<堕ちる・鳴る・散る・撃つ>
227.「堕落論」
短編集 磯田光一/檀一雄:解説 角川文庫
収録作品
1.日本文化私観
2.青春論
3.堕落論
4.続堕落論
5.デカダン文学論
6.戯作者文学論
7.悪妻論
8.恋愛論
9.エゴイズム小論
10.欲望について
11.大阪の反逆
12.教祖の文学
13.不良少年とキリスト
あまりにも有名な、安吾の戦後日本人論。
『堕落論』そのものは、わずか十頁ほどの考察に過ぎませんが、そのエッセンスはその中の最後の数行、一段落にあると思います。
【――人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。】
【人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。】
【それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことは出来ない。】
【人間は生き、人間は堕ちる。】
【そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。】
とした上で、こう結びます。
【戦争に負けたから落ちるのではないのだ。】
【人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。】
【だが、人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。】
【なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄のごとくではあり得ない。】
【人間は可憐であり、脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。】
【人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。】
【だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。】
【そして人のごとくに日本もまた堕ちることが必要であろう。】
【堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。】
【政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。】
この中の『刺殺される処女』とは、戦時中に奨励された<武士道>から派生した一つの象徴です。
まず四十七士の処刑を採り上げ、せっかくの功名を生き長らえて汚すことが事が無いように、老婆心から処刑を断行したらしいというところから、
「美しいものを美しいままで終わらせたい」
というごくありふれた一般的な心情を利用した上で拡大し、
「忠臣は二君に仕えず」
「節婦は二夫に見えず」(戦争未亡人の新たな恋を許すまじ)
そして、
「処女を刺し殺してその純潔を保たしめる」
というところまで飛躍させたものの象徴であるようです。
この発想、青年たちを死地に送り込んだ特攻隊の指揮官たちの、最終的な免罪符となっていたのかも知れません。
この評論・エッセイ集の中で、私が『堕落論』よりも興味を持ったのが、「大阪の反逆」と「不良少年とキリスト」の二作品でした。
「大阪の反逆」は織田作之助の死、「不良少年とキリスト」は太宰治の心中を扱っています。
そうした上でそれぞれの<人と作品>を、軽妙なカタカナ使い、いわゆる”安吾調”で書いていま
す。
とくに太宰の ”トリセツ” は笑えます。
また「大阪の反逆」の中で、戯作者としてのオダサクを評価する半面、何故にというか、当然というか、引っ張り出された志賀直哉のことをボロカスに書いています。
これも笑ってしまいます。
「教祖の文学」は小林秀雄についての事ですが、これはまた別の機会に。
228.「八点鐘」
短編集 堀口大学:訳 新潮文庫
収録作品
1.塔の天辺で
2.水瓶
3.テレーズとジェルメーヌ
4.映画の啓示
5.ジャン‐ルイの場合
6.斧を持つ貴婦人
7.雪の上の足跡
8.マーキュリー骨董店
連作短編集です。
八つの章からなる長編小説とも言えます。
セルジ・レニーヌ公爵ことアルセーヌ・ルパンが、若く美しい未亡人オルタンス・ダニエルを、いかにして落としたか(?)の三月の間の記録でもあります。
盗みを働かないルパンを探偵とした、バラエティに富む、完全なる推理短編集です。
その八つの話は、訳者の堀口大学氏の<あとがき>から引用させていただきます。
【第一の冒険】
『塔の天辺で』。これは遠距離殺人のトリック、そしてこの長篇の出発点。必要な要素の全部が無理なくここに提示されている。十年近くも以前に失われた古いコルサージの止め金を取り戻して貰いたいとオルタンス・ダニエルがルパンに対して、難題を提出して、彼の能力の試金石とする。
『遠距離』と言えば、『皇帝のかぎ煙草入れ』と
『化人幻戯』。
塔と言えば、ラプンツェル。
【第二の冒険】
『水瓶』は、凸レンズの焦点に人知れず太陽光線を集中して、火災を起こし、証拠煙滅を計るという科学応用のトリックが当時としては新しく、珍しがられた。
アンクル・アブナ―の『ズームドルフ事件』。
【第三の冒険】
『テレーズとジェルメーヌ』は、犯人の姿のない密室殺人。犯行の空間と時間のずれを巧みに利用したこれはトリックだ。
犯行現場はどこ?
【第四の冒険】
『映画の啓示』には、特にこれというトリックはないが、主役達の心理の推移をルブランの優れた描写力で読者に十分納得させる。結末、裏をかいて、犯人を自動車にのせ、居並ぶ警官達の目の前で連れ出すあたりの温情は、ルパンならではのシックな味だ。
他人を変装させるのもお手のもの。
【第五の冒険】
『ジャン‐ルイの場合』にも取り立てて言うほどのトリックはないが、作者の奇才がどこまでも目立つ。
『二人の母を持つ男』。
ジャン‐ルイと言えば、トランティ二ヤン。
【第六の冒険】
『斧を持つ貴婦人』は、ルパン大好きの慣用手段、新聞の三行広告の利用で、五里霧中、とうてい見当のつきそうのなかった狂女による残酷な連続殺人事件が解決するが、途中ルパンが、自分の愛する同伴者オルタンス・ダニエルが、第何番目かの犠牲者の座に拉致されたと知った以後の圧倒的な切迫感には鬼気が感じられる。
『狂っちゃいねえぜ』。
【第七の冒険】
『雪の上の足跡』は、ルブランがここに用いて以来、ひろく用いられるに至った足跡トリックの原型的な第一作だ。
H・Mの『白い僧院の殺人』。
犯人はマイケル・ジャクソンか。
【第八の冒険】
『マーキュリー骨董店』は、この長篇の締めくくり、結語にふさわしいノスタルジックな詩情に溢れる好佳篇、奇抜な隠し場を見抜くルパンの推理力もさることながら、敵に勝利を信じさせて置いて、こちらでは悠々その裏をかきシャンパンの祝杯をあげるあたりは、ルパン・ファンの溜飲のさがること正に三千丈というところ。
マーキュリーはヘルメス。
ヘルメスと言えば、ヘルロック・ショルメス。
堀口さんにしては、まともな解説だったなあ。
229.「赦免花は散った」 木枯し紋次郎
短編集 武蔵野次郎:解説 角川文庫
収録作品
1.赦免花は散った
2.流れ舟は帰らず
3.湯煙に月は砕けた
4.童歌を雨に流せ
5.水神祭に死を呼んだ
木枯し紋次郎、初登場の作品と、それを表題作にした短編集です。
これは私にとっては ”異色” の短編集でした。
木枯し紋次郎ものの、処女短編集を持ってして何が ”異色” だったかと言うと――。
元々テレビドラマが先にあって、小説はその後、しかもその『六地蔵の影を斬る』はある程度紋次郎ものが、こなれてきた時代の作品集でした。
ですから、私にとっての『木枯し紋次郎』は、股旅ものの無宿人で、つねにどこかの山路を歩いていて、どこかの宿場町についてから、何かしらの事件に巻き込まれる、と言ったイメージが出来あがりつつあったのです。
それが初登場の『赦免花は散った』では丸っきり違っていました。
三宅島に送られた流人としての登場です。
この時から、紋次郎の<キャラ付け>が始まります。
【その渡世人は、左の頬に傷痕を持っていた。】
【もちろん、刀傷である。】
【小さい傷だから、それが顔を醜くしているということはなかった。】
【ただ笑ったりすると、その傷の両端が引き攣るようになった。】
【もう一つの特徴は、いつも妙なものをくわえていることだった。】
【竹を畳針ほどの太さに削ったもので、両端がとがっていた。】
【一見、楊枝のようであった。】
この他にも、江戸に居たことや、今年で三十になる、と言った事が明かされます。
【渡世人はたまに、竹を加えた口で笛のような音を鳴らした。】
【音は、鋭く吹き抜ける冷たい風を連想させた。】
【冬の夕暮れに吹く、凄みがあってもの哀しい木枯しの音に似ていた。】
出自や通り名の由来も明らかになります。
【その渡世人の流人証文には、『上州無宿、紋次郎』とある。】
【それをもう少し詳しく言うならば、上州新田郡三日月村の生まれで、無宿渡世、三日月の紋次郎であった。】
【しかし、別名もあった。】
【渡世の世界ではもっぱら、木枯し紋次郎と呼ばれていた。】
【その木枯しという俗称はもちろん、細い竹をくわえて吹き鳴らす音から来ている者だった。】
幼馴染みの兄弟分の身代わりとなって、島送りにされた紋次郎ですが、その兄弟分の嘘と裏切りを知った時、島抜けを断行します。
そしてその先に待っていた意外な事実とは――。
流人時代の紋次郎はこんな事を言っていました。
「あっしらの間に嘘はござんせんよ。餓鬼の時分からの仲だし、渡世の道と男の約束事に裏切りは許されておりやせん。」
そう言っていた紋次郎は、裏切って自分を罠にはめた兄弟分の始末をつけたあと、
「あっしには関わりのねぇことで」
というスタンスで、当てのない旅に出ることになるのです。
230.「芽むしり仔撃ち」
長編 平野謙:解説 新潮文庫
大江健三郎さんの初となる長編小説です。
【大戦末期、山中に集団疎開した感化院の少年たちは、疫病の流行とともに、谷間にかかる唯一の交通路を遮断され、山村に閉じ込められる。】
【この強制された監禁状況下で、社会的疎外者たちは、けなげにも愛と連帯の ”自由の王国” を建設しようと、緊張と友情に満ちたヒューマンなドラマを展開するが、村人の帰村によってもろくも潰え去る。】
【綿密な設定と新鮮なイメージで描かれた傑作。】
<ウラスジ>
まず断っておかねばならないのは、この物語は<寓話>だということです。
解説の平野謙さんも書いておられますが、戦時中とは言え、いくらなんでも、といった設定で話は進んでいきます。
ですが段々と、その作者が作り上げた世界に魅き込まれて行くことになると思います。
感化院は今で言う所の『児童自立支援施設』のことです。
非行少年、不良少年、身寄りのない少年たちを入所させる場所で、少年院とは違って、”犯罪以前” の少年が集められています。
この根っからのワルでない少年たちが、隔離された山村で<自由の王国>を作り上げていくのです。
このあたりまで読んで来ると、少年たちへの肩入れも増してきて、なにかしら応援している自分を見出してしまいました。
そうして、、”この状態がまだまだ続きますように” と願ってもしまいます。
……これは珍しい反応です。
このあと、子どもたちや少年たちが、自分たちだけで共同生活せねばならない状況を描いた小説をいくつか読みましたが、大体において、”早くこの状態を打破してくれ” と念ずるようなものでした。
王道の「十五少年漂流記」は言うに及ばず、「蠅の王」ともなると、”一刻も早く” と歯軋りしたものです。
少年達の王国は、村人たちの帰村によって、崩壊します。
村長は色々と不都合な事を隠蔽するため、やんわりと少年たちに言い含めます。
少年たちがそれを拒絶すると、途端に本性をさらけ出し、こう言い放ちます。
「ふざけるな」と村長は喚いた。
【おい、ふざけるな。おいお前は自分を何だと思ってる。】
【お前のような奴はほんとの人間じゃない。】
【悪い遺伝をひろげるだけしかない出来ぞこないだ。】
【育ってもどんな役にもたたない」】
村長は僕の胸ぐらをつかみ、僕を殆ど窒息させ、自分自身も怒りに息をはずませていた。
そしてこの小説の一風変わった題名の由来となる言葉が発せられます。
【いいか、お前のような奴は、子供の時分に絞めころしたほうがいいんだ。】
【出来ぞこないは小さいときにひねりつぶす。】
【俺たちは百姓だ、悪い芽は始めにむしり取ってしまう】
あくまで寓話です。
しかし、この村長はじめ、村人たちの描き方が峻烈ですねえ。
大江さん御自身が四国(愛媛)の山村出身なだけにここまで露悪的に書けたんですかね。
ちょっと話はズレますが、戦時中、疎開先の農村で百姓やその子供に苛められたという話を何人かの作家さんが書いておられます。
野坂さんや筒井さんがそうだったと思います。
逆に、戦争当時農村にいて、都会からきたスカした大人や子供のことを回想するような話にはあまりお目にかかりません。
探せばあるんだろうか。
今思い浮かばないだけなんだろうか。