「穴沢です」頭上で声がした。
「あぁ、穴沢少尉」鳴海は腰を折る声の主に向けて寝返りを打った。
「具合の悪い時にすみません。明日出撃します。それでご挨拶に」
「聞きました。いよいよですね。どうぞお座り下さい」はい、と頷き穴沢少尉は枕元から少し離れたところに腰を下ろした。
「短い間でしたが、ありがとうございました。焦るな。〝生きるべきときは生き、死ぬべきときにのみ死ぬことこそ、真の勇気である〟これまでご縁はありませんでしたが、中尉の言葉は胸に染みました」
「水戸光圀の言葉です。新渡戸稲造の武士道“BUSHIDO,THE SOUL OF JAPAN” からの受け売りです。〝戦場に飛び込み、討ち死にするのはいつもたやすきことにて、身分の賎(いや)しきものにもできる。生きるべきときは生き、死ぬべきときにのみ死ぬことこそ、真の勇気である〟横になったままで失礼します。ひどくめまいがするもので」
「いえお気を遣わないでください。こちらこそ押しかけてしまって、申し訳ない限りです。
今日は我々二十振武隊の12人と六十九振武隊、三十振武隊のお別れの会が富屋(ふや)食堂であります」
「そうですか。最後の夜を、どうぞ存分にお楽しみ下さい。まさしく死ぬために我々が今ここにいるのも、時世時節(ときよじせつ)で致し方のないことですから」
誰だ。すらすらと言葉を発しているのは杉浦だろうが、自分でも違和感なく口が動く。まさしく同一化している。杉浦の記憶がそのまま頭に入ってきているようだ。
「中尉、最後にひとつ訊いておきたいのですが」
「はい。なんでしょうか? ひとつとは言わずいくらでも」笑った鳴海に穴沢中尉はすこしかしこまった。
「中尉は、その、何というか……飛行第64戦隊にいらっしゃったのですか?」
「あはは。多少操縦が上手くて隼に乗っていたら、加藤隼戦闘隊ですか。誰に聞きましたか?」
「いえ。誰というのではなく、みんながそう噂しています」
「それは残念でしたね。僕は59戦隊にいた人間です。ひとつ言い訳めいたことを許してもらえるなら、一番最初に隼を装備したのが僕たち59戦隊です」
「もちろん知っています! 64戦隊と共に、華々しい戦果を挙げた、あの59戦隊の方でしたか! 道理ですごい飛行技術なわけですね」
「まぁ、華々しかったのは最初の方だけですがね」
「こんなことを訊いて怒らないでください」
「いえ、何なりと」
「そんな腕利きのパイロットがなぜ特攻に……」
鳴海は頬を膨らませた。
「そうですねえ、どこから説明したらいいのでしょうか……最初は満州でした。2枚プロペラの九七式でした。脚の引っ込まない下駄履きですが、いい戦闘機でした。
その後はノモンハンでしたが、大した戦果は上がりませんでした。隼に乗り換えて、仏印コンポントラッシュに行きました。64戦隊と共にマレー上陸戦支援をしました。シンガポール攻略、パレンバン侵攻、ジャワ島攻略に参加しました。ニューギニアでの戦いは苦しかった。有能なパイロットを多く失いました。
皆が三式戦闘機に乗り換えましたが、僕は頑なに二式に乗り続けました。それから本土防空任務につきました。そして4月からここ知覧に来たのです。特攻の掩護(えんご)と突入経路の確保のためです」
「そうでしたか……それがなぜ特攻に?」
「グラマンが飛んできました。隼衰えたりといえども何機も撃ち落としました。しかし、やられて海に落ちる特攻機もありました。分かりますか?」
穴沢は申し訳なさそうに首を傾げた。
「彼らは海に突撃したのです。己の命を捨てて特攻を掛ける若者たちを、僕は導くことができなかったのです。どんなに悔しかったことか、どんなにか無念だったことか。命を捨てて海に突撃するのですよ」
「しかしそれは、やむを得ないというか、そんな機もあります」
「はい、その通りです。ですが……申し訳が立たないのです」
「だから、自らが飛ぼうと?」
「はい。そのひとたちの無念をも背負って飛ぼうと、そう決めました。もちろん止められましたが、僕が言い出したら聞かないことはみんな知っています」
言葉が捜せないのか、穴沢は小さく何度も頷いた。
明日死ぬ男と近日中に死ぬ男。様々な思いを載せて静かな時間が流れた。
「ところで、もう遺書はお書きですか」鳴海は片肘で起き上がった。
「はい。拙いものですが書きました」穴沢は照れるように両手で腿を叩き、撫でさすった。
「智恵子さんの心にも届くでしょう」
「え? 中尉にお話ししましたでしょうか? いえ、ちゃんとお話しするのは初めてですが」どぎまぎとするその様子は、やはりまだ23歳の若者だった。
「学生時代からのおつきあいだったとか。僕の耳は、案外大きいのですよ」
「あはは、耳に入りましたか。ええ、中央大学に通っていた頃で、かれこれ4年になります」
「穴沢さんは一式三型の隼でしたね」
「はい」
「僕も必ず後に続きますから、焦らずひるまず突撃して下さい」
穴沢少尉は飛行マフラーの下に彼女のマフラーを巻いて出撃した。
穴沢の日記にはこう記(しる)されている。
「智恵子よ、幸福であれ。真に他人を愛し得た人問ほど幸福なものはない」と。
見送るなでしこ学徒隊と出撃する穴沢機

「では、杉浦中尉、お早く回復されますように」
「穴沢少尉、ご武運を祈ります」
穴沢の後ろ姿が三角兵舎から消えた。
あの穴沢少尉と自分は言葉を交わしたのか。妙な感慨が湧いた。
一番手前が穴沢少尉、婚約者のマフラーで首元が膨らんでいる。

知覧の地に〝特攻の母〟と称された人がいた。
知覧飛行学校(大刀洗陸軍飛行学校知覧分教場)ができた時に軍指定食堂となった富屋食堂の鳥浜トメである。指定とはいえ健全で清潔で安心して軍人が立ち寄れる所だと推薦してくれるだけのことだったが、数日後には死んでいく金の少ない少年兵たちに、トメは着物や家財道具を売りながら食事を振る舞い、母として尽くしていた。
過酷な訓練に明け暮れ、たまの日曜日に外出しても何の娯楽もない知覧。その少年兵たちにとって富屋はたちまち心のよりどころとなった。
少年兵たちは畳の部屋に寝そべったり、トラン プや将棋に興じたり、郷里に手紙を書いたり、トメの手料理に舌鼓を打ったり、時には風呂で背中を流して貰うこともあったという。
新潟出身の宮川三郎軍曹(20歳)のエピソードは「ホタル帰る」として有名だ。20歳の誕生日を迎えた特攻の前夜、「死んだらまた小母ちゃんのところへ、ホタルになって帰ってくるよ」と言い残して宮川軍曹は出撃した。
翌日の夜、約束の9時に食堂に一匹の源氏蛍が入ってきた。トメはそのとき初めて泣き崩れた。トメの2人の娘や特攻兵たちは、宮川の希望どおり「同期の桜」を歌った。
鳥浜トメと特攻隊員たち

戦後のジャーナリズムが軍国主義を否定する立場から、特攻隊員たちを冒涜するような言動を弄(ろう)した。それにより、トメはひどいジャーナリズム嫌いとなった。自らの命をかけて特攻をした彼らに罪はないのだ。
時代が変わるように常識も変わる。日本国内で大名同士が血で血を洗って領土拡張を図ったのと同じく、世界にも同じ時代があった。そしてそれを身をもって守ろうとした人たちもいたのだ。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、あまたの大名がいまだに尊敬されるのに、なぜ特攻は、靖国神社は疎まれるのか。
靖国神社は日本のために命を散らせた者たちの眠る場所。靖国参拝は日本国内の問題である。他国にとやかく言われる筋合いはない。鳴海は改めて、強く思った。
キミガタメ
ポチポチッとクリックお願いします。
短編小説 ブログランキングへ
にほんブログ村













