前回の話は・・・
今回は、前回のちょっとした続きです
この記事で登場するウチのおっさまだが、とうとう代替わりすることになった。
若い坊さん、どうやら婿さんらしいのだが、真面目でとっても誠実な方である。
読経も一語一語はっきりと発音されていて、とっても聞き取りやすい。
ウチのおふくろや嫁さんには好評で、もちろんアタシも不満などまったく無いのだが・・・聞き慣れていないのか、体がまだ変化を受け入れていないようで。
音楽だって、若いときに聞き込んだ曲は年を取っても耳に馴染み、結局普段からそればかり、新しいものを聞いても馴染まないことはよくあるじゃないですか。
まさか読経も同じだとはwww長年聞き続けた先代おっさまの「もにょもにょ」にすっかり耳が馴染んでしまっていた。
とはいえ「ねずみ経」ではなく、読経が速くて「もにょもにょ」に聞こえるのである。
この読経がまた少々独特の音程で脳に心地よく響くのか、阿弥陀経が始まって数分で吸い込まれるように眠くなる、というかフワッとしてくる(誓って悪口ではない)。後半の御文章に入る前、前半最後におりん3発が来て目が覚めるけれど、うつつ状態である。
後半の御文章では、うつらうつらする中で独特の調子で「~するものなァり」が聞こえてくると、恍惚感というか何というか、極楽にいるかのような心地よさである。
正信偈はところどころアクセントが変わる場所があるのだが、そういうときもYoutubeで聴く大谷の正信偈と音程が微妙に違っていて、特に和讃の「光触かぶるものは」というくだりでは先代の音程とアタシらの音程がまったく合わないほど独特で、結構楽しいのである。
もうこれは一つの芸みたいなものとアタシは思っていて、月命日でも時間のあるときは行くようにしていたし、法事ともなれば先代の読経を聴くのが楽しみなくらいだったのだ。
聞けばまだ元気だそうで、近所の檀家さん家にお経を読みに行かれているらしく、アタシも死ぬまでには先代の読経をもう一度聴きたいと心から思っている。
(終)

