<文庫に戻る・安吾ここで登場>
101.「不連続殺人事件」 <日本探偵作家クラブ賞>
長編 高木彬光:解説 角川文庫
「安吾登場」って言っても、本丸じゃないからなあ……。
と言いつつ、私にとってこの作品は40年間変わらぬ、日本の推理小説での<ベスト1.>なのであります。
ちなみに海外作品の<ベスト1.>は「Yの悲劇」です。
<ウラスジ>
世相・人心に敗戦の混乱を見せる昭和22年夏、詩人歌川一馬の招待で、山奥の一別荘に集められた様々な男女。
作家、文学者、詩人、画家、劇作家、女優等、いずれも海千山千の変人・奇人ぞろい。愛欲、名声への嫉妬、近親相姦的愛情などが入り乱れて、山荘は異様な雰囲気に包まれたが、やがて起こる第一の殺人----.
さすが安吾、本業でない推理物をパズルと割り切って、堂々と<クローズド・サークル>を設定しています。いわゆる、”陸の孤島“ モノです。登場人物が限定される事で犯人もその中に必ずいるって構図――
「そして誰もいなくなった」とか「十角館の殺人」とか。
で、「上を見るな」の時にも書きましたが、地方の素封家あたりの屋敷を舞台にすると、登場人物の紹介や複雑な人間関係を説明するのに、けっこうなページ数が使われる場合がままあります。
この作品は「上を見るな」の比ではない複雑怪奇な人間関係を呈しています。
そもそも記述者である「私」こと小説家の矢代もまったくの部外者ではなく、おまけにその妻は、招かれる事になった別荘主の父親の妾だった女性なのです。
102.「猟奇の果」
長編 春陽文庫
全く関係ない話から入りますけど、私はこの小説をずっと「猟奇の巣(す)」と呼んでいました。
大方、乱歩が己の変態趣味を存分に発揮出来る<地下の秘密クラブ>かなんかを舞台にしたエログロ活劇(?)みたいな。
実際読んでみると、「秘密の家」こそ出て来ましたが、その内容は<エログロ>ではなく、<エスエフ(SF)>でした。
昔、これと似た話を「ミステリー・ゾーン(トワイライト・ゾーン)」で観たことがあります。主人公が対象となる男の顔を両手で包み込むようにしたあと、やおら両おやゆびに力を入れて男の鼻をグッと押していきます。男の顔は見る見るうちに変形し、目・鼻・口が無くなって粘土のようになっていく――。
殆んどネタバレにはならないと思うので、最後のページから二行、抜粋しておきます。
容貌を自由自在に変える術。
生地のままの変装術。
ああ、言い忘れた。
これは<明智小五郎>シリーズの一環(一巻)です。
103.「女王蜂」
長編 大坪直行:解説 角川文庫
これは発行されると同時に買った、初めての横溝作品だったなあ。
昭和四十八年十月二十日 初版発行
そこそこ厚い本だったけど、2日ぐらいで読んだ気がします。
面白かったんでしょうね。
【 「もったいない感じがするね。あれだけのトリックを一作に入れるのなら、分けて三作ぐらい書いた方が……」
現在活躍している推理作家が、横溝正史の『女王蜂』を読んで最初に洩らした言葉である。
「こんな面白い推理小説があるとは知らなかった。一気に読んでしまった」
これは、私の友人の息子の言葉である。
とにかく、これで事件解決かな、と思うと、あにはからんや、また謎が出て来て、ますます事件が複雑になって行く。それに、なんとも言えないムードがあるとも言う。殺人があって、警察の捜査で事件を解決して行く最近の推理小説なんか馬鹿馬鹿しくて読めないというのだ。
この変哲もない二つの言葉の中に横溝正史の本質を垣間見ることができるといえば少々大げさだろうか 】 <大坪直行:解説より>
長々と解説を引用したのは他でもありません。
ずっと横溝作品を読んできて、初めて「これだ」という文章に出会ったからです
。
この、”なんとも言えないムード” とは、私がしばしば使う(決して揶揄ではありません)、『いっぱい人が死ぬ』と言う展開と密接につながっていると思えるからです。
私は、<トリック>をさして重要視していません。一編につき一人ぐらいが死ぬミステリーならば、そこに比重がかかるのはやむを得ないところですが、横溝作品や「不連続殺人事件」のように、大量の死者を出すミステリーで、いちいちトリックの有無に拘っていても仕方がないでしょう。
横溝御大もクリスティも同じ様な事を言っています。
「トリックの数は限られている。これからは、既存のトリックをいかに組み合わせていくかが主流となる」
これには ”トリックの併用・羅列も含まれています。
――この話が出た時点で、トリックは舞台の主役から、大道具・SEへと役職を替えたのです。
金田一ものは大量殺人をよく扱っています。
ゆえに『事件の拡がりを阻止出来ず、何人もの被害者を出す金田一耕助は名探偵ではない』という意見も聞かれます。
まあそれにも一理ありますし、洒落として言う分には構わないでしょう。ただそれを真剣にやりだすと、世の中に流布している殆んどの名探偵が名探偵でなくなる事になってしまいます。
そもそも近代推理小説の原点は、”犯人当て” と ”パズル” です。犯人を当てるためにパズルのピースを埋めていくのです。ピースとは主に殺人事件です。ピースが多ければ多いほど、絵は複雑になり完成には程遠くなっていくでしょう。で、完成した暁には短編では味わえないカタルシスが待っている。
これが本格長編推理小説の醍醐味であり、発展してきた要因だと思っています。
ですから、私の独断と偏見で言わせてもらえば、”面白い本格推理小説は、人がたくさん殺されるという条件を満たさねばならない”と、いう事になります。
「マイノリティ・リポート」じゃあるまいし、殺人事件を事前に阻止するミステリーなんて誰が読みたがるんだ?
あはは。
ここで「倒叙もの」だの「盗難もの」だのを出さないように。
それらは私にとって「亜流」であり、「亜流」には「亜流」の、別の楽しみ方がありますので。
「モルグ街の殺人」は本格、「盗まれた手紙」は亜流。
原点回帰。
またまたここで「バーナビー・ラッジ」や「ルコック」を持ち出すんじゃねえぞ。
さて、本編へ。
月琴島。
珍しくそこに行くのではなくて、そこから東京にやって来た若い女性にまつわるお話です。
で、例によって、いっぱい人が死にます。
おしまい。
映画の方は――そう、中井貴恵さんのデビュー作ですかね。
確か、すでに芸能界からは引退されていると思いますが。
今の方には中井貴一さんのお姉さんと言ったほうが判りやすいかも知れません。
短編集 河盛好蔵:解説 新潮文庫
収録作品
1.猟銃
2.闘牛 <芥川賞>
3.比良のシャクナゲ
井上靖とも長い付き合いになるなあ。
自伝もの、西域もの、歴史もの、色々あるからなあ。
最初の二作は処女作と第二作目です。
氏は二作目にして芥川賞を受賞した事になります。
「闘牛」は「カルメン」の方ではなく、短角種・黒毛和牛同士のぶつかり合いの方です。宇和島のやつが有名かな。
戦後まもなく、阪神球場で闘牛大会を催すにあたり、スポンサーとなった新聞社の編輯局長の心模様を追いかけた物語です。ほぼ実話を題材にしているそうです。
――そこには、ただ、この馬蹄形の巨大なスタジアム全体に漲るどうにも出来ぬ沼のような悲哀を、身をもって、攪拌し攪拌している、切ない代赭色の生き物の不思議な円運動があった。
このラストの一文が妙に印象に残っています。
文章そのものに魅かれた訳ではなく、「攪拌」という言葉を初めて見て覚えたからだと思います。
「猟銃」は「闘牛」よりも先に読んだせいか、不思議に印象に残っていて、ともすれば「闘牛」よりも深いものがあったような気がします。
「猟銃」という散文詩を雑誌に発表した著者のもとに三杉穣介という未知の男から手紙が届きます。三杉は「猟銃」をひとしきり褒めた後、やおら、”私は今ここに私宛の三通の手紙を持っている。私はこれを焼き棄てるつもりであったが、御高作を拝見して貴方と言う人物を知り、ふとこの手紙を貴方にお見せしてみたい気持が起った” と続きます。
翌々日、三通の手紙が同封された三杉の手紙が送られてきました。
その三通の手紙とは――。
う~ん。これを「氷壁」にまで結びつけるのは無理があるかなあ……。
でも段々題名から離れて行って、まったく違う世界にいざなうやりかたが、どことなく似てるんだけどなあ。
ある意味、凄い力業なんだけど。
まあいいか。
ところでこの話、「闘牛」よりも映画化・ドラマ化されています。
「比良のシャクナゲ」
すんません。全く覚えていませ~ん。
105.「萩原朔太郎詩集」
伊藤信吉:編集 角川文庫
収録作品
1.月に吠える
2.靑猫
3.蝶を夢む
4.純情小曲集
5.桃李の道
6.氷島
7.定本 靑猫
8.宿命