涼風文庫堂の「文庫おでっせい」406 | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<司馬遼太郎、

山田風太郎、

坂口安吾>

 

1225「風神の門」

司馬遼太郎
長編   多田道太郎:解説  新潮文庫
 
 
豊臣・徳川の対立が激化した一触即発の時期に、
風雲に乗じて都に出た伊賀の忍者、霧隠才蔵は、
軍司 真田幸村の将器に惹かれ
豊臣家のために奮迅の働きをし、
猿飛佐助とともに家康の首をねらった……。
 
徳川の忍者、風魔獅子王院との対決を中心に、
人間性を抹殺された忍者達の中で、
ただひとり人間らしく生きようとした霧隠才蔵の悲哀を通して、
”忍び” の世界を現代の眼で捉えた長編小説。
 
                        <ウラスジ>
 
 
霧隠才蔵、またまた登場。
 
”猿飛佐助より、普通に、霧隠才蔵が好き”
 
まずは初登場の作品、
”気鋭の忍者もの作家(?)”
木屋進氏の『忍者霧隠才蔵』を――。
 
 
この他にも
中田耕治『異聞 霧隠才蔵』
って非・文庫も読んでしまっています。
 
……『異聞』ったって、
どれもこれも『異聞』だらけで、
何が本物かよくわかりません。
 
やっぱり<立川文庫>を探して漁らなきゃいけないのか。
 
福田善之さんの有名な戯曲、
『真田風雲録』
じゃ女性になってたし。
 
<本編>
『梟の城』
と並ぶ、司馬遼・忍者ものの代表作。
 
石川五右衛門は出て来ないし、
伊賀者だし、
木屋作品とはまるで設定が違ってますが、
最後が<大坂夏の陣>で、
仲間だったくノ一と行動を共にする、
というところは同じです。
 
<余談>
「しかし忍びは、合戦には出ぬものじゃ。
万一、討死などすれば、
伊賀の故郷の物笑いになる」
 
夏の陣を控えての猿飛佐助の言葉です。
 
そう、忍者はあくまでも裏方、
ということなのです。
 
ただ昨今の忍者は表舞台で暴れ回る輩が多いようで……。
 
いやいや、
私が子供だった頃にも、

辻なおき先生(『タイガーマスク』以前の話)の漫画

『戦国猿』

では ”晴れ舞台” の合戦場で

存分に忍術を駆使していたような……。
 
 
相手は今川義元だったような気がするから、
場所は桶狭間だと思います。。
 
そこで思いっきり忍者たちが忍術を使っていたような……。
 
ただし、
私は ”戦国猿” を猿飛佐助のことと思っていたんですが、
今回調べてみると、どうやら秀吉の事らしいと……。
 
と、なると記憶もあやふやになって……。
 
こっから先は霧の中。
 
お後がよろしいようで……。
 
 
 
 
 
 

1226「甲賀忍法帖」

山田風太郎
長編   高木彬光:解説  角川文庫
 
 
――その忍者は白壁にピタリとはりついた。
 
とつぜん、
すぼめた口から異様なものが飛んだ。
 
膠のように粘性の強烈な痰だった。
 
それをじっとみつめていた家康の目が、
一瞬光った。
 
いまや、
徳川家三代目の相続者について、
家康自身から、
おどろくべき一つの賭が発せられた!
 
おぞましい毒茶事件や狙撃をくりかえす
はげしい相続争い。
 
家康が決断した奇策とは……。
 
ギリギリの肉体と精神の鍛練によってみがき上げた
忍者たちの殺人ゲーム、
著者会心の怪奇忍法小説。
 
                        <ウラスジ>
 
 
元はと言えば、
 
――すなわち、三代将軍たるべきものは、
竹千代か、国千代か。
 
という選択肢があった歴史的事実に、
無理矢理っぽく、ねじ込んだ忍者対決談。
 
竹千代派の伊賀者と
国千代派の甲賀者との代理戦争。
 
甲賀組十人衆と伊賀組十人衆の全面対決。
 
風太郎忍法帖の第一作目であるゆえ、
のちに風太郎忍法帖ではお馴染みになった、
”物理的”・”化学的” および ”生理的”
解釈付きの<魔忍術>の数々。
 
解説の高木彬光さんがその二つを挙げておられます。
 
 
たとえば風待将監(甲賀十人衆)
唾液にふしぎな粘性を持ち、
相手の瞼をふさぐなどして
戦闘力を一瞬に失わせてしまう怪物だが、
それについて作者は次のように解説を加えている。
「……人間が一日に分泌する唾液は
千五百ccにおよぶ存外大量のものである。
思うに将監の唾液腺は、
これをきわめて短時間に、
しかも常人の数十倍を分泌することを可能としたものであろう。
しかもそれにふくまれる粘素ムチンが極度に多量で、
また特異に強烈なものであったと思われる……」
 
 

また、なめくじのように全身の水分を放出し、

瞬時に自分の体型を縮小できる怪人、
雨夜陣五郎(伊賀十人衆)についても
こんな註釈がある。
「……なめくじはなぜ塩にとけるか?
それは塩による浸透作用のために、
なめくじの水分が外界に出るからである……
そして体液の浸透圧は、
やく八気圧だが、海水は二十八気圧で、
きわめて高い……
あらゆる忍者がそうであるように、
彼の独自の武器は、
同時に彼の弱点なのであった……」
 
思うに、こういう学問的な註釈は、
作者が若いころにうけた
医学教育のあらわれに違いない。
 
                 <高木彬光:解説より>
 
このどこか怪しげな、
エセ学術論文めいた忍術解析こそ、
ここから始まる<風太郎忍法帖>の真骨頂。
 
 
そこへ、
”ロミオとジュリエット” 
が絡んできます。
 
 
首領の甲賀弾正と伊賀のお幻からして元々は恋人同士。
 
この二人の老忍は、開始早々、
二人して相果てることになります。
 
彼らの孫の
甲賀弦之介と朧の恋の行方と対決の結果やいかに。
 
 
……って歴史が答えを出しちゃってるんで、
ここは忍術対決に興味を絞った方がよさそうです。
 
”余は生まれながらに将軍である”
 
と、宣わった方の勝利。
 
<余談>
私にとっての
伊賀vs甲賀、
そして、
伊賀=善、甲賀=悪、
という構図は、
『忍者ハットリくん』(実写版)で
刷り込まれたものだと思います。
 
 
甲賀の<ケムマキ>。
 
そのメイクは
悪を象徴するもの以外の何ものでもありませんでした。
 
<こぼれ話>
以前、『テレビ探偵団』的な番組で、
”ケムマキを演じていたのは杉良太郎さん”
みたいに報じられていたことがありました。
 
当時から胡散臭い情報でしたが、
その後やっぱりデマだったということが判明したようです。
 
しかし、どっから出た情報なんだ?
 
 
 

1227「復員殺人事件」

坂口安吾
中編(変則)   権田萬治:解説
角川文庫
収録作品
 
1.復員殺人事件
2.続編(樹のごときもの歩く) 高木彬光
 
 
昭和22年9月のある日、
小田原の成金 倉田家の玄関に、
ヨレヨレの白衣姿で現われた、
異様な傷痍軍人。
 
片手・片足、両眼はつぶれ、
片アゴを砲弾にもぎ取られて
口のきけない男は、
外地から復員した次男 安彦と思われたが、
その翌晩、
倉田家の家族を突如見舞った惨劇。
 
射殺1人、催眠薬を飲まされた者3人、
加えて、
復員兵の男もまた、
絞殺死体で発見された。
 
5年前にさかのぼる、
長男親子の轢死事件との関係は?
 
復員兵の次男は、
果してホンモノか?
 
そして、
新約聖書マルコ伝中の一句
「樹のごときもの歩く」
が暗示する、
謎とは何か?……
 
鬼才 安吾の中絶作品に
高木彬光が挑戦して続編を書きつぎ、
「樹のごときもの歩く」
の題名で見事完成させた、
幻の傑作推理、
ここに復活!
 
                        <ウラスジ>
 
 
『不連続殺人事件』
に次ぐ、安吾長編ミステリー第二弾。
 
前作同様、
探偵役は巨勢博士、
ワトスン役は小説家の矢代寸平。
 
長編はこの二作で、
あとは『能面の秘密』(短編集)。
 
 
<本作の成り立ち>
……実はこの作品は掲載誌の廃刊とともに中絶され、
安吾の手ではついに完成されずに終ったからである。
 
後半の続編は、
結局八年後に推理作家の高木彬光によって、
「樹のごときもの歩く」
と題されて書き継がれ、完成した。
 
                 <権田萬治:解説より>
 
いま、
たまたま『小説・坂口安吾』(杉森久英)を読んでるんですが、
その中で安吾は、<未完の打ち切り>について、
こんなことを言っていたようです。
 
「未完なら、いつか完成するときがあるかもしれない。
僕はこの作品を失敗作にしてしまうより、
むしろ、いつか完成するときがあるかも知れぬ作品として、
保留しておきたいのです」
 
          <杉森久英『小説・坂口安吾』より>
 
もっともこう言ってのけたのは
この『復員殺人事件』についてではなく、
『花妖』という作品についてのことでした。
 
しかも、雑誌廃刊などではなく、
”おもしろくない”  
という読者の苦情の多さによる打ち切りでしたが。
 
さて、
この復員兵というワードは、
大横溝の
『本陣殺人事件』の三本指の男や、
『犬神家の一族』の佐清を思い出させますが、
解説の権田萬治さんによると、
 
 
この「復員殺人事件」のように、
得体の知れぬ人物が家族の一員として
ひょっこり姿を現わすという設定は、
ディクスン・カーの「曲った蝶番」(一九三八年)
にもあるもので、
決して珍しいものではないが――
 
 
ううっ、
『曲った蝶番』とか『死者はよみがえる』
この辺のフェル博士ものは多数、読んでない。
 
真のミステリ・ファンならあり得ないでしょうね。
 
<加えて>
続編を書いてこの物語を完結させた高木彬光氏は、
この作品ではなく、
『不連続殺人事件』(角川文庫)
の解説のなかで、この作品について言及しておられます。
 
曰く、
未亡人(坂口美千代さん)から、犯人やトリック解明などの
大筋を聞いていたこと、
 
しかし、なにより ”安吾調” の文体を真似ることの難しさ
などを洩らしておいででした。
 
この<ウラスジ>にもありますね。
 
”ヨレヨレ” とか、”ホンモノか?”
みたいなところ。
 
ふいに出て来るカタカナ言葉。
 
私にとっての<安吾調>は、
コレに尽きるのであります。
 
もっとも、
本来の安吾調とは、
 
ついでにいえば、このころ彼は、
文章の中に口語の「です」「でした」や、
助詞の「さ」「よ」などを使って、
独特の安吾調というべき調子を作り出していた。
 
         <杉森久英:『小説・坂口安吾』より>
 
ということらしいのさ。
それが定説というものでした。
(下手な例文)