風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -118ページ目

─ネイトンの剣2─

「みなの者よ、鎮まれ!」イシュリムの一声で、瞬時に静寂が訪れた。男たちは固唾を呑んで次の言葉を待っている。

「お前たちの想像通りじゃ」
集会所は再び騒然とする。

やっぱりだ……。
闘いだ……。
俺は使えん……。
わしもじゃ……。
いや、俺は使えるぞ。

「剣を使える者は手を挙げよ」
男たちの中からぽつぽつと手が上がる。その数5人。その数の少なさに、イエナは呆然とした。
無理もない……イシュリムが呟いた。

「最低は幾人ぐらい必要でしょうか」両手を杖の上に乗せ、仁王立ちするイリュリムに尋ねた。
「イエナよ、昔闘った数が100人だったということは言ったな。数はもちろん多ければ多いに越したことはないが、最低限必要な数がいかほどかは、わしにもわからぬ。がしかし、我が部族の成人男子は、今50人ほどしかおらん。
50人……イエナは口をすぼめてため息をついた。

「奴らは後から後から湧いて出る。心の隙を突かれたら闇に飲まれるゆえ、我らとて長くは闘えん。そうだな……」
イシュリムは、考え込むように言葉を切った。

「30人揃ったら闘いを始める。日中の間交代で闘うこととしよう。夜の闇が力の源だから奴らは動かぬ。夜は力を貯えるからの」
「夜は大丈夫なのですね」
「いや、かならずしもそうとは言えんが、奴らが夜動いたことはない。一度闘いを始めればどちらかが死に絶えるまで闘わねばならん。攻撃を途中でやめるということは、すなわち荒野の民の全滅を意味する」イシュリムの目は、鋭くも悲しげだ。

「闘いでは鎧をまとうのでしょうか? 戦(いくさ)を好む大国では鎧を着るようですが」
「我が部族に鎧など必要ではない。ましてや鎧など魔物の前には裸も同然じゃ」

「イシュリム様、合うとは、使えるとはどういう意味でございますか」クロンが口を開く。その声に頷いてイシュリムがネイトンの剣を抜いた。
「イエナよ、この剣を持ってみよ」
その剣は奇妙な形をしていた。剣と言えば真っ直ぐな諸刃で、切っ先は敵を貫き通すように鋭角にとがっているもの、しかし手にした剣の身はゆるやかに反り返り、その曲線は美しく思ったほど重くはない。
「打撃も、突き刺すことも必要のない剣じゃ。究極は刃さえも必要ない」

「シャーマン・シャメーナ様が、黄金色に光る剣だと仰っていましたが」手にした剣は顔を映すほどに研ぎ澄まされ、銀色に光り輝いている。
「そうじゃ。その者の精神に合致した時初めて、その剣は黄金色に光り輝く。そして触れることなく敵を斬り倒す。ゆえに刃は相手を斬りつけるのではなく、己の気を鋭く放射するために付いている」
「剣が、精神に合致するのですか」イエナは手にした剣を見つめた。光り輝く剣の中に、自分の右目が映っている。

「人はそれぞれ、うねりを持っておる。川の淀みと急流のようなものだ。空と大地、昼と夜、笑いと怒り、そのうねりを行き来するのが人じゃ。
大地と風と空と太陽、それらと調和したとき、美しいうねりとなる。逆に不調和になるとビリビリと尖り、悪(あ)しくなる。
うねりは時として強くなり、やがて弱くなる。それをくり返すのが人。剣にはその両方を練り込む。良いうねりを大部分、そして、悪いうねりを少々じゃ」
「なぜに双方を練り込むのですか」
「どちらも、その人間だからだ。さ、構えてみよ」
イエナは両手で剣を構えた。

「心を穏やかにして何も考えるな。無心だ。風の音を聞け、その中に潜む聞こえぬ音を聞け。人とラクダ、獣と鳥、空飛ぶ虫と地を這う虫では聞き分ける音が違う。野生の耳を研ぎ澄ますのじゃ」
イエナは精神を集中して集会所の外に吹く風の音を聞いた。葉擦れの音、遠くで聞こえる小鳥のさえずり、川の流れの音、子らの声。

「さあ、草木の匂いを嗅げ、川の匂いを、石の匂いを、大地の匂いを嗅げ、わしらは生かされておる、その偉大なる力の息吹を全身で感じろ」
イエナは鼻に意識を集中させた。石の匂い、大地の匂い、水の匂い。



「己を考えるな、ちっぽけな己など捨て去れ、何も悩むな、恐れるな、心を解き放て。天より与えられし剣だけを信頼せよ」
しばらくそうしているうちに、剣の持ち手が熱を帯び始めてきた。

「持ち手が少し、熱を持ってまいりました」
「やはりお前はネイトンの血筋! よし、ぴたりと合うやも知れんぞ。次はお前の守るべき者たちを思い浮かべよ。己を棄てるのだ。利己を捨てて利他になりきれ」

剣の先が仄かに黄色みを帯びてきた。
「己が闘う姿を思い浮かべよ。剣の先から目に見えぬ力が放出されるのだ。さあイエナ、あの石に向かえ。あれは魔物じゃ」

イシュリムが指さす方へゆっくりと移動する。やがて剣全体が黄金色に輝き始めた。男たちが輪を描くように後ろへ引いていく。

「イエナよ振りかぶれ、何疑うことなくその石を切れ! 当てることなく切れ!」
イエナは言われるままに剣を袈裟に振り抜いた。男が数人がかりでも持てないであろう石の角が、ずずっと滑り砂地に落ちた。
おお、集まった男たちから歓声がわき起こった。

「これで6人は揃った。我が友ネイトンの再来じゃ」イシュリムが力強く頷いた。


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─ネイトンの剣─

「なぜここにその剣があるのでしょう。なぜネイトンは剣を置いていったのでしょうか」背を向けて歩き始めたイシュリムに並びかけて訊ねた。

「子孫に、己の剣とともに魔物の話を伝えた者が多数だろう。しかし、ネイトンは剣をここに置き、それを封印したのやもしれぬ」
「なぜ封印したのでしょうか」
「わしはネイトンではないから真意は分からぬ。ただ、ネイトンを始め、請われてこの部族を離れた者たちは、きわめて勇猛で精神力の強い男たちだった。その中で、ネイトンはきわめて希な男だった」
「きわめて希?」

「闘いを好まぬ男だったのだ。それはまあよい。イエナよ覚えておけ。魔物は幻覚を操る。それに騙されてはならぬ。攻撃をする者には漆黒の毒を吐く。その早さは風をもしのぐ。当たれば命はない。
吐かれた毒を見切る眼力と俊敏な動きは何より大事じゃ。そして、人の恐れが好物じゃ。人が恐れおののく心をむさぼり食う。食われたが最後己の力で動くことはかなわぬ。
惑わされぬ強い心、滅多なことでは恐れたり驚いたりしない胆力(たんりょく)、そして無心、その心が剣を生かすのじゃ。ネイトンはそれらすべてを持っておった」



木立を抜けた村の中央に、石で組まれた一角があった。
「集会所じゃ、やがて人も集まってこよう」

半円を描くように配置された、四角く切り出された石に、数人の男たちが腰掛けていた。全員が、先ほどのバロンという名の目つきの鋭い男と同じ格好をしている。こちらの姿を確認すると一斉に立ち上がった。

一同を見渡してから、イシュリムは口を開いた。
「ネイトンの剣をもってきてはくれぬか」
イシュリムに命じられたひとりの男が、集会所の奥に消えていった。やがて続々と男たちが集まってきた。

「みなさまは剣をお持ちではないのでしょうか」
「それぞれの長が先祖から受け継いだ剣を所持しておる。しかし使える者も中にはいるが僅かだ。先祖の物だからといってその者に合うとは限らないからだ。合わなければ何の変哲もない剣にすぎん。
時は過ぎ世も穏やかになったがゆえに、我が部族も闘いに無縁になったのじゃ。その昔は助けを求める声に応じて救援に向かった。荒野を抜け、異国の武装集団とも闘った。それは蹂躙された人々を救うため。
我らは、義のない闘いは一度たりともしてはこなかった。強さはもちろんであるが、それこそが誇りなのだ」

「イシュリム様、お持ちしました」男が両手で捧げるように剣を差し出した。
「これがネイトンの使っていた剣だ。お前に合うかもしれん」
その剣の鍔は透かし彫りの美しいものだった。美しき鍔のネイトンの由来はこれだったのか。

おお、30人ほどの男たちからどよめきが起こった。

美しき鍔のネイトン様に繋がるお人か?!
興奮を抑えきれぬ声がする。
魔物か!
そうだ、きっとそうに違いない!
魔物がまたやってきたに違いないぞ!
また闘いが起こるぞ!

男たちの声は渦となり、集会所を揺らし始めた。


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─10昼夜─

「しかし……」イシュリムは座ったまま、なおも川面をにらみつける。
「闘わねばならぬ。荒野の平和を乱すものは討たねばならぬ」肩に寄せた杖を握りしめる指がプルプルと震えている。
イリュリム様が、お怒りになっている。男が怯えたように呟いた。

「お前の村に出たのだな」イシュリムは険しい顔のままこちらを見た。
「村を襲ったわけではないのですが、狩りに出た男たちが戻らず、やがて骨となって見つかり始めたのです」
「ふむ、意思を抜き取られたのじゃな。そうとなれば急がねばならん!」立ち上がったイシュリムは杖をついて歩き始めた。イエナもクロンも案内の男も飛び退(すさ)るように道を空けた。

「バロン、人を集めよ! 剣も打たせねばならん!」イシュリムは振り向きもせず指示を出した。
「はっ!」案内をしてくれた男は踵(きびす)を返して走り去った。そのかかとの部分は一枚皮でくるまれていた。

「イシュリム様、これから剣を作るのでございますか」杖をつきながら進むイシュリムの後に従う。その足取りは老人とは思えぬほどに力強い。
「そうじゃ、普通の剣では太刀打ちできん。我らの振るう剣だけが奴らを斬り倒すのだ」
「して、剣はどれほどの日数で打ちあがるのでございましょう」
「10昼夜で一本がやっとじゃろう。魂を込めて打たねばならん。打てる者は継承者に限られる」

10昼夜とは……クロンが呟いた。10昼夜で一本とはなんと時間のかかることか。10人分で百日。
「できあがった剣はないのでございますか」イエナはイシュリムに追いつき肩口に声をかけた。
「そうか、お前が知らんのは無理もない。剣はその人間に合わせて打つ。違う者の剣を振るったとて、それはどこにでもあるただの剣じゃ」

シャメーナは確かに言った。闘える者はわずかであろうと。しかし、剣を打つ段階から始めなければならないとは……にわかに怪しくなってきた雲行きに、イエナはめまいを覚えた。

「間に合うのでしょうか、イシュリム様」
「いや、待て……仕上げの研ぎも鍔も省き、剣打ちの息子が相槌を打てば、どうじゃろう、3昼夜ほどで可能かもしれぬな」
「研ぎを省いた剣でどうやって闘うのでしょう」
「我らが剣は刃で斬るのではない。相手に触れずに斬る。だからこそ、魔物と闘えるのじゃ。よし、それで行こう。むごい話だが、生き残った者の剣だけを後から仕上げればよいのじゃ」

30昼夜で10人分、かつての闘いは100人。他に手立てはない。

「ところでイシュリム様、美しき鍔のネイトンという方をご存じでしょうか」
「なに!」立ち止まったイリュリムが振り向いた。
「お前、今なんと言った!」
「美しき鍔のネイトンと。それはいったい誰でございましょう」
「お前はそれを誰に聞いた!」こちらに向き直ったイシュリムの顔は険しい。
「シャメーナ様に聞きました。それを覚えておけと」

イシュリムが一歩近づいた。猛々しい眉。狼を思わせる琥珀色の瞳。光さえ放ちそうな鋭い眼光にイエナは気圧された。
「お気を悪くされましたか」



「お前……」
「はい」イエナは後ずさった。
「もしや」
鼻息がかかるほどの近さにイシュリムが寄ってくる。イエナはさらに後ずさった。その背をクロンが支えた。
「ネイトンの血筋ではないのか」
「ネイトンとは誰でございましょう」
「我が部族の勇者」
「この部族の? いえ、私はイシュリム様の部族とは何の関係もない人間にございます」
「ネイトンは剣の腕ばかりでなく、人望も厚かったゆえ、請われて他の部族に入っていった。その村の族長の娘をめとったと聞いた」

そうじゃ。持ち上げた杖を地面に突き立てるようにして、イシュリムは初めて微笑んだ。
「ネイトンの剣がある」先ほどまでの鋭い顔つきとは打って変わって、慈愛に満ちたような顔だった。
「ここに、ですか」
「そうじゃ。お前に合うやも知れん」
「どうしてそう決めつけるのでしょうか、イシュリム様」

「お前の面構えが」イシュリムはイエナの鼻先を指さした。
「ネイトンに似ておるからじゃ」
「わたしが、そのネイトンに似ているのですか」
「あの男も、闘う部族にしてはやさしげな顔をしておった」懐かしむような目をしてイシュリムは空を見上げた。

「勇者ネイトンとは、かつてのわしの片腕じゃ。剣の腕はわしを凌いだ」


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─イシュリム─

右手の大地に落ちる影が徐々に短くなる頃、川が緩く右に曲がり始めた。
「あれでございましょうな」クロンが指さす先に、木々が茂り、小さな森のように見える一角が見えた。
「おそらくはそうであろうな」
「すんなりと会ってくださるのでしょうか」
「事の成り行きを話せば会えるだろう」イエナは口を引き結び、ひとつ頷いた。

シャーマン・シャメーナの言葉どおり、胸の高さほどに積み上げられた石垣に囲まれて、その村はあった。イエナとクロンはラクダを降りて入り口へと進んだ。

「我ら陽の沈みし方より参りし者、イシュリム様にお目通り願いたい!」
クロンの呼びかけに、木陰からひとりの男が出てきた。頬からあご、口の周りに髭を蓄え、その目つきは射るように鋭かった。

着ている衣が際だって他の部族とは異なっていた。亜麻の衣は膝丈までしかなく、その衣の上に腰まである獣の毛皮を袈裟に着て、腰に幅の広い皮の帯を巻いている。
足元には編み上げられ足首でしっかりと結ばれた革の履き物。如何にも闘う部族を思わせる姿だった。

「なに用でございましょうか」
「シャーマン・シャメーナ様に聞き及び、イシュリム様のお力をお借りしたく参りました」イエナは真っ直ぐに男を見た。
「シャメーナ様とは、かの高名なシャーマンのことですか」
「はい」
そして、イシュリム様の力を……そう呟いたまましばらくこちらを見つめていた男は、やがてひとつふたつ頷いた。
「イシュリム様は気が向かなければ誰ともお会いにならない方ですが、私の取り次ぎなら可能かもしれません。しかし……」男は地面を見つめしばし逡巡した。

「イシュリム様でなければ解決できない大事なことなのです」
しばしイエナを見つめた男は、やがて口を引き結んだ。
「わかりました」決断を下したように大きく頷いた。
「こちらです。ただし、少々気むずかしい方なので、訊かれたことだけに答えてください」

男の後ろについて木立の中に足を踏み入れた。右手に広がるテントの群れが見える。70張りほどのテントを有するイエナの村よりも小さいようだ。はたしてこれで闘えるのだろうか。

木立を抜けると、川辺に立つ木の根方に白い塊が見える。近づくにつれ、それが座り込み居眠りをしている老人だとわかる。

長い髪も髭も真っ白で、彼の衣は男と違って白く長く、腰に細い帯を巻いている。肩に抱いた長い杖はコブが雲のように渦を巻き、艶々(つやつや)としていた。

「イシュリム様、旅の方たちがご訪問されましたが」男の声にイシュリムは身じろぎもしない。
「お眠りでしょうか」イエナは案内をしてくれた男に小声で尋ねた。
「瞑想に入っておられます。声は届いていますゆえまもなく戻りましょう」
ときおり風が木々の葉を揺らす音と、静かに清流が流れ下る音だけが辺りを包んでいた。

男はそれ以上声をかけるでもなく、ただじっと佇んでいた。遠くから小鳥のさえずりと子らのふざけあう声が聞こえてくる。

「わしにか?」イシュリムがゆっくりと頭をもたげた。
「はい、イシュリム様、私はイエナと申す者でございます」
「わしはお前に尋ねてはおらん。ましてや名など訊いてもおらん」
「失礼をいたしました」

「ところで、そのイエナという者がわしになに用じゃ」イシュリムはこちらを見るでもなく長い髭を撫でた。
「イシュリム様でなければ解決できない大事なことだと仰っているのです」男が取り次ぐ。
「わしはシャーマンでもなければ神でもない」
「高名なるシャーマン・シャメーナがイリュリム様の名を教えたと」
「シャーマン・シャメーナが? 意味がわからぬ」イシュリムは川面を見つめたままだ。

「かつて魔物と闘って勝利したと聞き及びました」
「何?!」
イシュリムは雷にでも打たれたようにイエナを見た。
「イエナとやら、今魔物と言ったか?」
「はい、魔物でございます」
ゆっくりとしわを寄せていく眉間に引っ張られるように、白い眉が猛々しいほどにつり上がる。
「それを誰に聞いた」
「シャーマン・シャメーナ様に」
「出たのか? あいつらが性懲りもなくまた出たというのか?」険しい顔のままイシュリムは川面に視線を戻し、にらみつけた。
「はい、それでこちらへ参った次第です」

「信じられぬ」イシュリムは呟く。斬り捨てた。すべてを斬ったはずだ。
一陣の風が吹き、イシュリムの白髪を乱して過ぎた。どれほど時間が過ぎただろう。イエナはただ、イシュリムの次の言葉を待った。横に立つ案内の男も静かに立っている。

「で、お前は何者じゃ」
「あ、はい」突然の問いかけにイエナは面食らった。
「わたくしは、ある村の族長をしております、イエナと申す者でございます」
「名は聞いた」
「イシュリム様、闘うことはできますでしょうか」

イシュリムの返事はなかった。険しい顔のまま、ただ黙って川面を見つめていた。緊張感漂う静かな時間だけがさらに過ぎていった。



イシュリムが天を見上げた。
「イエナとやら、無念だがすぐには闘えん。あの時の惨状をお前は知らぬであろう」
「はい、知りませぬ」
「闘いに挑んだ男ども100人のうち、半数が命を落とした」
「半数が、ですか?」
「伝説に残るほど鮮やかな勝利ではなかったということだ」イシュリムは苦いものでも飲み下したような顔をした。


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─イシュリムの村へ向けて─

乾いた風が川向こうから吹き渡ってくる。日差しは強かったが、それでずいぶん暑さはしのげた。
「川に沿って下ればよいのですから楽でございますね」クロンの言葉にイエナは頷いた。

村の近くには、人が頻繁に行き来する道筋ができているのだが、遠い場所へ向けて目印のない荒野を進む旅には、道に迷う不安がつきものだった。たとえ道を見つけても、それが目的地へ向かっているとは限らないからだ。
イシュリムの村は、川を辿れば付く場所とあって、イエナは躊躇なくラクダを進めた。

一昼夜ほど進むと、川の畔(ほとり)にラクダが一頭座っていた。そちらへ進むと、顔でも洗っているのだろうか、川にかがみ込む、ひとりの男の後ろ姿が見えた。
「このような場所にひとりでいるとは珍しい。旅の途中でしょうか」クロンがラクダから身を乗り出した。イエナも気になり川辺にラクダを歩ませた。

やがて、こちらの気配に気づいた男がよろよろと立ち上がり両手を上げた。道に迷った旅人だろうか。



「どうされました」
「お恥ずかしい話ですが、何か食べるものをお持ちではないでしょうか。わたくし道に迷ってしまい、かれこれ4昼夜何も食べていないのです。少しでもよいので、お分けいただければありがたいのですが」息も絶え絶えの様子で男が懇願する。

「それは大変でしたね」
ラクダから降りたイエナは、ひと揃いの袋を外して男に差し出した。
「さ、これをお食べなさい。我らもあと2昼夜ほど進まねばならぬゆえ、これでよいでしょうか」
「本当ですか、お分けいただけるのですか」男の両手は胸の辺りでプルプルと震えていた。
「ええどうぞ、困った時は助け合わねばなりません。それが荒野で生きる民の掟ですから」
「ありがとうございます。ありがとうございます」

男は袋を受けとると、両膝を付いてパンを取り出しむさぼり食った。それを見ていたクロンが、あの粥と草を食べさせてあげとうございましたな、と呟いた。

「ところで、貴殿はどちらへ向かっておられるのですか」イエナも腰を落とした。
「ご先祖様の故郷へ向かっております」パンを頬張ったまま男が答える。どこか気弱で善良そうなその顔は、イエナよりずいぶんと若く見えた。

「お気をつけて里を目指してください。パンは少し残しておいたほうがよいでしょう」イエナが立ち上がると男も腰を上げ、このご恩生涯忘れませんと、幾度も頭を下げた。
ラクダにまたがったイエナは、微笑んで頭を下げた。

「しかしイエナ様、歳をもしれぬほど長生きしている老人というのは本当なのでしょうか」
「シャメーナ様がそう言うのだから嘘ではなかろうが、にわかには信じがたい話ではあるな」
「頑迷な方でしょうか。ほら、誰しも歳をとれば頑固になりますゆえ」
「闘う部族の長となれば、気安い方ではなかろうな。しかし、荒野の民を救ったお方ゆえ、ものの道理の分からぬ人ではないだろう。さて、少しラクダを走らせよう」


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─シャーマン・シャメーナ─

村は想像以上の規模で、穀物の畑、果実のたわわに実る一角、家畜の小屋があり、鶏や家鴨がのどかに歩いていた。
村の中央辺り、木々を抜けた広場にシャーマン・シャメーナは立っていた。

「イエナよ、遠きところをご苦労なことであった」
「お目にかかれて光栄です」イエナは右手を胸に当てて深く頭を下げた。
「かつてこの荒野に、魔物がやって来たという伝説は知っているであろう」
慈悲深げな瞳に穏やかな声、話を切り出す前からこの若きシャーマンはすべてを見通していたようだ。

「はい。我が村の近辺で起こる惨(むご)たらしいありさまも、もしやそれではないかと」
「大元はおなじであるが、魔物は定まった姿形を持たない。彼らは変わりゆくもの。それも醜く」
「醜く変わりゆくもの、ですか」
「どう変化してゆくかは、彼らとて知らぬであろう。闇から出て闇に向かう存在。そのどこにも光はない」

「我が部族のシャーマン・ウロトナに言葉を授けてもらいましたが、闘うことは叶わぬと仰せなのです」
「ウロトナ殿の名は聞き及んでおりました」シャメーナは優雅に衣を揺らした。
「しかし、老いのせいか、授かる言葉に以前ほどの力強さと的確さがないのです。ゆえにこうしてあなた様をお訪ねしたのです」

「イエナよ、授かる言葉と齢(よわい)には、なんの繋がりもない。よってそれは老いのせいではなく、慢心、あるいは保身がもたらすもの。ウロトナが降ろすのは我と同じピシュヌ神と聞く」

「シャメーナ様もピシュヌ神を降ろされるのですか」

「ピシュヌは神々の父、神の中の神。これを降ろせる者が真のシャーマンである。ウロトナもまた真のシャーマンであったはずだ。しかし、ピシュヌの授けし言葉を己の都合で曲げて伝えているうちに、ピシュナは降りてこなくなる。
降りてくるのは偽物か、あるいはピシュヌが招く神々の座のはるか下座に座る神。
さあ、立っているのも疲れよう。そこの切り株に腰掛けなさい」

そこには確かにシャメーナの前面を取り囲むように切り株が並んでいた。皆そこに腰掛けてこのシャーマンの話を聞くのに違いない。イエナとクロンは腰を下ろし、シャメーナを見上げた。
風が吹き、イエナの頬をなでた。木々の上から小鳥のさえずりが聞こえる。



「伝説の話に戻そう」香木を燃やすでもなく、祈りを捧げるでもなく、シャメーナは話を進めるようだ。それも、自分は立ったまま。
「奇妙であるか?」
「いえ」
「わたしは特別なことはなにもしない。儀式などせずとも、ビシュヌ神は常に、我とともにある。それでよいか?」
「はい」

「その魔物たちは荒野の部族を襲った。魔物どもがどのような意図を持ってそうしたかはわからぬ。そもそも意図など持たぬのかもしれぬ。その魔物どもに闘いを挑んだ荒野の男たちがいる」

「やはり、あの町の祭りがそうなのですね。彼らは勝ったのですね。あれは作り話ではなく事実だったのですね」
「そうだ。この荒野ではラクダが主たる移動の手段だが、彼らは馬を駆る。それにまたがり各地を回り、黄金色に輝く剣で疾風のごとくに魔物を斬り倒していった」

「その子孫たちに会えば闘うことができましょうか」
「彼らは闘い方を知っている。魔物を倒しうる存在は、彼らをおいてほかにない」
シャメーナは言葉柔らかに明言をくだした。会って早々に、このシャーマンは策をくれたのだ。イエナとクロンは頷きあった。

「どこに行けば会えましょうか」
「川を3昼夜ほど下ったところにある小さな村に、その男たちの子孫はいる。会いに行けばよいであろう」
「誰を訪ねればよいでしょうか」
「イシュリムという名の、歳をも知れぬほど長寿の老人がいる。その者が族長であり、当時部族を率いて闘った者だ」
「当時闘った族長がまだ生きているのですか」イエナの問いにシャメーナは深く何度も頷いた。イエナとクロンは顔を見合わせた。とても信じられる話ではない。

「戦いの神ウレナスに愛されし者」
「そのお方は不死なのでしょうか」
「ウレナス神とどういう取り決めをしたのかは知らぬが、並の人間ではない」
「シャメーナ様のお名前を出せば会えるでしょうか」
「出さずとも状況を話せば会えるだろう。村が気がかりであろうが、その足でイシュリムを訪ねるがよい。ただし、長閑な時代が長く続いた。その村へ行っても闘える者はわずかであろう」
「シャメーナ様、感謝いたします」

「美しき鍔のネイトン」
「うつくしきつばの……ネイトン」
「その名を覚えておくがよい」

先ほど迎えてくれた男が紐にくくりつけた水とパンを持ってきてくれた。
「さ、これをお持ちください」それをラクダの首に掛けた。
「わたくしは事情を知りません。しかし、はるばるシャメーナ様をお頼りになったということは、よほどのことと思います。すべてが善き方へ運びますように、わたくしもお祈りいたします」
「感謝の言葉もございません」

見送る村人の中に、男の妻の姿を見つけた。
「わたくしは、あれほど美味しいごちそうを初めていただきました」イエナが頭を下げると、その妻も笑って頭を下げた。

村の人々が大勢で見送る中、イエナとクロンはラクダにまたがった。ウオゥ! クロンが両手を挙げると、また子らがキャと驚いて父母の後ろに隠れた。
「このご恩は忘れませぬ」イエナは村人たちに頭を下げ、ラクダをイシュリムの村へ向けた。

「我が村は無事にございましょうか」
「クロン、気がかりであるが進むよりほかない。我らがこのまま戻ったとて策はない」



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─シャーマンの村─

「イエナ様、あれがそうでありましょう」クロンの指さす先に、木々に囲まれた集落が見えてきた。陽が真上にかかる頃であった。
「クロン、これは水の匂いであろうな」
「あの村の中に泉が湧いているか、川でも流れているのでありましょう、やっと水が飲めまするな」
進むにつれ、青葉の香りと水の匂いが濃厚になってくる。

イエナとクロンは村の入り口に立ち辺りを見渡した。水量が豊富と見えて、木々がよく茂った場所だった。
「我ら、陽の沈みし方より参りし者、どなたかおられますか」
村の入り口でクロンが呼びかける。水も食糧も尽きた苦しい道のりに、彼の頬はそげ目は落ちくぼんでいた。
辺りはシンと静まりかえり、風になぶられる葉擦れの音だけが聞こえてくる。そこはまるで無人の村であるかのように見えた。

「誰もおらぬのでしょうか」
「いや、煙が立っておるゆえ食事時やもしれぬな」
「我ら、陽の沈みし方より参りし者……」息が続かぬ様子のクロンは、肩を揺らしてふぅと息を吐いた。

やがてひとりの男が衣をなびかせ駆け寄ってきた。
「お待たせをして申しわけありません」

「我ら偉大なるシュムラン様の跡継ぎ様にお目通りしたく参じました」クロンが呼びかけ、イエナは胸に手を当て頭を下げた。
「陽の沈む方角から来られたとは、もしやイエナ様とクロン様でしょうか」目の前で腰を低くした男がクロンを見た。
「いかにも、この方がイエナ様でありますが……」クロンが訝(いぶか)しげな声で答えた。そう、名など名乗ってはいないのだ。

「ようこそおいで下さいました。シャメーナ様に丁重にお迎えするよう申しつけられております。さ、こちらへ。今は食事時で静かにございます」
男の案内で村の中を進んだ。

「シャメーナ様とはシュムラン様の跡継ぎのシャーマンでしょうか」
「さようです」
「ところで、なぜ私の名をご存じなのでしょう。シャメーナ様が貴殿に言い置いたのはいつのことでしょうか」前を歩く男にさらに問いかけた。
「はい、昼夜が6つばかり前のことでございます」
シャメーナは二人が出立したばかりの頃にすでに見通していたのか、だとするなら偉大なるシャーマン・シュムランの跡継ぎであるというのはまことなのだろう。



「お湯は沸いておりますので今お持ちします。その川で旅の疲れをお流し下さい。その間に粥でも炊かせましょう」
男の指さす先には、幅3間ほどのとうとうと流れる川が見えた。イエナとクロンは、そこで浴びるほど水を飲んだ。
「生きかえりますな」
「あのラクダの親子もこのような心持ちであったろう」
「はい、良きことをしました。イエナ様をお止めした自分を恥ずかしく思います」

衣を脱ぎ、男の用意してくれたお湯を使いながら川の水で身体を洗った。食事を終えたのか、興味深げにこちらをのぞき込む子らがいた。
クロンがウオゥと立ち上がると子供たちはビクリと肩をすぼめそのまま固まってしまった。その目はまん丸だった。クロンが一歩踏み出すと、一目散に走り去った。
「子供を驚ろかすではない。しかも裸で」イエナの声にクロンは、よいではないですか、と笑った。

男の家で食事を振る舞われた。鶏の肉を焼いたものと米と豆の粥(かゆ)、イナゴの塩茹でなどが並んだ。またもや子らが興味深げにこちらをのぞき込む。他の部族を見るのが初めてなのかも知れなかった。

「どれほどいただけるのでしょうか」クロンが空になりそうな器を持って遠慮がちに声をかけた。
「いくらでも召し上がって下さい。穀物は豊富に取れますゆえ遠慮はいりません」クロンは残った粥を、ずずっと音を立ててかき込んだ。

「これはなんでございましょう。ずいぶんと美味なるものでございますね」イエナは口にした草のあまりのおいしさに驚いた。
「それは、わたくしたちが育てているのです。それに岩塩をまぶして1昼夜ほどおいたものです」
クロンはものも言わずに食べ続けた。その旺盛な食欲に男の妻もたいそう喜んだ。



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─ラクダの親子─

3昼夜ほど進んだところで、1頭のラクダを引いた家族と行き会った。長く黒い上衣を風になびかせる長身の父親と小柄な母親、ラクダにまたがる男の子だった。

「旅のお方、水はお持ちではないでしょうか」精悍な顔立ちをした父親の唇は渇きひび割れ、ゆっくりと頭を下げる母親も、今にも頽(くずお)れそうだった。
「我ら家族、もう3日も水を飲んでおりません。せめてこの子だけにでも、少しお分けいただくわけにはまいりませんでしょうか」
父親は、ラクダに乗る男の子を指さす。

「それはお困りでしょう。よいところで出会いました。水を飲んでいないということは、食糧も尽きたのでございましょう? さ、どうぞこれもお持ちなさい」
イエナは水筒を1個とパンを2個、野生の獣の干し肉を一切れ取り出し家族に差し出した。
「パンや干し肉までいただけるのですか?」
「水だけでは歩けますまい」

ラクダから下ろしてもらった男の子は水筒に食らいつき喉を鳴らして飲み続けた。微笑んだイエナは水筒をもう一つ取り出した。
「さ、おふたりもお飲みなさい。あなた方が倒れてしまえば、この子とて生きてはゆけぬでしょう」
「いえ、そんなにいただくわけには」
「よいのです。持つ者が持たない者に分けるのは当然のことでございます」
「お礼の言葉もありません」父親と母親が深く頭を下げた。

イエナ様、危険でございます。クロンがささやく。我らも旅の途中、この先湧き水も川も期待できません。
「クロンよ、よい。我らが困れば、きっと誰かが手を伸べてくれよう。そこで命が尽きたならばそれが天より与えられし寿命というものと受け止めることだ。
明日の我が身を考えて、今この親子を見殺しにしたら一生の恥となる。それは生きていけばいくほど罪科(つみとが)となりこの身を蝕むであろう」

イエナの声にしばし黙り込み、やがて深く頷いたクロンも水筒とパンを親子に差し出した。
「さ、これもお持ち下さい。我らの目指すところはすぐそばにございますゆえ」
「このご恩、生涯忘れません」父と母が腰を折り、一息ついた男の子は力尽きたようにぺたりと座り込んだ。

「美味しかったか? ここで出会えてよかったな」イエナは微笑んだ。男の子はこっくりと頷いて微笑みを返した。齢(よわい)は10もいかぬであろう、秀でた額にくりくりとした眼(まなこ)のかわいらしい男の子だった。



〝目印とてない荒野を、僅かな水と少しのパンでしのぎ、族長イエナと彼のよき友クロンは6昼夜で進みました。クロンは、いっそ水で溺れて死んでしまいとうございますな、と苦しい笑みを浮かべたそうです。〟


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「クロンよ、どうする」
ウロトナの部屋を出たイエナは、彼が信頼する男に問いかけた。

「イエナ様、隣村の者に聞いたことがあるのですが」
「ああ、以前お前が言っていたあのシャーマンのことだな」
「はい。そのシャーマンは、陽の昇る方へ10昼夜ばかり行ったところの村にいるそうです」クロンはその方角を指さした。

「隣村の者は、そのシャーマンに会ったことがあるのか」
「いえ、伝聞のようです。けれど、どのようなことでも見抜いて、策を与えてくれるすぐれた方だそうです」

「なんでも見抜くか」イエナは腕を組んで天を見上げ、陽の昇る方角へ首をめぐらせた。なにごとも起こってはいないかのように、青い空がどこまでも続いている。

はたして10昼夜を行く価値があるだろうか。往復で20昼夜。その間、村の人々になにが起こるかわかったものではない。

しかし、ウロトナが策をくれなかった以上、このままでは手も足も出ないのは明白。
いや、このようなときに、クロンとふたりして村を空けてもよいものだろうか。
いやいや、ふたりがいたとてなにもできないからこそ、窮しているのではないか。

クロンを行かそうか。それとも己が行こうか。いや、策を授かった人間に万が一のことがあれば、すべては水泡に帰す。一人は危険だ。
はたして、行くだけの価値はあるのだろうか。考えは堂々巡りを繰り返す。

「イエナ様」クロンが決断を促すように呼びかけた。
「行かねば打つ手はありません」イエナはゆっくりと、空から視線を戻した。
「そうだな、そのシャーマンに賭けてみるよりほかないのだろう」
「はい、ことは急を要します。今日中に段取りをつけて、明日の早朝出立いたしましょう」

「さて、留守中はどうするかだな。族長を退いた父シビルでは心許ない」
シビルはイエナとシェリの幼い娘にかかりきりで、ふぬけたようになってしまった。
「ユインにまかせましょう。あいつは勇猛で頭も切れます。なにか重大な異変が起これば狼煙(のろし)を上げるように言いつけましょう。隣村の族長にもこのことを話し、気に掛けてもらいましょう」
「そうするか」

半日ほどの距離にある部族は頼りになる人たちだった。日常的に行き来のある村で婚姻も多く行われ、その族長の妻はイエナの姉であった。

「族長には私からもよろしくお願いしますと、使いの者に言い置いてくれ。それから狩りに行くには数人がまとまっていくように。離ればなれにならぬように達してくれ」


「すぐれたシャーマンがいるのですね」子を寝かしつけたシェリが弾んだ声を出した。テントの中央で燃える焚き火に照らされて、ほのかに赤みを帯びた顔が嬉しそうだった。
「会って策を授けてもらわねばなんとも言えぬが、これよりほかに手はない」
「心配なのですね」
「なぜわかる」
「憂い顔でございます」
「族長として村人のことはむろんだが、妻子の身を案じぬ男などいるものか」イエナは炎の中に小枝を入れた。

「初めてお会いした頃」シェリは薄く笑って言葉を切った。
「どうした」
「なにかが付いているなどと鼻を指差し、わたくしの面(おもて)を上げさせた頃のあなたは、もっと飄々(ひょうひょう)としていました。族長の荷は重いと思います。ましてやこのような事態にいたってはなおさら」イエナは黙って頷いた。
「お父様ならきっと後先も考えずに、良きことを聞いた! と喜び勇んで出かけるでしょう」
「そうかもしれぬ」イエナは小さく笑った。

「人の命は天より授かりしもの。己の都合でどうなるものでもないような気がします。生きるときは生き、死ぬときは死ぬでしょう。けれど、娘の命だけは、なにがあってもシェリが守ります。どうぞご無事でよき策を授かりますように」

〝翌日の早朝、族長イエナと彼の良き友クロンは陽の昇る方へ向けて旅立ちました。新たなるシャーマンを求めて。〟

「クロン、10昼夜ということは眠らなければ5昼夜で着くということだな」
「しかしイエナ様、少しは眠らなければいざというときに役に立たぬ恐れがあります。いかがでしょう、往復14昼夜を目指しましょうか」

「お前がそう言うなら、そうするか。しかし、ウロトナも老いたな。策も得られずあれしきの短いお告げで倒れてしまうとは」
「はい、若い頃は秀でたシャーマンだったと父に聞きましたが」

地平線から朝日が昇り、隣でラクダに揺られるクロンの浅黒い顔を照らした。歳はイエナより二つほど若いが、小柄ながらも筋骨たくましい体軀と実直な性格はイエナの頼りになった。




「ところで、その村のシャーマンはお若いのか」
「老いてはおらぬと聞いております」
「だとするなら、さぞや力がみなぎっておろうな」
「イエナ様、その父御は伝説のシャーマン、シュムラン様だそうです」
「おお、あのシュムラン様の血筋が残っておいでだったのか!」
「はい、シュムラン様が晩年にお作りになったお子だと。そして、そのお力はしっかり受け継いでいらっしゃるようです」

ならば出向いてみる価値は充分にある。イエナにはしっかりと希望が見えた。


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─シャーマン・ウロトナのお告げ─

大地を焦がした陽の光もいくぶん和らぎ、季節の変わり目を教えていた。父を失った子らもしばし悲しみを忘れ、仲間らと走り回る声がこだまする、村の昼下がりだった。

石組みの仄暗い部屋の中、チロチロと赤い火が燃えていた。その炎の中に、ウロトナは小さく刻んだ香木をひとつまみずつ蒔(ま)いてゆく。炎の勢いが増すにつれ、部屋中に伽羅(きゃら)の甘い香りが満ちていった。

やがてウロトナの肩が小刻みに震え、白髪混じりの髪がゆらゆらと揺れ始めた。ビシュヌ神が下りてきたのだ。

「何が見えますか」イエナはシャーマン・ウロトナに問いかけた。
ああ、と呟いたウロトナは小さく頷き、やがてその頷きが次第に大きくなり、髪が前後に揺れる。

「黒い世界からそやつらはやってくる。闇の世界から湧き出てくる」ウロトナの声は違う者の色合いを帯びる。
「闇とは何です。見知らぬ部族ですか、それとも獣ですか」問いかけたイエナの声に、違う! と一喝をくれる。
「魔物じゃ、悪魔の使いじゃ。漆黒の闇を身にまとい奴らはやってくる」

「魔物とはどのようなものですか、我らは戦えますか」
ウロトナは両の手を胸の前で組み合わせブルブルと震わせながら、大きく首を左右に振った。
「いや、それはならん。人間では太刀打ちできん」



最近おかしなことが立て続け起こっていた。近くの森に鳥や小動物の狩りに出た男たちの内、戻らない者が続出し始めたのだ。そしてその男たちは、肉を食いちぎられ赤茶けた血をこびりつかせた骨となって荒野に亡骸を晒していた。

「もしやその悪魔の使いとは、町で祭りのある、あの伝説の魔物の事ですか」
「それやも知れぬ」
「知れぬとはどういう事でございましょう。わからないということでしょうか」
「よくは見えぬ」
「見えぬとは、風のようなものですか」
「風より早く、風のように目に見えぬもの」
「その魔物は人間を食うのですか」

「いや」ウロトナは長くゆっくりとうなり声を上げた。
「奴らは人間を食うことはせぬ。人間を食うておるのは獣よ。魔物は人の意思を抜き取る。抜き取られた者は立つことも座ることもできず、石ころか枯れ木のように横たわるだけじゃ」

「殺されてしまうのですか」
「生きておる、意識もはっきりしておる。ただ、動けなくなるのじゃ。その状態で獣に食われる」
「ウロトナ様、闘う術は!」

黙り込んだウロトナはやがて髪を左右に振った。
「ない!」膝の辺りの衣をつかみ、ブルブルと身を震わせた。
「ないのですか!」イエナはにじり寄った。
「ない!」
「どうしてですか! それがピシュヌ神のお言葉ですか?! 伝説の勇猛なる部族は現れないのですか!」
イエナの声に答えず、シャーマン・ウロトナは、そのままどうと横倒しになった。


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