涼風文庫堂の「文庫おでっせい」330 | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<山田正紀、

小松左京、

クラーク>


 

1003「弥勒戦争」

山田正紀
長編   半村良:解説  早川文庫
 
 
 
人類に災いをもたらす超能力を持つゆえに
滅びの運命に従う独覚一族。
しかしいま、
謎の独覚が掟を破って力を解放し、
世界を核戦争に導こうとしていた。
 
悪しき独覚を除こうとする一族の前に
次第に姿を現わす禍々しい影。
 
それは現世で衆生を救うべき弥勒の姿だった!
歴史の背後に展開する凄絶な戦いの行方は……。
 
           <ハヤカワ文庫解説目録:1986>
 
 
”神” 三部作の一編。
ということで、『神狩り』 にちょっと戻って。
 
 
* ちなみにもう一つは、『神々の埋葬』(角川文庫)です。
 
さて。
 
目次を見ると、こうあります。
第一章 修羅
第二章 独覚
第三章 声聞
第四章 弥勒
 
当時は梅原猛さんにハマっていたので、
こういった仏教用語を目にすると、
なんかワクワクしたものです。
 
 
地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天、
これら六道の迷いの世界に、
声聞、縁覚(独覚)、菩薩、仏
の四つのさとりの世界を加えたものが、
十界である、とかなんとか。
 
それに、
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識
の五識の上に、
意識、末那識、阿頼耶識
がある、とかなんとかも。
 
いや、懐かしい。
 
で、本編は<世界のSF小説・総解説>から、
シレッと横流し。
 
『弥勒戦争』 は仏教の「救い」の正体に
メスをいれた作品である。
 
他の教導なく自力で悟りをひらいた「独覚」は、
もともと小乗的な存在にすぎないが、
ある経典によれば、独覚のなかでも、
特に優れた能力をもつものが未来仏「弥勒」で、
これが人類に対する最終的な救済者だとされる。
 
が、実のところその救いとは、一種の破滅――
――レミングの集団自殺のような種族の内部調整作用――
にほかならず、歴史上すでに何人かの弥勒が現われ、
その種の災厄をもたらしたとも考えられるのだった。
 
米軍駐留下の日本で、
朝鮮戦争にその危機の徴候を見てとった
独覚一族の結城弦は、
掟に背いて「救い」を企てる他の独覚たちや、
彼らに操られる諸機関と戦い、
最後にその背後にいた本物の弥勒――
――広島の原爆スラムに住む白面の一青年――
を訪れる。
 
      <柴野拓美:世界のSF文学・総解説より>
 
 
うーんと。
わたくし的には、
なんか、”即身仏” を思い浮かべちゃうなあ……。
 
この感覚は、梅原猛さんではなく、
今東光和尚の影響から来たものと思えます。
 
また、
”即身仏” と言っても、
これは巷間伝えられている、
僧侶のミイラ志願のようなものではありません。
 
なんでも、瞬時にして浄土へ行けるとかなんとかで、
巨大な蓮の花を模した花びらの中に信者を入れて座禅を組ませ、
花びらを閉じて外から隔離したあと、
真下から肛門を目掛け槍で突き上げて
(こうすると血が目立ちにくいらしい)
蓮の花の中にいる信者を殺す――。
 
つまり、”浄土に送る” というもの。
即座に仏になれる――みたいな。
 
結局、
現世は地獄で、来世にこそ極楽浄土があるという、
詭弁でしかないような発想がなせるワザなんでしょう。
 
 
ちょっと脇道に逸れると宗教は危なっかしい。
 
『孔雀王』 の世界観に近いかも。
 
 
 
 
 
 
 

1004「継ぐのは誰か?」

小松左京
長編   豊田有恒:解説  早川文庫
 
 
 
人類は果して地球の最終王朝か、
それとも、自ら築きあげた文明の中から、
その後継者を生みだすのか?
 
あるいは遠い宇宙、
遥かな未来からの思いもよらぬ来訪者に征服されるのか?
 
――種としての人類の可能性を、
該博な知識と洞察力を駆使して、
フィクションに仮託して探る巨匠の最高傑作巨篇!
 
                        <ウラスジ>
 
『果しなき流れの果に』、『復活の日』、『継ぐのは誰か?』
 
これらの作品が、私らの学生時代における小松左京作品の、
<三大マスト作品>だったのですが、
その中で、一番評判が良かったのが 『継ぐのは誰か?』 でした。
 
謎が謎を呼ぶ、という
推理小説風の展開で構成されていたからでしょう。
 
で、こんな質問も付随していました。
 
「で、君は何だと思う?」
……文字通り、”人類のあとを継ぐのは何か?” みたいな。
 
 
”チャーリイを殺す”
殺人予告から始まるこの作品は、
乱歩の 『魔術師』 のように、
殺人が実行されます。
 
犯人は誰か?
その方法は?
 
それと並行して、
――人類は果して、地球上の「最終王朝」か?
といった<ウラスジ>にもある命題や、
犯人像としての、
”電波を感じることのできる人間”
というようなSFならではの考察も提示されていきます。
 
そして徐々に浮び上ってくる、”新人類(新種族)” の存在。
 
彼ら新種族が棲むという中南米へと、舞台は変わり、
大団円へと向っていきます。
 
謎の ”ほぐれ方” はいかに?
 
SFの真髄はここにあり。
 
 
 
 
 
 

1005「銀河帝国の崩壊」

アーサー・チャールズ・クラーク
長編   井上勇:訳  厚木淳:解説
創元推理文庫
 

数億年の未来、
銀河帝国はほろび、
かつて宇宙に雄飛した人類は、
砂漠と化した地球の一角にかろうじてかじりついて、
≪侵略者≫をおそれながら暮していた。
 
そのとき禁断の好奇心にとりつかれたアルビン少年は、
とざされた町を脱出し、
他の知性体を求めて宇宙に旅立つことになった。
 
そして≪七つの太陽≫で出会った純粋知性体によって
人類の歴史が明らかにされ、
地球はふたたびその生命をとりもどす。
 
壮大な人類と宇宙の大叙事詩。
 
                        <ウラスジ>
 
 
この作品に関しては、
やはりこれを無視するわけにはいかないので……。
 
『都市と星』 です。
 
本書は一九五三年、
SFの大手出版社ノーム・プレスから発行されたが、
作者クラークはこのテーマによほど執着があるとみえて、
その後 ”第二案” にもとづいて
同一テーマを書き直した作品を発表している。
 
一九五六年の「都市と星」がそれで、
SFでは珍しいケースだが、
英米でも、両者の優劣に関する評価はまちまちで、
いずれを採るか意見の一致をみていないし、
現在でもこの両書が並行して刊行されている。
                  
                  <厚木淳:ノートより>
 
う~ん。
あくまでも素人考えだけど、
評価は決まっているし、なんか手前味噌みたいに思っちゃう。
 
創元推理文庫としては、
こういう営業戦略を取らざるを得ないんだろうな、
とも。
 
都市ダイアスパーと主人公のアルビンは同じ。
(『都市と星』 では ”アルヴィン” と表記されている)
 
クラークのファンなら両方読むでしょう。
その時の順番は、『都市と星』 が先に来ると思いますが……。