等質な二度目 -7ページ目

等質な二度目

最短距離がベストじゃない。目指すは安住の地
there is no reason when we think about friends    by k.yokoyama

ryodanにとって、究極的に突き詰めていくと、人生の先生は、高倉健さんになる。

一生超えることが出来ない先生。

多くを語らず背中を見てもらう。

最近ずっと健さんのことばかり考えてしまう。

日本人が忘れてしまった何か。

芯の部分。

正確ではないけど彼が亡くなって、堰を切ったように、常軌を逸した暴力が噴き出してきた。

自分の要求が通らないと、赤の他人に逆上したり。

公然と誰かを傷つけたり。

自分の主張を声高に放ったり。

しかも徒党を組んで、数の力に頼った子供染みた言動。

弱い者を徹底して排除する社会。

深く知りもしないで、一斉に攻撃、嘲笑する。

それらを守れない社会。

物事の道理が破綻しているのに、道理を説明したところで、一体何が変わるのか。

戦後最大の大量殺人犯に、何を言えばいいのか。

ちょっと待て。

戦後最大って。

じゃ、戦中はどうだったんだ。

戦争=大量殺人でしょうが。

人殺しの祭典。

独裁国家の行き着く先は、もう一度戦後をやり直すこと。

ナチスの残像が見える政権。

そっか、アーレントの「貴族的であれ」は、健さんと結びつくところがあるのか。

そういうことでしょ?國分さん。

 

 

 

 

 

 

 

昨日、代々木体育館にて。

ナマで試合を見るのは、何十年振りだろうか。

カラダがうずく瞬間もあり、ドキドキを味わった一夜でした。

試合内容は、課題山積。

まず、走らない。

無駄と分かっても走らないと。

世界と戦いたいなら、スピード。

体格では圧倒的不利なんだから。

自陣のコートへ戻るのもちゃんと走る。

ファストブレイクをもっと使わないと。

パワープレイが通用するのは、日本の中だけ。

あとリバウンド。

ゴール下のリバウンドの競り合いが、ほとんど見られなかった。

絶対に決まるシュートなら分かりますけど、ほぼ外れるんだから。

リバウンドで救ってくれると、外から安心して無茶なシュート態勢からでも打てるんだから。

ディフェンスだって、そこで取れば、ファストブレイクの可能性だって出てくる。

NBAっぽいことして、ぬるいことしてたら、ファンは引きますよ。

それっぽいことしても、ファンの見る目は肥えてますからね。

もっと泥臭く。

青臭いかもしれないけど、ちゃんと声出そうよ。

スクリーンにあんな簡単に引っかかるのはマズいでしょ。

子供に、ちゃんと基礎から裏打ちされたプレイだってことを分からせないと。

4年なんて短いですよ。

 

小学生からバスケットボールを始め、高校で開化。

高校では、色んな理論や技術を吸収した。

夕方から8時くらいまで部活。

その後、シュートの自主練。

まがりなりにも、それなりのポジションだったので。

遅い時には、10時くらいまでやってたなぁ。

成長期だから、刻々と体が変化する。

だからシュートフォームが、知らず知らず崩れていく。

一時スランプに。

そこで顧問が、付きっ切りで面倒みてくれて。

お互い一銭にもならないことを、一生懸命歯を食いしばって。

そういうの、今では絶対にないことですから。

感謝してます。

今時のプレーヤーは、がたいがでかく、当たり負けしないですね。

理論も技術もだいぶ変わってますし。

これからの発展を期待してます。

 

 

 

 

 

 

自分が10代の頃、歌というものが、周りの友達と共有できなかった。

まぁ、真面目に勉強、部活と打ち込んでいて、不器用だからか、ここから娯楽に触れる時間がなかった。

もともとそんなに関心がなかったのも事実。

自分自身が音痴だって言うのが最大の理由でしょうね。(笑)

土曜日の深夜が唯一時間が空く。

その頃テレビでやっていたのが、ベストヒットUSA。

自然と洋楽に漬かる。

でも英語はさっぱり分からないから、形だけ。

映画は好きだった。

日本語吹き替えで、よくテレビで流していたので、見てたね。

そこで出会ったのが、ブルース・ブラザーズ。

彼等の、劇中のライフスタイルが、メチャクチャカッコよくて。

当然音楽もカッコよかった。

その作品の中で、J・BやR・チャールズやアレサ・フランクリンなど、一流のミュージシャンが出ているわけ。

なんかスゴイなと感じながら、当時は上記のミュージシャンを誰も知らない。

とまぁ、色んな人生経験を経て、R&Bを知り、ソウルを知り、巡り巡って、オーサカ=モノレールのライブとなる。

このバンド、ホンマモンのソウルバンドでした。

ボーカルの中田さん、声がイイ。

W・ピケットやJ・Bの声に似てるんですよ。

ゴニョゴニョ言ってる英語が、黒人独特のアクセントになっていて、ホントにホンマモンでした。

演奏も素晴らしかった。

ものすごく近くで見ていたので、あのアイコンタクト。

演奏が変幻自在。

レキシの時も思ったけど。

FUJIROCKに行ってから、音楽の素晴らしさを知りました。

 

 

フランス発の映画祭。

「考古学と帝国の記憶」、「我々の罪はフィルムである」の二作品を一挙に上映。

UPLINKにて。

個人的にUPLINKの上映環境が好きです。

ちょっと家庭的なところがありますね。

今日見た二作品は、実験的な映像作品。

結構、音にも重点を置いていましたね。

ナレーションが印象的だった。

最初の作品は、ウォール街占拠のデモと、PTSDを抱えた元米兵のインタビューをクロスさせた作品。

国に異を唱える市民と、国に従順に仕え、心がボロボロになった元兵士。

テーマが分かりづらかった。

もう一つは、ドローンの映像。

グローバルホークです。

イラク兵に照準を合わせる映像。

赤外線カメラで、映し出される人間は白くクッキリと写り、爆撃されると白い肉片が飛び散る。

衝撃的な映像でした。

確かに、この映像を見せられては、罪を感じざる得ませんね。

いろんな映画がありますね。

 

高江で自衛隊機使って、工事車両を搬入させる。

何故そこまでしないといけないのか。

あれだけ反対しているのに、何の呵責もないのか。

蹂躙とは、まさにこのこと。

米軍がせっついたのか。

自衛隊機を使ったっていうのが、いかにもなところ。

やり方が汚い。

八重洲ブックセンターにて。

國分功一郎氏×互盛央氏。

哲学について、全くの素人です。

これに参加したのも、どこかで生きてく指針が、少しでも吸収出来たらなと思って。

人類が今日まで生きてきて、何千年と言うのに、いまだにギリシャの哲学者の名前が出てくるって、人間はたいして変わらないんだなと思いました。

人間の後に哲学があるはずなのに、いつの間にか、哲学の後に人間がある時代になっているのかなとも思いました。

それだけ世の中が混沌としているからなのでしょうか。

今の時代だからこそ、自由や権利といった言葉を、深く考えなければならないのではないかと、両氏も仰っていました。

そこまで立ち返って、ひいては憲法の成り立ちを、言語から考えてみる。

そういえば、よく言われるのは、日本は文明開化以後、自由や権利は、学問という形で入ってきたので、市民自らの手で勝ち取った訳ではないから、根付いていないし、それに当てはまるちゃんとした言語がないって。

確かにそうですが、そこを突いても何も生まれてこないので。

立ち止まっている訳にはいかないですから。

両氏の議論のような雑論のような、哲学的分析は、ほぼチンプンカンプン。

周りの人は、國分さんの、互さんの冗談めいた思索にドッと笑いが起こるんですけど、ちっとも分かんない。

その憐れさに自嘲してみるんですけど。

全然楽しくないんじゃないんです。

自分の知らない世界が、こんなところにあったんだという、好奇心の方が大きかったです。

哲学って、何度も何度も議論されるべきもので、その今の社会で生きていく最適解を論じ合う、そういうものではないかなと思いました。

決して例外を排除しない。

そして哲学者の生き様が、そのまま哲学になっていく。

アーレントの「貴族的であれ」という話をされた時、あ、間違ってない、と。

自分の向かうべき方向が分かった気がしました。

 

 

明治大学にて。

「駆け付け警護任務付与で自衛隊はどうなる?」というお題。

今、南スーダンで展開されている自衛隊の存続意義が問われています。

布施氏から、南スーダンという国の成り立ちを説明してもらいました。

やはり情報源は、英語資料。

素人では、おいそれと手に入れることは、なかなか難しいです。

どういう経緯で、自衛隊が南スーダンへ派兵されたか。

そもそもは、民主党政権下で決定されたこと。

南スーダンは、潤沢な産油国。

その利権にありつこうと、治安維持をかってでたわけ。

海外での武力行使は、憲法上禁止されている。

しかし、国連は、文民保護を積極的に推し進めている。

そして、先制攻撃も辞さないとの見解を、1999年に世界に提唱した。

しかし自衛隊は、先制攻撃は出来ない。

そこから、伊勢崎氏の、現場にいたからこその見解、ものすごく重たい課題が突き付けられました。

既に自衛隊と憲法9条は、無理やり解釈を捻じ曲げて捻じ曲げて、ここまできたということ。

しっかりとした軍法で、隊員を軍人として守ることを、ないがしろにしてきたということ。

言葉のマジックで、出来る出来ないを論じて、後付けで法整備が付いてくる。

そこに駆け付け警護の任務付与。

先走る政府に、自衛隊と憲法との整合性が限界にきていると。

文民保護の観点から、今すぐに自衛隊が撤退することはできない。

なし崩しの政府見解。

ここまで来たのなら、いっそ原点回帰してみた方がいいのではと、伊勢崎氏。

どっと疲れましたね。

どこから手を付けるのが現実的なのか。

自分の本音を言えば原点回帰こそ、9条死守、いかなる戦力も保持しない、なんですけど。

果たしてそれが、どれくらい説得力のあるものか、不安です。

いかにも現実的な脅威論で、煽られれば9条はひとたまりもありません。

9条2項に手を付けても良いと思っている人は、かなりな割合でいます。

だから、ちゃんと納得いくまで議論したいです。

 

非戦を選ぶ演劇人の会。

この存在を知ったのは、去年の今ぐらいの季節かな。

ちょうど国会前にいた時だった。

前作、「明日、戦場へ行く」を後にシナリオで読みました。

今回は、ちゃんと舞台の上での作品を見る機会に恵まれました。

キャストは映像作品で、見たことある人ばっかりで、個人的には、もうオールスターキャストでしたよ。

作品はノンフィクションです。

新聞、資料、コメント、フェイスブック等、様々な所から引用したものを台詞として、俳優陣が演じる。

この膨大な資料、すなわち台詞は、今まさに現実で起きていることを詳細に語ってくれました。

見過ごしていた事例もありました。

よくここまで取材したなぁ、と驚嘆です。

日本が戦争の道をひた走る姿に、戸惑う主人公を既成事実で圧迫していく。

身動きが取れない、そんな状態が、今沖縄で起きているのです。

在日米軍、自衛隊、沖縄防衛局、警視庁、公安が束になって、沖縄県民を排除しているのです。

民意などないのです。

所変わって、ジブチや南スーダンでは、もう実戦の準備に取り掛かろうとしています。

国策って動き出したら止まらないんですね。

じゃ、どうすれば。

声を上げるしかないんです。

考えて、声を上げて、いつしかその声が、石となってゴリアテの額に命中するかもしれないのです。

立ちはだかる機動隊に、声をかけ続ける沖縄の人達。

中には、自分のしていることが、どういうことか理解しているのか、涙を流す隊員もいるとか。

そういうところから希望を持ちたいですね。

 

 

 

 

 

行って来ました武道館。

池ちゃんワールド全開。

演奏が素晴らしかった。

何が素晴らしかったかは、上手く説明できないけど。

変幻自在とは、こういうことでしょうね。

フェスではグダグダで、3、4曲で終わってしまうのが、さすがソロコンサート、グダグダでも3時間超。

めいっぱい歌ってくれました。

ゲストも華やかで。

松たかこさんが来るとは思いもしなかった。

最後は大団円。

最高でした。