等質な二度目 -26ページ目

等質な二度目

最短距離がベストじゃない。目指すは安住の地
there is no reason when we think about friends    by k.yokoyama

今日は遠出で横浜美術館へ。

現代アートを特集し「忘却」というテーマで展示。

オモシロイこと考える人がこんなにもたくさんいることに、楽しくなってしまいました。

写真はゴシック調のデザインをトレーラーにはめ込んだ作品。

これ自体、何も生み出さないと思うでしょ。

でも何も生み出さないからって、無である必要はないんですよね。

バカバカしいほど意味をなさない様な作品もありますけど。

かえって楽しいですね。

言うなればフェスですから。

祭りなんです。

だから楽しめばイイんですよね。

夕飯は中華街で。

とても美味しかったです。



昨日、世田谷美術館へ。

日本文化が、こんなにも興味深く受け入れられているなんてビックリです。

浮世絵の大胆な構図。

そのまま影響されている作品にはニンマリ。

日本文化の奥の深さを再確認。

行ってよかった。


作者の個人的な考えや信条と、作品は別物だと信じています。

しかし作品に投影するのは、個人的な考えや信条であることもまた事実です。

ジレンマです。

昨今の著者のコメントに目をつむっていましたが、一応はっきりさせておきます。

この作品は、対米戦、つまり太平洋戦争についてのみ書かれた話です。

大東亜共栄圏を死守すべく、無謀な戦いに打って出た若者たちの話です。

勝てない相手に一矢報いる、日本特有の「負けの美学」によって特攻や玉砕なんて負の遺産が生まれました。

そうした背景で若者が次々と散っていく。。美談にならないはずがないのです。

そういう意味で、読者の心情を計算していたのかも知れません。

そしてこの作品が、戦争自体を美化しているとは思っていません。

理不尽な軍上層部の命令で、不毛な戦いに赴いて行った話なのですから。

ただ日本人を美化している感じはします。

そして日本人が陥りやすい歴史認識。

戦争は既に韓国や中国に侵略した時から始まっているのです。

真珠湾攻撃が始まりではないのです。

自分も何でか知らないですけど、やっぱりかい離したところがあります。

多分、8月の一連の追悼行事で、被害者意識だけが残ってしまっているのかもしれません。

さて著者は、この偏った歴史認識で、暴論を吐いています。

中・韓には強気な発言をしておいて、結局負けた米国には何も言わないのです。

強いものには口を閉ざす。

これでは作品が台無しですよ。

作品自体は感想で書きましたが、戦争について考えるにはオススメします。

が、言っときますけど一方向だけですからね。

これが全てだとは決して思わないでください。




最新エッセイ集。

今回は愛犬とびの死が全面に出てました。

さぞ辛かったでしょうね。

仕事面はものすごい量の仕事をしています。

質の高い脚本を毎回生み出せる才能に感服。

たまに映画マニアのうんちくにイライラ。

まぁ、自分とはジャンルが違いますけど。

ちょっとした嫉妬ですね。(笑)

映画や舞台の裏側を垣間見れて楽しい読書でした。


ようやく分かりました。

何故ryodanは、原発再稼働容認、集団的自衛権容認の考え方に嫌悪するのか。

彼らの主張は、一見正論に聞こえますが、酷く軟弱なものです。

国の利益、経済の発展等と、相対化させた理論で懐を大きく見せますが、なんてことはない、至極簡単な思考でしかないのです。

一番簡単な手っ取り早い解決方法を提示しているにすぎません。

高尚な話術で惑わされているだけです。

彼らの主張を聞くと、いつも疑問が付いて回るんです。

「それを述べて、率先してあなたは何かするのですか?」と。

最終処分場ならどこどこでいい、この程度の線量なら問題ない、自衛隊は中東へは行かない、戦争にはならない。

イイ気なもんですよね。

ボク考える人、アナタ働く人っていう図式なんです。

おいおいちょっと待て。

お前らは何様なんだ。

総理大臣がエライ?官僚がエライ?議員がエライ?

冗談ヌカセ。

誰の金で飯食ってんだ?

誰のために働いているんだ?

税金で、その高価なスーツを買っているんですよね?

税金で、その高価な食事を飲み食いしてるんですよね?

国民のために働くのが公務員でしょ。

だったら国民目線でしょ。

国民目線でモノを考えるのは、とても難しいことだと思います。

だって千差万別ですから。

どんなに優れた施策でも、必ずこぼれてしまう人達がいるんです。

こぼれてしまう人達のことをどれだけ考えることができるかだと思います。

誰がわりを食うのかってことです。

使い方を恐れずに言うなら、国民目線の絶対化ですよ。




祈るだけではいけないのか。

平和を祈ることがそれほど生産性のないものなのでしょうか。

積極的平和主義ってなに?

人を傷つけて平和って享受できるものなのかな。

昨日、「硫黄島からの手紙」を見ました。

二度目の観賞。

初見は2006年。

あの頃より戦争が近くに感じました。

不本意な死、不条理な死を身近に感じてしまいました。

暗澹たる気持ちです。



鴻上尚史最新作。

前回の再演から17年ぶりだそうで。

今回もその時と同じメンツでの鑑賞。

話の筋もオチも分かっているのに面白い。

鴻上さんは、時代をすくい取るのが上手い!

今回はこの作品のタイトルについて考えてしまいました。

「朝日をつれて」だと、なんだか陽気な感じがします。

輝くような光に照らし出され、始まりの予感がします。

「夕日をつれて」だと、やはり終わりを予感させます。

では「朝日のような夕日をつれて」だと。。

朝日のような煌々とした光をつれて歩いてくるイメージが浮かびます。

でも、その後に続く終わりが、光が強烈に照らし出している分、光が強ければ強い分、影は濃くなり、漆黒の闇が絶望をイメージしてしまいます。

そして、あの「ごあいさつ」に書いてあった、ギリギリで生きている人たちを思い起こさせました。

ギリギリで生きていながら、ギリギリを振り回さない人たち。

光り輝いて生きていく彼らも、心の闇は深く濃いんじゃないかな。

劇中の台詞で、「今の精神構造は、自分が17歳の時の経験が土台になっている」みたいなのがありまして、早速具合悪くなりましたよ。

なんでそんなこと言うかなぁ。(笑)

イイことなのか悪いことなのか、闇は簡単には消えないですね。

ほぼ毎日、とりとめもなく考えてしまいます。

肯定的な日もあれば、否定的な日も。

残酷な日もあります。

既成事実として納得している分、怒りのぶつけようがない。

あれ?

何書いてんだろ?

そんなこんな考えながら余韻に浸ってます。



広島、長崎とコピペで通した、鈍感総理。

まだわからないの?

あなたは、あの出席者達の気持ちを踏みにじっているんですよ。

その怒りを買いましたね。

当然です。

「集団的自衛権は、憲法を踏みにじる暴挙」

と仰った、長崎の被爆者代表の言葉。

溜飲が下がりましたね。

あなたは何を感じましたか?

ボケ~っとした顔で聞いてましたね。

皆さんの怒りや悲しみが分からないのか。

そもそもわかろうとしてないんですよね。

なんせコピペですから。

情けないですよ。

69年目ですよ。

それが何を意味しているか深刻に考えてみたらどうです?


福島に環境大臣が中間貯蔵移設の利用に対して交付金として、約3000億円を提示。

これでイイのかな。

全てが見えないところで動いている気がする。

この間の3号機のメルトダウンだって、いまさらですよね。

今、地下水の一部を放出してるんでしょ。

黙ってて、知っててやったな。

復興予算は行きわたらず、建設業は深刻な人手不足。

仮設住宅が悲鳴を上げ始めている。

わからない。

金の巡りがわからない。

こっちはジャブジャブ、こっちはカツカツ。

どうなっているの?

大型公共事業だけが、回転率を上げているのか。

とにかく見えない。

見えない放射能は、知らない間に広がっている始末。

何故国民目線、被災者目線にならないのか。

やっぱ金目なの?


原発作業員の仕事を否定しているのではありません。

建設してしまったものは、しょうがないですけど、これ以上建設する必要性がないと言っているんです。

再稼働させず、54基ある原発を全て廃炉にしていく作業に移行していくことが出来る気がするんですけど。

もしくは危機管理としての、建物そのものの強化だったり。

ゴールの見えない作業に原発マネーだって、無くなりはしないはずです。

並行して周辺住民の避難訓練や避難道路の建設や確保。

お約束の公共事業という名の原発ビジネスですよ。

賠償請求されたくなかったら、やることはいっぱいありますよ。

後付けで継ぎ足し継ぎ足しで予算をガッツリもらうの得意でしょ?

とにかく安全に縮小していくことなんじゃないかなって思うんですよね。

まず着眼点を変えることです。

廃炉ビジネスでも潤えば、とりあえずは文句ないんでしょ?

そしていつだってどんな時も、国のアタマが責任を取ること。

それくらいの器のデカさありますよね?

あぁ、彼にはないか。。