私のこれまでのブログの内容は、
時代遅れの昭和狂詩曲だ。
「MY・SHOWA・RHAPSODY」
こんなふうにしか現実を受け取れなかった。
こんなふうにしか現実を描けなかった。
時代かな?
それだけじゃない。
自分の選択なんだろう。
自業自得ってあなたは繰り返すようにね。
今の言葉なら自作自演ってとこかな。
彼らと同じ狂詩曲。
「ボヘミアン・ラプソディ」
↓歌詞の意味
無口で厳しいあなただけど、
いつも無言で見守ってもくれている。
いつも土壇場ギリギリでないと
助けてくれないけどね。
自業自得ってあなたは繰り返すようにね。
こんなふうにね。
「賽の河原地蔵和讃」
http://www.shokoji.net/3-21jizousai.html
これはこの世の事ならず
死出の山路の裾野なる
賽の河原の物語
聞くにつけても哀れなり
二つや三つや四つ五つ
十にもならぬみどり児が
賽の河原に集まりて
父上恋し母恋し
恋し恋しと泣く声は
この世の声とはこと変わり
悲しき骨身を通すなり
かのみどり児の所作として
河原の石を取り集め
これにて回向の塔を積む
一つ積んでは父のため
二つ積んでは母のため
三つ積んでは古里の
兄弟我が身と回向して
昼は一人で遊べども
日も入り合いのその頃は
地獄の鬼が現れて
「やれ汝は何をする
娑婆に残りし父母は
追善作善のつとめなく
ただ明け暮れの嘆きには
酷や悲しや不憫やと
親の嘆きは汝等が
苦患を受くる種となる
我を恨むる事なかれ」
黒がね棒を取りのべて
積たる塔をおし崩す
そのとき能化の地蔵尊
ゆるぎ出でさせ給いつつ
「汝等いのち短くて
冥途の旅に来るなり
娑婆と冥途は程遠し
我を冥途の父母と思うて
明け暮れ頼めよ」と
幼きものを御衣の
もすその内にかき入れて
哀れみ給うぞ有り難き
未だ歩まぬみどり児を
錫杖の柄にとりつかせ
忍辱慈悲の御肌衣に
いだき抱えて撫でさすり
哀れみ給うぞありがたき
いつまでも過去に囚われてきた。
しがみついてきたのかな?
どっちだかわからないけど、
もうどうでもいいよ。
過去を書き換え手放すし、
今を自分のために生きるし、
未来は自分自身のものを選択するよ。
愚かでも醜くても弱くても
「バカげててもきにしないさ」
それが私なんだろう。
「何もなかったように生きるよ」
自業自得ってあなたは繰り返すようにね。
↓高校時代の自画像
尾崎豊さん「弱くてバカげてて」
今日もありがとうございました。