母よ、さらば。 | H2のブログ

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妻と対話をした朝、

妻には晒さなかったが内心酷く動揺した私。


妻が職場に去った後、

意識は朦朧とし

動悸が激しく打ち響き

体が震え、歯まで鳴り初めた。



誰かに気持ちをわかってもらいたかった、

母の妻への一言の事実確認をしたく、

ある一つの疑念を携えて

よろよろと実家に向かった。



こういうことがあってね、

少し休ませて欲しい、と上がり込んだ。



しばらくして私の話しを聞いた父が、



私が妻との関係で悩んでいる、

妻の態度が私の病気を長引かせている、

このままでは家庭が破綻する、

と思ったのだろう。



こういう家庭内の問題はどこにもある。

双方の言い分が噛み合うことはない。

民生委員をやっていた時によくあった。



「家族会議を開いて決めたらどうだ」



俺と母さんとみんなと

と、切り出した。



長男は大学受験を控えている。

次男はまだ中学生だ。


まだしばらくは経済的に現状を維持できる。

私自身の問題、妻との関係の問題を

改善できる余地や時間もある。


家族を動揺させる時期ではない。


それに妻にすれば戦犯扱いは必至だ。



私はそう思った。



瞬間、

父の怒涛ような仕切りが始まった。

面子は誰、議題は何、何を決める、いつ、

長女は妻よりだが、長男は分かるはず、

などと、またお得意の権謀術数を絡めた

勝手な持論を展開し始めた。


最初は選択肢の一つとしてその提案を

聞いていたが、父が最後に、



「おまえはどうしたいんだ」



と言ったので、私は答えた。



「僕はね…、


 こんな頭じゃ考えられねーんだよ!💢

 これが鬱っていう病気なんだよ!💢



父母に初めて晒した、

鬱状態の者が追い詰められた反応だった。

父母に初めて浴びせた最大の罵声だった。


項垂れながら



「妻や子ども達の気持ちが分かった?」

「こんなんなんだよ…」



妻がこれまでどれだけ助けを求めても

一度も心も手も差し伸べることもなく、

共感も意志の尊重もなかった。



庭で一服して少し落ちついて、

父母に話しをした。



誰かの為誰かの為とあなた方は私と妹を、

我々の意志を一切顧みることなく手土産

のように扱った。


田舎では従順なPETのように扱われてきた。



それに覚えはあるだろうと。



だからアダルトチルドレンになったし

PTSDが発症したのだと。



父は悔いの混じるような顔つきをしていた。

まだ感じるところがあったのかと思った。


そして、

'俺は確かに共感というものが

なかったかもしれない。

だけど母さんは違うだろう。'

と、父は母に問いかけた。



すると母は'果物があるから食べる?'

とそそくさとお勝手に去って行った。


あぁ、都合が悪くなるといつもそうだった。

聞きたくないことから逃げる。

見たくないことから逃げる。



そして父は続けた。

また始まった…。


'実はこれまで話したことはなかったが

もっと俺は大変だったんだ'と。

'小学1年の時だぞ…'。


(私はお腹の中からだけどね…)


聞いた事実は子にはショックだったし、

やっぱりなという感もあったが、


一番感じたのは、

こちらが共感を求めれば、

さらに酷い経験や境遇を持ち出して

逆に自分への共感を求め、

だから許せ、我慢しろという構図だ。


これまで何度味わってきたか。

その度に黙る他なかった。

それにも関わらず、

食べさせていただいたんだと、

学校にも通わせていただいたんだと。

思い聞かせてきた。



一方で母も、

共感を求めれば、

'我慢が足りないのよ'と決まって言う。


今回初めて、

'我慢'ってなんだ?それが何の解決になる?

と聞くと、

'昔と今じゃ我慢の概念が違うのね'

と口惜しそうにはぐらかした。



母に先にLINEで伝えていた、

私の鬱の根本的原因である

アダルトチルドレンや

その原因と生じる事を解説する動画のことを

改めて話し始めると、



「誰の診断なの?そんな事ないわよ」


「そんな動画なんて見てないわ」



と疑いの目つきで遮られた。



LINEのやり取りでは、

あなたの言う私達がしてきたことには

間違いはない、

あなたの鬱は私たちが絶対治す、

不甲斐ない親でごめんなさい、

などと体裁よく答えていたのに…。



もともと軽々しい物言いだなと

感じていたから、

やっぱりなという思いしか無かった。




そして、母が妻に言った



「その子、本当に産むの?」



について、正した。



母は、こう言った。



「そんな失礼なこと言う訳ないじゃない」


「中流家庭の収入だと2人くらいが限度

 じゃないってことを伝えただけよ」


「あの人が勝手にそういう風に言われたと

 思い込んでるだけよ」



嘘だ…。


後日妹に私の感覚を確認したら、



「言いかねない。

 あの人はいつも正しいから。」



と答えた。



父の実家での虐めの被害者であり、

父からのモラハラの被害者であり、

私と妹を産み育ててくれた守るべき母。


子として、男の子として、長男として、

母と家庭は守るべき大事な対象であった。


父の実家や父の被害者だと思い込み、

必死で守らなきゃと奮闘してきた。



父と母の思い描く幸せな家庭像を少しでも

実現しようと、

父母の経験のないだろう初任給での観劇や

海外旅行にも連れて行った。

年末年始の集まりは父の実家の習慣に

習って賑やかに楽しい集まりにした。

もちろん純粋な感謝を込めて。



けれど今思えば、

被害者という立場を隠れ蓑のにし、

陰では加害者を責めて自身を正当化し、

いつも私や妹を盾にして

自らは矢を受けないところに安住し、

父のいないところでは私や妹のことなど

顧みず自身のために時間と金を浪費し、

言動を責められれば、その記憶を消したり

書き換えたりして決して自身の非を

決して認めなかった母。



私が2〜4歳の頃の父の実家に預けられた

私の感覚は年単位に近かったが、

父も半年以上の覚えがあったところを、



「そんなことする訳ないじゃない、

 長くても数ヶ月よ!」



と言ったのも自分の落度を認めたくない

からだろう。でなければ、

'あの頃のことはもう全部忘れちゃったわ'

なんて言う必要もないのだから。



携えてきた疑念が確信に変わった。


父の実家のラスボスは父だったが、



「家庭での最大の加害者は母だった」



もう家に帰ろうと思い、

'家族への悪影響が出てしまうなら

1人離れて暮らすことも考える'と言って

立ち上がると母が言った。



「私たちの葬式を上げてもらわない

 といけないから

 遠くには行かないでちょうだい」



最後まで自分の心配か…。


父と同様に母も、

子ども達を自分の親代わりとして利用した。



一方で母は優しい口調や柔和な顔つきで

上辺は世間様への体面を整えて誇り、

優れた自分を演じる薄っぺらで自分の考え

を持たないプライドの高い人間であった。



あなたのことが心配なのという口癖は

あなた自身の心配を解消するためにあった。



こう言うのはとても残念だけど、

あなたが一番ずるい人だった。

父の実家や父に隠れて、

私や妹にネグレクトと精神的支配を

加えてきたのは、あなただったよ。


我々は母子分離もできていなかった

みたいですね。

50超にしてやっと自立するよ。

私と私の家族のために。



父と母ともに彼らがどういいつくろうが、

これ以上、

妻や子ども達への干渉を行わせないと

結論した。



母さん。さよなら。

心の中の決別の時。




このように書かなくてはならない

私自身がとてつもなく愚かしい。




↓高校時代のデッサン



尾崎豊さん「Mama, say good-bye」

(トリビュート)




今日もありがとうございました。