宇都宮城釣天井事件 後編
これは、「どうする家康」で本多弥八郎正信を演じた松山ケンイチ。正純に比べるとワイルドである。
役柄が山師みたいな感じだから松山ケンイチもそう演じるしかないのか。。。しかし大阪夏の陣が終わって、敵がいなくなったのでもう武士の世の中ではない。正確に言うと武士だが内容はテクノクラートの時代である。
戦争には行ったことがない。だが、文書の作成はうまい。今の公務員と同じである。
その中でも派閥争いというか、徳川の世の中を安定させるためというか、いろんな理由をつけて、幕府は動いていく。
ようするに正純は用済みだったのである。釣天井を作って将軍を暗殺しようなどというトンデモないいいがかりをつけて政権の中枢から追い出されたのである。だいたい、将軍を暗殺して何のメリットがあるのかなんにもない。動機がないのだ。
股肱之臣の息子がこのありさまだから、外様や諸大名は推して知るべし。
初代将軍家康から三代家光までのあいだに130の大名が改易となった。大変な数である。もちろん、跡取りがいなかったという家もあった。だが中には正純のように勝手に城を改築したとかしないとかいいがかりをつけられて改易になった大名もある。
江戸初期だけで没収された土地は1400万石になるという。加賀藩は日本一の大大名であるがそれでも100万石である。アメリカの軍事予算が世界1位だが、2位から10位までの国を合わせてもアメリカには届かない。アメリカに正面から挑む国はいない。せいぜいテロかゲリラでかすり傷をおわせて満足するしかない。それと同じぐこと。もうこうなると幕府に逆らおうというものはいなくなる。
しかしそうなるとお取りつぶしになった藩の浪人が原因でまた事件が起こる。それはまたのちほど。
宇都宮城釣天井事件 おわり。
ありがとうと言ってますか?
日本人が泣かなくなったと嘆いたのは柳田国男が書いた「涕泣史談」のなかである。ちょうどそのころは今から8約0年前。戦時体制になっていて、日本は軍事最優先の国家であった。
そりゃそのころの国民は泣いてる暇などないぐらい必死で戦争していたので、当たり前といえばそれまでだが。
令和の現代、確実に日本人は泣きやすくなっていると思われる。これはスポーツの表彰式や負けたとき勝った時に顕著。あまり西洋人は泣かない。日本人男性は本当によく泣く。まあ平和の証明かもしれない。
最近気が付いたのは「ありがとう」と言う人が増えたことだ。良いことである。しかし昔の日本人は商売人以外あまりこの言葉を使用しなかった。
この間、バスを降りるときに「ありがとうございます」と言っている若い人を見た。少額とはいえ、お金を払ってサービスを受けるのに礼を言う。最近では特に珍しくないらしい。タクシーから降りるときは言うがなぜかバスは違和感がある。
家族間ではもちろんのこと、言わなかった。が、YouTubeなど見ていると、最近はありがとうを親が強制しているようだ。子供の頃から言わせるように教育している。だんだんとそうなるだろう。
アメリカやイギリスの影響だと思う。英国の貴族は召使に対してもThank youと言う。これも慣習だが、そのあたりから来ているのかもしれない。
ただし日本人は礼をいうのにThank youと言う訳にはいかない。「ありがとう」または「ありがとうございます」となる。
今の世相だと「ありがとう」では上から目線だとか言われそうである。どうしても「ありがとうございます」と長くなってしまう。英語のThank youは短くて言いやすい。「ありがとうございます」は長く言いにくい。
関係ないが、メールの冒頭に「お世話になります」とつけるのも珍しくなくなった。初対面あるいは面識のない人にはいいのかもしれない。が、病院や介護関係の人が出してくるメールの冒頭がこれでは違和感がある。お世話になるのはこっちだよと言いたい。これから入院するのに、お世話になりますと言われても困る。逆である。あえていうならお世話します、だろう(笑)
なにごとも世の中の諸々は移ろいゆくものであるらしい。
宇都宮城釣天井事件 中編
早い話が、宇都宮城釣天井事件とは、
本多正純
が、幕府のトップ(または徳川秀忠)にはめられて失脚させられた事件である。どうして釣天井などというトリッキーな策を使ったのか?実際のところ、釣天井などいうものがその時代にあったのかどうか?あるいは歌舞伎で誇張されただけなのか、よくわからない。しかしそこまでしても幕府から追いやる理由があったのかもしれない。普通毒殺のほうが手間もかからないと思う。果たして天井が落ちてきて人殺せるのかどうかわからん。ある程度重さがないとダメだと思う。例えば笹子トンネルみたいに。
この時代、大阪の豊臣家も滅び、初代将軍の家康も去り、戦国時代の荒々しい風はふかなくなった。武官ではなく文官が力を持つようになったのである。跡継ぎがない大名や、幕府にとってめざわりな大名は改易やお取りつぶしになっていく。
宇都宮城釣天井事件 前編
最近、江戸時代が再評価されている。SDGsだとか完璧なリサイクル社会だったとか。。。おまへ、見てきたんかい?
まあ、明治になって近代社会になっても庶民が生活に苦しんだのは変わらないので。どっちとも言えないが鎖国はなかったとか聖徳太子はいなかったと同じレベルの話じゃないかと思う。
江戸時代というと。享保の改革、天保の改革、寛政の改革の3つの改革を教えられるが。ことごとく失敗して幕末を迎える。
ここらをざっとであるが、見てみたい。
いずれも飢饉で餓死する人がたくさんでている。よく300年の太平の世というが、対外戦争はなかったが、国内は大変だった。
幕府は飢饉に対してコメを放出したりするが、最初のころはまったく知らんぷりだった。自力更生の戦国時代の空気が抜けなかった。
ワイルドだったのである。
家康が死んで、6人衆(松平信綱・堀田正盛・三浦正次・阿部忠秋・太田資宗・阿部重次)と呼ばれる時代になるが島原の乱、由井正雪の乱、振袖火事と飢饉以外にも江戸初期も大変な時代だった。
そして宇都宮釣天井事件が起こることになる。