大河と龍 -3ページ目

少年Hを読む 2

少年Hが生きた時代と東條英機が日本を戦争へ導いた時代とはちょうど重なる。東條英機が対米戦争を決断した首相だから当然であるが。

 

 

東條英機を一言でいうと太平の世であれば陸軍官僚として中堅を努めたであろう。だが、時局が切迫した時代に一国の首相としては器が小さすぎた。官僚としてはどうかわからないが、軍人としてもとてもではないが、戦争に勝てる勝負師ではなかった。むしろ、完了としての悪いものが一揆に発動する。当時の日本にとって最悪の首相だったかもしれない。

 

敗戦の責任を一人東條英機に負わせるのは無茶だとする考えもある。新聞も戦争をあおったし、陸海軍が時代の波に乗ってきた。もちろん米英との戦争を始めたのは東條英機であるが、彼には一国をしょってたつキャパシティはなかった。

 

 

終戦後、自決した軍人は多いが(しなかった軍人も多いが)元首相としてやはり自決するべきだと思った国民も多かった。しかし東條はそのような決意は持ち合わせていなかった。

少年Hを読む 1

古本屋で100円でキレイなのを見つけたので上下揃えて買った。ほとんど読んだ形跡がないので貴重。本屋では全く需要がなかったのか、買う人がいなかったのか、上下で200円というのは安すぎる。前に一度読んだはずだが、詳しいところはまったく忘れていた。なにしろ当時の庶民の記録が書かれているのでこれも貴重だ。

 

 

少年Hは1930年に生まれた少年が戦争中を生きた記録である。いわゆる昭和ヒト桁と言われる世代。この世代はもろに軍国主義を叩き込まれた世代で、その当時の大人が見てもなんだかなあと思う、特殊な世代であったらしい。大東亜戦争が極まって終戦に至る時代に中学生ぐらいだったので、学校で軍事教練か軍需工場で勤労動員されるのでろくに勉強していない。さらに、国の方針として最後は敵空母に体当たりして死ぬ。てなことが真面目に先生の口から出る。これが当たり前だった超戦闘国家だった。

 

もちろん当時の大人はそんな教育を受けていないから、口には出さないが「そんなことはできるわけがない」と思っている。(なにしろ竹やりや包丁や鎌でアメリカ兵を殺すマニュアルができている。まじか?!)高校生ぐらいだと多少考えるから、やはりちょっとおかしいなと思うだろう。だが、小学生中学生ぐらいだとよほどのことがない限り信じてしまう。だから終戦後にいきなり民主主義と言われてもついていけない。今まで敵だったアメリカ人に支配される日本。大人が(特に先生)180度主張を変えると、極度の不審に落ちいる。革命的な転換。しかしそれにコロッと合わせる変わり身の早い日本人。混乱して当然。

 

しかしこの大人たちの日和見主義が今でも生きている気がしてならない。もし同じことが起きても現代でもあるあるだろう。そういう意味でも貴重である。

 

 

大谷翔平会見 全12分

Shohei Ohtani makes statement regarding gambling scandal | MLB on ESPN

 

 

 

 

 

やっぱり一平に隣にいてほしかった。

大谷とベーブルースの違い

ベーブルースと大谷の違いは何かと聞かれると、そもそも時代があまりにも違いすぎるし、ボールも違うし、今はピッチャーがとんでもない変化球を投げるし、一概に比べられるものではない。

 

ま、たいていの日本人は大谷のほうが上だと思いたいのはわかる。しかし人間的にもいいやつと思われている大谷より、ワイルドで子供好きだったベーブルースのほうが好きだ。

 

 

 

なにしろ病気の子供に予告ホームランを約束して本当に打ってしまうのだから。

だがこれは映画の中のフィクションだという話もあるが、、、

 

 

 

ルースが子供たちに優しかったのは、貧しい下町の不良少年だった彼自身の生い立ちと深い関係があり、彼はファンの子供たちを幼い頃の自分と重ねて見ていたといわれる。実際、ルース見たさにヤンキー・スタジアムへ来るものの、お金がなくて入場券を買うことができず、外に立ち尽くしている貧しい子供たちの姿を見て、ルースは彼らを気の毒に思い、係員に札束を渡して、「これであの子たちに入場券を買ってやれ」と促したこともあった。また、友人と共にゴルフ場に行ったときには、入口付近でルースを見つめる2、3人の子供の姿を見て、「君らも来いよ。今日はいいプレイができそうだぞ」と誘い、子供たちと談笑しながらラウンドを回り、休憩時にはお菓子とジュースを振る舞ったという。(ウィキペディアより)

 

しかしベーブルースは野球が終わるとさっさと帰って10時間も寝る大谷と違い、球場外でも大活躍した。ま、昔の日本の野球選手も酒にまつわる武勇伝はたくさんある。まして今から100年前である。アメリカでも酒やたばこに規制はない。酔って運転して事故を起こしたり、そりゃいろいろあった。しかし彼の子供好きは変わらなかった。

ルースはいかなる有名人に対しても頭を下げず、むしろ挑戦的・尊大な態度を示していたが、子供たちの話題には弱かった。ルースが暴飲暴食、不規則な生活で練習を怠け、成績不振の状態が続いていた1922年の11月、そんなルースを励ますパーティーの席上で一人の議員(後にニューヨーク市長になったジミー・ウォーカー)から「国中の子供たちがラジオに耳を押し付けて、君を英雄のように思いながら君のプレイを楽しみにしているんだ。その英雄がこんな体たらくで、子供たちを失望させていいのか」と詰問されたときには、ルースは涙を流して反省し、それまでの生活態度を改めて再び練習に打ち込むようになったという。

(ウイキペディアより)

 

いい話だなあ~( ノД`)シクシク…

 

 

別に大谷に酒を飲めと言っているわけではない。

ましてギャンブルをやれと言っているわけではない。

だが、私はワイルドなベーブルースのほうが好きだ。

そして沢山の小さいファンが大谷を英雄としてみている。

そこは意識してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿部謹也氏と宮田登氏は1歳違い

それがどうしてこうも違うのか。。。。

 

ちょっと宮田登氏の本を読んでいたら、日本民俗学を批判しているので調べているうちに、そういえば同じ世代の阿部謹也氏はいくつなのだろうか?という疑問に突き当り、調べてみたらほぼ同年齢だった。阿部謹也氏はドイツの中世史が専門だが、ある意味、正当な史学を研究したまっとうな学者である。

 

 

 

阿部謹也氏は業績がすばらしいし、著作も読んで面白い。対して宮田登氏はなんだかなあ。。。。柳田國男の系譜は昭和で途絶えてしまい、直接の弟子たちはいなくなり、安易に柳田國男の業績を批判する輩が増えてしまい、結果日本の民俗学は停滞してしまった。いやむしろ、後退している。ま、考古学などは捏造までやっているからそれに比べればまだいいほうか(笑)。

 

カントにもどれではないが、もう一度、柳田折口あたりにもどるべきだ。両氏の提示した問題に答えてから新しい民俗学を始めても遅くない。だが、柳田國男の文章は何を言っているのかわからないんだよなあ。。。簡単な日本語なんだが。。。。自分でも言ってるぐらいだから罪作りである。