涼風文庫堂の「文庫おでっせい」  69. | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<薄い本と梅原猛>

 
 

223.「老人と海」

アーネスト・ヘミングウェイ

福田恆存:訳   新潮文庫

 
 
私は嘘は申しません。
所得倍増計画。
 
この判じ物がお分かりの方は相当に年を喰っている……いえ、年配の方でしょう・
 
 
宣言通り、また人様への進言通り、海外文学は薄い本から取りかかっております。
『変身』、『異邦人』、『怖るべき子供たち』――。
みな100ページ前後の作品です。
 
これからもう少し続きます。
 
 
 
【キューバの老漁夫サンチャゴは、長い不漁にもめげず、小舟に乗り、たった一人で出漁する。】
【残りわずかな餌に想像を絶する巨大なカジキマグロが掛かった。】
【四日にわたる死闘ののち老人は勝ったが、帰途サメに襲われ、舟にくくりつけた獲物はみるみる食いちぎられてゆく……。】
 
【徹底した外面描写を用い、大魚を相手に雄々しく闘う老人の姿を通して自然の厳粛さと人間の勇気を謳う名作。】
                                            <ウラスジ>
 
キューバだったのか。
漁に出る前にディマジオとかヤンキースの話が出て来たのを覚えてたから、大方フロリダ辺りの老人が主人公だと思い込んでた。
 
映画のスペンサー・トレイシーのイメージもあって、アルバート伯父さんとか。
そりゃ、ポール・マッカートニーだ。
 
キューバでもヤンキースって人気があったんだ。
まだ革命前だし、もともと野球が国技の国だから。
 
サンチャゴ爺さん。
麦わら帽子に白い下着のような上下を身に付けているイメージ。
メキシコの農民。
ウエスタンにおける、枯れ木も山の賑わいレベルのエキストラ風。
で、無精ひげ。
 
当時の私の<文学趣味>から言って、ヘミングウェイの最初の作品として『老人と海』を読んだ事が良かったのかどうか。
 
ヘミングウェイの小説は、その会話体と心象風景を削ぎ落した地の文に特徴があります。
 
しかし、この作品においては、登場人物がほとんど一人で、舟でたゆたう部分なんかはどうしたって心の中を描かざるを得ないでしょう。
 
そこがどう処理されていたか。
 
【「びんながだ」と老人は大きな声でいった、「こいつはりっぱな餌になる、十ポンドはかかるだろう」
 
老人は自分がいったいいつごろから、こんなに大声でひとりごとをいうようになったか思い出せない。
昔は、ひとりでいるとき、よく歌をうたったものだ。】
 
 
そう来たか、という感じ。
 
そして、地の文の描き方はというと、
 
「老人は考えた」「老人はおもった」「老人は思いだした」――。
このあとに続くのは<心の中のおしゃべり>です。
 
その中には、
だが、と老人は考えた、おれは大丈夫だ。ただ、どうやらおれは運に見はなされたらしい。いや、そんなことわかるものか。きっときょうこそは。とにかく、毎日が新しい日なんだ。運がつくにこしたことはない。でも、おれはなにより手堅くいきたいんだ。それで、運が向いてくれば、用意はできてるっていうものさ。】
 
”毎日が新しい日なんだ” という名ゼリフが含まれています。
 
もう一つ、名ゼリフと言えばこれがあります。
 
「けれど、人間は負けるように造られてはいないんだ」 とかれは声に出していった、「そりゃ、人間は殺されるかもしれない、けれど負けはしないんだぞ」
 
これなんか、ハードボイルドならチャンドラーが、冒険小説ならバグリイが使いそうなセリフですね。
 
とにかく、このサンチャゴ爺さんは饒舌です。
 
陸にいる時の少年との対話はともかく、海に出てから、”カリブ海ひとりぼっち” 状態になってからもずっとです。
声に出しても、心の内でも、喋り続けです。
鳥に話しかけ、魚に話しかけ、獲物のマカジキに話しかけ、敵のガラノー(汚れ鮫)に話しかけます。
静かになったのは、陸に戻って、自分の家で眠りについたあとでしょう。
 
この小説の海での場面、おしゃべりなサンチャゴ爺さんの「 」(カギカッコ)を外したとしても成り立つと思われます。
 
いわゆる。意識の流れが顕在化した会話文が連なり、本人でさえ声帯を通したものなのか、心の内で留まっているものなのか、判然としないところがあるのではないでしょうか。
 
また回想として、黒人との腕相撲や浜辺で戯れるライオンのことが出て来ますが、そこではお喋りを控えています。
 
この辺の書き分けかたが実にうまい。
 
進行形の意識の流れと違って、過去の出来事は完了形なので、言の葉に乗りにくいし、饒舌体にすると説明がどうしても入って来る。
 
それを避けるため、ヘミングウェイは回想場面を写実で描き切っている。
サンチャゴ爺さんを除け者にして。
 
ええ。
 
こっからは私の『老人と海』から得た連想と妄想です。
 
キューバの首都は『ハバナ』、『バハマ』と間違えたりしませんか?
 
『バハマ』の首都は『ナッソー』。
 
 この響きからこの近くにある『サルガッソー海』を思い浮かべてしまう
 のは私だけでしょうか。
 <船の墓場>としてつとに有名でしたが、最近は<バミューダ・トライアングル>
 取って変わられています。
 
*『老人』『海』『ライオン』というキーワードだけで、安易に「ライオンと呼ばれた
 男」と言う映画が連想されました。
 老境に入ってすっかり落ち着いてしまったジャン=ポール・ベルモン主演のの作品
 です。
 
初めて観たスペンサー・トレイシーの映画はジキル博士とハイド氏 
 (1941年)でした。
 共演はイングリッド・バーグマンラナ・ターナー
 だけど、役柄が逆だったような……。
 
*「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」
 
*ソトマイヨール。リナレス。キンデラン。パチェコ。コントレラス。
 ソトマイヨール以外は全部野球選手だな。
 
 
こういった分裂症気味の、連想・妄想・拡大の文言はこれからも時々(?)出て来ると思いますので、どうかご容赦下さい。
 
 
P.S.
それにしても訳者の福田恆存さん、アメリカ文学に手厳しいなあ。
やはり、シェイクスピアの第一人者ってところかな。
 
って思ってたら、なんとジェームズ・サーバーを訳してるってホントかよ。
 
まさか「マクベス殺人事件の謎」に引っかかって……。
……てな事あるわけないか。
 
 
 
 
 
 

224.「哲学する心」

梅原猛

小潟昭夫:解説  講談社文庫

目次

 

第一部  哲学とは何か

          哲学の復興

          哲学者であること

人間とは何か

平和の哲学の建設

平和哲学の生命

実存主義の実存的批判

 

第二部  日常性の哲学

日常性の哲学

余暇について

遊びについて

「笑い」の哲学

日本人と「笑い」

新たな奴隷

 

第三部  仏教の再発見

仏教への旅

仏教的人間とは何か

仏教の再発見

日本文化と仏教

宗教的痴呆からの脱却

 

第四部  日本を考える

明治百年と今後の百年

日本足で歩け

ヨーロッパ世界の崩壊

怒りの文明と慈悲の文明

愛は文化を創造する

茶道に関する哲学的断章

カルタと日本人の美意識

パントマイムと実存主義

賢治はなぜ童話を書いたか

文学と正義感

風化する戦争の記憶

理由なき死にあえぐ

戦争文学への期待

現代の勇気

論争について

 

 

 

「哲学」

 

はっきり言って、いまだに苦手です。

 

あらゆる事象に言葉を与え、論理で括り、次元を異にして展開させる。

 

『理屈』と『哲学』は同意語だ、とある友人は言っていましたが、当らずといえども遠からず、という感じです。

 

そんな中でこれほど『哲学』に入りやすい本があるだろうかと思えるのが本書です。

 

まさに『入門書』の鏡です。

 

――まあ『入門書』だとはどこにも書いてありませんが。

 

 

 

私がこの本でまず行ったのは、

 

『哲学する』ことではなくて、『仏教する』ことでした。

 

それまで知らなかった仏教の世界観に圧倒された感があったからです。

 

 

 

 

 

【ところでわたしのいいたいものに、仏教のこころの研究というものがある。】

 

【古い仏教教学の中心に唯識という思想があって、奈良仏教は、はじめは三論がはいるが、だいたい唯識教学が中心です。】

 

【識というのはこころであり、唯識哲学はこころの研究をした。】

 

【眼識、耳識、鼻識、舌識、身識というようないわゆる感覚的意識である五識の上に、意識があり、その上に末那識という無意識と阿頼耶識というような宇宙的自我意識がある。】

 

【そういう八つのこころがどのようにあらわれるかということを緻密に研究しているのです。】

 

【この思想は有名な無著、世親と言う人にはじまって、玄奘三蔵により中国にもたらされ、まもなく日本にくる、そうして奈良時代にパッと花がさく。】

          

【唯識というのは、ひじょうに深いこころの研究をしていて、じつに微妙な世界なのである。】

 

【ヨーロッパの意識、こころというものを考えると、第六識までであるが、唯識ではそのほかに末那識、阿頼耶識というものがある。】

 

【末那識というのは、自我に執着する意識であり、阿頼耶識というのはほんとうの自我、刻々ながれる生命のようなものである。】

 

【その阿頼耶識のもとに末那識というものがあるわけです。】

 

【ヨーロッパの哲学で、やっとフロイドやニーチェが考えたのは末那識までで、阿頼耶識はヨーロッパではなかなか考えられない。】

 

【ヨーロッパでのこころは、だいたいは意識の段階である。】

 

【ところが、日本で、あるいは東洋でいうこころの研究にはもっと深いものがある。】

 

【禅はその阿頼耶識の部分を拡大した宗教である。】

 

【つまりこころの分析をするというよりは、一挙に阿頼耶識の段階へ到達する。】

 

【その禅が生みだされるまではそういうこころの緻密な分析をするわけで、じつにデリケートな、繊細なものです。】

 

【阿頼耶識は深い人間の煩悩のすがたを見ている。】

 

【こういうのが奈良時代から、日本に入ってきて、それが日本の文化のなかにずっと定着している。】

 

 

 

 

これをきっかけに、仏教関係の本やその他の宗教の本、また、どう派生したのか、世界中に散らばっている失われた宗教や神話のたぐいにまで興味の範囲が拡がっていきました。

 

 

 

 

あと、前回やった『共産党宣言』に関連して、

 

 

【かつては、日本の多くのインテリにとって、マルクス主義は絶対無謬の真理であった。】

 

【このマルクス主義の絶対無謬への確信は、マルクス主義に基づく政治組織の絶対無謬への核心と連なっていたが、この確信を現実の歴史そのものが裏切ってしまった。】

 

【ソ連におけるスターリン主義の残酷さ、中国における毛沢東主義の非文化性、それはマルクス主義そのものから直接出てはこないにしても、マルクス主義がそういう残酷さや愚劣さを生みやすいものであることは否定できない。】

 

【貧困と差別は資本主義が生み出した二つの大きな悪であったであろうが、この悪に挑戦したマルクス主義は、二つの悪を除くに急なあまり、他の悪を、たとえば独裁、恐怖、非文化などの悪を引き起こさなかったか。】

 

 

 

『動物農場』にも引っかかってくるなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

225.「クリスマス・カロル」

チャールズ・ディケンズ

村岡花子:訳   新潮文庫

 

スクルージ。

 

彼の名も有名ですね。

 

あと、「キャロル」じゃなくて「カロル」とした、村岡花子さん。

 

キングス・イングリッシュでは、<CAN>を ”キャン” と発音せずに、”カン” と発音する。

こだわってらっしゃる。

 

さすがに「花子とアン」、「赤毛のアン」の伝導者。

 

また、中田英寿選手がイングランドのプレミアリーグに移籍した際のインタビューで、この<キングス・イングリッシュ>を見事に操っていたとして、感心しきりだった事を覚えています。

 

ビートルズのインタビューもちゃんと聞けば判るかも。

 

 

守銭奴のスクルージがクリスマス・イヴに、三人の幽霊に連れられて、過去・現在・未来の旅をした結果、改心をするというお話。

 

 

「クリスマス・カロル」の「カロル」とは礼拝の時などに歌われる讃美歌の一つだそうです。

 

 

それにしても、これだけ有名な作品がちゃんと映画化されてないのはどういうわけでしょう。

 

アニメだったり、TVムービーだったり、時代を変えていたり。

 

私が観たのは、ビル・マーレー主演の「3人のゴースト」。

 

本家英国で、戦前に作られたものがあるようだけど、戦後の早い時期にデヴィッド・リーンとかキャロル・リードが撮れば良かったのに。

 

リーンなんて「大いなる遺産」とか「オリヴァ・ツイスト」とか、ディケンズの作品を映画化してるのに。

 

 

 

 

 

 

          

 
 
 

226.「悲しみよ こんにちは」

フランソワーズ・サガン

長編   朝吹登水子:訳  新潮文庫

 

高二か高三だったと思います。

 

サガンのインタビュー集が出るという宣伝が、新聞紙上を賑わせました。

「愛と同じくらい孤独」。

その表紙となった、左ひじを曲げて、親指を口元に当てがったポートレートを見て、一言。

「この娘はいつまでも変わんないね」

 

 

 

 

【若く美貌の父親の再婚を父の愛人と自分の恋人を使って妨害し、聡明で魅力的な相手の女性を死に追いやるセシル……。】

 

【太陽がきらめく、美しい南仏の海岸を舞台に、青春期特有の残酷さをもつ少女の感傷にみちた好奇心、愛情の独占欲、完璧なものへの反撥などの微妙な心理を描く。】

 

【発表と同時に全世界でベストセラーとなり、文壇に輝かしいデビューを飾ったサガンの処女作である。】

                                            <ウラスジ>

 

1954年、サガンが十八歳の時です。

 

えっと。

Googleでサガンを検索したら、ポートレートにジーン・セバーグの写真が使ってありました。

 

これって、マーガレット・ミッチェルのポートレートにヴィヴィアン・リーの写真を使うようなもんですね。

 

 

 

と、いうわけで(?)、こっからは映画の話に舵を切りたいと思います。

 

 

◎「悲しみよこんにちは」 Bonjour Tristesse)

1958年
 
 
 
 
 
監督:オットー・プレミンジャー
脚本:アーサー・ローレンツ​​​​​​​
撮影:ジョルジュ・ペリナール​​​​​​​
音楽:ジョルジュ・オーリック​​​​​​​
 
出演
ジーン・セバーグ
デボラ・カー
デヴィッド・ニーヴン
ミレーヌ・ドモンジョ
 
 
原作は世界的なベストセラーですが、映画の方もセシルに扮したジーン・セバーグの超ショート・ヘアーが『セシル・カット』として一世を風靡するなど、かなりのヒット作となりました。
 
 
 
 
 
 
監督のオットー・プレミンジャーはモンローの「帰らざる河」や「栄光への脱出」が有名ですが、私は「バニー・レークは行方不明」がお気に入りです。
 
また俳優としても、ウィリアム・ホールデンがオスカーを獲った「第十七捕虜収容所」なんかに出ていますが、私たちの時代からすると、<バットマン>の『アイスマン(ミスター・フリーズ)』の印象が強いかも知れません。
 
 
 
 
 
 
脚本は「ウエストサイド物語」のアーサー・ローレンツ。
音楽は「赤い風車(ムーラン・ルージュ)」のジョルジュ・オーリック。
撮影は、ルネ・クレールの一連の作品「巴里の屋根の下」「自由を我等に」「ル・ミリオン」などのジョルジュ・ペリナール​​​​​​​。
 
フランス色が強そうですが、英・米の合作映画です。
出演者となると、ミレーヌ・ドモンジョだけがフランス人のような――。
あと、ジュリエット・グレコが本人役で出ていたような。
 
 
 
 
 
ジーン・セバーグはアメリカ人ですが、このあとゴダールの「勝手にしやがれ」に出演し、もう一つの代表作を得ます。
ジャン=ポール・ベルモンドとは「黄金の男」でも共演しています。
 
 
 
 
 
デボラ・カー、ああデボラ・カー。
 
「黒水仙」「クォ・ヴァディス」「地上より永遠に」「王様と私」「お茶と同情」……。
 
これだけの代表作を持ちながら、オスカーを手にする事が出来なかった名女優が他にいるでしょうか。
 
 
 
デヴィッド・ニーヴン。
三船敏郎の友人。
「太陽にかける橋/ペーパー・タイガー」で共演。
「嵐が丘」に出てた髭のない時代より、「八十日間世界一周」とかの髭ありダンディーのイメージのほうがよろしい。
デボラ・カーとは同じ年に群像劇の「旅路」(主演男優賞)で共演し、あのカルト007、「カジノロワイヤル」でガッツリ寄り添っていました。
 
「ナバロンの要塞」「北京の55日」「ピンクの豹(ピンク・パンサー)」「名探偵登場​​​​​​​​​​​​​​」「ナイル殺人事件」「オフサイド7」……。
 
こうして見るとオールスター映画が多いなあ。
 
そん中で存在感を示してるって何気に凄いよな。
中村正さんのアフレコとともに生き続けてる。
 
 
 
 
 
 
 
ミレーヌ・ドモンジョ。
新人時代のアラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドが出ていた
「黙って抱いて」、ふたたびドロンと共演した
「お嬢さん、お手やわらかに!」、そして、コクトーの稚児、
ジャン・マレーの「ファントマ」シリーズ
 
BBよりもコケティッシュでおちゃっぴいな感じが好きでした。