた若い男はイエナをめがけて駆け寄ってきた。イエナが川辺でパンを分け与えた男だった。



「族長である父が剣を持てといいました。もしや……もしや、剣の力を必要とされたのはあなた様で」スベラの手がイエナの二の腕に触れる。
「はい、いかにも。私とクロンがイシュリム様に助けを求めました」
イエナが手を向けた方向を見た若者は、はっとしたように、クロンに頭を下げた。
「ありがとうございました」若者の心を込めた声が、深く静かに集会所に響く。

「私は陽の沈む方角のところに村を構える、族長のイエナと申します」
「わたくしは、スベラと申します。そうでしたか……わたくしは」口元を引き結び、スベラは悲しそうな顔をした。
「恥ずかしながらこのスベラは、迷いに迷うてここまでたどり着きました」
「道に迷うてございましたか」知らぬふりをしたイエナの視界の端で、クロンがうつむいたまま小さく頷いている。妻と幼い男児を残してきているクロンにもこの若者の気持ちが痛いほどにわかっているのだ。

「いえ、心に迷いが……剣を持てとは闘えということ、こののどかなる時に命の危険を冒す必要があるのか、夢見など信じなくてもよいのではないか……あぁ、はい、夢を見たのでございます」
「夢を見たのでございますか?」
「はい、もう一つの故郷へ向かえ、お前を待つ者がいると。父は剣が必要になるに違いないと、こうやってわたくしに持たせました。剣が必要とは、闘うことにほかならない。
わたしは正直嫌でございました。怖いのです。このまま引き返し父には何事もなかったと伝えればよいではないか、村に着いたとて、事情によっては断ってもよいのではないかと、さんざん心を迷わせながらここまでやって来ました」

「スベラ殿、妻子はおいでか」
「はい、まだ口もきけぬ幼子にございます。アーアーダーダーと口をとがらせます」スベラの瞳が潤んだように見えた。

「それならばなおさら、誰とて悩み迷うでしょう」
この若者、やはり故郷へ帰してやろう。巻き込んではならない。
イエナは、気弱そうな若者の目を見つめて心を決めた。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ


にほんブログ村

痛かったことも、辛かったことも、
悲しかったことも、悔しかったことも、
嘲(あざけ)り笑われ屈辱にまみれた日々も、
人は、忘れる事ができる。
忘れるからこそ生きてゆける。

それは、心を打ちのめす刺々しい臨場感と、耳を塞ぎたくなるような周波数を伴わなくなったと言い換えた方がいいのかもしれない。

実のところ、人は忘れることができない。けっして忘れることはできないけれど、痛みを感じなくなる通過点を必ず持っている。

人の顔も名前も電話番号もすべて忘れ去ってしまったら、そう、食事をしたことすら忘れてしまったら、それは違う病と診断されるかもしれない。
けれど、覚えていても痛みを感じなくなったとき、人は忘れると言う。覚えていてもあっさりと、忘れたと口にする日が来る。

それは神がくれた時の癒し。
忘れようとして別の何かに集中してもそれは一時的に過ぎない。違う何かに逃れても、それは追ってくる。
忘れることに〝フリ〟はできない。無理にチューニングを変えることはできない。



熱いものが喉元を過ぎるまで泣けばいい。忘れようなんて無理はしなくていい。涙枯れるまでジタバタすればいい。
ただし、自分を貶(おとし)めてはいけない。他人を責めてはいけない。ただ、べそべそと泣けばいい。

僕たちはそうやって生きてきた。
今がどんなに辛くたって、それがずっと続くわけなどない。

〝禍福はあざなえる縄のごとし〟
やがて柔らかな日差しが微笑みを浮かべて、君の肩を叩く。

君が忘れ続ける限り、未来はそこにある。


Mr.Children「GIFT」



ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ


にほんブログ村


─魔物─

「して、イシュリム様、魔物との闘い方は」
「まず、やつらは正対しなければ見えない。そうだな、たとえば、お前が横や斜めにいる魔物を見たとする」イシュリムは杖を剣代わりに演じてみせる。
「しかし、見えぬのだ。お前が身体ごとそやつに向かわない限り目には見えぬのだ」イシュリムが杖を構えたまま、素早く向きを変えた。
「それがどういう意味を持つか、わかるであろう?」
「四方に目を配っても、見えないのですね」
「そのとおりじゃ」イシュリムは大きく頷いた。

「さらに、意思を抜き取り、幻想を見せるより手強いのが、黒い塊だ。やつらはそれを放射する。大きさは、こぶし大だろう。
それは風より早い。まるで空を切り裂く稲妻のように飛んでくる」
イシュリムが、こぶのある杖の頭を自分の正面から左へと素早く動かし、それをかわす仕草を見せた。

「それに当たればどうなるのでしょうか」
「瞬時に命は失せる。人の身体は真っ赤な飛沫(しぶき)となって飛び散る」
「真っ赤な飛沫に……」
「そうだ。まるで全身が血であったかのように弾けて飛ぶのだ。ただ弱点がある」
「弱点でございますか」イエナは身を乗り出した。
「やつらはそれを立て続けには放射できない。かわした刹那斬り込む。かわしさえすれば勝ちだ。ただし、かわしたとき、あるいは放射された黒い塊を見切ろうとしたときに、後ろから横から違う魔物にやられればひとたまりもない。
多くの者がそれで命を落とした。やつらはためらうことなく相討ちをする。よってたかってやってくる外道じゃ」

「四方をすべて魔物に囲まれたなら、命はないのですね」
「それでも、半数は生き延びた。その厳しい局面を乗り切った者だけが、生き残ったのだ」



荒野の四方八方で、真っ赤な塊が砕けて飛んでいる。
「これはなんだ! なにが起こっている!」最前列で指揮をするイシュリムの叫びにも似た声に応じたのは、ネイトンだった。
「風!」ネイトンが大地を蹴って舞い上がり、しなやかに斬りつける。荒野に不似合いの真っ黒な飛沫(しぶき)が宙に散った。

「イシュリム殿、これは人ではない!」
「そこにいるのか!」
「すでに、すぐそばに来ている。あちこちで砕け散る赤い塊は、我らが同志の命絶えた姿!」

「全員剣を抜け! 見えぬ敵に指揮など役に立たぬ! よって我は部族長の立場を降りる! おのおの闘う部族の誇りを背負い全力を尽くせ! 後ろの村では子を抱いた女たちが震えておるぞ! 命をかけて守りきるのだ!」

うおー! およそ100人の男たちが発した声は地を揺るがした。
剣を抜いたイシュリムは走った。

イシュリムの正面に一瞬黒い姿が見えた。その刹那、黒い塊が飛んでくる。右にかわしたイシュリムは、走り、飛びかかり、一刀のもとに斬り捨てた。真っ黒な飛沫が荒野に散った。

走り寄るネイトンと背中合わせになった。
「見えない敵か、ネイトン!」
「ゆえに風」ネイトンはいつも冷静で騒ぐことがない。
「イシュリム殿、さきほど真っ黒な塊が見えた。どうやら正面に来れば見えるようだ」
「俺も斬り捨てたが、確かに黒い姿が見えた。あれが正体か」イシュリムは油断なく辺りを見渡す。
「イシュリム殿、ここは我が部族と荒野の民の正念場。これを倒しうるのは我らのみ」ネイトンの呼吸で背中が揺れる。

「イリュリム殿、お互い命あらば、再び手を携え合おう」
「死ぬなよネイトン」
「イシュリム殿こそ」ネイトンの背中が離れた。

「シャァー!」荒野にネイトンの声が響き渡る。飛び上がったネイトンが一太刀で斬り捨てたものは、黒い飛沫となって荒野に散った。

「魑魅魍魎(ちみもうりょう)どもがー!」イシュリムも剣を片手に走った。日差しは眩く、空は青く、風は唸り声を上げた。乾いた大地を蹴り、大上段に振りかぶった剣で敵に斬りかかった。



「奴らは意思を抜き取ると、すでに言ったな」
「はい」
「イエナ、意思とはなんじゃ」
「意思……思い、ですか」
「そうだ。では、思いとはなんじゃ」
「思いとは……願い、望み……」
「それだけか」イシュリムはのぞき込むようにして首をかしげる。

「恨み、執念、逆に相手を思う心もそうでしょうか」
「それを抜き取られたらどうなる」
「空っぽなるでしょうか。おそらくは生ける屍」
「しかし、意思より強いものがある」イシュリムは地面に杖を突き立てた。
「それはなんでしょう」

「決意だ。強い思いだ。志だ。大国の大群の兵士を我らが二日で始末したとすれば、やつらは一日、いや、半日でやってのけるじゃろう。
それでもなお勝ったのは、己を棄ててでも、なんとしても助けを求める民を救うという強い思い。
勝とう、相手を陥れようとする者と、他者を救わんとする者はおのずと思いの強さと志が違う。我らの剣にかなう者がなかったのはそれに尽きるのだ。だからこそ、我らは無敵を誇った」
イシュリムが指さした剣に目をやると、イエナの手の中で、すでに銀色に戻っていた。

「さ、イエナ、奥に行って衣と帯と履き物を見繕え。ネイトンの帯もあるが、もう使い物にはならん」イシュリムはイエナの背を押した。
「さ、こちらです」イエナは先ほど剣を持ってきた男に案内されて奥に入った。

「ネイトンの帯はどれでございましょう」
「これにございます。もう使うには耐えませんが、新しいものは揃っております。ネイトン様はウサギがライオンの牙を生やしたようなお方であったと聞いております。心お優しけれども、正義に燃えてひとたび剣を抜けば、誰も近寄れなかったと」
イエナはそれを手に取った。確かに、我が祖先ネイトンはここにしっかりと生きていたのだ。

「イシュリム様に繋がるお方は、族長様はおいででしょうか」集会所の方で声がした。
「来客のようですね」イエナは男の方を見た。
「イシュリム様に繋がるお方とは……もしや我が部族の血筋の者かも知れません。さ、ここにあるものは、どれを使われても構いません。ご用意がおすみならおいでください。私は先に集会所に戻ります」
男は微笑んだ後、私も剣を使えますゆえ、その時は力を合わせましょう、と頭を下げて出て行った。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ


にほんブログ村


─イリュリムの覚悟─

「どうじゃ、石を切った感触は」
「剣が石に触れてもいないのに、手のひらと腕に衝撃が来ました」イエナは右手を開き、腕を曲げ伸ばした。
「うむ、魔物を斬ればもっと強い衝撃を受けるぞ。だが、やがて腕が慣れる」

「ところでイシュリム様、あと24本打つとなると、急いでも72昼夜もかかります。我が村の男たちが骨となって荒野に晒されております。なにか、先に打てる手はないのでしょうか」
「それはない。あれば打っておる」イシュリムは苦しげな顔をして首を振った。

「イエナ、お前がそうであったように、わしらの部族の子孫はあちこちに散っておる。それらが集まれば力になるであろう。しかし、村々をすべて回って剣を使える子孫を捜したとて、途方もない時が必要じゃろう。そして、その剣の数はせいぜい10数本……」記憶を辿るようにイシュリムは目を閉じた。
「忘れてしもうたが、20本に満たない。さらに、その中に何人の使い手がいるかなどわからぬ」

即座に10本集まったとしても16本、そしてそれは到底望めない。これでは闘えないではないか。

「イシュリム様、もっと少人数で闘うことはかないませんか」
イエナの言葉で、イリュリムの顔色が瞬時に変わった。ゆっくりとイエナの方へ顔を向ける。荒々しい呼吸が鼻から漏れている。肩を怒らせて一歩二歩と近づいてくる。

「たわけ者!」イシュリムの怒声が集会所に響いた。
「イエナ、お前は自分がなにを言っているのかわかっているのか!」イエナを指さす手が、怒りで震えている。

「わしらが全滅すればどうなる! 誰が闘う! いったい誰が魔物と闘うのだ! 荒野の民は死に絶えるぞ! お前の村の話ではすまぬ!」
イシュリムの狼のような瞳に睨みつけられて、イエナは声が出せなかった。
そうだ。自分は村のことばかりを考えていた。イエナはそれに気づいた。しかし……。

イシュリムが近づいてきて右手を挙げた。イエナは殴られる覚悟で身を固くした。しかしその手はイエナの肩をつかんだ。

「いよいよとなれば少人数で挑むしかなかろう。しかし、それは無謀な闘いであることは間違いない」
「イシュリム様、心が狭くなっておりました」
「謝らずともよい。お前の気持ちは痛いほどわかる。村に妻子もおるのであろう?」
「はい」イエナは小さく頷いた。

「いかに無敵の剣とはいえ、日々の剣の鍛錬をやめてしまった子孫たちに、かつての勇者の技量はとうてい望めまい」イシュリムは唸った。
「20人だ。それが揃ったら闘いを始める」
20人として、後14本。42昼夜。



「いよいよのときは、このわしも微力ながら剣を振るおう」イシュリムが口元に笑みを浮かべた。
「イシュリム様が?」
「わしとて闘う部族の男であることを忘れるな。昔も今も変わらず、その長だということも。そして、魔物と闘った最後の生き残りだということもだ」

「イシュリム様、わたくしが無理を言いました……」
「人が魔物と闘おうとすること自体がそもそも無理なことなのだ。我らであればこそ、その無理を可能にするのだ。
イエナ、そんな顔をするでない。その顔はますますネイトンを思わせる。人はなぜに闘うのであろうかと、悲しい顔をしたネイトンにな」
イシュリムは懐かしむように微笑んだ。


ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ


にほんブログ村